獣人王と番の寵妃

沖田弥子

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川の畔の再会 1

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 そうでなくても王へのお目通りが叶わず、皆は焦りを増している。不満から喧嘩に発展することも度々あり、騒ぎが発覚すればまた懲罰を食らうという負の連鎖だ。
 厨房に辿り着くと、すでに当番のひとたちで溢れていた。もう空いている作業台がない。

「うわあっ、あぶない……っと、ごめんな」

 転んだ振りをしてさりげなく身を割り込ませた黎は、天を手招いて食材と道具を渡した。
 要領の良い黎にはいつも助けられている。ふたりは素早く玉菜と人参を千切りにした。

「俺はバシリオさまが獣人王じゃないかと睨んでる。ほら、天が酒ぶちまけて怒らせた怖い獣人な」
「そうかもね……」

 実は妃候補たちは、王が誰なのか未だに知らない。
 獣人王という呼び名は通称で、王は代々アバスカルの名を冠している。正式にはアバスカル王だが、それは真名とは異なるという風習があった。獣人王の真名を訊ねることは不敬にあたるので、教育官に聞くわけにもいかない。王に対面したことのない妃候補たちは、予想しては誰に取り入るべきか窺っているのだった。
 もし黎の推測どおりバシリオが獣人王なら、天は永久に妃候補のままだろう。自分の犯した失態を思えば、後宮にいさせてもらえるだけありがたいというもの。追放されなかったのはエドが口添えしてくれたおかげだ。あれから一度もエドに会えないでいるが、彼はどうしているだろうか。
 ふとした瞬間に、腿を舐め上げた不埒な面差しが過ぎる。
 あんなことをされて、いやなはずなのに。
 思い返すたびになぜかぞくりと心が、身体が甘やかに疼いてしまうのだ。
 天はかぶりを振って調理に集中する。逐一思い出してしまうのは、借りた紗布を返せていないからだ。後宮に王の側近が立ち入ることは禁じられている。妃候補も無断で後宮を出ることは規律に反するので、宴のような機会でもなければエドに再会することは難しいだろう。
 あのような高価な紗布をいただけるわけがない。宮男を介して返却しても良いかもしれないが、できれば自らの手で返したかった。

「だってさ、あの怒気はやっぱり王じゃないと出せないよな。天には悪いけど、あのときかっこいいなぁって思ったもん」

 恍惚としながら呟く黎の包丁を握る手は止まっている。
 バシリオが獣人王だとしたら、エドは彼の傍に付き従っているのだろうか。
 火にかけた鍋の中身を菜箸で掻き混ぜながら、天は琥珀色の瞳を脳裏に思い浮かべていた。



 宮殿の清掃を終えて昼食を済ませたあとは、休憩の時間がもらえる。天は息抜きをしようと思い、川の畔へやってきた。
 王宮の庭園から伸びる蛇行した川はゆるりとした流れで、見る者の心を潤してくれる。緑豊かに生い茂る樫の木の根元に、腰を落ち着けるのに丁度良い平たい石を発見した。川辺は庭園や宮殿から離れた位置にあるのでひと気がなく、耳に届くのは川のせせらぎのみ。
 天は石に腰を下ろすと、深い溜息を吐いた。

「ふう……」

 忙しい日々の合間に束の間の休息を愉しむ。胸元に手を遣り、無意識に翡翠の欠片を握りしめた。この宝石に触れていると頑張れる気がするからだ。

「先客がいたようだな」

 覚えのある低い声音が響き、驚いて腰を浮かせる。樫の枝振りから顔を出したエドは、楽しげに琥珀色の双眸を細めていた。途端に鼓動が跳ね上がる。

「エド! すみませんでした。僕はもう休みましたから」

 ここは彼の秘密の休憩所だったのだ。誰も来ないだろうと思っていたのだが、まさか王の側近であるエドが訪れるとは予期しなかった。川は後宮の敷地と朝廷を隔てているので、この場所は境目の領域である。
慌てて去ろうとしたら、腕を取られて引き戻されてしまう。

「おや。私の顔を見て逃げ出すとは傷つくな」
「逃げるだなんて、そんなことありません。あの、紗布をお返ししなければと思っていたので」

 突然会えたことに驚いて、思わず逃げるような真似をしてしまった己の行動を恥じ入る。けれどエドは不愉快に思うどころか引き止めてくれたので、天は落ち着いて彼と向き合えた。
 そうすると当然、紗布のことを言い出さなくてはならない。
 実は紗布についてはあまり言いたくはなかった。返してしまえば、それでエドとの繋がりもなくなってしまうのではないかと危惧していたから。
 だが借りたものは返さなくてはならない。エドが引き止めたのも、きっと紗布を返却してほしいという理由に他ならないのだから。
 エドはゆるりと首を振った。天を平たい石に座るよう促し、自身はその隣の芝生に腰を下ろす。

「あれは、返さなくて良い。天にあげたのだ。君のものだ」
「そんな。あのような高価な品物はいただけません」
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