13 / 56
十三話
しおりを挟む
あのベッドは、元カレと浮気相手が致したままではないか。だからその夜は床で寝たというのに、処理するのをすっかり忘れていた。
「なんで私、忘れてたの⁉ シーツと布団を洗濯しないと!」
紗英は慌ててベッドから布団とシーツを剥がした。
先ほどはベッドでごろごろと転がり、悠司との一夜を思い出して悶々としてしまった。
あまりにも昨夜のラグジュアリーホテルでの出来事が濃密で、非日常の世界に浸りきったので、浮気のことなどすっかり忘れていたのだ。
ゴゥンゴゥンと洗濯機が回る音を聞きながら、紗英は悠司の優しい眼差しを思い出す。
彼が触れた体の至るところが、まだ熱を持っているようだ。
「そういえば、悠司さんは勝負しようだとかバーで言ってたけど……。あれってどういうことなのかな。酔ってたから、よくわからなかったな……」
ぼんやりと、彼との優雅で満ち足りた時間を思い出す。
豪奢なレストランに天空のバーでの煌めく夜景、そしてベッドでの情熱的な悠司のキスとセックス……すべてが最高だった。
けれどすぐに、月曜日にどんな顔をして悠司に会えばいいのかという問題に直面して、紗英は頭を悩ませるのだった。
明けて、月曜日――。
早めに出社した紗英は、誰もいないフロアに入り、自分のデスクに着いた。
もしもエレベーターで悠司と鉢合わせたら非常に気まずいので、早めに来たのである。
予想通り、課長のデスクはまだ無人だ。
紗英がパソコンを立ち上げてメールチェックしていると、次々に社員が出社してくる。その中に悠司の姿を目の端で見つけるが、パソコンに集中しているふりをしてやり過ごした。
だが、悠司はあえて紗英のデスクに近づいてくる。
「おはよう、海東さん」
「あ、お、おはようございます。ゆ――桐島課長」
悠司さん、と言いそうになり、内心で焦る。
にやりと口端を引き上げた悠司は、ぽんと紗英の頭を撫でるように手を置く。
どきりとしたが、彼の手はすぐに離れていった。
それでいいはずなのに、なんとなく寂しく思ってしまったのはなぜだろう。
紗英は自分の頭に手をやり、悠司が触れた感触を確かめた。
だが、こちらをじっと見ている木村に気づき、はっとして手を下ろす。
いけない。仕事に集中しないと――。
悠司とは一夜限りの火遊びなのだから、これ以上なにかあるわけもない。彼からなにか言ってくるはずもない。これでいいのだ。忘れようと、自分で決めたのだから。
ホテルの部屋から黙って出てきたことを、悠司はなにも言わなかった。
それでいいのだ。悠司のほうも、なかったこととして処理しているのだろう。
紗英は雑念を追い払い、仕事に没頭した。
昼過ぎに経理課に届ける書類があったので、席を立つ。
書類を持ってフロアを出る。廊下を渡り、角を曲がるとエレベーターホールだ。
だが、ホールに辿り着く直前に、伸びてきた長い腕に行く手を遮られる。
「えっ……⁉」
驚いて振り向くと、そこには悠司がいた。
彼は獲物を捕らえた猛禽類のごとく、炯々と目を光らせている。
「ヤリ逃げはひどいな」
「ヤ、ヤリ……そんなつもりじゃ……」
彼の腕の檻に閉じ込められ、壁に背をつけた紗英は困惑する。
ホテルの部屋から逃げたのは確かだが、ふたりは恋人でもなんでもない。上司と寝てしまった事実に混乱した紗英は、あれ以上、その場にいられなかった。
キスしそうなほど顔を近づけた悠司は、真摯な表情で問い質す。
「じゃあ、どういうつもりだったんだ?」
「……あの、そのことはなかったことにするのでは……?」
そう言うと、悠司は眉をひそめる。
「なかったことにはできないよ。きみは俺に抱かれた。俺に好意があったから、抱かれたんじゃないのか?」
「ちょっ……待ってください! 会社なので……」
廊下には誰もいないとはいえ、社内で堂々とそんなことを発言されては困る。
慌てる紗英に対して、悠司はいっさい動揺しなかった。
「紗英は、なかったことにしたいの?」
「……そういうことですよね? 私たちは一夜限りの関係ですし……」
そのとき、廊下に足音が響いてきた。
はっとした紗英は思わず、手にしていた書類を悠司に押しつける。
「課長、こちらが先ほどお話しした書類になります」
「ああ……ありがとう」
悠司は書類を受け取るふりをしたが、壁についた手は下ろさない。
だが通り過ぎた男性社員は急いでいるようで、こちらを見ることなく、エレベーターホールへ向かっていった。
ふう、と息をついた紗英は書類を腕に抱える。
ここで込み入った話をするわけにはいかない。
それなのに悠司は腕の檻から紗英を解放しようとしない。
この肉食御曹司をどうにかして説得しなければならなかった。
「先日のことですが、この場で話す内容ではないので、場所を変えたいです」
「なんで私、忘れてたの⁉ シーツと布団を洗濯しないと!」
紗英は慌ててベッドから布団とシーツを剥がした。
先ほどはベッドでごろごろと転がり、悠司との一夜を思い出して悶々としてしまった。
あまりにも昨夜のラグジュアリーホテルでの出来事が濃密で、非日常の世界に浸りきったので、浮気のことなどすっかり忘れていたのだ。
ゴゥンゴゥンと洗濯機が回る音を聞きながら、紗英は悠司の優しい眼差しを思い出す。
彼が触れた体の至るところが、まだ熱を持っているようだ。
「そういえば、悠司さんは勝負しようだとかバーで言ってたけど……。あれってどういうことなのかな。酔ってたから、よくわからなかったな……」
ぼんやりと、彼との優雅で満ち足りた時間を思い出す。
豪奢なレストランに天空のバーでの煌めく夜景、そしてベッドでの情熱的な悠司のキスとセックス……すべてが最高だった。
