死せる君と。

第弐章──過去と真実──

死せる君と。参話

"For his anger is but for a moment, and his favor is for a lifetime. Weeping may tarry for the night, but joy comes with the morning."

此これは結婚した時にエヴィから教えられた聖書の一節である。エヴィと死に別れ、自分に対する怒りが襲い、此の森でも数多あまたの絶望を経験したが、舞子という生きる意味を見つけることが出来たのは此の一節のお陰だと思っている。エヴィは明るい人だったから引っ込み思案な私を何時いつも励ましてくれた。だから次は自分が舞子にエヴィの遺志いしを伝えよう。

　──感染症が落ち着いた頃、賛美歌さんびかが刻まれた彼女の墓に手を合わせ十字を切ると、彼女に別れの言葉と二度と人を殺さない事、母国イギリスから出る決心をした事を告げた。彼女の想い出と共に誰にも知られない場所で、誰にも知られないように一人ひっそりと暮らそうと思ったからだ。これ以上人と関わればエヴィの様な悲惨ひさんな別れを経験してしまう。国にも身内にも怪しまれぬ様行先は当時同盟を結んでいた国に決め、もう二度と来ることの無い此の地へ最後の別れを済ませた。

彼女がいつも持っていた聖書片手に、船から降りると帽子を深く被り、なるべく目立たない様に場所を探した。当然知り合い等など居ない為、野宿をして過ごすこともあったが、この国へ来て数日、漸ようやく人気の無い森を見つけたのだ。道無き道を進むと、少し開けた場所に前まで誰かが住んでいたと思うくらい、綺麗きれいで小さな小屋があった。隣には比較的広めな畑があり、農具らしき物も小屋に立て掛けてある。意味も解らない儘まま小屋の中に入ると、一人の中年の男が居て、何か話しかけてきた。然し、当然この地の言葉なんて分かるはずもない。すると突然男が私の腕を掴み何処かに向かって歩き始める。勿論もちろん彼女エヴィとの約束もある為に反抗も出来なかった。

男の足が止まり前を指を指す。見ると目の前に小規模な集落があった。其処そこは人が少ないものの活気に溢れており、男が声を掛けるとまた一人別の男がやって来る。見た目は老人の様だ。
｢俺の言葉は分かるかい｣
母国語を話せる人が居るとは夢にも思ってもいなかったから驚いた。
｢ああ、分かる。其れよりも貴方は何故私と同じ言語で話せるのか｣
｢俺は昔外国の言葉を習ってた事があってな、お前さんが良ければ此処ここの言葉を教えてやるよ｣
そうして親切な老人は言葉だけで無く、農業の仕方等の生活において必要不可欠ひつようふかけつな情報を惜しみなく教えてくれた。あの小屋は中年の男の所有する休憩場のような物だったらしく、理由を話すと快こころよく譲ってくれたので住む場所にも困らなかった。

約十年後、あの恐ろしい感染症は集落で猛威を振るった。私は耐性が出来ていたのか罹かからなかったが、集落の殆ほとんどの人が年老いていた為に全員が罹り死亡した。またしても私では無い誰かが亡くなったのだ。人と関わらない様に逃げてきたのに懲こりず人と関わり勝手に傷つくのだ。勿論正気ではいられる筈はずがなく、心を病んで刃物を首に当てたり、極寒の川に飛び込んだりして死のうとしたが、遺書に書かれた妻の長生きして幸せになれと言う言葉が其れを阻んだ。だが、幸せが何なのかもう分からなくなっていた。そんな時出会ったのが舞子だった。

此処まで話すと既すでに舞子は眠そうな顔をしてうつらうつらしていた。かなりの長話だった為疲れたのと、久しぶりに淹れた紅茶が眠気を誘ったのだろう。舞子に肩を貸し寝間へ誘導する。横にして着物を被せると直ぐに寝息を立てて眠り始めた。