20 / 20
エピローグ
しおりを挟む
じっと椿先輩を見る。それから、周囲を見回した。
――遮るものがない世界って、こんなにも鮮やかだったんだ……。
目に映す価値なんてないと思っていた世界は、あまりに美しく私の目に映っていた。
――すごく、きれい。
すべてが、額縁の中の一枚の絵のように見える。
そっと、前髪を押さえてみる。
「……ピン、借りればよかったかな」
「明日、借りたらいいんじゃない」
「……明日」
――明日か。そうか。
私には、明日があるんだ。椿先輩にも。
「顔を上げると、いろんな色があるよ」
「え……」
「下を向いてると、見えるのってアスファルトとか石とか土とか、暗くてつまらない色ばっかり。……だから、顔を上げるの。顔を上げればきっと、いろんな色があるから」
――そっか。
世界はきっと、あの頃からなにも変わっていなかったのだ。
変わったのは私。
あの頃の私はだれも信用できなくて、だれかと目が合うのが恐ろしくて、俯いてばかりいた。
少し顔を上げれば、こんなにきれいな世界が広がっているのに。そのことに気付く余裕もなかった。
「……あの、椿先輩」
「ん?」
「さっきの、本当ですか」
「さっきの?」
椿先輩が首を傾げる。
「もし私が裏切られたら、ぶん殴るって話」
じっと見つめると、椿先輩はまっすぐに見つめ返してくれた。
「うん、ほんと。手が壊れるまで殴ってやる」
なんて、大真面目な顔をして言うものだから、私はつい吹き出して笑う。
「……ふっ……怖いですね」
ふふっと声を漏らして笑うと、つられたように椿先輩も笑った。
「しずくはそうやって笑うんだね」
「え?」
「あたし、ずっと見たかったんだよ。しずくのその顔。思ったとおり、めっちゃ可愛い」
と言って、再び笑った。
「……そっちこそ」
人前で笑ったのなんて、いつぶりだろう。少し照れくさいけれど、案外いやじゃない。
「ねぇ、椿先輩」
「なぁに」
私たちは、友だちではない。恋人でも、家族でもない。
「また、駆け落ちしましょうね」
ただ同じバス停を使っていて、とある雨の日にたまたま出会って、不思議な共通点で結ばれた私たち。
「うん」
私たちは、同盟関係を結んでいる。
お互い心の窓をちょっとだけ開ける関係。弱さを見せられる関係。
奇妙で、だけど唯一無二の特別な……。
言うなれば、そう。
お互いがお互いの傘のような、冷たい雨からじぶんだけを守ってくれる、そんな存在。
「さて。帰るか」
椿先輩が私に手を差し伸べてくる。
「はい」
私はその手を取って、立ち上がった。
家に帰ったら、以前、祖母にひどいことを言ってしまったことを謝ろう。
母にもちゃんとお線香をあげて、近況報告をしよう。
それから、明日になったら牧さんにちゃんと今日の謝罪をして、精一杯バドミントンの練習をしよう。
そしてもし、もしもまだ勇気が残っていたら、牧さんのことを、優子ちゃん、って呼んでみたい。
バス停までの道を歩きながら、そんなことを思った。
状況が変わったわけではない。
大切なひとが戻ってきたわけでもない。
ただ、今日この広い大海原で叫んで、私と椿先輩の中のなにかが変わった。
ほんの、少しだけ。
見上げた先の空には、もったりとした雲が横たわっている。けれど、よく見ればそこにはわずかな晴れ間があって、星がちらちらと瞬いていた。
――遮るものがない世界って、こんなにも鮮やかだったんだ……。
目に映す価値なんてないと思っていた世界は、あまりに美しく私の目に映っていた。
――すごく、きれい。
すべてが、額縁の中の一枚の絵のように見える。
そっと、前髪を押さえてみる。
「……ピン、借りればよかったかな」
「明日、借りたらいいんじゃない」
「……明日」
――明日か。そうか。
私には、明日があるんだ。椿先輩にも。
「顔を上げると、いろんな色があるよ」
「え……」
