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螺旋編 五章:螺旋の戦争
それぞれの覚悟
しおりを挟む一番艦と二番艦の箱舟が離陸してからも、地下基地の内部は慌ただしく準備が行われる。
三番艦の離陸準備と各種兵装と物資の積み込み、そして乗組員の箱舟内の作業手順の最終確認と共に、旧魔導国都市の作りを想定に施設破壊の手順と訓練が兵士達の中で行われた。
あれから一日が経過し、兵士達の戦意は箱舟の離陸した姿と知らせを聞いてからは飛躍的に高まり、不安を秘めた表情が希望と意欲に満ちたモノに変わる。
そうした準備の指揮をダニアスとシルエスカに全て任せてしまったエリクは、クロエと共に再び地下にある仮想空間へ赴いていた。
その傍にはケイルとマギルスもいたが、クロエに真剣な表情でエリクは何かを話している。
エリクが述べる話はケイルに否応なく渋い表情を見せ、同時にクロエとマギルスを驚かせていた。
「――……これが、俺の魂で得た話だ」
「ふむ、なるほどね。アリアさんが君達を助ける為に、『螺旋の迷宮』でそんな無茶をしてたなんてね」
「……ッ」
「アリアさんが海に関する制約をしていると聞いてから、他の何か制約を課してるとは思ってたんだ。皇国でアリアさんが一ヶ月以上も昏睡する程の誓約なんて、一つだけとは考えられなかったからね」
「そうか」
「そして、アリアさんが三十年前に記憶を失った状態で『螺旋の迷宮』から出た理由も、その誓約を全て解いた反動だった。いや、それ以外にも肉体に掛かる反動もあっただろう。だから重傷で発見されたって事だね」
「らしい」
「色々とアリアさんに関する謎が解けたよ。……それで、何でアリアさんが魔導国に行っちゃったとか、そういう理由は聞けた?」
「分からないと言っていた。共有している記憶は、制約を解いた前後までだったと。今はもう、繋がっていないらしい」
「そっか。記憶を失ってるアリアさんの目的さえ分かれば、多少の対応も出来るんだけどね」
「だが、俺の魂にいるアリアはこうも言っていた」
「?」
「記憶を失った自分なら、今のような事をやっても不思議ではないと」
「!」
「そして、本をよく調べろとも言っていた」
「本?」
「俺達の事が書かれた、三冊の本だ」
「!!」
「あの本の書き方は、色々と不自然だった。もしかしたら砂漠で死んだ男と同じように、自分があの本に何かしらの暗号を記しているかもしれない。だからそれを、お前に解いて欲しいと言っていた」
「なるほど。確かにその可能性は大いにあるね」
エリクの口から語られる話に、クロエを除いた二人は唖然としながらも聞き続ける。
アリアがエリクに制約を施し、今まで『鬼神』の力を制御していたこと。
それに伴い、エリクの痛覚を共有して思考も読み取っていたこと。
そして『螺旋の迷宮』の脱出時、自分達の身に起きたこと。
怨念達の瘴気を浴びて死にそうになった自分達を守る為に、アリアが全ての誓約を解除して記憶と引き換えに身を犠牲にしたこと。
その情報はケイルやマギルスにとって初めて聞く話であり、また考えもしなかった可能性だった。
そうして動揺した表情を見せる二人を他所に、クロエとエリクは話を続ける。
「分かった。ダニアスから三冊の原本を受け取って、出来る限りの解読してみよう」
「頼む」
「他には、君の魂にいる制約さんから言われた事はある?」
「……」
「例えば、記憶を失ったアリアさんに、記憶を戻す方法とか」
「!?」
「……あると言っていた」
「なに……!?」
クロエが尋ねたその言葉に、エリクが頷いて答える。
それに驚きの表情を見せたケイルは、顔を向けて腕を組んだ状態を解いた。
「アイツ、そんな手段まで用意してたのか……!?」
「……」
「どうしたんだよ? その手段があるなら――……」
「……その方法を聞いた時、その危険も聞いた。だから、出来ればさせたくない」
「え……?」
アリアの記憶を戻す方法を言い渋るエリクに、ケイルは不可解な表情を見せる。
マギルスも同様に不思議そうな顔を見せたが、その態度を察したクロエが人差し指を唇に付けて考えた事を話した。
「……エリクさんの魂にいる制約が共有していた今までの記憶。それを記憶が無いアリアさんに流し込むということだね?」
「!」
「……そうだ」
「確かに、その方法は危険だね。エリクさんが言い渋るのも分かるよ」
「……どういうことだよ?」
クロエの推測が当たっている事を、エリクは頷いて認める。
そして二人だけで分かるような言い方に、ケイルは眉を顰めながら訪ねた。
「記憶の挿入は、脳や魂に凄まじい負荷を掛けるんだ。特にアリアさんの場合、アリアさんという人格を形成した全ての記憶が喪失していたからね。失った分の情報量は、とても膨大だろうね」
「……アリアの脳が、その情報に耐えられないのか?」
「いや、耐えられるとは思うよ。人間の脳は、意外と記憶領域が広いからね。魂も同様に、刻める記憶領域は広い。アリアさんの年齢くらいの記憶なら、ただ挿入する分には問題は無いはずさ」
「じゃあ、何が問題なんだよ?」
「人格だよ」
「!」
「三十年間、アリアさんは記憶を失ってた。その時間で今のアリアさんは、自分の人格を既に形成してしまっているだろう。……そこに元となるアリアさんの記憶、そして人格を挿入してしまうと、どうなると思う?」
「……どうなるんだ?」
「記憶の混濁は勿論、相互の人格が衝突して破綻を起こす。その破綻は脳と身体に強い障害を残す可能性もあるし、悪ければ人格を失って一生を廃人として過ごす事になる」
「!!」
「魂や記憶というものは、血液と違って輸血なんて出来ない。自分で生み出し、自分で得たモノでしか受け入れられない。例え同一人物の魂であってもね。……魂の作りは非常に単純だけど、それ故に扱いが凄く難しくて壊れ易いモノなんだよ」
「……じゃあ、アリアの記憶はどうやっても、戻せないってのか?」
「記憶そのものは誓約を反故した代価として消失してしまった今のアリアさんは、自分で記憶を取り戻す事は二度と無いだろうね」
「そんな……」
自分達を救おうとしたアリアの記憶は、二度と戻らない。
それを聞いたケイルは驚きと同時に渋い表情を宿して顔を逸らし、あのマギルスすらも申し訳なさそうな顔を僅かに俯かせる。
アリアの自己犠牲を称賛する気にもなれず、またそれを罵倒する気にもなれない二人に対して、エリクは覚悟を秘めた表情で告げた。
「――……アリアは、俺が連れ戻す」
「!」
「今のアリアが記憶を失い、世界を滅ぼそうとしているのなら。そしてそれで、人間全てに憎まれているのなら。俺は、アリアと連れて逃げる」
「……エリク……」
「逃げて、魔大陸に行くのかい?」
「ああ」
「今のアリアさんが、それを快く了承するかな?」
「……」
「もし了承せず、今のアリアさんが貴方に武器を向けて殺そうとしたら。その時は、どうするのかな?」
意地悪な笑みを浮かべるクロエは、首を傾げながら尋ねる。
それを真正面から見据えたエリクは、一度だけ両目の瞼を閉じてから数秒後に答えを述べ始めた。
「……俺はアリアを守れるほど、強くない」
「!」
「俺はずっと、俺より強い奴は何処にもいないと思っていた。……だが、そうじゃなかった」
「……」
「世界には、俺より強い者達がいる。アリアもその一人だった。……そしてケイルも、マギルスもそうだ」
「!!」
「俺はこの中で、誰よりも弱い。……制約の無い今のアリアと戦えば、俺は死ぬかもしれない」
「それじゃあ、アリアさんの事は諦めるのかな?」
「諦めない」
「!」
「俺はもう、諦めない。……例え記憶を失っても、俺より強くても。俺はアリアと交わした始めの約束だけは、守りたい」
「初めての約束?」
「一緒に、安全な場所まで逃げる。俺はアリアと初めて出会った時、そう約束して一緒に旅をし続けた。……だからその約束だけでも、最後まで守る」
決意を秘めたエリクの真剣な表情と瞳を見て、三人が何かを察する。
アリアと共に逃げ、安住の地を探す。
最初に交わしたその約束を果たす決意を秘めたエリクは、自身の力の無さを知りながらも迷いを断ち切った様子だった。
今のエリクは、アリアの事で動揺し周囲の言葉に右往左往し続けていた時と全く違う。
自身の覚悟に身と心を置き、真っ直ぐに目的の為に動く事を決意した、揺るがぬ姿を見せていた。
「……なるほど。過程と結果はどうあれ、エリクさんがそう決めているのなら、私は止めないよ」
「……」
「さて、エリクさんの覚悟は確かに聞き届けた。……ただ、それとこれとで話が別というモノもある」
「!」
「エリクさんの覚悟は分かった。でも異なる覚悟を持つ人が、隣に居るみたいだよ」
「……ケイル」
クロエが視線を向けて微笑む先に、ケイルがいる事をエリクは察して顔を向ける。
渋い表情を浮かべたまま顔を逸らしたケイルは、エリクの覚悟を聞きながらも苦々しく呟いた。
「……お前が死んだら、約束もヘッタクレも無いだろ」
「……」
「……アリアを殺す」
「!」
「お前が死ぬくらいだったら、アリアはアタシが殺す」
「ケイル……」
「死ぬつもりで戦うお前を、アリアの前には絶対に立たせない」
渋い表情を見せながらも歯を食い縛りながら話すケイルは、睨むようにエリクを見て告げる。
その言葉が本気である事をエリクは察し、少し悲しみを秘めた瞳を浮かべた。
そう話す二人に、少し考えた表情を浮かべるマギルスが喋り始める。
「うーん。僕もアリアお姉さんと本気で戦えるなら、やってみたいんだけどなぁ」
「!」
「いっそ、三人で競争しようよ。魔導国に行って、誰がアリアお姉さんの所に先に行けるか!」
「マギルス……」
「僕、アリアお姉さんは好きだよ。一緒に旅して、時々ゲームして、凄く楽しかった。……だから、好きなアリアお姉さんを殺すなら、僕が首を取ってあげる」
「……」
「誰がアリアお姉さんを先に見つけて、説得するか殺すか、早い者勝ちの勝負。そういう事で良いんじゃない?」
笑いながらそう提案するマギルスに、二人は真剣な表情ながらも息を漏らすように吐き出す。
マギルスなりに今のアリアの事を考えて導き出した結論は、単純ながらも難しい話だった。
もう二度と記憶が戻らず、また魔導国に与した人間として処断されて殺されるくらいなら、自分の手で好きだったアリアを殺す。
それがマギルスなりのアリアに対する別れの仕方である事は、二人にも理解できる部分はあった。
そうした三人の見解が述べられた場で、仲介するようにクロエが手を叩いて注目される。
「――……三人それぞれ、アリアさんに対する見解は分かったかな?」
「……」
「それを踏まえて私から述べさせてもらう事は、ただ一つだけだ」
「?」
「自分がやれる事を、精一杯やればいい。それがきっと、君達の道を切り開く事になるだろう」
「!」
「私から送れるのは、この予言だけだ。……さて、私は暗号の解読に向かうよ。マギルスも来るかい?」
「行くー!」
クロエがその言葉を残し、マギルスと共に出入口へと向かう。
そして残されたエリクは、ケイルの方へ視線を向けた。
それを逸らすように顔を横に向けたケイルが、同じように出入口の方へ足を運び始める。
「ケイル……」
「……アタシは、本気だからな」
「……」
「アリアが嫌いだからとか、そういう理由で殺るんじゃない。……アタシは、お前に生きてほしいんだ」
「!」
「お前が死ぬくらいなら、アリアを殺す。……その時には、アタシを憎んでくれていい」
そう告げながら去るケイルに、エリクは手を差し伸べようとしながらも言葉を掛けられずに見送る。
この三ヶ月間でアリアに対する決意をそれぞれが秘めていた事を、エリクはこの場で知った。
箱舟が飛び立った中で希望が芽生える中、まだ拭えぬ不安は潜み続けている。
それはアリアという少女の下に集まった三人の中にも、少なからず存在していた。
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