37 / 52
第6章・桜の正体
第37話
しおりを挟む
蝶々さんは、覚悟を決めた僕に桜のことをすべて話してくれた。医学的なことは僕にはよく分からないから、僕でも理解できるように、噛み砕いて。
結論から言うと、桜はふつうのひとではなかった。
――医療用クローン。
桜は、千鳥夢という少女のDNAから人工的に生み出されたヒトクローンだったのだ。
研究については、国から依頼を受けて始まったものだという。しかし、この国では法律上、ヒトクローンの研究は禁止されている。
政府はあくまで、クローンの臓器を移植に利用するためにヒトクローンの製造を内密に許可したのだという。
『臓器……移植』
桜がドナーだったという話に近づき、僕は息を呑む。
『ねぇ、しおちゃんは今、この国でどれだけのひとが移植を待っていると思う?』
桜のことを話すなかで、蝶々さんが不意に僕に問いかけた。
知らなかった僕は首を振る。
『この国で移植を待つ患者は、一万五千人以上いる。対して実際に移植が叶うのは、年間四百人あまり』
一万五千人中、四百人。
年間、移植が必要なひとが何人増えているのかは分からないけれど、圧倒的に分母が少ないことだけは、僕でも理解できた。
『それじゃあ、ほとんどのひとが移植をできていないってことですか?』
『そう。今、ほとんどの患者はドナーが見つからないまま、亡くなってるの。その問題の解決策として、政府は水面下で医療用クローンの研究を始めた。体細胞クローンの開発が可能になれば、患者自身の体細胞から複製した臓器を、安全に患者の疾患臓器と取り替えることができる。それは、圧倒的に臓器が足りていないこの国では、まさしく希望なの』
それで生み出されたのが桜なのだと、蝶々さんは言う。
しかし、現在の技術では、患者の細胞から臓器のみを複製することはできない。そのため臓器の器となるヒトクローンそのものを生み出す必要があり、その唯一の成功体が桜だった。
患者自身の体細胞から作った新品の臓器を、じぶんの弱ってしまった臓器と置き換える。
もともとじぶんの細胞であるため拒否反応もなく、ドナーを待つもどかしさもない。
ドナー待ちの患者にとったら、これ以上ない夢のような治療法。
たしかにそうかもしれない。
――けれど。
そんな話、到底納得できるわけがない。
『そのために桜が犠牲になるなんて、そんなのぜったいおかしいよ……! 心臓移植なんかしたら、桜は死しんじゃう。桜は人形じゃない。実験動物でもない。僕たちと同じ感情がある、命があるひとじゃないの!?』
蝶々さんは僕の叫びを受け止め、頷く。
『うん……そうだね。クローンを人間の勝手な都合で生み出して利用するのは間違ってる。だけどそれは、当事者たちから言わせれば、ただの理想でしかないのも事実』
悔しさのあまり、僕は強い口調で『そんなことない』と言おうとした。が、それより先に、蝶々さんが僕に言う。
『じゃあしおちゃんは、もし桜ちゃんが心臓の病気になって、彼女を助けるためにはクローンを作って臓器を移植するしかないってなったら、どうする?』
『えっ……』
言葉に詰まった。
『いつ現れるか分からないドナーを待っていたら、桜ちゃんは間違いなく死ぬ。だけど、クローンを使えばもしかしたら助かるかもしれない。もしその立場になったら、しおちゃんはどうする?』
僕は、蝶々さんの問いに答えられなかった。
『私は、夢ちゃんのことも桜ちゃんのことも同じくらい大好きで、大切だった。どっちも救いたかった。だけど、現時点で医療は万能じゃない。私たちは、神さまにはなれない』
分かっていた。
蝶々さんは医師として、一生懸命生きようとしている患者や桜を助けたいだけ。
だけどそれが……だれかを助けることが、ほかのだれかを犠牲にするかもしれないだなんて、考えたこともなかった。
きれいごとを言っていたのは、僕のほう……?
『しおちゃんは、トリアージって知ってる?』
聞いたことはある気がするが、意味は知らない。僕は首を横に振る。
『救命の現場で多くの負傷者がいたときはね、いのちの選別をするの』
『いのちの、選別?』
『多くのひとを助けるために、現場の状況や医師の数、その他の条件を考慮して、確実に助けるために、助けるひとに優先順位をつけるの』
――優先順位。
『助けを求めているひとがたくさんいるとき、たとえばとても重い症状のひとがいたとする。だけど、そのひとを診るには時間があまりにもかかり過ぎる。そのあいだに助けられるはずのひとが、死んでしまう。そんなことにならないように』
『じゃあ……治療に時間のかかる重症患者は、見殺しにするってこと?』
『言葉は悪いけど、そう。いのちを救うことは、時と場合によっては犠牲が伴うことがある』
『そんなの不平等だよ』
『そのとおりよ。だけど、私たちの手はふたつしかないし、できることもかぎられる。このふたつの手で、より多くのひとを助けるにはどうすればいいか、考えて決断しなきゃいけない』
『…………』
『もちろん、私たちはその選択を是とも非とも言わない。結果の判断をしていいのは、当事者だけだと思ってる。見方は、ひとによって変わるから。助かったひとは是だと言うし、犠牲になったひとたちは非と言う。難しいことを言うようだけど、なにかを選べばそこには必ず不平等が生じるの』
死を前にした人間は、なににでも縋るだろう。ハイリスクだろうが、なにかを犠牲にしようが、みんな、少しでも長く生きられるほうを選択する。たとえそれが、倫理的に間違っていたとしても……。
それを責めることが、果たして僕にできるだろうか。僕が彼らと同じ立場になったら、僕も同じ行動をするのではないか。
『死って、物語ではよく神聖化されていたり、ロマンスの要素に使われたりするけれど、本当はね』
――ただただ悲しいだけ。
蝶々さんは苦しげに顔を歪ませる。
『……それからね、もうひとつ』
最後、蝶々さんは僕に言った。
『あと一ヶ月なの』
僕は目を伏せる。
『……なにが、ですか』
聞きたくなかった。だけど、聞かなければいけなかった。この闇へ踏み込んだ僕には、その責任があった。
『桜ちゃんの、余命』
僕は、何度目か分からない目眩を覚えた。
結論から言うと、桜はふつうのひとではなかった。
――医療用クローン。
桜は、千鳥夢という少女のDNAから人工的に生み出されたヒトクローンだったのだ。
研究については、国から依頼を受けて始まったものだという。しかし、この国では法律上、ヒトクローンの研究は禁止されている。
政府はあくまで、クローンの臓器を移植に利用するためにヒトクローンの製造を内密に許可したのだという。
『臓器……移植』
桜がドナーだったという話に近づき、僕は息を呑む。
『ねぇ、しおちゃんは今、この国でどれだけのひとが移植を待っていると思う?』
桜のことを話すなかで、蝶々さんが不意に僕に問いかけた。
知らなかった僕は首を振る。
『この国で移植を待つ患者は、一万五千人以上いる。対して実際に移植が叶うのは、年間四百人あまり』
一万五千人中、四百人。
年間、移植が必要なひとが何人増えているのかは分からないけれど、圧倒的に分母が少ないことだけは、僕でも理解できた。
『それじゃあ、ほとんどのひとが移植をできていないってことですか?』
『そう。今、ほとんどの患者はドナーが見つからないまま、亡くなってるの。その問題の解決策として、政府は水面下で医療用クローンの研究を始めた。体細胞クローンの開発が可能になれば、患者自身の体細胞から複製した臓器を、安全に患者の疾患臓器と取り替えることができる。それは、圧倒的に臓器が足りていないこの国では、まさしく希望なの』
それで生み出されたのが桜なのだと、蝶々さんは言う。
しかし、現在の技術では、患者の細胞から臓器のみを複製することはできない。そのため臓器の器となるヒトクローンそのものを生み出す必要があり、その唯一の成功体が桜だった。
患者自身の体細胞から作った新品の臓器を、じぶんの弱ってしまった臓器と置き換える。
もともとじぶんの細胞であるため拒否反応もなく、ドナーを待つもどかしさもない。
ドナー待ちの患者にとったら、これ以上ない夢のような治療法。
たしかにそうかもしれない。
――けれど。
そんな話、到底納得できるわけがない。
『そのために桜が犠牲になるなんて、そんなのぜったいおかしいよ……! 心臓移植なんかしたら、桜は死しんじゃう。桜は人形じゃない。実験動物でもない。僕たちと同じ感情がある、命があるひとじゃないの!?』
蝶々さんは僕の叫びを受け止め、頷く。
『うん……そうだね。クローンを人間の勝手な都合で生み出して利用するのは間違ってる。だけどそれは、当事者たちから言わせれば、ただの理想でしかないのも事実』
悔しさのあまり、僕は強い口調で『そんなことない』と言おうとした。が、それより先に、蝶々さんが僕に言う。
『じゃあしおちゃんは、もし桜ちゃんが心臓の病気になって、彼女を助けるためにはクローンを作って臓器を移植するしかないってなったら、どうする?』
『えっ……』
言葉に詰まった。
『いつ現れるか分からないドナーを待っていたら、桜ちゃんは間違いなく死ぬ。だけど、クローンを使えばもしかしたら助かるかもしれない。もしその立場になったら、しおちゃんはどうする?』
僕は、蝶々さんの問いに答えられなかった。
『私は、夢ちゃんのことも桜ちゃんのことも同じくらい大好きで、大切だった。どっちも救いたかった。だけど、現時点で医療は万能じゃない。私たちは、神さまにはなれない』
分かっていた。
蝶々さんは医師として、一生懸命生きようとしている患者や桜を助けたいだけ。
だけどそれが……だれかを助けることが、ほかのだれかを犠牲にするかもしれないだなんて、考えたこともなかった。
きれいごとを言っていたのは、僕のほう……?
