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第二章(三)保元の乱及び新院配流のこと①
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仁和寺覚性(かくしょう)法親王の語る(一)
*法親王(皇子が出家後に親王宣下を受けた者)
ご存知ですか、先の関白藤原忠実の次男頼長のことは。
頼長は「日本第一の大学生(だいがくしょう)」と言われるほどの秀才で、とんとん拍子に出世し左大臣にまでなった。ところが、摂政関白忠通と頼長が兄弟でありながら反目することになってしまったのです。
事の起こりは、近衛帝の皇后冊立を巡る争いです。
皇后には頼長の養女多子(たし)がなることに決まっていたのですが、忠通が美福門院と手を組み横槍を入れたのです。藤原摂関家の惣領である忠通は、弟が宮廷内で実権を握ることが許せなかったのでしょう。
美福門院はすでに皇女が何人もいるというのに、参議藤原伊通(これみち)の娘呈子(ていし)を養女にする。そうして、その呈子を今度は忠通が養女にしたのです。
どういうことかお分かりでしょう。血の繋がりは無くとも、美福門院の子であれば鳥羽本院の子となるのです。私の父鳥羽本院は美福門院のすることには否も応も無い。即日入内が決定された。頼長の先を越そうという忠通の狙い通りになったわけです。
泡を食った頼長は即刻、本院に多子立后を願い上げた。うかうかしていると呈子が皇后になってしまう。ですが本院は、「呈子入内の責任は忠通にある」と言って取り合わない。忠通は忠通で、「摂政でもない者の子女立后は前例が無い」と突っぱねる。困り果てた頼長を見るに見かねて、父親の忠実が説得した。「忠通の背後には美福門院がいる。美福門院を動かさない限り、事態は変わらぬ」と。
頼長は父親の言葉にしぶしぶ従い、美福門院に懇願の手紙を出したのですが、そんなことで美福門院が動く筈も無い。それは分かっていたでしょうに。よほど追い詰められていたのですね、頼長は。
八方塞がりとなった頼長は「願いが聞き届けられないのなら官位を返上し出家する」と、それこそ赤児のように駄々をこね、本院に泣訴(きゅうそ)嘆願した。本院は藤原摂関家の骨肉の争いに憐れを覚えたのでしょう。結局、多子の皇后冊立をお認めになった。
それで事は落着したかに見えましたが、火種は消えてはいなかったのです。この入内騒動は、藤原摂関家の家督相続を巡る争いに発展してしまった。
忠実は頼長に摂政を譲るよう忠通に申し入れていたのですが、忠通は頑として首を縦に振らない。それで忠実は、ついに強硬手段に打って出た。源為義率いる武士団と共に、摂関家本邸の東三条に赴(おもむ)いたのです………。
庭先に詰めた兵たちの武具の触れ合う音が、緊迫の波となって打ち寄せて来る。辺りを包む物々しい空気がひりひりと肌を刺す。ひと声発しさえすれば、兵は怒涛のごとく邸内になだれ込むのだ。すべては忠実の手に握られていた。
「忠通」
勝ち誇ったように忠実が口を開いた。
「はい………」
忠通の青ざめた頬のひくつきが治まらない。
「お前がいくら権謀術策に長(た)けていようと、もはや逃れは出来んぞ。摂政を頼長に譲ること、認めてはどうだ」
「そればかりは承服致しかねます」
忠通の声はかすれていた。
「まだ言い張るか」
「摂政は天皇様より授けられた職。私の一存でどうこう出来るものではありません」
「頼長はな、お前と違って融通が利かぬ。だが曲がったことや駆け引きなどは、極力嫌う。努力を惜しまず、純粋だ。真に朝廷のこと、摂関家の将来を考えておる。藤原氏を継ぐにふさわしい資質を備えていると思わんか」
忠通は、忠実の後ろに控えている頼長をちらりと見やった。
「朝廷や摂関家のことは、頼長に引けを取らぬほど私も真剣に考えております。ですが、正攻法だけで政(まつりごと)は成りません。機を見、変に応じ、力の加減を測りながら綱引きすることも必要なのです。そうしなければ動くものではありません」
