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終章:エピローグ
最後の弟子へ
しおりを挟む『大樹事変』の首謀者である事を伝えられてしまった老騎士ログウェルは、その存在そのものが忌み嫌われてしまう。
その事実は彼の弟子だった者達の心情を酷く傷付けながらも、師の苦悩すら理解していなかった自分達では何も言えなくさせていた。
そうした中、ガルミッシュ帝国のローゼン公爵家本邸に一人の客人が訪れることが伝わる。
客人の素性を聞いた当主セルジアスは、自ら屋敷に訪れたその人物を出迎えた。
『――……こうして顔を合わせるのは、初めてになるでしょうか。ローゼン公セルジアス殿』
『貴方が……。……ようこそいらっしゃいました、ダニアス=ハルバニカ殿』
屋敷に訪れたのは、アスラント同盟国から訪れたダニアス=ハルバルカ。
セルジアスにとっては祖母の兄である伯祖父であり、血縁に位置する関係だった。
しかしダニアスは聖人であり、その見た目は青年に見えるセルジアスと大差は無い。
互いに金髪碧眼という血縁を思わせる容姿をしている事もあり、部外者が見れば従兄弟や兄弟の関係に思えただろう。
そして訪れたダニアスは客室へ通され、改めて互いに対面の長椅子に腰掛けて用意された紅茶を一口だけ飲む。
すると口が僅かに潤ったのを認識し、セルジアスは改めて訪問の理由を問い掛けた。
『――……まだ帝国の港も完全には復興できていない状況でしたが、それでも貴方が御越しになった理由は何でしょうか?』
『……あまり、歓迎はされていないようですね。父上からは、我が家の事は悪く聞かされていましたか?』
『いいえ。ただ帝国に御越しになってからの急に連絡でしたので、驚いているだけです。……同盟国を通さず個人で御越しになられたという事は、何か通信でも話せず公に出来ない用事ですか?』
『……今回、私の父ゾルフシスの個人的な頼みで参りました』
『!』
『実は、コレを……ユグナリス殿下に御渡しして欲しいのです』
『……これは……本ですか?』
ダニアスは自分の隣に置いていた革鞄から一つの本を取り出し、それを差し出すように正面の机へ置く。
それを見たセルジアスは置かれた本を手に取ろうとすると、その前にダニアスは忠告の言葉を向けた。
『御手にするのは構いませんが、御読みにはならない方がよろしいかと』
『……どういう意味です?』
『父上からは、その本は皇子だけに見せるようにと頼まれています。なので、貴方は御覧にならない方が良いかもしれません』
『……何を記した本なのか、御聞きしても?』
『ログウェル殿の書き記した本だという話です』
『!?』
ダニアスが差し出した本がログウェルの遺した本だと聞き、セルジアスの表情は驚愕に変わる。
すると続けるように、ダニアスは口を開き事情を明かした。
『父上とログウェル殿は、皇国時代に親交を築いていました。……そんな父上に、ログウェル殿はこの一冊の本を手渡していたそうです』
『……随分と、古い本のようですが……』
『それを父上が受け取ったのは、二年ほど前だと聞いています』
『二年前……。……丁度、ログウェル殿の行方が分からなくなっていた時期……。……あの方は、同盟国に居たのですか?』
『いえ、私自身も父上から初めて聞かされました。ただ一ヶ月ほど父上の暮らす別荘に滞在し、父上に託したそうです』
『……ゾルフシス公は、この本の中身は御覧になっているのですか?』
『はい、その上でログウェル殿に願われたそうです。……自分が死んだ時、この本を最後の弟子……帝国のユグナリス殿下に御渡しするようにと』
『!!』
『言わばこの本は、ログウェル殿がユグナリス殿下に遺した遺書なのでしょう。……今回は、この本をユグナリス殿下へ御渡しする為に内密に動いていました』
『……』
『最近はログウェル殿を悪し様に言う者も多く、こうした遺書の存在を知られた場合、どのような輩が奪いに来るか分かりません。……なので戦力的にも本を守れる、私が来たわけです。御理解頂けますか?』
『……確かにこれは、公に来れる用事ではありませんね。……分かりました。ログウェル殿の遺志を尊重し、これはユグナリス殿下だけに見てもらいましょう』
『ありがとうございます。……ところで、ユグナリス殿下はどのように御過ごしに?』
『……ログウェル殿の戦いを止められなかった事を悔やみ、今も臥せっています』
『そうですか。……私も彼と同じ立場であれば、そうなっていたでしょうね』
『貴方も、ログウェル殿に師事を……?』
『はい、十五年ほど。その際に聖人に到り、この歳でもこのような姿になっています。……セルジアス殿は?』
『私は、ログウェル殿からは教えを受けませんでした。代わりに、父が師となっています』
『そうですか。……同じ師を持った者として、この本を託されなかった事は不本意ですが。あの場に居合わせた最後の弟子だからこそ、見るべき価値があるのでしょうね』
『……』
ダニアスはそう語り、同じ師を師事した弟子として最後の弟子に僅かな嫉妬心を見せる。
それでも師の遺言を尊重したダニアスは、その後にセルジアスと互いの国の近況を確認し合い、帝国から同盟国へ戻っていった。
そして遺されたログウェルの本は、セルジアスの手で部屋に籠るユグナリスに渡される。
『――……ユグナリス様。ローゼン公がいらっしゃいました』
『……うん』
寝台に寝そべり顔を枕に沈めていたユグナリスは、リエスティアの声に反応して起き上がる。
そして寝癖が付いたままの乱れた赤髪と寝間着姿のまま、居間に訪れ単椅子に座るセルジアスと対面した。
そして次期皇帝の皇子とは思えぬ姿をしているユグナリスに、セルジアスは微笑みながらも呆れた苦言を漏らす。
『……相変わらずだね。せめて人前に出る時は、見た目くらい気にしなさい』
『すいません……。……今日は、何ですか?』
『君に届け物があったんだ』
『届け物……? ……その、汚い本ですか?』
『そうだよ。……ログウェル殿が、君に遺した本らしい』
『……えっ!?』
寝惚けた意識と無気力な様子を見せていたユグナリスは、その言葉を聞くと徐々に朧気だった意識を覚醒させる。
そして改めて机を凝視しながら、震える両手でそこに置かれている一冊の本を持った。
するとユグナリスは、動揺した面持ちで問い掛ける。
『……ほ、本当に……これがっ!?』
『そうらしい。どうやら二年前、ログウェル殿が君宛に用意した本のようだ』
『!!』
『自分が死んだ時、この本を最後の弟子である君に渡すように頼まれた人が居たそうだよ。話を聞く限りでは、信憑性は高いと思う』
『……み、見ても……いいですかっ!?』
『ああ、ゆっくり見られる場所で見るといい。私はまだ仕事があるから、失礼するよ』
『は、はい! ――……お、俺! 向こうの部屋で見て来るから!』
そう伝えたセルジアスに肖り、ユグナリスは本を持ったまま自身の寝室に駆け込む。
慌ただしくい様子で開け放たれたままの寝室の扉を見るセルジアスは、再び呆れる様子を見せながら向かい側に座っているリエスティアに声を掛けた。
『あの本には何が書かれているのか分かりませんが。……リエスティア殿、彼が何かしないようには注意してください。何かあれば、すぐに報せを』
『……大丈夫だと思います』
『えっ』
『あの本はきっと、今のユグナリス様が立ち上がる為に用意された本だと思いますから』
『……それも、未来視の能力で分かるのですか?』
『いえ。でも、ログウェル様ならそうすると思います。……あの方は、誰よりもユグナリス様という人を知っている方ですから』
『……そうですか』
リエスティアの言葉を聞いたセルジアスは、微妙な安堵を見せながら退室する。
そして窓幕を開き光が差し込んだ部屋の中で、木椅子に腰掛け机に本を置いたユグナリスは本を読み始めていた。
『……これは……!』
本を開いて一枚目のページを目にしたユグナリスは、そこに書かれた文章を読む。
それは文字盤を使っていない手書きの文字であり、それは訓練で放り込まれた森で見たログウェルの筆跡と重なって見えた。
そしてそこに書かれた文章を、ユグナリスは呟きながら読む。
『――……糞爺から、腑抜けておるだろう弟子へ。……間違いない……ログウェルだ……っ』
最初の頃、ログウェルを糞爺と呼んでいた事をユグナリスは思い出す。
人前でこそ名前で呼んでいたが、魔物しか周りに居なかったあの森でそう呼んでいたのを思い出したユグナリスは、それが間違いなく自分が知るログウェルの言葉なのだと理解できた。
そして嬉しさで涙が溢れそうになるのを堪えたユグナリスは続く文章に視線を合わせ、ログウェルの声を思い浮かべながら読み始めた。
『――……これをお前さんが読んでおるということは、儂はあの男の戦いに負けたのじゃろう。……そうなったとしても、お前さんはあの男を恨むなよ。筋違いも甚だしいからのぉ』
『……ッ』
『儂はあの男と戦う為に、全てを賭して挑むんじゃ。……その結果が儂自身の死であっても、儂は満足しておるんじゃよ。だから水を差すな』
『……でも……でも……っ』
今の状況を言い当てるように書かれているログウェルの言葉は、ユグナリスを叱る。
それでも納得し難い様子を見せながら呟くユグナリスは、続く文章にも目を通した。
『――……と言っても、お前さんは納得せんじゃろうな。……だから一つ、昔話をしよう』
『……昔話?』
『儂が何者で、何を思い今まで生きてきたか。……それを、お前さんにだけ教えよう。知りたければ、次を読むといい。読みたくなければ、本を閉じなさい』
『……!!』
ログウェルの文章はそこで途切れ、次のページに進むかを迫る。
それを見たユグナリスは表情を強張らせながらも、瞳を鋭くさせながら決意を示すようにページを開いた。
するとその先に語られる、ログウェルの生涯を見始める。
ユグナリスはそれを見続けると、時として怒り、時として唖然とし、時として悲しむような表情を浮かべさせる事になった。
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