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四十八話
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まだそんな心の整理はつかないのだけれど。
紗英は慟哭を押し殺し、静かにロッカールームで涙を流した。
やがて涙を拭いてロッカールームから出た紗英は、営業部のフロアに戻った。
泣いていたことがバレては困るので、うつむきながら自分のデスクに着く。
ややあって、叔父との話が終わったらしい悠司が戻ってきた。
デスクに着いた彼は、さっそく紗英を呼ぶ。
「海東さん、ちょっといいかな」
「は、はい」
平静を装い、悠司のデスクに向かった。鼓動は嫌なふうに脈打っているが、まさかほかの社員がいる前で、「見合いするから、きみとは別れる」なんて言うわけがない。
だが社員たちには、ふたりが恋人であると知られているので、フロアは奇妙な静寂に包まれていた。社内恋愛しているのに、なにも知らない叔父が見合い話を持ち込んできたのだ。
もしや揉め事に発展するのでは……という、ひりついた空気がフロアに漂っているような気がする。
「……なにかご用でしょうか」
悠司の前で、うつむいた紗英は掠れた声で訊ねた。
彼女の頬に涙の痕を見つけた悠司は、眉をひそめる。
だが、泣いたのかなんて、彼が聞けるわけがなかった。
「叔父は関連会社の役員だから、気軽に訪問してきたんだ。だが就業時間中には来るなと釘を刺しておいたから、今後はお茶汲みを頼むことはない。安心してくれ」
「いえ……来客にお茶を出すのは当然の仕事ですから……」
悠司は、叔父が紗英にお茶汲みを命じたことについて、説明した。
もっとほかに説明してほしいことがあるのだけれど。
お見合いするんですか?
私とは別れるの?
そもそも本物の恋人ではなかったから、別れるという言葉すらいらないの?
――と、喉元まで出かかっている数々の言葉を、紗英は呑み込む。
悠司は冷静に紗英を見つめると、平静な声で言った。
「あとで話がある」
「かしこまりました」
まるで仕事の話があるのだと捉えられる印象の平淡さだ。
悠司には、とても紗英との関係について話そうという意思はないのだと思えた。
紗英は心を殺してデスクに戻り、業務を続けた。
承諾したものの、紗英は話し合いをするべきか迷っていた。
俺たちの関係はこれで終わりだ、なんて言われたら、冷静さを保てる自信がない。もしかしたら彼を罵倒したり、縋りついて滲めな姿を見せてしまうかもしれない。
紗英には気持ちを整理する時間が必要だった。
だが終業時刻間際になって、悠司に電話があった。相手は先ほどの叔父のようだ。
「困りますよ、叔父さん。――え、今日ですか? 今日は空いてません。――いえ、だからこちらにも都合が……」
悠司は困り果てているようだが、どうやら叔父が、見合い相手との顔合わせを行いたいだとか言っているのではないだろうか。
やっぱり、私は悠司さんに優先されるような女じゃない……
そう悟った紗英は、逃げるようにフロアから出た。
フロアを出ていく紗英を見咎めた悠司は立ち上がろうとしたが、電話の相手が話しているため、受話器を置けない。
それでいいのだと、紗英は切ない胸のうちを抱えて、会社を出た。
だけど、今から悠司が令嬢と顔合わせをするのに、自分はアパートでひとり泣き崩れるなんて、あまりにも惨めだった。
なにかよすがになるものを、紗英は欲した。それに気分転換もしたい。
「そういえば、紅茶のポットと茶葉を買おうって約束してたわね……」
もう叶うことはないけれど、悠司のマンションにお泊まりしたとき、今度は紅茶のポットと茶葉を一緒にデパートで買おうと話したことを思い出す。
紗英はデパートの方角へ足を向けた。
買い物でもすれば、多少は気が紛れるかもしれない。
有名な老舗デパートは煌びやかな売り場が並び、買い物客たちは幸せそうに微笑んでいる。
紗英は顔が歪まないよう、手で頬を揉んだ。
