3 / 56
三話
しおりを挟む
顧客の案件で起こったトラブル処理や、地方に新規オープンする予定の施設への問い合わせの電話対応などに追われた。
担当として抱えている顧客への対応に加えて、新規客の担当も割り振られるので、契約と入居がスムーズに進まないと案件を大量に抱えてしまうことになる。さらに新規オープンの施設があると、それに対する問い合わせも増加するので、昼休みもそこそこに、一日中来客や電話への対応をしている日もある。
そんなとき、電話の合間に紗英がパソコンで顧客名簿をチェックしていると、課長のデスクから女性の猫撫で声が響いてきた。
「桐島課長、ちょっとわからないところがあるので教えてほしいんですけどぉ」
同期の木村美由紀だ。
彼女も悠司を狙っている女性社員のひとりである。
紗英は混ざらないが、給湯室の女性社員たちとの会話で「桐島課長と付き合うのは私よ!」と高らかに宣言していたのを耳にしたことがある。男性の前では控えめな態度なのだが、中身はかなりの自信家らしい。
もっとも木村ほどの美人なら、男性だったら誰でも彼女にしたいと思うだろう。
すらりとしたスタイルで肌が白く、ロングの髪はさらさら。整った顔立ちは洗練されている印象を受ける。連れて歩いたら自慢できる彼女という感じだ。
なにもかも平均的で美人でもなく、甘えることも知らない紗英とは違う。
きっと悠司も快く木村に対応するに違いない。
私のときみたいに、少しだけ肌に触れたりとかするのかな……?
そう思うと、ふいにマウスを握る手に力がこもった。
黒い澱が溜まったかのように、胸が痞える。
手で胸を押さえて、こっそり呼吸を整えていると、悠司の厳しい声音が聞こえた。
「木村さん。この契約書の件は以前も説明したはずだ。メモは取っていないのか」
「そうなんですぅ。忘れたので、もう一度説明してください」
嘆息を零した悠司は、眉根を寄せて書類を返した。
「一度聞いてもわからないのなら、俺ではなく、チームリーダーに確認したまえ。それが筋というものだ」
それきり木村を見ようともせず、悠司はパソコンに向かった。
唇を尖らせた木村は不服そうに書類を握りしめてデスクに戻る。
目の端でその様子を見ていた紗英は、なぜか安堵した。
もし彼が鼻の下を伸ばしつつ木村に丁寧に説明して、あげくボディタッチをしていたなら、ひどく落胆しただろう。
な、なんで私、安心してるの……?
悠司が誰にどういった対応をしようが、紗英に関係ないはずなのに。
いつもは紳士的な悠司だが、仕事には厳しい一面がある。彼の態度は適切なものだ。
そういえば彼は木村に限らず、ほかの社員に対しては距離を置いている。近づいてきて意地悪な接触や質問をするのは、紗英にだけだ。
まさか、私に気があるとか……?
そんなわけはない。
紗英はかぶりを振った。
美人でも可愛くもない凡庸な自分が、悠司のようなイケメンの御曹司に惚れられるなんて奇跡があるわけないのだ。
しかも、クズ男に浮気されてフラれたばかりの惨めな女である。
紗英は雑念を振りきると、デスクに鳴り響いた電話の受話器を取った。
とびきりの美声でお客様に対応する。
「はい、お電話ありがとうございます。株式会社ベストシニアライフでございます」
施設への入居を考えているという、ひとり暮らしの高齢者からの電話だった。
独居老人は寂しい人が多いので、話が長くなりがちであるが、紗英は懇切丁寧に聞き取りを行っている。メモを取りながら、親しい友人のような雰囲気で話を聞いた。
「そうなんですか。おひとりなのに風邪を引いたら、すごく心細くなりますよね。私もひとり暮らしなので、よくわかります。――はいはい、息子さんが近くにお住まいなんですね。それで――」
電話相談の末、パンフレットを送付するために住所と名前を聞くことはできたが、今は体が動くので、すぐに入居したいという状態ではないことがわかった。
電話を終えた紗英は顧客情報をパソコンに打ち込む。
こういった将来への漠然とした不安から介護施設の会社へ相談する人は少なくない。
結局は契約に結びつかないことも多いのだが、どこで縁がつながるかわからないので、紗英は暇つぶしのような電話にも丁寧に付き合っている。
お客様は終の棲家として、介護施設を考慮に入れているので、親身になって話を聞くのは当然のことだ。
パソコンを眺めていた紗英は独りごちた。
「そういえば、この方もひとり暮らしで足が悪いって言ってたけど、どうなったのかな……。近況を聞いてみよう」
再び受話器を取って番号をプッシュする紗英を、少し離れた課長のデスクから、目を細めた悠司が見守っていた。
やがて終業時刻になり、社員は次々に退勤していく。
今日も忙しかったが、残業をするほどではないのが幸いだ。男性社員たちは飲みに行く相談をしていた。本日は金曜日なので、社員たちの顔は明るい。
それに反して、紗英の気分は下降していた。
担当として抱えている顧客への対応に加えて、新規客の担当も割り振られるので、契約と入居がスムーズに進まないと案件を大量に抱えてしまうことになる。さらに新規オープンの施設があると、それに対する問い合わせも増加するので、昼休みもそこそこに、一日中来客や電話への対応をしている日もある。
そんなとき、電話の合間に紗英がパソコンで顧客名簿をチェックしていると、課長のデスクから女性の猫撫で声が響いてきた。
「桐島課長、ちょっとわからないところがあるので教えてほしいんですけどぉ」
同期の木村美由紀だ。
彼女も悠司を狙っている女性社員のひとりである。
紗英は混ざらないが、給湯室の女性社員たちとの会話で「桐島課長と付き合うのは私よ!」と高らかに宣言していたのを耳にしたことがある。男性の前では控えめな態度なのだが、中身はかなりの自信家らしい。
もっとも木村ほどの美人なら、男性だったら誰でも彼女にしたいと思うだろう。
すらりとしたスタイルで肌が白く、ロングの髪はさらさら。整った顔立ちは洗練されている印象を受ける。連れて歩いたら自慢できる彼女という感じだ。
なにもかも平均的で美人でもなく、甘えることも知らない紗英とは違う。
きっと悠司も快く木村に対応するに違いない。
私のときみたいに、少しだけ肌に触れたりとかするのかな……?
そう思うと、ふいにマウスを握る手に力がこもった。
黒い澱が溜まったかのように、胸が痞える。
手で胸を押さえて、こっそり呼吸を整えていると、悠司の厳しい声音が聞こえた。
「木村さん。この契約書の件は以前も説明したはずだ。メモは取っていないのか」
「そうなんですぅ。忘れたので、もう一度説明してください」
嘆息を零した悠司は、眉根を寄せて書類を返した。
「一度聞いてもわからないのなら、俺ではなく、チームリーダーに確認したまえ。それが筋というものだ」
それきり木村を見ようともせず、悠司はパソコンに向かった。
唇を尖らせた木村は不服そうに書類を握りしめてデスクに戻る。
目の端でその様子を見ていた紗英は、なぜか安堵した。
もし彼が鼻の下を伸ばしつつ木村に丁寧に説明して、あげくボディタッチをしていたなら、ひどく落胆しただろう。
な、なんで私、安心してるの……?
悠司が誰にどういった対応をしようが、紗英に関係ないはずなのに。
いつもは紳士的な悠司だが、仕事には厳しい一面がある。彼の態度は適切なものだ。
そういえば彼は木村に限らず、ほかの社員に対しては距離を置いている。近づいてきて意地悪な接触や質問をするのは、紗英にだけだ。
まさか、私に気があるとか……?
そんなわけはない。
紗英はかぶりを振った。
美人でも可愛くもない凡庸な自分が、悠司のようなイケメンの御曹司に惚れられるなんて奇跡があるわけないのだ。
しかも、クズ男に浮気されてフラれたばかりの惨めな女である。
紗英は雑念を振りきると、デスクに鳴り響いた電話の受話器を取った。
とびきりの美声でお客様に対応する。
「はい、お電話ありがとうございます。株式会社ベストシニアライフでございます」
施設への入居を考えているという、ひとり暮らしの高齢者からの電話だった。
独居老人は寂しい人が多いので、話が長くなりがちであるが、紗英は懇切丁寧に聞き取りを行っている。メモを取りながら、親しい友人のような雰囲気で話を聞いた。
「そうなんですか。おひとりなのに風邪を引いたら、すごく心細くなりますよね。私もひとり暮らしなので、よくわかります。――はいはい、息子さんが近くにお住まいなんですね。それで――」
電話相談の末、パンフレットを送付するために住所と名前を聞くことはできたが、今は体が動くので、すぐに入居したいという状態ではないことがわかった。
電話を終えた紗英は顧客情報をパソコンに打ち込む。
こういった将来への漠然とした不安から介護施設の会社へ相談する人は少なくない。
結局は契約に結びつかないことも多いのだが、どこで縁がつながるかわからないので、紗英は暇つぶしのような電話にも丁寧に付き合っている。
お客様は終の棲家として、介護施設を考慮に入れているので、親身になって話を聞くのは当然のことだ。
パソコンを眺めていた紗英は独りごちた。
「そういえば、この方もひとり暮らしで足が悪いって言ってたけど、どうなったのかな……。近況を聞いてみよう」
再び受話器を取って番号をプッシュする紗英を、少し離れた課長のデスクから、目を細めた悠司が見守っていた。
やがて終業時刻になり、社員は次々に退勤していく。
今日も忙しかったが、残業をするほどではないのが幸いだ。男性社員たちは飲みに行く相談をしていた。本日は金曜日なので、社員たちの顔は明るい。
それに反して、紗英の気分は下降していた。
4
あなたにおすすめの小説
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
羽柴弁護士の愛はいろいろと重すぎるので返品したい。
泉野あおい
恋愛
人の気持ちに重い軽いがあるなんて変だと思ってた。
でも今、確かに思ってる。
―――この愛は、重い。
------------------------------------------
羽柴健人(30)
羽柴法律事務所所長 鳳凰グループ法律顧問
座右の銘『危ない橋ほど渡りたい。』
好き:柊みゆ
嫌い:褒められること
×
柊 みゆ(28)
弱小飲料メーカー→鳳凰グループ・ホウオウ総務部
座右の銘『石橋は叩いて渡りたい。』
好き:走ること
苦手:羽柴健人
------------------------------------------
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される
絵麻
恋愛
桐島花は父が病没後、継母義妹に虐げられて、使用人同然の生活を送っていた。
父の財産も尽きかけた頃、義妹に縁談が舞い込むが継母は花を嫁がせた。
理由は多額の結納金を手に入れるため。
相手は二十五歳も歳上の、海軍の大佐だという。
放り出すように、嫁がされた花を待っていたものは。
地味で冴えないと卑下された日々、花の真の力が時東邸で活かされる。
Melty romance 〜甘S彼氏の執着愛〜
yuzu
恋愛
人数合わせで強引に参加させられた合コンに現れたのは、高校生の頃に少しだけ付き合って別れた元カレの佐野充希。適当にその場をやり過ごして帰るつもりだった堀沢真乃は充希に捕まりキスされて……
「オレを好きになるまで離してやんない。」
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる