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螺旋編 閑話:舞台裏の変化
ユグナリスの挑戦 (閑話その五十三)
しおりを挟むベルグリンド王の妹リエスティアの正体に関する話が行われた翌日からも、老騎士ログウェルはユグナリスに対して修練を施し続けた。
しかし以前は弱音を漏らす場面が多かったユグナリスは、決意を秘めた瞳を燃やしながらログウェルの無慈悲かつ暴力的な修練に必死に喰らい付く。
そうした間にもリエスティアとユグナリスの交流は続いており、ログウェルはそれを止めようとはしなかった。
それから一ヶ月程が経ち、一年の中間が過ぎようとする季節。
一方的に避けられ打たれ続けただけのユグナリスが、ついにログウェルが握り振る木剣に自身の木剣を当て受け始める。
転がり避け土に塗れる様子は少なくなり、避ける動作も最小限になりながら立つ姿勢を崩さなくなった。
更に睡眠時間とリエスティアとの交流時間以外を全て訓練に当てながらも、気絶する事も無くなる。
ユグナリスは既に、護衛の帝国騎士達ですら見切れないと確信させる動きと剣筋を見せていた。
ログウェルもまた今まで粗雑な姿勢と訓練中の罵倒は少なくなり、ユグナリスに対して真摯に受け立っている。
そんなある日の修練が終わり、リエスティアとの交流が行われるだろう時刻が近付く。
ログウェルは訓練を一時的に止めようとした際、ユグナリスからある提案が成された。
「――……そろそろ、面会の時間ですかな。準備をし――……」
「ログウェル、御願いがある」
「む?」
「今から俺と、一合だけ立ち合ってくれ。――……それでもし、貴方に一太刀を入れられたら。皇帝陛下と皇后へ、リエスティアと共に面会できるように助力してほしい」
「ほぉ……」
「御願い出来るだろうか?」
「ふーむ……」
ユグナリスの願いに、ログウェルは少し考える様子を見せる。
そして口元を僅かに微笑ませた後、ログウェルはその応じに返す言葉を向けた。
「――……良いじゃろう」
「ありがとう」
「じゃが、儂からも条件がある」
「……?」
「使用する剣は、この木剣では無く互いの真剣であること。そしてもし儂が、お主に一太刀を入れた時には――……リエスティア姫のことは、諦めること」
「!!」
「それを受けられぬのであれば、儂は二度と賭け事で、お主とは立ち合わぬ。……どうするね?」
ログウェルは微笑みながらも、その声色が本気である事を向かい合うユグナリスは察する。
そして条件を受け入れられないのなら、二度とログウェルは自分の決意を認めてくれないことを理解した。
ユグナリスは瞼を閉じ、その裏側でリエスティアの事を思い出す。
彼女が見続けているこの光景を自身で重ね見ることで、決意を固めた。
「――……分かった」
「そうかね。――……では、構えなさい」
「……」
ログウェルは木剣を放り投げ、左腰に携えた自身の真剣を右手で抜く。
それに応じるようにユグナリスも左腰に携えた自身の剣を右手で引き抜き、互いに剣を構えて向かい合った。
ログウェルは右手に持つ長剣を斜め下に向け、身体を真っ直ぐとした揺れない姿勢へ。
逆にユグナリスは腰を落としながら左半身を前に出し、右半身を後ろに下げて右腕を軽く上げて幅広の剣の切っ先をログウェルに向けている。
護衛を務める騎士の二人はそれを遠巻きに見ながら、剣を向け合う二人から漂うあまりの静けさに小声を零した。
「……い、いいのか? 止めなくて……」
「どっちも止められないだろ……」
「確かに……。……皇子は、突く構えだな」
「でも、あんなに見え透いていたら避けられる……」
「ああ。……でも、勝ってほしいって思ってしまうな」
「……だな」
騎士の二人は互いにそう呟き、ログウェルに勝負を持ち掛けたユグナリスを心の中で応援する。
今まで過酷な訓練と理不尽な修練を続けたユグナリスは、既に二年前のような肥満に寄った身体は無く、鋼のような細く逞しい筋肉に覆われ、その面構えも温室で育てられた皇子の印象は無くなった。
僅か二年もの間に劇的な変化と成長するその姿は、昔の彼を知る者が見れば同じ人物であるかさえ疑うかもしれない。
常人であれば一時間も保てないだろうログウェルの修練を実際に見た者達は、ユグナリスを賞賛し賛辞を向ける気持ちを宿らせていた。
「――……ッ!!」
「!」
そして剣を向け立ち合う二人が、ついに動き出す。
僅かにユグナリスが速く動き出し、ログウェルがそれに対応するように飛び出した。
構え通りに低い姿勢で猪突しながら右手に持つ剣を突き放ったユグナリスは、ログウェルの胴体を狙う。
その狙いに対してログウェルは突かれる剣を避けながら、その剣を握るユグナリスの右手を斬り薙ごうとした。
その時、ユグナリスは右足を地面に叩くように踏み止まり、動きを突如として停止させる。
そして右手を狙ったログウェルの長剣はユグナリスの刃に直撃し、互いの刃が火花を散らし触れ合った。
「む!」
「ウォオオッ!!」
ユグナリスは始めから突くのではなく、ログウェルの剣を弾く為にワザと狙い易い右手を囮にする。
更に強い踏み込みと同じように、凄まじい握力と腕力を込めたユグナリスの握る剣は、ログウェルの剣を更に強く押し弾いた。
その瞬間に初めてログウェルは姿勢を崩し、剣を持つ右腕を外側に追いやられる。
そして押し弾いたユグナリスは剣を切り返しながら更に左足を踏み込ませ、剣を跳ね薙ぎログウェルの右肩から胴体を狙った。
「――……ぇ……」
しかし次の瞬間、ユグナリスの顎下を何かが襲う。
ユグナリスが踏み込んだように、ログウェルもまた弾かれた右腕の動きを利用して前に出た左半身を踏み込ませ、左拳を放っていたのだ。
剣と斬り込む場所に意識を集中していたユグナリスは、突如として襲った拳に気付かず対応も出来ずに顎下を撃ち抜かれる。
しかも斜め様に抜けた拳は見事に顎先へ直撃し、脳を激しく揺らされたユグナリスは意識を手放した。
ユグナリスが次に目を覚ました時、地面に寝転がっている状態だと気付く。
意識を戻した瞬間に跳ね起きると、目の前には見下ろし膝を屈めるログウェルが居た。
「――……剣に、意識を集中させ過ぎましたな。ユグナリス様」
「……俺は、負けたのか……ッ」
指摘されるログウェルの言葉を聞き、ユグナリスは自身の敗北を察する。
そして自身の不甲斐なさを原因とした悔しさと涙を表情に見せ、右手を地面へ叩き付けた。
それを微笑みながら見下ろすログウェルの口から、更に言葉が述べられる。
それは涙を零すユグナリスの顔を、思わず上げさせる言葉だった。
「相打ち、でしょうな」
「……え?」
「ほれ、見なさい」
「……!」
ログウェルは屈んだ姿勢を立たせ、右肩の服を見せる。
するとそこには、小さな一筋の切り傷が在った。
それが何なのか始めこそ理解できなかったユグナリスは、ログウェルの言葉で状況を知る。
「儂の拳が、お主の顔面を叩いたと同時に。お主の剣も、儂の右肩に届いとったんじゃよ」
「……!!」
「結果を見れば、倒れとる方が負けじゃが。……しかしこの勝負は、一太刀を入れた方が勝ちじゃったな」
「……じゃ、じゃあ……?」
「認めましょう、儂の負けじゃよ。……ユグナリス様の願い、叶えましょう」
「――……や、やったぁぁああああああああああああッ!!」
ログウェルは敗北を認め、ユグナリスは自身の勝利を雄叫びと共に喜ぶ。
それを遠巻きに静観していた騎士の二人もまた、感涙を零しながらユグナリスに賛辞するよう静かな拍手を送っていた。
こうしてユグナリスはログウェルと立ち合い、形として初めて勝利を掴み取る。
そしてリエスティアにその事を知らせ、正式な婚約と婚姻を結ぶ説得を行う為に、帝都へ赴く話がログウェルの助力によって進められたのだった。
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