逢初橋まで~鎌倉らんぶりんぐ・エピソードⅠ~

戸浦 隆

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六、逢初橋に逢いゆけば

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 奈津保が左手で瑞希の手を、右手で亮二の肩を掴んだ。
「ありがとう。心細かったけれど、お陰で元気が出たわ。二人に会えてよかった」
 奈津保の手に力が込められた。
「二人とも、いつまでも仲良く」
 亮二が橋の袂(たもと)に車を寄せた。瑞希に続いて奈津保が降りる。降りしきる雨を避けて、奈津保は小さな店の軒下(のきした)に身を滑り込ませた。
 瑞希が助手席に納まると、亮二は車を発進させた。手を振る奈津保に、瑞希も後ろを向き応える。奈津保の姿が雨に紛れて見えなくなった。
 しばらくして、亮二が真剣な顔付きで瑞希に言った。
「思わないか?」
「何を?」
「モシ王国の祖ウェドラアゴを産んだ王女と北条政子。似てるだろ。その二人に重なるんだよな、奈津保さんが」
「そう。私も思ってた。ひょっとしたら奈津保さん、北条政子の生まれ変わりかもって。だって政子のこと、自分のことのように話してたもの」
「政子の歌というのも、初めて耳にした。どんな文献開いたって載ってないよ、多分。奈津保さんが北条氏所縁(ゆかり)の家柄で代々伝承されて来たか、それとも瑞希の言うように奈津保さん自身が北条政子の生まれ変わりか………。政子のこと、知り過ぎるくらい知ってたものなあ」
「絶対そうだわ。生まれ変わりだって」
「アフリカで生まれて日本で生まれ変わり、今また日本で生まれ変わった奈津保さんがアフリカに戻ってゆく。そんな気がして来たよ」
「ねえ。私たちも生まれ変わりかしら。前世でも付き合ってたりして」
「おいおい、止めてくれよ」
「楽しいじゃない、もしそうだったら。来世も生まれ変わって、やっぱり亮ちゃんと付き合うのかな」
「それは無い、と願いたいね」
「あら、どうして? 私と付き合いたくないの?」
「とっちめられるのは、この世だけでたくさんだ」
「毎度どうも、って言う亮ちゃんの顔が見たいの。だから遠慮しないで」
「今度はこっちが車から降りたくなったよ」
「駄目。亮ちゃん、眼ぇ離したら何するか解らないもの。ずうっと側に貼り付いてるからね。覚悟しろよォ」
 おどけて瑞希が亮二のクビに抱きついた。ハンドルを取られそうになり、思わず前方に注意を向けた亮二の眼に赤い点滅が飛び込んだ。
 パトカーだ。白い合羽(かっぱ)を着た警察官が車の列を誘導している。
「事故じゃないか?」
「そうみたい………」
「渋滞の犯人はこれだったのか」
 トラックが横転し、道を塞いでいる。ブルドッグの顔のように前部がグシャグシャにつぶれた軽乗用車が、左の山腹に胴体をのめり込ませていた。
 脇を通り抜ける時、亮二も瑞希も何とはなしにひしゃげた軽自動車に眼をやった。
 多摩ナンバーだった。
 二人は顔を見合わせた。まさか、という思いが頭の中を過(よぎ)る。
 瑞希が亮二の腕を痛いほど強く掴んだ。
 頷いた亮二は、車を道路脇に寄せて止めた。運転席を飛び出し、警察官に向かって駆け出す。
 警官が不審そうに亮二を見た。
 そんな筈、無いよな………。亮二の渇いた口の中で、壊れた機械のように同じ言葉が繰り返された。


 瑞希は、亮二が警官と話しているのを息を凝らしてじっと見ていた。胸の鼓動が速く、高く打つ。
 亮二が警官に頭を下げ、走って戻って来る。待つのがもどかしい。ドアが開いたのと瑞希が声を発したのが同時だった。
「どうだったの?」
 亮二が運転席に滑り込む。
「安心していい。救急車で運ばれたのは二人、トラックと軽自動車の運転手。どちらも日本人だ」
「ウェド君が乗っていなくても、友達ってこともあるんじゃない?」
「軽自動車は上り車線を走ってた。つまり東京方面に行く車で、年配の女性だったらしい」
 瑞希は、ほっとした。ではウェド君の車も、渋滞で来るのが遅れているのかも知れない。雨の中、一人でじっと待つ時間は長い。瑞希は亮二の腕を肘で突いた。
 亮二は頷いた。言葉でなくても瑞希の気持ちは解る。車をUターンさせ、逢初橋に引き返した。
「ごめんね。帰るの遅くなって」
「いいんだ。バイトは休みにする。奈津保さんが気になるから」
「うん。ありがと」
 下り車線は幾分渋滞がマシだった。十分と掛からず橋まで戻ることが出来た。
 橋の袂の店の前に人影は無い。脇道の駐車スペースに車を置き、二人は店に入った。奈津保の姿は店内にも無かった。店の人に尋ねたが、客は誰も来なかったと言う。礼を述べ、近所の他の数軒にも当たった。だが、どこも奈津保らしい女性は見掛けなかった、という返事だった。待ち合わせの場所から遠く離れる筈は無い。しかもこの雨だ。雨宿りしながらウェド君の車が見える所といえば、橋の袂の店しか無い。二人はもう一度、最初の店に入った。
「度々、済みません」
 亮二が頭を下げた。人の良さそうな中年のオバさんは愛想よく答えた。
「見つからんかったですか」
「はい。この店の前で降ろしたんです。気が付きませんでしたか?」
「雨が降ってて、ガラス戸を閉めてたしね。でも、車が止まったのは解りましたよ。降りて来たのは赤い服の、そう、あなたかしら」
 瑞希は首を縦に振った。
「はい。それ、私です」
「そしたら赤い服が車の前のドアを開けて乗り込んで、そのまま車は行ってしまったから」
「私の後に白いコートを着た女の人も降りた筈なんですけど」
「私が見たのは赤い服だけ。白いコートの人は見なかったねえ」
「そんな………」
 瑞希は妙な気分が胸の内に湧いて来るのを覚えた。
「ガラス戸だから、顔は解らなくても人影は映るのよ。表に誰か立っていたら、自然と眼は行くものだし、ね」
「誰も立っていなかったんですか」
「誰も」
 亮二が瑞希の手を握った。そうして丁寧に礼を述べた。
「妙なこと訊いて、済みません。どこかで雨宿りしてる間に行き違ったんでしょう。ありがとうございました」
 心残りを引き摺る瑞希の手をそのまま引いて、亮二は店の外に出た。普段ののんびりした顔が引き締まっている。真剣な時に出る皺が眉間(みけん)に浮き出していた。
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