6 / 153
王宮へ
しおりを挟む
ラシードは双眸を細めてセナを眺めていたが、ふ、と口端に優雅な笑みを刻んだ。
「そうだな。懸命に尽くすがいい」
彼の眸の奥に、昏い焔が灯った気がした。
けれど気のせいだろう。トルキア国の王であるラシードに裏の顔などあるはずがない。
「はい。頑張ります」
明るく返事をしたセナの頭を、ラシードは優しく撫でてくれた。大きな温かい手のひらに、今までの生活で張り詰めていたものが溶かされていくようだ。
やがて馬車は衛士が佇む壮大な門をくぐる。眼前に現れた王宮は、地の果てまで続いているのかと思われるほど広大だった。
「うわあ……すごい」
整地されて植樹された庭園には、噴水が飛沫を上げている。白亜の宮殿は庭園の奥に壮麗さを湛えて佇んでいた。ずらりと並んだ窓にはすべて透かし彫りのトレーサリーが装飾されて、繊細な美しさを誇る。
王宮を初めて訪れたセナは感嘆の声を上げながら窓の外を眺めた。
「ここがすべてラシードさまのお屋敷ですか?」
「私の住んでいる宮殿は奥だけだ。手前に見えるのが執務を行う宮殿。それに議事場、催事場、諸外国の大使を迎えるための宮殿もある」
「本当に王様なんですね……」
僕はすごい御方に買われてしまった。
セナの胸は未だ驚きに満ちていて、実感がない。
「そなたは面白いことを言うな」
はっとして振り向くと、ラシードは可笑しそうに喉奥で笑っている。
王様に対して、本当に王様ですねだなんて大変無礼な言い方だ。
「も、申し訳ありません。ご無礼を……うわっ」
床に跪いて土下座しようとしたら、馬車が揺れて転倒しそうになる。傾いた体をラシードは難なく受け止めた。
「先ほども思ったが、なんという華奢な体だ。無茶をするな。そなたは私の腕の中にいれば良い」
「は、はい」
腕の中にきつく抱き込まれてしまい、頬が朱を刷いたように染まる。
誰かに抱きしめられるなんて、赤子のときに母が抱いてくれた以来だ。どうして奴隷のセナを大切にしてくれるのだろう。
王様ともなれば慈愛に溢れているということなのかもしれない。ラシードに何も他意はないらしく、平然として窓の外を指さし話を続けた。
「そしてあれが、イルハーム神を祀る神殿だ」
男の腕に抱かれながら目にした神殿は、ひときわ大きく、美しい。
宮殿と同じ白亜の大理石で造られ、繊細な彫刻が施されているのが遠目からも確認できる。
こんなに素晴らしい建造物は初めて見た。きっと内部には、セナが毎日掃除していたイルハーム神と同じお姿の像が祀られていることだろう。
けれど感動するセナの胸を一抹の悪い予感が過ぎる。
何だろう。この黒い靄のような、得体の知れないものは。
セナは首を振って、胸の裡の不安を追い払う。
あまりにも雲の上の御方に買われたので、幸せすぎて怖いからだろう。王であるラシードは王侯貴族が連なるアルファの頂点に立っている。オメガにとって、これ以上ない最高のご主人様だ。
「素晴らしい神殿ですね。僕は丘の上に祀られたイルハームさまの神像を毎日掃除していました。ここでも、お掃除させていただけますか?」
「いいだろう。そんな余裕があればの話だが」
「はい。ぜひ」
含みを持たせたラシードの言い方に首を捻るが、食堂の仕事をこなしていたのだから、掃除と掛け持ちすることは苦にならないはずだ。
長い路を馬車は駆けて、やがて王宮の一角に辿り着いた。降車すると、待機していた召使いが一斉に跪いて頭を下げる。
「お帰りなさいませ、我が王」
傅く人々にセナは怯えながら、ラシードの背後に隠れて大理石の階段を上る。召使いが開けてくれた重厚な扉をくぐると、宮殿の内部は壮麗なモザイク模様に彩られていた。麗しいアーチの円柱が森のように連なり、見上げた天井は遙か遠くに金色の蔓が装飾されている。
「わあ……すごい」
非日常の空間を目の当たりにして、先ほどから感嘆の声ばかり漏れてしまう。セナの知る古びた食堂や宿舎とは別世界だ。
前を行くラシードは無言で柱が連なる長い回廊を進んだ。セナはその後ろを、マントの裾を握りしめながら裸足で付いていく。最奥に位置している黄金の扉の前に辿り着くと、ここでも召使いたちが頭を下げて待っていた。その中のひとりは他の召使いたちとは異なり、水色のクーフィーヤを身につけている。男性が正装として頭に装着するクーフィーヤは様々な色がある。他の召使いは朱の小さな帽子なので、彼は王の側近だろうか。
「お帰りなさいませ、ラシードさま。その奴隷は……」
「下がれ、マルドゥク」
ラシードが命じると、マルドゥクと呼ばれた側近らしき男は口を噤んで後ずさる。だがセナが通り過ぎる間際、鋭い一瞥を投げてきた。ぎくりとしたが、彼は無言で身を翻した。奴隷の分際で王の傍に立つなど恐れ多いと言いたいのだろう。
「そうだな。懸命に尽くすがいい」
彼の眸の奥に、昏い焔が灯った気がした。
けれど気のせいだろう。トルキア国の王であるラシードに裏の顔などあるはずがない。
「はい。頑張ります」
明るく返事をしたセナの頭を、ラシードは優しく撫でてくれた。大きな温かい手のひらに、今までの生活で張り詰めていたものが溶かされていくようだ。