『しおちゃんは、トリアージって知ってる?』
聞いたことはある気がするが、意味は知らない。僕は首を横に振る。
『救命の現場で多くの負傷者がいたときはね、いのちの選別をするの』
『いのちの、選別?』
『多くのひとを助けるために、現場の状況や医師の数、その他の条件を考慮して、確実に助けるために、助けるひとに優先順位をつけるの』
――優先順位。
『助けを求めているひとがたくさんいるとき、たとえばとても重い症状のひとがいたとする。だけど、そのひとを診るには時間があまりにもかかり過ぎる。そのあいだに助けられるはずのひとが、死んでしまう。そんなことにならないように』
『じゃあ……治療に時間のかかる重症患者は、見殺しにするってこと?』
『言葉は悪いけど、そう。いのちを救うことは、時と場合によっては犠牲が伴うことがある』
『そんなの不平等だよ』
『そのとおりよ。だけど、私たちの手はふたつしかないし、できることもかぎられる。このふたつの手で、より多くのひとを助けるにはどうすればいいか、考えて決断しなきゃいけない』
『…………』
『もちろん、私たちはその選択を是とも非とも言わない。結果の判断をしていいのは、当事者だけだと思ってる。見方は、ひとによって変わるから。助かったひとは是だと言うし、犠牲になったひとたちは非と言う。難しいことを言うようだけど、なにかを選べばそこには必ず不平等が生じるの』
死を前にした人間は、なににでも縋るだろう。ハイリスクだろうが、なにかを犠牲にしようが、みんな、少しでも長く生きられるほうを選択する。たとえそれが、倫理的に間違っていたとしても……。
それを責めることが、果たして僕にできるだろうか。僕が彼らと同じ立場になったら、僕も同じ行動をするのではないか。
『死って、物語ではよく神聖化されていたり、ロマンスの要素に使われたりするけれど、本当はね』
――ただただ悲しいだけ。
蝶々さんは苦しげに顔を歪ませる。
『……それからね、もうひとつ』
最後、蝶々さんは僕に言った。
『あと一ヶ月なの』
僕は目を伏せる。
『……なにが、ですか』
聞きたくなかった。だけど、聞かなければいけなかった。この闇へ踏み込んだ僕には、その責任があった。
『桜ちゃんの、余命』
僕は、何度目か分からない目眩を覚えた。
10
あなたにおすすめの小説
黒に染まった華を摘む
馬場 蓮実
青春
夏の終わりに転校してきたのは、忘れられない初恋の相手だった——。
高須明希は、人生で“二番目”に好きになった相手——河西栞に密かに想いを寄せている。
「夏休み明けの初日。この席替えで、彼女との距離を縮めたい。話すきっかけがほしい——」
そんな願いを胸に登校したその朝、クラスに一人の転校生がやってくる。
彼女の名は、立石麻美。
昔の面影を残しながらも、まるで別人のような気配をまとう彼女は——明希にとって、忘れられない“初恋の人”だった。
この再会が、静かだった日常に波紋を広げていく。
その日の放課後。
明希は、"性の衝動"に溺れる自身の姿を、麻美に見られてしまう——。
塞がっていた何かが、ゆっくりと崩れはじめる。
そして鬱屈した青春は、想像もしていなかった熱と痛みを帯びて動き出す。
すべてに触れたとき、
明希は何を守り、何を選ぶのか。
光と影が交錯する、“遅れてきた”ひと夏の物語。
時間を止めて ~忘れられない元カレは完璧な容姿と天性の才能を持つ世界一残酷な人でした 【完結】
remo
恋愛
どんなに好きになっても、彼は絶対に私を愛さない。
佐倉ここ。
玩具メーカーで働く24歳のOL。
鬼上司・高野雅(がく)に叱責されながら仕事に奔走する中、忘れられない元カレ・常盤千晃(ちあき)に再会。
完璧な容姿と天性の才能を持つ世界一残酷な彼には、悲しい秘密があった。
【完結】ありがとうございました‼
君が見た春をもう一度
sika
恋愛
高校時代、ひとつの誤解で離れた二人。
十年後、東京で再会した彼女は、もう誰かの「恋人」になっていた。
置き去りにした想い、やり直せない時間、そしてそれでも止まらない心。
恋と人生のすれ違いを描く、切なくも温かい再会ラブストーリー。
美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness
碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞>
住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。
看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。
最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。
どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……?
神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――?
定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。
過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。
潮に閉じ込めたきみの後悔を拭いたい
葉方萌生
ライト文芸
淡路島で暮らす28歳の城島朝香は、友人からの情報で元恋人で俳優の天ヶ瀬翔が島に戻ってきたことを知る。
絶妙にすれ違いながら、再び近づいていく二人だったが、翔はとある秘密を抱えていた。
過去の後悔を拭いたい。
誰しもが抱える悩みにそっと寄り添える恋愛ファンタジーです。
僕《わたし》は誰でしょう
紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!
青春
※第7回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまった女子高生・比良坂すずは、自分が女であることに違和感を抱く。
「自分はもともと男ではなかったか?」
事故後から男性寄りの思考になり、周囲とのギャップに悩む彼女は、次第に身に覚えのないはずの記憶を思い出し始める。まるで別人のものとしか思えないその記憶は、一体どこから来たのだろうか。
見知らぬ思い出をめぐる青春SF。
※表紙イラスト=ミカスケ様
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる