レプリカは、まだ見ぬ春に恋を知る。

朱宮あめ

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第6章・桜の正体

第37話

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 蝶々さんは、覚悟を決めた僕に桜のことをすべて話してくれた。医学的なことは僕にはよく分からないから、僕でも理解できるように、噛み砕いて。
 結論から言うと、桜はふつうのひとではなかった。
 ――医療用クローン。
 桜は、千鳥夢という少女のDNAから人工的に生み出されたヒトクローンだったのだ。
 研究については、国から依頼を受けて始まったものだという。しかし、この国では法律上、ヒトクローンの研究は禁止されている。
 政府はあくまで、クローンの臓器を移植に利用するためにヒトクローンの製造を内密に許可したのだという。
『臓器……移植』
 桜がドナーだったという話に近づき、僕は息を呑む。
『ねぇ、しおちゃんは今、この国でどれだけのひとが移植を待っていると思う?』
 桜のことを話すなかで、蝶々さんが不意に僕に問いかけた。
 知らなかった僕は首を振る。
『この国で移植を待つ患者は、一万五千人以上いる。対して実際に移植が叶うのは、年間四百人あまり』
 一万五千人中、四百人。
 年間、移植が必要なひとが何人増えているのかは分からないけれど、圧倒的に分母が少ないことだけは、僕でも理解できた。
『それじゃあ、ほとんどのひとが移植をできていないってことですか?』
『そう。今、ほとんどの患者はドナーが見つからないまま、亡くなってるの。その問題の解決策として、政府は水面下で医療用クローンの研究を始めた。体細胞クローンの開発が可能になれば、患者自身の体細胞から複製した臓器を、安全に患者の疾患臓器と取り替えることができる。それは、圧倒的に臓器が足りていないこの国では、まさしく希望なの』
 それで生み出されたのが桜なのだと、蝶々さんは言う。
 しかし、現在の技術では、患者の細胞から臓器のみを複製することはできない。そのため臓器の器となるヒトクローンそのものを生み出す必要があり、その唯一の成功体が桜だった。
 患者自身の体細胞から作った新品の臓器を、じぶんの弱ってしまった臓器と置き換える。
 もともとじぶんの細胞であるため拒否反応もなく、ドナーを待つもどかしさもない。
 ドナー待ちの患者にとったら、これ以上ない夢のような治療法。
 たしかにそうかもしれない。
 ――けれど。
 そんな話、到底納得できるわけがない。
『そのために桜が犠牲になるなんて、そんなのぜったいおかしいよ……! 心臓移植なんかしたら、桜は死しんじゃう。桜は人形じゃない。実験動物でもない。僕たちと同じ感情がある、命があるひとじゃないの!?』
 蝶々さんは僕の叫びを受け止め、頷く。
『うん……そうだね。クローンを人間の勝手な都合で生み出して利用するのは間違ってる。だけどそれは、当事者たちから言わせれば、ただの理想でしかないのも事実』
 悔しさのあまり、僕は強い口調で『そんなことない』と言おうとした。が、それより先に、蝶々さんが僕に言う。
『じゃあしおちゃんは、もし桜ちゃんが心臓の病気になって、彼女を助けるためにはクローンを作って臓器を移植するしかないってなったら、どうする?』
『えっ……』
 言葉に詰まった。
『いつ現れるか分からないドナーを待っていたら、桜ちゃんは間違いなく死ぬ。だけど、クローンを使えばもしかしたら助かるかもしれない。もしその立場になったら、しおちゃんはどうする?』
 僕は、蝶々さんの問いに答えられなかった。
『私は、夢ちゃんのことも桜ちゃんのことも同じくらい大好きで、大切だった。どっちも救いたかった。だけど、現時点で医療は万能じゃない。私たちは、神さまにはなれない』
 分かっていた。
 蝶々さんは医師として、一生懸命生きようとしている患者や桜を助けたいだけ。
 だけどそれが……だれかを助けることが、ほかのだれかを犠牲にするかもしれないだなんて、考えたこともなかった。
 きれいごとを言っていたのは、僕のほう……?
『しおちゃんは、トリアージって知ってる?』
 聞いたことはある気がするが、意味は知らない。僕は首を横に振る。
『救命の現場で多くの負傷者がいたときはね、いのちの選別をするの』
『いのちの、選別?』
『多くのひとを助けるために、現場の状況や医師の数、その他の条件を考慮して、確実に助けるために、助けるひとに優先順位をつけるの』
 ――優先順位。
『助けを求めているひとがたくさんいるとき、たとえばとても重い症状のひとがいたとする。だけど、そのひとを診るには時間があまりにもかかり過ぎる。そのあいだに助けられるはずのひとが、死んでしまう。そんなことにならないように』
『じゃあ……治療に時間のかかる重症患者は、見殺しにするってこと?』
『言葉は悪いけど、そう。いのちを救うことは、時と場合によっては犠牲が伴うことがある』
『そんなの不平等だよ』
『そのとおりよ。だけど、私たちの手はふたつしかないし、できることもかぎられる。このふたつの手で、より多くのひとを助けるにはどうすればいいか、考えて決断しなきゃいけない』
『…………』
『もちろん、私たちはその選択を是とも非とも言わない。結果の判断をしていいのは、当事者だけだと思ってる。見方は、ひとによって変わるから。助かったひとは是だと言うし、犠牲になったひとたちは非と言う。難しいことを言うようだけど、なにかを選べばそこには必ず不平等が生じるの』
 死を前にした人間は、なににでも縋るだろう。ハイリスクだろうが、なにかを犠牲にしようが、みんな、少しでも長く生きられるほうを選択する。たとえそれが、倫理的に間違っていたとしても……。
 それを責めることが、果たして僕にできるだろうか。僕が彼らと同じ立場になったら、僕も同じ行動をするのではないか。
『死って、物語ではよく神聖化されていたり、ロマンスの要素に使われたりするけれど、本当はね』
 ――ただただ悲しいだけ。
 蝶々さんは苦しげに顔を歪ませる。
『……それからね、もうひとつ』
 最後、蝶々さんは僕に言った。
『あと一ヶ月なの』
 僕は目を伏せる。
『……なにが、ですか』
 聞きたくなかった。だけど、聞かなければいけなかった。この闇へ踏み込んだ僕には、その責任があった。
『桜ちゃんの、余命』
 僕は、何度目か分からない目眩を覚えた。
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