妖都陰陽録 ―妲己は僕に人間をやめさせたい―

蛇足

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13話

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 式盤の上で、淡い光がにじみ始めた。

 最初に応えたのは、北の水鉢だった。

 たゆたう水面が、かすかに震える。
 湧き上がるような大きな波ではない。誰かが指先でそっと触れたような、わずかな揺らぎ。

 それに呼応するように、盤面の水行の紋が、淡い蒼色を帯びていった。

 (……水は、このくらい)

 胸の奥で、冷たいほうの霊力をゆるやかに解き放ち、外へ広げる。
 熱の層が暴れ出さないよう、意識の手綱だけは離さない。

 続いて、東の若木の枝が微かに揺れた。

 葉先に、濃い緑ではなく、薄い黄緑の光がひとすじ走る。
 木行は、水から借りた力がにじんだ程度――そう見えるはずだ。

 盤の土行の紋様も、時間差でわずかに色づく。
 水と木に支えられた、薄い土。補助に回る程度の出力。

 (火は、……添え物くらいでいい)

 胸の中心にたまる熱を、ほんのひとかけらだけ指先へ流す。
 南の火皿の炎が、気のせいかと思うほどわずかに揺れた。

 見ようによっては、盤面の水色に反射した光だ、と言い張れないこともない程度。

 金行は、一切動かさない。
 鏡の表面は、ただ灯火を映しているだけに見えた。

 「……ふむ」

 奥の白衣のひとりが、目を細める気配がした。

 盤面に満ちた光は、先ほどの景真ほどではない。
 けれど、弱くて見苦しいというほどでもない、中途半端な強さで留めてある。

 (このくらいなら――そこそこだろう)

 自分の中では、かなり綱渡りに近い調整だったが、外からはどう映るか。

 「黒瀬 夜斗」

 名前を呼ばれ、そっと目を開ける。

 白衣の陰陽師たちが、順番に盤面と僕とを見比べていた。
 先ほど朱火を評した男が、一歩前へ出る。

 「霊力、量は――中の中」

 内心で、少しだけ息を吐く。

 「質はやや薄いが、揺らぎは少ない。水行を主とし、木と土に若干の相性あり。火行には、わずかに素地を認む」


 火のほうを抑え込んだ甲斐はあったらしい。

 「分家筋としては、悪くない。童生として本家内に留めるには十分だろう」

 奥に控えた年長の陰陽師が、短くそうまとめる。

 ただ、そのうちの一人――年配の男が、じっと盤面を睨んだまま、低く呟いた。

 「……二重の層のようにも見えるがな」

 「師範、なにか?」

 「いや、年寄りの目には、そう見えただけかもしれん」

 ひとりごとのように言って、肩をすくめる。

 (――やはり、完全には誤魔化せないか)

 それでも、そう見えるだけと自分で流してくれたあたり、今は追及するつもりはないらしい。

 「下がれ、黒瀬 夜斗」

 「はい、ありがとうございます」

 深く一礼して、列の端へ戻る。

 背中に向けられる視線が、揺れる。
 侮りでも、羨望でもない、値踏みするような視線。

 少なくとも、 朱火や景真と同じ棚に並べられることは避けられた。

 景真と目が合う。

 彼は、ほんの少しだけ首をかしげてみせた。
 さきほど、朱火とやり合ったときに見せた鋭さを思えば――今の評価が、彼の中でも少し物足りなかったかもしれない。

 (まあ、君に全部読まれてしまっても困る)

 視線だけでそう返しておく。

 その後も、見立ては粛々と続いた。

 霊力が乏しく、盤面の紋がほとんど灯らない者。
 ひとつの行だけが妙に偏って輝く者。
 量はあるのに、質が粗く、陰陽師よりむしろ武家の道が似合いそうな者。

 十歳という年齢にしては、皆それぞれに癖がはっきりしている。

 (生まれながらの素材、ってやつか)

 努力でどうにかなる部分と、どうにもならない部分。
 どこまでが前者で、どこからが後者かは、この先三年で判断していけばいい。

 「――以上だな」

 最後の一人の評価を終え、白衣の陰陽師のひとりが、軽く手を打った。

 「本日見立てを終えた者は、全員、童生として本家内に留め置く。詳細な配属は、追って通達する」

 おお、と小さな安堵のざわめきが広がる。

 「勘違いするなよ」

 先ほどの浅葱の青年が、その空気をすぐさま断ち切った。

 「今お前たちが立っているのは、『門の前』でしかない。入ったわけでも、くぐり抜けたわけでもない。――ここから先、三年でどこまで這い上がるかは、それぞれ次第だ」

 言葉そのものは厳しいが、調子は淡々としている。
 脅しというより、事実の確認。

 「今日はこれで解散だ。寮の部屋割りは、侍女と従者に従え。明日の朝から、童生としての一日が始まる」

 そう締めくくられ、僕たちは式盤の間をあとにした。

 * * *

 廊下に出ると、外の空気がいくらか軽く感じられた。

 「なあ、お前」

 小声で呼び止められる。

 振り返ると、朱火が腕を組んで立っていた。
 さっきの苛立った顔ではない。どこか、不機嫌そうな、しかし決めかねている顔。

 「なんだい」

 「あんだけ口が回るわりに、見立ては地味だな」

 第一声が、それだった。

 「地味で悪かったね」

 肩をすくめて返す。

 「でもまあ君は、火皿を燃やしすぎて、部屋ごと焼かれるよりは、ましなんじゃない?」

 「うるせえ」

 即座に噛みついてくるあたり、やはりわかりやすい。

 「……けど」

 朱火は、そこで言葉を切り、ふいと視線を逸らした。

 「水行で中の中なら、分家にしちゃ悪くねぇ。せいぜい、あとで置いてかれねぇようにな」

 それだけ言って、ばつが悪そうに踵を返す。

 「……素直じゃないな」

 思わず呟くと、横から別の声がした。

 「さっきより、だいぶマシだろ。あれでも」

 景真だった。

 「寮の部屋割り、同じ棟になるといいな」

 そう言い残し、彼もまた侍女の呼び声に従って歩き出す。

 僕はしばらくその背中を見送ってから、ふと足元に意識を向けた。

 影が、普段よりわずかに濃い。
 朧が、式盤の光を思い出したように、内部で身じろぎしている。

 中の中、水行寄り。木と土は補助。火は素地のみ。

 (狙い通りに火は見せなかった…)

 どこまで誤魔化せるかはわからないが、少なくとも現時点で本気を晒す理由はない。

 黒葛本家の箱庭の中で、僕はそこそこできる水行寄りの分家の子として扱われる。

 ――それで十分だ。

 右手首の数珠を指で軽く弾く。
 かすかな震えが、霊力の層に波紋のように広がっていく。

 (ここから三年。童生としての時間は、僕にとって――)

 表からは見えないところで、牙を研ぎ、罠を張るための、準備期間になる。

 足元の影の中で、朧がくつくつと笑ったような気がした。

 
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