やがて馬車は衛士が佇む壮大な門をくぐる。眼前に現れた王宮は、地の果てまで続いているのかと思われるほど広大だった。
「うわあ……すごい」
整地されて植樹された庭園には、噴水が飛沫を上げている。白亜の宮殿は庭園の奥に壮麗さを湛えて佇んでいた。ずらりと並んだ窓にはすべて透かし彫りのトレーサリーが装飾されて、繊細な美しさを誇る。
王宮を初めて訪れたセナは感嘆の声を上げながら窓の外を眺めた。
「ここがすべてラシードさまのお屋敷ですか?」
「私の住んでいる宮殿は奥だけだ。手前に見えるのが執務を行う宮殿。それに議事場、催事場、諸外国の大使を迎えるための宮殿もある」
「本当に王様なんですね……」
僕はすごい御方に買われてしまった。
セナの胸は未だ驚きに満ちていて、実感がない。
「そなたは面白いことを言うな」
はっとして振り向くと、ラシードは可笑しそうに喉奥で笑っている。
王様に対して、本当に王様ですねだなんて大変無礼な言い方だ。
「も、申し訳ありません。ご無礼を……うわっ」
床に跪いて土下座しようとしたら、馬車が揺れて転倒しそうになる。傾いた体をラシードは難なく受け止めた。
「先ほども思ったが、なんという華奢な体だ。無茶をするな。そなたは私の腕の中にいれば良い」
「は、はい」
腕の中にきつく抱き込まれてしまい、頬が朱を刷いたように染まる。
誰かに抱きしめられるなんて、赤子のときに母が抱いてくれた以来だ。どうして奴隷のセナを大切にしてくれるのだろう。
王様ともなれば慈愛に溢れているということなのかもしれない。ラシードに何も他意はないらしく、平然として窓の外を指さし話を続けた。
「そしてあれが、イルハーム神を祀る神殿だ」
男の腕に抱かれながら目にした神殿は、ひときわ大きく、美しい。
宮殿と同じ白亜の大理石で造られ、繊細な彫刻が施されているのが遠目からも確認できる。
こんなに素晴らしい建造物は初めて見た。きっと内部には、セナが毎日掃除していたイルハーム神と同じお姿の像が祀られていることだろう。
けれど感動するセナの胸を一抹の悪い予感が過ぎる。
何だろう。この黒い靄のような、得体の知れないものは。
セナは首を振って、胸の裡の不安を追い払う。
あまりにも雲の上の御方に買われたので、幸せすぎて怖いからだろう。王であるラシードは王侯貴族が連なるアルファの頂点に立っている。オメガにとって、これ以上ない最高のご主人様だ。
「素晴らしい神殿ですね。僕は丘の上に祀られたイルハームさまの神像を毎日掃除していました。ここでも、お掃除させていただけますか?」
「いいだろう。そんな余裕があればの話だが」
「はい。ぜひ」
含みを持たせたラシードの言い方に首を捻るが、食堂の仕事をこなしていたのだから、掃除と掛け持ちすることは苦にならないはずだ。
長い路を馬車は駆けて、やがて王宮の一角に辿り着いた。降車すると、待機していた召使いが一斉に跪いて頭を下げる。
「お帰りなさいませ、我が王」
傅く人々にセナは怯えながら、ラシードの背後に隠れて大理石の階段を上る。召使いが開けてくれた重厚な扉をくぐると、宮殿の内部は壮麗なモザイク模様に彩られていた。麗しいアーチの円柱が森のように連なり、見上げた天井は遙か遠くに金色の蔓が装飾されている。
「わあ……すごい」
非日常の空間を目の当たりにして、先ほどから感嘆の声ばかり漏れてしまう。セナの知る古びた食堂や宿舎とは別世界だ。
前を行くラシードは無言で柱が連なる長い回廊を進んだ。セナはその後ろを、マントの裾を握りしめながら裸足で付いていく。最奥に位置している黄金の扉の前に辿り着くと、ここでも召使いたちが頭を下げて待っていた。その中のひとりは他の召使いたちとは異なり、水色のクーフィーヤを身につけている。男性が正装として頭に装着するクーフィーヤは様々な色がある。他の召使いは朱の小さな帽子なので、彼は王の側近だろうか。
「お帰りなさいませ、ラシードさま。その奴隷は……」
「下がれ、マルドゥク」
ラシードが命じると、マルドゥクと呼ばれた側近らしき男は口を噤んで後ずさる。だがセナが通り過ぎる間際、鋭い一瞥を投げてきた。ぎくりとしたが、彼は無言で身を翻した。奴隷の分際で王の傍に立つなど恐れ多いと言いたいのだろう。
60
あなたにおすすめの小説
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。
オメガ修道院〜破戒の繁殖城〜
トマトふぁ之助
BL
某国の最北端に位置する陸の孤島、エゼキエラ修道院。
そこは迫害を受けやすいオメガ性を持つ修道士を保護するための施設であった。修道士たちは互いに助け合いながら厳しい冬越えを行っていたが、ある夜の訪問者によってその平穏な生活は終焉を迎える。
聖なる家で嬲られる哀れな修道士たち。アルファ性の兵士のみで構成された王家の私設部隊が逃げ場のない極寒の城を蹂躙し尽くしていく。その裏に棲まうものの正体とは。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる