逢初橋まで~鎌倉らんぶりんぐ・エピソードⅠ~

戸浦 隆

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四、恋の三角、喧嘩の元

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 瑞希の金切り声に近い指示に、亮二は慌てるふうでもなくハンドルに両手を戻した。
「同感だな、そのウェド君の考え。こう見えても僕、実は歴史学者なんですよ」
「学者じゃないでしょ。格好つけないの」
 瑞希の否定の言葉に逆らわず、亮二は続けた。
「そうだな、学者じゃないな。歴史愛好家、か。でもね、歴史は大切だよ。歴史の上に現在が在り、未来が広がってるんだから。学ぶことは多い」
「亮ちゃんの場合は、ただの物好き。奈津保さん、あのね。亮ちゃん、歴史は歴史でも裏歴史が好きなの。教科書に出ていないような」
「教科書のどこが面白い? 何年に何々がありました、なんて歴史じゃないよ。歴史を作って来たのは人間なんだ。血の通った人間をもっと掘り起こして欲しいね」
「道鏡が女帝といい仲だったとか、チンギス・ハンは源義経だったとか、そんな荒唐無稽(こうとうむけい)なことばっかり」
「いや。あながち荒唐無稽とばかりは言えないんだ。ああっ!」
 突然、亮二が大声を上げた。
「何よ。びっくりするじゃない」
「思い出した!」
「だから、何」
「政子だ!」
 バックミラーの中の奈津保に眼をやった亮二は、奈津保が頷いたように思った。
 瑞希は、一体何のことだか解らない。
「政子って、誰よ。亮ちゃん、他にも手を出してたの?」
「違うよ。ほら、逢初橋」
「それが?」
「北条政子と源頼朝。どこかで聞いたと思ったんだ。ウェド君のモシ王国起源の話で閃(ひらめ)いたんだけど、今ひとつ見えて来なかった。瑞希が源義経って言っただろ。それで回路が繋がったんだ。そうか、あの橋か。ようやく見えて来たぞ」
 亮二に見えて来ても、瑞希には見えて来ない。瑞希は、自分にもその橋が見えるよう説明して、と亮二にせがんだ。
 平治の乱後、伊豆の蛭(ひる)ヶ島郷に流された源頼朝は、伊東祐親(すけちか)と北条時政の監視下に置かれた。祐親が大番役勤仕のため京都にいた間に、頼朝は祐親の娘八重と結ばれる。結婚した頼朝は伊東館に移り住み、八重との間に千鶴丸という男の子を設けた。
 京から戻った祐親は激怒した。源氏の血筋が受け継がれた事が平氏に露見すれば一族の危機だ。祐親は千鶴丸を簀(す)巻きにし狩野川に沈め、頼朝の命を狙った。
 頼朝は近侍していた八重の兄祐清の機転で難を逃れ、走湯山権現(伊豆山権現)に逃げ込む。そうして、北条時政の館に助けを求めた。この時、時政は大番役のため在京中で、その子政子・義時らが頼朝を匿(かくま)ったという。
 傷心の頼朝に政子は恋心を抱いた。都で生まれ育った頼朝には、板東武者(ばんどうむしゃ)には無い優雅さや垢(あか)抜けた雰囲気が身についている。田舎育ちの娘には新鮮に映ったことだろう。二人の仲は急速に接近した。
 京から帰郷した時政も祐親と同様、この結婚を認めなかった。伊豆目代(代官)の山木兼隆に嫁がせようとしたのである。だが、政子は八重とは違った。父親の言いなりにはならなかった。婚礼の席の山木館から抜け出し、頼朝のいる走湯山権現に走ったのだ。伊豆山には僧兵が大勢いる。兼隆も時政も迂闊(うかつ)には手が出せない。やむなく時政は暗黙の内に愛娘の結婚を認めることにした。二人の間に大姫という娘が生まれ、頼朝は親子ともども北条館に移り住む。
 逢初橋は、二人の仲を裂かれ山木館から逃げ出した政子が頼朝と落ち合ったところだと伝えられている。
「そうだったの。情熱的ね、北条政子って」
 頷いて感心しながら聞いていた瑞希に、亮二が水を差すようなことを言った。
「ところがね、この話は作り話なんだ」


「え? 作り話?」
「うん。治承四年、西暦で言うと一一八〇年、平清盛に幽閉されていた後白河上皇の第三皇子以仁王(もちひとおう)が平氏追討の令旨(りょうじ)を全国に発するんだ。これを奉じて挙兵した源頼政が以仁王とともに宇治川の合戦で平氏に敗れ、息子の仲綱も敗死してる」
「それが?」
「仲綱は伊豆守(いずのかみ)だったんだ」
「伊豆の国を治める長官みたいなもの?」
「まあ、そうだ。仲綱が死んだので、清盛は後任に自分の甥(おい)の時兼を据えた。でも時兼は、伊豆守とは名ばかりで実際には赴任して来なかった。そこで現地を直接支配する目代に登用されたのが、山木兼隆」
「ははん。恋敵の登場ね」
「兼隆は平氏の庶流だけど、頼朝と同じような流人(るにん)でね。伊豆に流されて来たのは目代になる一年前。そうすると、おかしなことになる」
「どこが、どう?」
「頼朝と政子の娘が生まれたのは安元三年、つまり一一七七年なんだ。この年は治承元年に当たる」
「治承元年? ちょっと待って。整理してみる」
 瑞希は頭の中に簡単な年表を描いてみた。

治承元年(一一七七)
 頼朝・政子に大姫が生まれる
治承三年(一一七九)
 山木は、伊豆に配流(はいる)
治承四年(一一八〇)
 宇治川の合戦。
 山木兼隆、伊豆目代となる

「あら、ホント。大姫が生まれた時には、山木兼隆は伊豆にはいなかったってこと?」
「京都にいた。これは記録に残ってるから確かなんだ」
「政子を挟んでの頼朝と兼隆の三角関係は成り立たなかった、というわけね」
 じっと聞いていた奈津保が口を開いた。
「頼政に続いて挙兵した頼朝は、真っ先に山木館に夜討ちを掛けています。この時、頼朝はこう言っているのです。『かつうは国敵たり。かつは意趣を挿ましめ給うが故に、まずは試みに兼隆を誅せられるべし』。政子をめぐる確執があったと見るべきではありませんか?」
 亮二は頷いた。
「さすがに地元の人ですね。よく知っている。確かに『吾妻鏡』にはそう記されてる。でも、その『意趣』が問題なんですよ。平清盛が後白河上皇を幽閉した。山木兼隆はその平氏一門だ。国敵だからこれを討つ。これは公的な理由で納得出来る。その後に続く『意趣』というのが私的な理由に当たるんだけど、これがよく解らない」「いしゅ、って?」
 瑞希が尋ねた。
「恨みを晴らすために仕返しすることだよ。ほら、『意趣返し』って言うだろ。頼朝が兼隆を討って恨みを晴らしたとする。だから恋の三角関係説が出て来たりするんだ。仮にそうだったとしても、政子を娶(めと)った恋の勝利者である頼朝が、負けた兼隆を恨んだりするかなあ。ねちねちと根に持つ陰湿な男みたいで、とても源氏の総大将の器とは思えない」
 瑞希が亮二の肩を後ろから指でトントンと突いた。
「ん?」
「男の嫉妬は女の嫉妬より始末が悪い、って知ってる?」
「何。僕のこと言ってんの?」
「翔子の本命馬、気になるでしょ。だから………」
「蒸し返すなよ。翔子のことは、本当に何でもないんだから」
「ほら、ムキになる。怪しいヤツめ。ほんと女にだらしない『鎌倉殿』なんだから、このォ」
 ポコン、と瑞希は亮二の後頭部を叩いた。
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