チャム・チャムートの世界

福守りん

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                  ☆

 十二月十一日。あと一日。

「チャーム! チャムちゃーん?」
 家の中に、チャム・チャムートがいない。小さなチャムたちも、姿が見えない。
 どこへ行ったのかしら? 念じれば、通じるのかしら……。
『どこ?』
『広場にいる』
 これで通じるのね。さすがだわ……。

 芝生だけがある、大きな広場まで、急ぎ足で向かった。
 小さな体が、倒れるように寝ていた。ひどく弱っているように見えた。
「大丈夫?」
「見たとおりだ」
「苦しいの?」
「まあ、そうだな」
 お別れの時が近づいている。今日が、最後の日。たぶんもう、チャム・チャムートとは、会えなくなってしまうのだろう。
「だっこしてて、あげるわね……。それとも、なにもしない方がいい?」
「いや。そなたはあたたかい。ぜひとも、そうしていただきたい」

 どこまでも続く、青い芝生の上に、二人で座った。
 背中から、だっこしてあげた。チャム・チャムートが、わたしの体に寄りかかる。
 うすい色の青空には、雲ひとつなかった。やさしい風が吹いていた。
 もうすぐ世界が終わるとは、とても思えなかった……。

「そなたに会えて、よかった」
「ありがとう。わたしもよ」
「祝福を。われの力がつきる前に、ひとつだけ願いをのべよ」
「まあ。そんなオプションがついてたなんて、知らなかったわ」
「これは、世迷い言でないぞ」
「じゃあ……。そうね。わたしたち夫婦に、あなたのような、かわいい赤ちゃんを」
「あいわかった」
「本当かしら?」
 笑って、子供のような体ごと、左右に揺すってあげた。チャム・チャムートがふり返った。迷惑そうな顔をしていた。猫のような目で、わたしを見上げてくる。
「念じておるところだ。邪魔するでない」
「あら。ごめんなさい」
 チャム・チャムートが顔を戻す。両手を合わせて、高く掲げるのが見えた。
「ヨー・レ・マウ・デトモ・ノン・サカーユ・ヨ・チノーイ」
 呪文のような言葉。まるで、歌っているみたいねと思った。
 同じ呪文を三回。両手をゆっくり下げて、ふーっと長い長い息を吐いた。小さな体を抱きしめる両腕に、力がこもった。

 チャム・チャムートは生きていて、あたたかった。ふいに、こみ上げてくるものがあった。涙が、わたしの頬をぬらした。
 命は、あっという間に行きすぎて、二度と戻らない。
 きらめいて輝く、一瞬だけの光。遠く、はるか彼方から闇をつらぬいて、ようやく届く、まばゆい星の光のようなあなたを、ずっと待っていた。今も、待っている。
 ずっと。ずっと……。
「……赤ちゃんが、いなかったわけじゃないのよ」
「そうなのか」
「生まれる前に、帰っていってしまったの。それだけ」
「泣くな。友香さん。われの生きた証として、かならず、そなたの願いを叶えよう」
「いいのよ。もし叶わなくても、あなたやなにかを恨んだりしないわ」
 泣いて、泣いて、泣きつくした。今はもう、受け入れられたと思っていた……。
「欲しいものは、欲しいと言ってよいものだ。われも、われと対話できる者が現れることを、長い間、待ち望んでいた」
「そうね。そうよね……。わたし、悲しかったの。とても、悲しかった。
 まるで、世界が終わってしまったみたいに……」
「そのようだな。われには、子はいないから、よくは分からないが」
「夫の……孝さんの口ぐせでね。『どうせ五十億年後には、地球もなくなってる』っていうのがあってね……。わたしは、その言葉に、ずいぶん救われたの。
 本当に五十億年後なのか、わたしにはわからないけれど。すべてが大きな光になって、ひとつに溶けてしまうとしたら……。
 わたしは、なくしたわたしたちの命と、その時はじめて一緒になれる……かもしれない」
 チャム・チャムートがうなずく。わたしの腕の中で身動きをした。ゆっくりと向き直って、わたしを正面から見上げてくる。
「はるか時をこえ、はるか時空をこえ、われのもとへ来てくれて、ありがとう。
 三十七億七千二百九十五万三千四百五十五年生きたわれから、友香さんに言いたいことは、ひとつだけだ」
「……なーに?」
「生きよ。まっとうするまで」
「だめ。待って……!」

                  ☆

 目が覚めてしまった。
 横になったままで、両手を見る。からっぽの手が、ふるえていた。
「ここに、いたのに……」
 もう、どこにもいない。今日は七日目……。
 夜に眠る度に、夢の中で、チャム・チャムートと会ってきた。
 わたしが、チャム・チャムートの夢を見ることは、もうないのかしら?
 枕元に置いていたスマートフォンを手にとって、画面を見た。
 十二月十二日。日曜日。今日が、世界が終わる日。

 パジャマのままでリビングに行った。わたしと同じようにパジャマ姿の孝さんが、テレビを見ていた。国営放送の、朝のニュース。

『アリゾナ州の天文台にて、現地時間の昨日午後二時三十四分に、超新星爆発が観測されました。これは非常に稀に起こる現象であり、太陽系銀河の中では、百年から二百年に一度起こるとされています……』

 ああ。そうなの。そうだったのね……。
 あの愛らしい命は、あのきれいな星は、大きな光になって、飛び散ってしまった。
「友香。どうした?」
 孝さんが、わたしの腕をつかんで、支えてくれた。慌てた顔をしていた。
「まっ青だぞ」
「星の、爆発……」
「ああ。これ? すごく珍しいことみたいだな」
「わたし、大丈夫よ。テレビが見たいの」
 手が離れた。急ぎ足で、テレビに近づく。
 きっと、何億年も前に起きていた爆発が、鮮やかにテレビの中で映し出されている。スマートフォンをかざした。テレビの中で、青白く輝く光を撮った。
 忘れたくなかった。

「さよなら。チャム・チャムート」
「なに? それ」
「なんでもないの。朝ごはんは、昨日の残りのカレーでいい?」
「うん。いいよ。カレーは好きだ」
「おいしかったら、おかわりしてね」
「やった。ありがとう」
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