【364日の地球】〜地球を救おうとした母の物語〜

八千代 サラ

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8 · それでも母でいた三日間

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自分の声が、少しだけ弾んでいた。

しかし、これはれっきとした、誘拐だった。

仁は目を丸くした。

「今から?」

「うん。ちょっとだけ」

説明はしなかった。

説明すれば、きっと壊れてしまう。

私はやや強引に仁の手を引き、通りに出た。

タクシーを止める。

ドアが閉まる音が、やけに重かった。

「東京駅までお願いします」

走り出した車内は、静かだった。

エアコンの風の音と、
タイヤがアスファルトをなぞる音。

仁は心配そうに、私を見つめていた。

私は、小さな手を握りしめていた。

強く握りすぎないように、
でも離れないように。

それだけが、今の私にできる
精一杯だった。

言葉は、うまく見つからない。

ごめんねも、
会いたかったも、
全部、喉の奥で固まっていた。

東京駅は、いつも通り人で溢れていた。

世界は何も変わっていない顔で、
忙しく動いている。

私は券売機の前に立ち、
山中湖行きの高速バス券を二枚買った。

山中湖のふもとの、日帰り温泉からの富士山を、仁に見せたかったからだ。

バスを待つ時間は、不思議と穏やかだった。

売店でお茶を買い、
仁はおにぎりを選んだ。

「旅行ってさ、どこ行くの?
何日くらい?」

「温泉だよ。少しだよ」

そう答えながら、
“少し”が三日間なんだと、
私は焦っていた。

でも、その焦りを仁に気付かれてはいけない。

不安にさせてはいけない。

バスに乗り込むと、
仁は靴を脱ぎ、座席に足を折りたたんだ。

子どもらしい仕草。

それを見て、胸がほどける。

エンジンの振動が一定のリズムを刻む。

私は、ようやく息をついた。

逃げているのか、

守っているのか。

自分でも、まだ分からなかった。

気がつくと、窓の外は濃い緑に変わっていた。

山中湖。

空気が少し冷たい。

その日は花火大会らしく、
湖畔には出店が並んでいた。

焼きそばの匂い。

甘い綿あめの匂い。

夕暮れ前の、浮き足立つ空気。

その中で、仁の足が止まる。

カブト虫屋の前だった。

「仁くんね、ヘラクレス欲しいの」

透明ケースの中で、
黒くて大きな角が光っている。

値札を見て、私は一瞬黙った。

「それは、ちょっと高いかな」

代わりに、二匹で300円のツガイのカブト虫と
小さな虫かごを買った。

仁は少し残念そうに、
でも嬉しそうにうなずいた。

私と仁と、二匹のカブト虫。

それだけで、
世界は小さくまとまっている気がした。

民宿を探すのに少し時間がかかった。

ようやく空きを見つけ、
古い木造の階段を上る。

畳の匂い。

窓の向こうに、
山中湖の水面が光っている。

私はキャリーバックを広げ、
虫かごをそっと窓際に置いた。

仁が畳に寝転ぶ。

「なんかさ、ほんとに旅行みたいだね」

その言葉に、
胸が締めつけられる。

ほんとに旅行。

そうであればよかった。

計算は、何度やっても同じだった。

ブラックホールは、
三日後、地球に衝突する。

私は笑った。

「そうだよ。旅行だよ」


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