けれどすぐに、月曜日にどんな顔をして悠司に会えばいいのかという問題に直面して、紗英は頭を悩ませるのだった。
明けて、月曜日――。
早めに出社した紗英は、誰もいないフロアに入り、自分のデスクに着いた。
もしもエレベーターで悠司と鉢合わせたら非常に気まずいので、早めに来たのである。
予想通り、課長のデスクはまだ無人だ。
紗英がパソコンを立ち上げてメールチェックしていると、次々に社員が出社してくる。その中に悠司の姿を目の端で見つけるが、パソコンに集中しているふりをしてやり過ごした。
だが、悠司はあえて紗英のデスクに近づいてくる。
「おはよう、海東さん」
「あ、お、おはようございます。ゆ――桐島課長」
悠司さん、と言いそうになり、内心で焦る。
にやりと口端を引き上げた悠司は、ぽんと紗英の頭を撫でるように手を置く。
どきりとしたが、彼の手はすぐに離れていった。
それでいいはずなのに、なんとなく寂しく思ってしまったのはなぜだろう。
紗英は自分の頭に手をやり、悠司が触れた感触を確かめた。
だが、こちらをじっと見ている木村に気づき、はっとして手を下ろす。
いけない。仕事に集中しないと――。
悠司とは一夜限りの火遊びなのだから、これ以上なにかあるわけもない。彼からなにか言ってくるはずもない。これでいいのだ。忘れようと、自分で決めたのだから。
ホテルの部屋から黙って出てきたことを、悠司はなにも言わなかった。
それでいいのだ。悠司のほうも、なかったこととして処理しているのだろう。
紗英は雑念を追い払い、仕事に没頭した。
昼過ぎに経理課に届ける書類があったので、席を立つ。
書類を持ってフロアを出る。廊下を渡り、角を曲がるとエレベーターホールだ。
だが、ホールに辿り着く直前に、伸びてきた長い腕に行く手を遮られる。
「えっ……⁉」
驚いて振り向くと、そこには悠司がいた。
彼は獲物を捕らえた猛禽類のごとく、炯々と目を光らせている。
「ヤリ逃げはひどいな」
「ヤ、ヤリ……そんなつもりじゃ……」
彼の腕の檻に閉じ込められ、壁に背をつけた紗英は困惑する。
ホテルの部屋から逃げたのは確かだが、ふたりは恋人でもなんでもない。上司と寝てしまった事実に混乱した紗英は、あれ以上、その場にいられなかった。
キスしそうなほど顔を近づけた悠司は、真摯な表情で問い質す。
「じゃあ、どういうつもりだったんだ?」
「……あの、そのことはなかったことにするのでは……?」
そう言うと、悠司は眉をひそめる。
「なかったことにはできないよ。きみは俺に抱かれた。俺に好意があったから、抱かれたんじゃないのか?」
「ちょっ……待ってください! 会社なので……」
廊下には誰もいないとはいえ、社内で堂々とそんなことを発言されては困る。
慌てる紗英に対して、悠司はいっさい動揺しなかった。
「紗英は、なかったことにしたいの?」
「……そういうことですよね? 私たちは一夜限りの関係ですし……」
そのとき、廊下に足音が響いてきた。
はっとした紗英は思わず、手にしていた書類を悠司に押しつける。
「課長、こちらが先ほどお話しした書類になります」
「ああ……ありがとう」
悠司は書類を受け取るふりをしたが、壁についた手は下ろさない。
だが通り過ぎた男性社員は急いでいるようで、こちらを見ることなく、エレベーターホールへ向かっていった。
ふう、と息をついた紗英は書類を腕に抱える。
ここで込み入った話をするわけにはいかない。
それなのに悠司は腕の檻から紗英を解放しようとしない。
この肉食御曹司をどうにかして説得しなければならなかった。
「先日のことですが、この場で話す内容ではないので、場所を変えたいです」
4
あなたにおすすめの小説
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
羽柴弁護士の愛はいろいろと重すぎるので返品したい。
泉野あおい
恋愛
人の気持ちに重い軽いがあるなんて変だと思ってた。
でも今、確かに思ってる。
―――この愛は、重い。
------------------------------------------
羽柴健人(30)
羽柴法律事務所所長 鳳凰グループ法律顧問
座右の銘『危ない橋ほど渡りたい。』
好き:柊みゆ
嫌い:褒められること
×
柊 みゆ(28)
弱小飲料メーカー→鳳凰グループ・ホウオウ総務部
座右の銘『石橋は叩いて渡りたい。』
好き:走ること
苦手:羽柴健人
------------------------------------------
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される
絵麻
恋愛
桐島花は父が病没後、継母義妹に虐げられて、使用人同然の生活を送っていた。
父の財産も尽きかけた頃、義妹に縁談が舞い込むが継母は花を嫁がせた。
理由は多額の結納金を手に入れるため。
相手は二十五歳も歳上の、海軍の大佐だという。
放り出すように、嫁がされた花を待っていたものは。
地味で冴えないと卑下された日々、花の真の力が時東邸で活かされる。
Melty romance 〜甘S彼氏の執着愛〜
yuzu
恋愛
人数合わせで強引に参加させられた合コンに現れたのは、高校生の頃に少しだけ付き合って別れた元カレの佐野充希。適当にその場をやり過ごして帰るつもりだった堀沢真乃は充希に捕まりキスされて……
「オレを好きになるまで離してやんない。」
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる