異世界行っても喘息は治らなかった。

万雪 マリア

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ミッドガルド国からの出立

三十分の一話・こどくなかみさま

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 その場所には、わたし以外誰もいなかった。
 みんなみんな、わたしが殺してしまった。
 ありとあらゆる生命の気配は消され、ただひとりだけでここにいる。
 知らないうちにこぼれた涙のあとが、風にあおられる。
 寒い。
 とても、寒い。それに悲しい。
「う、うぅ」
 凍えてしまう。
 だけど、温めてくれる人はいない。
 生暖かいぬくもりを与えてくれた血は、すっかりかわいてしまい、湯冷めした時みたいに冷たい。
 温めてくれるはずの手は、わたしが切り離してしまった。
 抱きしめてくれるはずの腕は、わたしが引き裂いてしまった。
 誰もいない。
 わたしを愛してくれるものなんて、だれもいない。
 だれもいなかった。
 悲しい。
 さみしい。
 寒い。
 体温が奪われていく。
 錆びついた刀に付着した大量の血は、まがまがしい赤黒い色になっている。
 それを抜けて吹きすさぶ風は、わたしの心に穴をあけてしまったのだろうか。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛いなんて感覚、とっくの前に忘れてしまったのに。
 心が痛い。


 どこまでも透明な空気はよどみ、そこだけ赤い霧が立ち込めたようになっている。
 その中心でただずむわたしは、姿だけ見れば、家族、親友、愛する人を失った可哀想な少女に映るかもしれない。
 背中まである髪の毛を上で一つに結び、元々は澄んだ緑だった__今は赤色の__袴を身にまとい男装してこそいるものの、生来小柄で、誰がどう見ても女の子にしか見えない容姿をしているため、どこまでごまかせているかは不明だ。


 わたしの名前は宮崎樹。いつきだ。男女どちらでもある名前だが一応女。
 最近できた神社の本家筋も本家筋、神主の娘としてこの世に生を受け、生き神様としてあがめられてきた。
 生き神様助けてくださいと、たくさんの人間が、髪の毛とか、肌とかに、べたべたと触ってくる。その嘆願のこもった瞳が、気持ち悪く思えてきたのは、いつからだっただろうか。
 最初は、生き神様とは何かはわからないけど、誰かがわたしを求めてくれるならいい、それに、大人が膝をついてこうべを垂れるのを眺めるのは面白かった。
 そうだあの時だ。お父様とお母様が話していたんだ。「樹はどうせその場繋ぎだしどうとしてもいい」と! 「長女とはいえ女だから、男が生まれたらそっちを跡継ぎにしましょう」__と!
 吐き気がした。長女だから、弟が生まれればどっちにせよそっちが跡継ぎになる、わたしなんてその場つなぎに過ぎない。その言葉が頭をめぐる。
 そして私が5歳のころ、弟が生まれた。わたしが用済みになる事が確定した瞬間でもあった。


 10歳のころ、身一つで家から放り出された。
 悲しさはなかった。
 苦しさもなかった。
 それから、「生き神様」だったころのアテをたどって、しばらくはタダで食いつないでいた。
 汚いと言われるのも承知だ。アンタらが言う「生き神様」はこれなんだから。
 その後、とある無名の道場に、男装して、内弟子として入った。
 剣の才能があったのか、12で入ったのに15のころには、師範代以外で勝てない相手などいなかった。
 そして道場を出て、自立。傭兵として、それなりに名をとどろかせた。
 そのころに、「宮崎」がなまって「皆崎」となっていたが、わざわざ訂正するような事はしなかった。
 若いが秀才の雇われ兵、「皆崎樹」像が確立した。


 18になったある日、とある人を殺してくれ、という依頼が入った。
 金さえ払ってくれれば、なんでもやるのが傭兵だ。
 しかし、その日の依頼は普段と違っていた。

 __宮崎卯春、宮崎家の生き神様で、跡取り息子の暗殺。

 依頼人は、どんな形でかは知らないが、宮崎神社に全財産を持っていかれた商人風の男。
 言葉を聞いた時、不意に息苦しさを覚えた。
 表向きでは作家として、一部ではそこそこ売れている私であったが、わざわざ真昼間から来て、神社の跡継ぎを暗殺。
 そうとう暗い事情をお持ちのようで。声には出なかった。
 卯春。宮崎卯春。間違いなくわたしの弟だ。
 その時わたしが何を言ったのか、全く覚えていない。
 嫌なら受けなければいい。しかしわたしは、この依頼を受けた。
 つまりそれは、心のどこかに、実の弟に、あの家に対する憎しみがあったのだろう。
 勝手にイキガミサマとか呼ばれて、ベタベタ触られて、用済みになったらハイサヨナラ。
 それから、きっと卯春は、私の事なんか忘れて、ぬくぬくと生暖かい環境で育ってきたんだろう。
 跡継ぎ確定だから、わたしみたいに、「その場繋ぎ」だと__「どうでもいい」などと、言われる事もなかったんだろう!
 殺した。夜眠っているところを襲って殺した。途中で起きたのかぎゃあぎゃあ騒いでいたが気にならなかった。生暖かい血が、弟だったものが、体中に付着するたび、救われるような気がした。
 人が来た。父だった人と母だった人、信者や巫女や神官がたくさん。
 みんな殺した。殺した。殺した。
 ただただ、機械的に刀を振るい続けた。切れ味が落ちたら、重さを利用して叩きつけるように斬りつけた。

 断末魔、叫び声、すべてが心を満たしていく。

 その時、今までで一番安心していたような気がした。
 どんなに美しい景色も、この殺戮を限りを尽くした惨状にはかなわない。
 どんなに美しい福音も、この元信者や元両親の叫ぶ断末魔にはかなわない。
 安らかだった。
 とても安らかな気持ちだった。
 全てが終わった後、膝から崩れ落ちた。
 何も考えられなかった。
 寒い。

 でも、なぜだろう。
 拍手が。
 拍手が、聞こえてくるんだ。
 白髪の男が、わたしの手をもって、恭しく口付けして、こういうんだ。
 「狂気の世界へようこそ、『生き神様』」__と!
 涙があふれた。
 それは、悲しさと嬉しさが凝縮されて、静かに流れ落ちた。
 筆頭にして、ぼろぼろと涙があふれてくる。
 寒い。
 同時に、気づいたのだ。
 机の上に置いてある、奇跡的に無事だった書類。

『今更虫のいい事はわかっている。しかし、姉様は私のせいで出ていかされたのだ。お父様とお母様に頼んで、姉様を家に帰してもらえるようにしてもらおう__』

 理解した。
 嫌でも理解した。
 暖かい血が急速に乾き、寒気をもたらした。
 弟は、卯春は、わたしにも手を差し伸べようとしてくれた。
 弟だったものに、もうわたしに差し伸べてくれるはずだった手はない。
 あるのは肉塊。
 体に穴が開いたみたいな喪失感。
 体温が奪われて、立ち上がろうとしたら、流れ出した血でずるりと滑った。
 不意に、殺された人と目があった。
 もとが誰だったかなんてわからない。
 その上に一滴、雫が落ちた。
 全て自分で壊してから、全てのものの大切さを、尊さを知った。
 それはあまりにも、「お約束」すぎて。
 ありきたりな展開なのに、いざ当事者になると、何よりも悲しさが勝っていた。
 白髪の男は、わたしを起こして、元々わたしが座っていた、最近までは弟が座っていたであろう場所にわたしを座らせるとこう言ったのだ。


 「『死に神様』、万歳!」__と。
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