「下を向いてると、見えるのってアスファルトとか石とか土とか、暗くてつまらない色ばっかり。……だから、顔を上げるの。顔を上げればきっと、いろんな色があるから」
――そっか。
世界はきっと、あの頃からなにも変わっていなかったのだ。
変わったのは私。
あの頃の私はだれも信用できなくて、だれかと目が合うのが恐ろしくて、俯いてばかりいた。
少し顔を上げれば、こんなにきれいな世界が広がっているのに。そのことに気付く余裕もなかった。
「……あの、椿先輩」
「ん?」
「さっきの、本当ですか」
「さっきの?」
椿先輩が首を傾げる。
「もし私が裏切られたら、ぶん殴るって話」
じっと見つめると、椿先輩はまっすぐに見つめ返してくれた。
「うん、ほんと。手が壊れるまで殴ってやる」
なんて、大真面目な顔をして言うものだから、私はつい吹き出して笑う。
「……ふっ……怖いですね」
ふふっと声を漏らして笑うと、つられたように椿先輩も笑った。
「しずくはそうやって笑うんだね」
「え?」
「あたし、ずっと見たかったんだよ。しずくのその顔。思ったとおり、めっちゃ可愛い」
と言って、再び笑った。
「……そっちこそ」
人前で笑ったのなんて、いつぶりだろう。少し照れくさいけれど、案外いやじゃない。
「ねぇ、椿先輩」
「なぁに」
私たちは、友だちではない。恋人でも、家族でもない。
「また、駆け落ちしましょうね」
ただ同じバス停を使っていて、とある雨の日にたまたま出会って、不思議な共通点で結ばれた私たち。
「うん」
私たちは、同盟関係を結んでいる。
お互い心の窓をちょっとだけ開ける関係。弱さを見せられる関係。
奇妙で、だけど唯一無二の特別な……。
言うなれば、そう。
お互いがお互いの傘のような、冷たい雨からじぶんだけを守ってくれる、そんな存在。
「さて。帰るか」
椿先輩が私に手を差し伸べてくる。
「はい」
私はその手を取って、立ち上がった。
家に帰ったら、以前、祖母にひどいことを言ってしまったことを謝ろう。
母にもちゃんとお線香をあげて、近況報告をしよう。
それから、明日になったら牧さんにちゃんと今日の謝罪をして、精一杯バドミントンの練習をしよう。
そしてもし、もしもまだ勇気が残っていたら、牧さんのことを、優子ちゃん、って呼んでみたい。
バス停までの道を歩きながら、そんなことを思った。
状況が変わったわけではない。
大切なひとが戻ってきたわけでもない。
ただ、今日この広い大海原で叫んで、私と椿先輩の中のなにかが変わった。
ほんの、少しだけ。
見上げた先の空には、もったりとした雲が横たわっている。けれど、よく見ればそこにはわずかな晴れ間があって、星がちらちらと瞬いていた。
20
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
先生の秘密はワインレッド
伊咲 汐恩
恋愛
大学4年生のみのりは高校の同窓会に参加した。目的は、想いを寄せていた担任の久保田先生に会う為。当時はフラれてしまったが、恋心は未だにあの時のまま。だが、ふとしたきっかけで先生の想いを知ってしまい…。
教師と生徒のドラマチックラブストーリー。
執筆開始 2025/5/28
完結 2025/5/30
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
本当素晴らしい作品です。俺が読ませてもらった数多くのアルファポリスの作品の中で、現時点で今年のナンバー1です。ちょっとレベルが違いますね。
何よりタイトルが素敵過ぎます。物語を最後まで読んでもう一度タイトルを見ると、泣けます。
この作品、俺が書いた事にしていいですか?(笑)
吉良 純さま、はじめまして。
とってもすてきな感想ありがとうございます!!
もったいないくらいのお言葉、感激しております。
書いてよかった笑
これからもどうぞよろしくお願いします!
お互い頑張りましょう٩(ˊᗜˋ*)و