また、恋をする

沖田弥子

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覚醒

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 私は必死になって外に呼びかけた。扉に体当たりを食らわせて脱出を試みる。
 何度も扉にぶつけた肩が痛い。こじ開けようと手をかけると、いつのまにか扉は焼き鏝のごとく熱されていた。

「あつ……っ」

 反射的に手を引けば、びりと指先が激しく痛んだ。噛み千切った人差し指から、どろりと血が流れ出る。火傷で皮膚が剥がれてしまったらしい。見ればぶつけた肩の着物も焦げかけている。
 息が、苦しい。喉が焼けつくような痛みを訴える。その瞬間、蔵の中がぶわりと暴力的な熱気に包まれた。
 格子窓から黒煙が這い寄り、辺りは瞬く間に漆黒に塗り潰された。蔵全体が火葬場の棺のように、焼け爛れようとしている。
 このまま蔵の中にいては、焼け死んでしまう。 
 私の足許から、ぞくりと悪寒が走り、背筋から脳天を一気に貫いた。
 私は、殺されるんだ。
 竜神へ捧げる生贄として。
 村に雨を降らせるために。
 那岐の嘆きを呼び起こさせるために。
 先程の男たちは、私を焼き殺すために準備をしていた。五平はそのことを知っていたから、あのような態度を取ったのだ。
 ぐわりと襲い来る熱風に、体の至るところがねじ曲げられる。皮膚も手足も顔の筋肉も、磨り潰されるような鋭い衝撃に歪んでいく。
 死の恐怖に直面した私の喉から、狂気的な叫びが迸る。

「うああああぁああっ、たすけて、あああぁあああ……」

 那岐。会いたい、会いたい。
 押し込んでいた想いが業火のように膨れ上がる。私は漆黒の煙が充満する蔵の中をあてもなく駆け回り、闇雲に宙を掻いた。
 でも、もう、会えない。
 その事実を突きつけられたとき、絶望した。
 信じていた。また必ず会えると。雨は降ると。
 那岐は約束してくれた。共に生きようと、紫陽花の前で誓った。婚姻の証として逆鱗を授けてくれた。
 けれど、もう二度と会えなかったのだ。
 喉が焼ける。あつい、いたい、あつい。
 咳き込もうとしても熱風が張り付いたように喉を灼いて、もはや息をすることすらままならない。黒煙が気道に入り込み、肺を塞ぎ、内臓を潰していく。

「な……ぎ……う、ぐぅ……」

 脳がぐらりと揺れた。何者かに激しく体の内側から蝕まれる感覚に、均衡を失う。
 私の体は鉄板のごとく熱された床に頽れた。
 着物に炎が燃え移る光景が目に映り、自分が焼かれているのだと気づいた。火の粉が降りかかり、皮膚を、髪を焼いていく。
 ふいに瞼の裏に、那岐の笑顔が浮かぶ。
 愛しいひとの、弾ける笑み。
 もう一度だけ、見たかった……。
 私はもう指一本動かせなかった。
 声も出ない。
 乾いた眼球は燃えさかる炎しか映さない。
 左手に握りしめている和紙に、火が燃え移る。
 燃やさないで。
 あと一文字。
 那岐に伝えさせて。
 蔵は業火に包まれる。破壊音がして、天井から屋根が崩れ落ちた。

「ニエ、ニエーッ!」

 那岐の声がする。幻聴だろうか。
 倒れた私の体を、崩れた天井から伸びた腕が掬い上げる。巨大な竜の黄金の双眸が、焼け焦げた私にむけられた。

「ニエ、すまない。死ぬな、すまない……」

 竜は何度も、すまない、そして死ぬなと繰り返していた。
 私の脳はとうに、考えることをやめてしまっていた。
 ただ残った眼球の欠片で、目の前の景色を最期に映し出しているだけ。
 雨が、降っていた。
 雨に煙る山間の村に、竜の咆吼が響き渡る。
 それは嘆きの叫びのようでもあり、最後の別れを告げているようでもあった。
 私の体を抱えた竜は、天を覆い尽くす雨雲にむけて高く飛び立つ。
 高く、高く、どこまでも。
 骨だけの私の手のひらから、灰となった和紙の切れ端がさらさらと零れ落ちた。
 それを雨が無情に濡らしていった。



「う……、げほっげほっ」

 肺いっぱいに息を吸い込み、ひどく噎せ返る。
 眼前には、書きかけのノートと数式の並んだ数学の教科書。 
 はあはあと荒い息をついた私は、多数の人の気配を感じて顔を上げた。
 クラス中の人間が、唖然としてこちらを見ていた。教科書を手にした先生が呆れ顔で問いかける。

「おい、相原。居眠りか。数学の授業はそんなに退屈か?」

 どっと、クラスが笑いの渦に包まれた。
 平穏な学校。和やかな人々。温い夏の空気。
 私の額から汗が滴り落ちる。
 ぽたりと、ノートに書いた数字に染みた。

「え……夢……?」

 授業中に居眠りをしていたらしい。
 竜神信仰の村。雨乞いの儀式。那岐と出会って竜神の社で過ごし、最後に生贄の私は、蔵の中で焼き殺された。
 あれらはすべて夢だったのだろうか。
 数十分の間に繰り広げられた、夢の中の出来事だというのか。
 おそるおそる、対極の席に座っている西河くんに目をむける。
 笑っているクラスメイトの中でただひとり、彼だけが平静な表情をして私を見ていた。 
 後ろの席の沙耶に心配げな声をかけられる。

「大丈夫? 保健室に行こうか?」
「……うん」

 沙耶が先生に了解を取ってくれたので、席を立って廊下へ出る。
 覚束ない足取りで、沙耶に支えられながら階段を下りた。
 窓の外に広がる蒼天と入道雲。蝉の鳴き声。陽射しは眩く照りつけている。
 唐突に思い出した私は、沙耶に詰め寄った。

「沙耶、逆鱗、どうなったの……!? 那岐に渡してくれたの!?」

 突然のことに驚いた沙耶は、呆気に取られていた。

「え? 何を渡すって? なんか頼まれてた?」
「逆鱗を……」

 説明しようとして、ふと自分の体を見下ろす。
 学校の制服を着ていた。
 制服のポケットに手を入れれば、スエードの生地が指先に触れる。
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