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竜の鱗
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「……うん」
左手をテーブルの下に隠したまま、右手でスプーンを使い、シャーベットを掬い上げる。
互いに黙々とシャーベットを口に運んでいく。冷たくて甘いのに、なぜか苦いものを伴って口の中で溶けていった。
そういえば、西河くんの名前を私は知らない。
クラスメイトも先生も、みんな西河くんを苗字で呼ぶ。名簿でちらりと目にしたことはあるけれど、なんだか難しい漢字で読み方がわからなかった。
でも、なんていう名前なのと訊ねてしまうと、名前で呼び合おうなんて提案されては困るので、やはり西河くんの名前は知らないままでいい。
西河くんは、ちらりと視線を上げた。
「わかった。ペナルティは保留にしよう」
「保留なんだ……」
彼は、私の名前を呼ぶことを諦めていない。
なんて強情なんだろう。
その心の声は、そのまま私に返ってきた。
「とりあえず、正解するかどうか判明してからにしよう」
彼の真摯な声音に、直感が脊髄を駆け巡る。
私はスプーンを持ったまま、西河くんの真剣な双眸を見返した。
これは単なる遊びのはずなのに、彼の中に多大な理由が存在するような片鱗を見出したから。
「……西河くんは……」
なんなの?
なんで、私に構うの?
私を名前で呼ぶことに、なにか意味があるの?
そのすべての疑問を吟味した結果、私はひとつを選択して口にした。
「正体が竜って、本当なの?」
唇に弧を描いた西河くんの頬に、えくぼがある。
彼は、あっさりと肯定した。
「本当だよ。証拠見せてあげる」
「証拠あるの!?」
「ほら、これ」
ポケットから取り出した小さな巾着袋を手渡される。手のひらに乗るくらいのそれは茶色のスエードで造られていた。
指で触れてみると、物が入っている感触が微かに返ってきた。私はそっと巾着袋の口を指先で解いて、中を覗き込む。
「これは……」
薄くて細長い、硝子の欠片のようなものがひとつだけ入っている。壊さないよう静かに手のひらに出してみると、その物体は陽の光を受けてきらりと煌めいた。七色に輝くそれは皮膜にも似ている。
「もしかして、竜の鱗?」
「そうだよ。俺の体の一部だね」
「へえ……」
鯉の鱗が、これに似た色の変化だったことを思い出す。けれど鯉とは比べものにならないほど、この鱗は大きい。私の親指の爪ほどもあるのだ。極上の輝きを纏う鱗は、本当に竜の鱗なのかもしれない。
「これが、西河くんの体にびっしり生えてるの?」
「いやいや、びっしりとか、そんなわけないよ。その一枚だけ、生まれたときから付いてたんだ」
生まれたときから、という言葉に私は思わず目線を上げる。
私の痣も、生まれたときからあった。
偶然だろうけれど、奇妙な縁だ。
「そうなんだ」
あっさりとした返事と共に、巾着袋に入れた鱗を返す。
これだけでは、竜という証拠にはならない気がした。正確に分析すれば、爪や歯の成分が固まって変化したものだとか、そういった結果が導き出されるのではないだろうか。
けれど西河くんは、自身が竜だと信じている。
私の痣や悪夢のような負の方向とは違い、むしろ自信を持てるようなことだから、それで良いと思う。
ところが西河くんは、テーブルに滑らせた巾着袋を押し返してきた。
「これは、相原さんが持ってて」
「え? だって、西河くんの大事なものなんだよね?」
竜という証明になるかはともかくとして、生まれたときに一枚だけあったというなら、へその緒と同様に大切なものだ。
西河くんは、ゆるく首を振る。
「俺が持っていても、あまり意味がなかったんだ」
どういうことだろう。
首を傾げる私に、彼は寂しげな微笑をむける。
「とりあえず、何日か預かってよ」
「……いいけど」
預かるだけなら、いいけれど。
西河くんには、この鱗を手許に置きたくない理由が何かあるのかもしれない。
同じクラスなので、返そうと思えばいつでも返せる。了承した私はカーディガンのポケットに巾着袋を仕舞った。
その日の夜、ベッドに仰向けになりながら、巾着袋から取り出した鱗を眺める。
部屋の明かりに透かされた鱗は七色に光り輝いていた。
これが、竜の鱗……?
メールの着信音が耳許で鳴ったので、起き上がった私は丁寧に巾着袋に鱗を仕舞う。壊れたら困るので、眺めるのはもうやめにしよう。
スマホを手にすると、メールの差出人は西河くんだった。件名はない。
『ありがとう』
その、ひと言だけだった。
今日は付き合ってくれてありがとうという意味だろうか。それとも……
「竜の鱗を預かってくれて、ありがとう……とか?」
そんなわけないよね。
なぜか深い意味を含んでいるような気がする『ありがとう』を、私はずっと眺めていた。
こちらこそ、ありがとうと返そうとして思い止まり、白紙の画面を見つめ続ける。
モールス信号と、図書館から借りてきた書籍は、その日は手つかずじまいになってしまった。
結局昨夜は、西河くんに返信できなかった。
預かった竜の鱗が入った巾着袋は、いつでも返せるようにスカートのポケットに入れてきた。
暗号の解読、竜神伝説、それから竜の鱗。彼は次々に、私に難題を与えてくる。
私は、竜の鱗の入った巾着袋だけでも返そうと思っていた。
こんな大切なもの、やはり預かれない。
早めに登校して、西河くんが教室に入るのを待っていたけれど、彼はなかなかやってこなかった。
左手をテーブルの下に隠したまま、右手でスプーンを使い、シャーベットを掬い上げる。
互いに黙々とシャーベットを口に運んでいく。冷たくて甘いのに、なぜか苦いものを伴って口の中で溶けていった。
そういえば、西河くんの名前を私は知らない。
クラスメイトも先生も、みんな西河くんを苗字で呼ぶ。名簿でちらりと目にしたことはあるけれど、なんだか難しい漢字で読み方がわからなかった。
でも、なんていう名前なのと訊ねてしまうと、名前で呼び合おうなんて提案されては困るので、やはり西河くんの名前は知らないままでいい。
西河くんは、ちらりと視線を上げた。
「わかった。ペナルティは保留にしよう」
「保留なんだ……」
彼は、私の名前を呼ぶことを諦めていない。
なんて強情なんだろう。
その心の声は、そのまま私に返ってきた。
「とりあえず、正解するかどうか判明してからにしよう」
彼の真摯な声音に、直感が脊髄を駆け巡る。
私はスプーンを持ったまま、西河くんの真剣な双眸を見返した。
これは単なる遊びのはずなのに、彼の中に多大な理由が存在するような片鱗を見出したから。
「……西河くんは……」
なんなの?
なんで、私に構うの?
私を名前で呼ぶことに、なにか意味があるの?
そのすべての疑問を吟味した結果、私はひとつを選択して口にした。
「正体が竜って、本当なの?」
唇に弧を描いた西河くんの頬に、えくぼがある。
彼は、あっさりと肯定した。
「本当だよ。証拠見せてあげる」
「証拠あるの!?」
「ほら、これ」
ポケットから取り出した小さな巾着袋を手渡される。手のひらに乗るくらいのそれは茶色のスエードで造られていた。
指で触れてみると、物が入っている感触が微かに返ってきた。私はそっと巾着袋の口を指先で解いて、中を覗き込む。
「これは……」
薄くて細長い、硝子の欠片のようなものがひとつだけ入っている。壊さないよう静かに手のひらに出してみると、その物体は陽の光を受けてきらりと煌めいた。七色に輝くそれは皮膜にも似ている。
「もしかして、竜の鱗?」
「そうだよ。俺の体の一部だね」
「へえ……」
鯉の鱗が、これに似た色の変化だったことを思い出す。けれど鯉とは比べものにならないほど、この鱗は大きい。私の親指の爪ほどもあるのだ。極上の輝きを纏う鱗は、本当に竜の鱗なのかもしれない。
「これが、西河くんの体にびっしり生えてるの?」
「いやいや、びっしりとか、そんなわけないよ。その一枚だけ、生まれたときから付いてたんだ」
生まれたときから、という言葉に私は思わず目線を上げる。
私の痣も、生まれたときからあった。
偶然だろうけれど、奇妙な縁だ。
「そうなんだ」
あっさりとした返事と共に、巾着袋に入れた鱗を返す。
これだけでは、竜という証拠にはならない気がした。正確に分析すれば、爪や歯の成分が固まって変化したものだとか、そういった結果が導き出されるのではないだろうか。
けれど西河くんは、自身が竜だと信じている。
私の痣や悪夢のような負の方向とは違い、むしろ自信を持てるようなことだから、それで良いと思う。
ところが西河くんは、テーブルに滑らせた巾着袋を押し返してきた。
「これは、相原さんが持ってて」
「え? だって、西河くんの大事なものなんだよね?」
竜という証明になるかはともかくとして、生まれたときに一枚だけあったというなら、へその緒と同様に大切なものだ。
西河くんは、ゆるく首を振る。
「俺が持っていても、あまり意味がなかったんだ」
どういうことだろう。
首を傾げる私に、彼は寂しげな微笑をむける。
「とりあえず、何日か預かってよ」
「……いいけど」
預かるだけなら、いいけれど。
西河くんには、この鱗を手許に置きたくない理由が何かあるのかもしれない。
同じクラスなので、返そうと思えばいつでも返せる。了承した私はカーディガンのポケットに巾着袋を仕舞った。
その日の夜、ベッドに仰向けになりながら、巾着袋から取り出した鱗を眺める。
部屋の明かりに透かされた鱗は七色に光り輝いていた。
これが、竜の鱗……?
メールの着信音が耳許で鳴ったので、起き上がった私は丁寧に巾着袋に鱗を仕舞う。壊れたら困るので、眺めるのはもうやめにしよう。
スマホを手にすると、メールの差出人は西河くんだった。件名はない。
『ありがとう』
その、ひと言だけだった。
今日は付き合ってくれてありがとうという意味だろうか。それとも……
「竜の鱗を預かってくれて、ありがとう……とか?」
そんなわけないよね。
なぜか深い意味を含んでいるような気がする『ありがとう』を、私はずっと眺めていた。
こちらこそ、ありがとうと返そうとして思い止まり、白紙の画面を見つめ続ける。
モールス信号と、図書館から借りてきた書籍は、その日は手つかずじまいになってしまった。
結局昨夜は、西河くんに返信できなかった。
預かった竜の鱗が入った巾着袋は、いつでも返せるようにスカートのポケットに入れてきた。
暗号の解読、竜神伝説、それから竜の鱗。彼は次々に、私に難題を与えてくる。
私は、竜の鱗の入った巾着袋だけでも返そうと思っていた。
こんな大切なもの、やはり預かれない。
早めに登校して、西河くんが教室に入るのを待っていたけれど、彼はなかなかやってこなかった。
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