「相変わらず口は達者だな。もう一度、念を押そう。摂政を頼長に譲れ」
今その要職を手放せば転がるように失脚する。忠通にはそれが眼に見えていた。それに嫡男である自分を差し置いて次男の頼長が摂政となるのは、どうしても我慢がならない。忠通は頑強に固持した。
「譲りません」
「そうか。お前がそれほど云うのならば致し方ない。摂政職のことはもう言うまい」
額の汗を拭いながら、忠通はほっと一息ついた。「何とかこの場をしのげた」と思った。
「忠通………」
「はい」
「お前に義絶を申す渡す」
忠実の冷ややかな声が耳を射抜いた。聞き間違いではないか、と思った。
「な、何と申されました」
「お前を義絶する」
「義絶………。義絶と、そう言われるのですか」
「そうだ」
忠通は、信じられないものを見たような眼を自分の父に向けた。
「それは………」
「義絶した以上、お前はもはや藤原家の惣領ではない。藤氏長者(とうしのちょうじゃ・藤原氏を統率する長で、摂関家の膨大な家領を支配する)は頼長に授ける」
「そ、それは………」
忠通は言葉を失った。
摂政関白は天皇の代理・補佐の仕事に過ぎない名誉職のようなものだ。しかし、藤氏長者は都ばかりでなく藤原家に関わる全国の荘園・神社などの差配一切の権限を握る長なのだ。経済的な基盤を失っては、摂政関白という名はあっても実は無いのである。
「よいな、忠通」
返答出来なかった。忠通はねっとりと絡み付く眼で睨み返し、黙って一礼すると部屋を出て行った………。
忠通が忠実に義絶を告げられてから七日後のことです、「文書内覧の権」が左大臣頼長に宣下されたのは。
これで頼長は名実ともに政界の中枢に坐ることになったのですが、それもわずかのこと。生真面目で厳格な性格が災いし、自分の手で自らの首を絞めるような不運を招き寄せてしまいました。
本院が寵愛していた藤原家成と頼長の家人同士の乱闘、天皇家と関わりの深いこの仁和寺に隠れた殺人犯への強引な追捕(ついぶ)、神域を血で汚すことになった石清水八幡宮と上賀茂神社での騒動………。打ち続く事件に頼長は厳し過ぎる態度で対処した。気負いがあったのでしょう。ですが、それが却っていけなかった。左大臣頼長は「悪左府」と呼ばれるほど人望を失い、また本院も心証を大いに害された。そうしてこの後、さらに悪いことが続いたのです。
近衛帝呪詛事件のことは聞き及んでいますか?
病弱な近衛帝が十七歳で崩御して、ひと月後のことです。巫女の口寄せにより、近衛帝の霊がこう告げた。
「朕が眼病を患い崩じたのは、先年愛宕護山の天公像の眼に誰かが釘を打ち、朕に呪いを掛けたためだ」
驚いた本院は、早速天公像を検分するよう命じた。すると像の眼には果たして託宣通り釘が穿(うが)たれてあったのです。
住職は、尋問にこう答えています。
「五、六年前の夜中のことでございました。何者かが像の眼に釘を打ちつけたのです。捕り逃がしてしまい、誰の仕業かは分かりません。ですが、とにかく怖ろしいことが起こってはならぬと思い、そのまま触れずに置いておいたのでございます」
怖ろしいことが起こってはならぬと思ったのならば、すぐにでも申し出て指示を仰ぐべきではないか。しかも、それを何年も放置している。おかしいと思いませんか? そうして吟味の結果、犯人は忠実・頼長父子であるとされたのです。誰かが意図的に陥(おとしい)れたとしか思えません。
この事件によって、頼長は完全に宮廷内から閉め出されてしまった。何とか返り咲き忠通に対抗しようと、頼長は私の兄新院にすがりついた。ですが、新院も窮地に追い込まれていたのです。
近衛帝が亡くなると、新院は今度こそ息子重仁親王が帝になると、胸中大いに期待していたと思う。ところが本院は、新院を「叔父子」と呼んで嫌っていた。本院は私のすぐ上の第四皇子雅仁兄に帝位を継がせようと考えていたようです。
新帝選定の席で、この案が持ち出された。「これは生前の近衛帝からのお申し出であった」と言い出したのが、美福門院と忠通です。本院は即座に同意した。重仁親王のことなど、まるで眼中に無かったのです。雅仁兄は、ご存知でしょうが、今様に凝っている。政など二の次、三の次だという人です。その雅仁兄が後白河天皇として帝位に就いた。
新院は、弟が天皇になったことに歯ぎしりするほど悔しい思いを煮えたぎらせていたことでしょう。これで自分の子が皇統を継ぐ夢は完全に潰(つい)えてしまった。その新院を担ぎ出すことでしか、頼長は生きる術(すべ)が無かったのです。
そうして久寿三年(一一五六年)七月二日、それぞれの想いが交錯する中、鳥羽本院が亡くなられた。
新院はすぐさま鳥羽離宮に駆け付けた。しかし警備の兵がひしめいていて、中に入れない。抜け目のない忠通が「何人(なんぴと)たりとも通してはならぬ」と、源義朝と平清盛に厳命していたのです。
新院は無念の思いを抱きながら、引き返さざるを得なかった。仮にも上皇である身分の自分が、父親の亡骸を弔うことすら許されないのです。新院の怒りは察して余りある。近衛と後白河両帝の即位の時に飲まされた苦汁を、またもや味わわされたのですから。慎み深く忍耐強かった新院も、事ここに至って初めて後白河帝と忠通に「一矢(いっし)報いん」と決意したと思うのです。
しかし、忠通はなかなか頭の回る男です。すでに先手を打っていました。摂関家領の荘園からの徴兵禁止の命を出す。源義朝に東三条殿を襲わせ、邸内で天皇呪詛の祈祷をしていたとして宇治平等院の僧を逮捕し、東三条殿を没収。さらに新院と頼長が後白河帝を葬り去り、重仁親王を帝位に就けようと謀反を企てたと風聞を流す。策略に関しては一枚も二枚も上です。
追い詰められた新院と頼長は、白河北殿に立て籠もりました………。
「どう戦う、頼憲(よりのり)」
源為義に言われ、多田源氏の頼憲は腕を組んだ。
「ううむ。我らは為義殿、為朝殿それに平忠正殿や家弘殿など屈強の者はいるが、わずか一千の兵。何せ数が少ない。武士の主力は天皇方が掌握しておるからな」
「まさに多勢に無勢とはこのことだ」
軍評定(ひょうじょう)は遅々として進まない。いくつか出る意見も決定打とはなりそうになかった。
「八郎。お前は先ほどから何も言わんが」
「みな様の意見が出尽くしましたなら、申し上げようかと」
「出尽くすも何も、策らしい策など立てようがないではないか」
為朝は座の一同の顔を、ぐるりとひと回り眺めた。
「では、申します。『夜討ち』を掛けるのです」
「夜討ち、か!」
「はい。数が劣勢である戦いは奇襲しかありません。しかも、早ければ早い方がいい」
「うむ。それしかあるまい。どうだ、みなは」
おお、と賛同の声が和した。
「待て!」
頼長が脇から手を挙げた。
「仮にも新院様をお立て申し上げ、正統な一の宮重仁親王様の皇位継承を願う我らなのだ。員外の四の宮後白河天皇相手に、どうして卑怯な手段が取れよう。夜討ちなどというものは、十騎二十騎の私ごとの戦いではないか。明日になれば、父の頼んだ南都奈良の衆徒一千余りの援軍が来る。それをもって正面から敵を打ち破るのが作法に則(のっと)った合戦というものだ」
今度は為朝が立ち上がった。
「頼長様は戦(いくさ)というものをご存知ないから、そんな悠長なことを言われる。戦は殺し合いなのです。勝ち負けは、すなわち『生きるか死ぬか』。勝算の無い戦いなら、初めからしない方がいい。しかし、いくら劣勢だとしても戦い始めたとあれば、勝たねばならんのです」
「正しい戦い方があるであろう」
「戦いに、正しいも正しくないも無い。勝つか負けるかだ。それは時が決める。合戦を心得ている兄義朝は、必ず先手を打って来る。今夜か明朝にでも。先んじなければ、結果は火を見るよりも明らか。それがお分かりになりませんか!」
「物事は正しい法に従ってこそ、万人に認められるもの。勝った後に非難を浴びるような戦いは正しいとは言えぬ」
「我らは新院様の御為(おんため)にと馳せ集まった。新院様をどうやってお守りするか。言をもってお守りするのであれば言に詳しい者に、刀をもってお守りするのであれば戦いに詳しい者にお任せあれ」
「いや。筋の通らぬものは、例え門外のことであっても為すべきではない」
「自分一人のことならば、それもよろしかろう。しかしながら新院様を巻き込み、多くの武将の命を預かっているのです。建前で命のやり取りをするおつもりか!」
為朝は呆れ果てた。このお人に人がついて来ないわけだ。ましてや家を治め、国を治めることなど出来る筈も無い。そう思った。
「知らぬぞ!」
立ち上がった為朝は床を踏み鳴らし、その場を去ろうとした。
「待て、八郎。ここは一致団結して事に当たらねばならん。我らは新院様、頼長様に仕える身だ。その命に沿うよう戦術を立てるしかあるまい」
父為義の言葉に、為朝はしぶしぶ席に戻った。
「頼長様の言う一千騎が加われば総勢二千。援軍が来るまで、何とか持ち堪えれば勝機はある。とにかく門を固めよう。大炊御門の東門は平忠正殿と頼憲、西門は八郎、お前が陣取れ。西河原面の門は儂(わし)が、北の春日面の門は平家弘殿にお願いしたい。どうだ?」
みなが返答する前に、頼長が手を叩いた。
「それじゃ。それでよい。さて、軍評定で決まったことを新院様にお伝えせねば」
頼長は立ち上がり、さっさと部屋を出て行った。後には溜息や舌打ちが漏れ聞こえそうな、妙に静まり返った空気が漂っていた………。
後で聞いた話ですが、源義朝は夜討ちを後白河帝に奏上したそうです。すると、こう言ったというのです。
「政には政の為し方がある。戦には戦の仕様があろう。軍戦のことはそなたたち武士に任す。思うようにするがよい」
頼長と後白河帝の差が、勝敗を分けたと言うべきでしょう。戦いはあっという間でした。義朝に夜討ちを掛けられた新院方は総崩れとなり、未明には決着がついておりました。頼長は敗走する途中、流れ矢が喉の下から左の耳に突き抜け、数日後に絶命。東門から出た新院は、北白川から如意山へと逃れゆく先々でかくまわれることも無かった。ついには私が門主を務めているこの仁和寺に入り、出家したのです。
*法親王(皇子が出家後に親王宣下を受けた者)
ご存知ですか、先の関白藤原忠実の次男頼長のことは。
頼長は「日本第一の大学生(だいがくしょう)」と言われるほどの秀才で、とんとん拍子に出世し左大臣にまでなった。ところが、摂政関白忠通と頼長が兄弟でありながら反目することになってしまったのです。
事の起こりは、近衛帝の皇后冊立を巡る争いです。
皇后には頼長の養女多子(たし)がなることに決まっていたのですが、忠通が美福門院と手を組み横槍を入れたのです。藤原摂関家の惣領である忠通は、弟が宮廷内で実権を握ることが許せなかったのでしょう。
美福門院はすでに皇女が何人もいるというのに、参議藤原伊通(これみち)の娘呈子(ていし)を養女にする。そうして、その呈子を今度は忠通が養女にしたのです。
どういうことかお分かりでしょう。血の繋がりは無くとも、美福門院の子であれば鳥羽本院の子となるのです。私の父鳥羽本院は美福門院のすることには否も応も無い。即日入内が決定された。頼長の先を越そうという忠通の狙い通りになったわけです。
泡を食った頼長は即刻、本院に多子立后を願い上げた。うかうかしていると呈子が皇后になってしまう。ですが本院は、「呈子入内の責任は忠通にある」と言って取り合わない。忠通は忠通で、「摂政でもない者の子女立后は前例が無い」と突っぱねる。困り果てた頼長を見るに見かねて、父親の忠実が説得した。「忠通の背後には美福門院がいる。美福門院を動かさない限り、事態は変わらぬ」と。
頼長は父親の言葉にしぶしぶ従い、美福門院に懇願の手紙を出したのですが、そんなことで美福門院が動く筈も無い。それは分かっていたでしょうに。よほど追い詰められていたのですね、頼長は。
八方塞がりとなった頼長は「願いが聞き届けられないのなら官位を返上し出家する」と、それこそ赤児のように駄々をこね、本院に泣訴(きゅうそ)嘆願した。本院は藤原摂関家の骨肉の争いに憐れを覚えたのでしょう。結局、多子の皇后冊立をお認めになった。
それで事は落着したかに見えましたが、火種は消えてはいなかったのです。この入内騒動は、藤原摂関家の家督相続を巡る争いに発展してしまった。
忠実は頼長に摂政を譲るよう忠通に申し入れていたのですが、忠通は頑として首を縦に振らない。それで忠実は、ついに強硬手段に打って出た。源為義率いる武士団と共に、摂関家本邸の東三条に赴(おもむ)いたのです………。
庭先に詰めた兵たちの武具の触れ合う音が、緊迫の波となって打ち寄せて来る。辺りを包む物々しい空気がひりひりと肌を刺す。ひと声発しさえすれば、兵は怒涛のごとく邸内になだれ込むのだ。すべては忠実の手に握られていた。
「忠通」
勝ち誇ったように忠実が口を開いた。
「はい………」
忠通の青ざめた頬のひくつきが治まらない。
「お前がいくら権謀術策に長(た)けていようと、もはや逃れは出来んぞ。摂政を頼長に譲ること、認めてはどうだ」
「そればかりは承服致しかねます」
忠通の声はかすれていた。
「まだ言い張るか」
「摂政は天皇様より授けられた職。私の一存でどうこう出来るものではありません」
「頼長はな、お前と違って融通が利かぬ。だが曲がったことや駆け引きなどは、極力嫌う。努力を惜しまず、純粋だ。真に朝廷のこと、摂関家の将来を考えておる。藤原氏を継ぐにふさわしい資質を備えていると思わんか」
忠通は、忠実の後ろに控えている頼長をちらりと見やった。
「朝廷や摂関家のことは、頼長に引けを取らぬほど私も真剣に考えております。ですが、正攻法だけで政(まつりごと)は成りません。機を見、変に応じ、力の加減を測りながら綱引きすることも必要なのです。そうしなければ動くものではありません」
「相変わらず口は達者だな。もう一度、念を押そう。摂政を頼長に譲れ」
今その要職を手放せば転がるように失脚する。忠通にはそれが眼に見えていた。それに嫡男である自分を差し置いて次男の頼長が摂政となるのは、どうしても我慢がならない。忠通は頑強に固持した。
「譲りません」
「そうか。お前がそれほど云うのならば致し方ない。摂政職のことはもう言うまい」
額の汗を拭いながら、忠通はほっと一息ついた。「何とかこの場をしのげた」と思った。
「忠通………」
「はい」
「お前に義絶を申す渡す」
忠実の冷ややかな声が耳を射抜いた。聞き間違いではないか、と思った。
「な、何と申されました」
「お前を義絶する」
「義絶………。義絶と、そう言われるのですか」
「そうだ」
忠通は、信じられないものを見たような眼を自分の父に向けた。
「それは………」
「義絶した以上、お前はもはや藤原家の惣領ではない。藤氏長者(とうしのちょうじゃ・藤原氏を統率する長で、摂関家の膨大な家領を支配する)は頼長に授ける」
「そ、それは………」
忠通は言葉を失った。
摂政関白は天皇の代理・補佐の仕事に過ぎない名誉職のようなものだ。しかし、藤氏長者は都ばかりでなく藤原家に関わる全国の荘園・神社などの差配一切の権限を握る長なのだ。経済的な基盤を失っては、摂政関白という名はあっても実は無いのである。
「よいな、忠通」
返答出来なかった。忠通はねっとりと絡み付く眼で睨み返し、黙って一礼すると部屋を出て行った………。
忠通が忠実に義絶を告げられてから七日後のことです、「文書内覧の権」が左大臣頼長に宣下されたのは。
これで頼長は名実ともに政界の中枢に坐ることになったのですが、それもわずかのこと。生真面目で厳格な性格が災いし、自分の手で自らの首を絞めるような不運を招き寄せてしまいました。
本院が寵愛していた藤原家成と頼長の家人同士の乱闘、天皇家と関わりの深いこの仁和寺に隠れた殺人犯への強引な追捕(ついぶ)、神域を血で汚すことになった石清水八幡宮と上賀茂神社での騒動………。打ち続く事件に頼長は厳し過ぎる態度で対処した。気負いがあったのでしょう。ですが、それが却っていけなかった。左大臣頼長は「悪左府」と呼ばれるほど人望を失い、また本院も心証を大いに害された。そうしてこの後、さらに悪いことが続いたのです。
近衛帝呪詛事件のことは聞き及んでいますか?
病弱な近衛帝が十七歳で崩御して、ひと月後のことです。巫女の口寄せにより、近衛帝の霊がこう告げた。
「朕が眼病を患い崩じたのは、先年愛宕護山の天公像の眼に誰かが釘を打ち、朕に呪いを掛けたためだ」
驚いた本院は、早速天公像を検分するよう命じた。すると像の眼には果たして託宣通り釘が穿(うが)たれてあったのです。
住職は、尋問にこう答えています。
「五、六年前の夜中のことでございました。何者かが像の眼に釘を打ちつけたのです。捕り逃がしてしまい、誰の仕業かは分かりません。ですが、とにかく怖ろしいことが起こってはならぬと思い、そのまま触れずに置いておいたのでございます」
怖ろしいことが起こってはならぬと思ったのならば、すぐにでも申し出て指示を仰ぐべきではないか。しかも、それを何年も放置している。おかしいと思いませんか? そうして吟味の結果、犯人は忠実・頼長父子であるとされたのです。誰かが意図的に陥(おとしい)れたとしか思えません。
この事件によって、頼長は完全に宮廷内から閉め出されてしまった。何とか返り咲き忠通に対抗しようと、頼長は私の兄新院にすがりついた。ですが、新院も窮地に追い込まれていたのです。
近衛帝が亡くなると、新院は今度こそ息子重仁親王が帝になると、胸中大いに期待していたと思う。ところが本院は、新院を「叔父子」と呼んで嫌っていた。本院は私のすぐ上の第四皇子雅仁兄に帝位を継がせようと考えていたようです。
新帝選定の席で、この案が持ち出された。「これは生前の近衛帝からのお申し出であった」と言い出したのが、美福門院と忠通です。本院は即座に同意した。重仁親王のことなど、まるで眼中に無かったのです。雅仁兄は、ご存知でしょうが、今様に凝っている。政など二の次、三の次だという人です。その雅仁兄が後白河天皇として帝位に就いた。
新院は、弟が天皇になったことに歯ぎしりするほど悔しい思いを煮えたぎらせていたことでしょう。これで自分の子が皇統を継ぐ夢は完全に潰(つい)えてしまった。その新院を担ぎ出すことでしか、頼長は生きる術(すべ)が無かったのです。
そうして久寿三年(一一五六年)七月二日、それぞれの想いが交錯する中、鳥羽本院が亡くなられた。
新院はすぐさま鳥羽離宮に駆け付けた。しかし警備の兵がひしめいていて、中に入れない。抜け目のない忠通が「何人(なんぴと)たりとも通してはならぬ」と、源義朝と平清盛に厳命していたのです。
新院は無念の思いを抱きながら、引き返さざるを得なかった。仮にも上皇である身分の自分が、父親の亡骸を弔うことすら許されないのです。新院の怒りは察して余りある。近衛と後白河両帝の即位の時に飲まされた苦汁を、またもや味わわされたのですから。慎み深く忍耐強かった新院も、事ここに至って初めて後白河帝と忠通に「一矢(いっし)報いん」と決意したと思うのです。
しかし、忠通はなかなか頭の回る男です。すでに先手を打っていました。摂関家領の荘園からの徴兵禁止の命を出す。源義朝に東三条殿を襲わせ、邸内で天皇呪詛の祈祷をしていたとして宇治平等院の僧を逮捕し、東三条殿を没収。さらに新院と頼長が後白河帝を葬り去り、重仁親王を帝位に就けようと謀反を企てたと風聞を流す。策略に関しては一枚も二枚も上です。
追い詰められた新院と頼長は、白河北殿に立て籠もりました………。
「どう戦う、頼憲(よりのり)」
源為義に言われ、多田源氏の頼憲は腕を組んだ。
「ううむ。我らは為義殿、為朝殿それに平忠正殿や家弘殿など屈強の者はいるが、わずか一千の兵。何せ数が少ない。武士の主力は天皇方が掌握しておるからな」
「まさに多勢に無勢とはこのことだ」
軍評定(ひょうじょう)は遅々として進まない。いくつか出る意見も決定打とはなりそうになかった。
「八郎。お前は先ほどから何も言わんが」
「みな様の意見が出尽くしましたなら、申し上げようかと」
「出尽くすも何も、策らしい策など立てようがないではないか」
為朝は座の一同の顔を、ぐるりとひと回り眺めた。
「では、申します。『夜討ち』を掛けるのです」
「夜討ち、か!」
「はい。数が劣勢である戦いは奇襲しかありません。しかも、早ければ早い方がいい」
「うむ。それしかあるまい。どうだ、みなは」
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「待て!」
頼長が脇から手を挙げた。
「仮にも新院様をお立て申し上げ、正統な一の宮重仁親王様の皇位継承を願う我らなのだ。員外の四の宮後白河天皇相手に、どうして卑怯な手段が取れよう。夜討ちなどというものは、十騎二十騎の私ごとの戦いではないか。明日になれば、父の頼んだ南都奈良の衆徒一千余りの援軍が来る。それをもって正面から敵を打ち破るのが作法に則(のっと)った合戦というものだ」
今度は為朝が立ち上がった。
「頼長様は戦(いくさ)というものをご存知ないから、そんな悠長なことを言われる。戦は殺し合いなのです。勝ち負けは、すなわち『生きるか死ぬか』。勝算の無い戦いなら、初めからしない方がいい。しかし、いくら劣勢だとしても戦い始めたとあれば、勝たねばならんのです」
「正しい戦い方があるであろう」
「戦いに、正しいも正しくないも無い。勝つか負けるかだ。それは時が決める。合戦を心得ている兄義朝は、必ず先手を打って来る。今夜か明朝にでも。先んじなければ、結果は火を見るよりも明らか。それがお分かりになりませんか!」
「物事は正しい法に従ってこそ、万人に認められるもの。勝った後に非難を浴びるような戦いは正しいとは言えぬ」
「我らは新院様の御為(おんため)にと馳せ集まった。新院様をどうやってお守りするか。言をもってお守りするのであれば言に詳しい者に、刀をもってお守りするのであれば戦いに詳しい者にお任せあれ」
「いや。筋の通らぬものは、例え門外のことであっても為すべきではない」
「自分一人のことならば、それもよろしかろう。しかしながら新院様を巻き込み、多くの武将の命を預かっているのです。建前で命のやり取りをするおつもりか!」
為朝は呆れ果てた。このお人に人がついて来ないわけだ。ましてや家を治め、国を治めることなど出来る筈も無い。そう思った。
「知らぬぞ!」
立ち上がった為朝は床を踏み鳴らし、その場を去ろうとした。
「待て、八郎。ここは一致団結して事に当たらねばならん。我らは新院様、頼長様に仕える身だ。その命に沿うよう戦術を立てるしかあるまい」
父為義の言葉に、為朝はしぶしぶ席に戻った。
「頼長様の言う一千騎が加われば総勢二千。援軍が来るまで、何とか持ち堪えれば勝機はある。とにかく門を固めよう。大炊御門の東門は平忠正殿と頼憲、西門は八郎、お前が陣取れ。西河原面の門は儂(わし)が、北の春日面の門は平家弘殿にお願いしたい。どうだ?」
みなが返答する前に、頼長が手を叩いた。
「それじゃ。それでよい。さて、軍評定で決まったことを新院様にお伝えせねば」
頼長は立ち上がり、さっさと部屋を出て行った。後には溜息や舌打ちが漏れ聞こえそうな、妙に静まり返った空気が漂っていた………。
後で聞いた話ですが、源義朝は夜討ちを後白河帝に奏上したそうです。すると、こう言ったというのです。
「政には政の為し方がある。戦には戦の仕様があろう。軍戦のことはそなたたち武士に任す。思うようにするがよい」
頼長と後白河帝の差が、勝敗を分けたと言うべきでしょう。戦いはあっという間でした。義朝に夜討ちを掛けられた新院方は総崩れとなり、未明には決着がついておりました。頼長は敗走する途中、流れ矢が喉の下から左の耳に突き抜け、数日後に絶命。東門から出た新院は、北白川から如意山へと逃れゆく先々でかくまわれることも無かった。ついには私が門主を務めているこの仁和寺に入り、出家したのです。
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旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
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青春
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※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
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歴史・時代
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