この幸せな空間に馴染まなければならないから。
エスカレーターで地下一階へ降りると、専門店街の一角に紅茶を扱う店があった。
そこには可愛らしいデザインの缶に入ったオリジナルの茶葉や、紅茶の関連グッズが綺麗にディスプレイされている。
おしゃれな店内は見ているだけで癒やされた。ふたりで来るはずだったけれど……ということは、考えないようにした。
紗英は赤いティーポットと、茶葉の缶をいくつかカゴに入れた。
レジに行こうとしたとき、ふと棚にペアのマグカップが並んでいるのが目にとまる。
「あ……そうだ。マグカップ……」
おそろいのマグカップも欲しい、なんて悠司は言っていたことを思い出す。
そのマグカップは、身を乗り出した猫がキスをしているデザインだった。ふたつ合わせれば、二匹の猫のキスが完成するという構図だ。これは一個だけ買っても寂しいだろう。
紗英は悩んだ末、ふたつのマグカップをカゴに入れた。
紗英は慟哭を押し殺し、静かにロッカールームで涙を流した。
やがて涙を拭いてロッカールームから出た紗英は、営業部のフロアに戻った。
泣いていたことがバレては困るので、うつむきながら自分のデスクに着く。
ややあって、叔父との話が終わったらしい悠司が戻ってきた。
デスクに着いた彼は、さっそく紗英を呼ぶ。
「海東さん、ちょっといいかな」
「は、はい」
平静を装い、悠司のデスクに向かった。鼓動は嫌なふうに脈打っているが、まさかほかの社員がいる前で、「見合いするから、きみとは別れる」なんて言うわけがない。
だが社員たちには、ふたりが恋人であると知られているので、フロアは奇妙な静寂に包まれていた。社内恋愛しているのに、なにも知らない叔父が見合い話を持ち込んできたのだ。
もしや揉め事に発展するのでは……という、ひりついた空気がフロアに漂っているような気がする。
「……なにかご用でしょうか」
悠司の前で、うつむいた紗英は掠れた声で訊ねた。
彼女の頬に涙の痕を見つけた悠司は、眉をひそめる。
だが、泣いたのかなんて、彼が聞けるわけがなかった。
「叔父は関連会社の役員だから、気軽に訪問してきたんだ。だが就業時間中には来るなと釘を刺しておいたから、今後はお茶汲みを頼むことはない。安心してくれ」
「いえ……来客にお茶を出すのは当然の仕事ですから……」
悠司は、叔父が紗英にお茶汲みを命じたことについて、説明した。
もっとほかに説明してほしいことがあるのだけれど。
お見合いするんですか?
私とは別れるの?
そもそも本物の恋人ではなかったから、別れるという言葉すらいらないの?
――と、喉元まで出かかっている数々の言葉を、紗英は呑み込む。
悠司は冷静に紗英を見つめると、平静な声で言った。
「あとで話がある」
「かしこまりました」
まるで仕事の話があるのだと捉えられる印象の平淡さだ。
悠司には、とても紗英との関係について話そうという意思はないのだと思えた。
紗英は心を殺してデスクに戻り、業務を続けた。
承諾したものの、紗英は話し合いをするべきか迷っていた。
俺たちの関係はこれで終わりだ、なんて言われたら、冷静さを保てる自信がない。もしかしたら彼を罵倒したり、縋りついて滲めな姿を見せてしまうかもしれない。
紗英には気持ちを整理する時間が必要だった。
だが終業時刻間際になって、悠司に電話があった。相手は先ほどの叔父のようだ。
「困りますよ、叔父さん。――え、今日ですか? 今日は空いてません。――いえ、だからこちらにも都合が……」
悠司は困り果てているようだが、どうやら叔父が、見合い相手との顔合わせを行いたいだとか言っているのではないだろうか。
やっぱり、私は悠司さんに優先されるような女じゃない……
そう悟った紗英は、逃げるようにフロアから出た。
フロアを出ていく紗英を見咎めた悠司は立ち上がろうとしたが、電話の相手が話しているため、受話器を置けない。
それでいいのだと、紗英は切ない胸のうちを抱えて、会社を出た。
だけど、今から悠司が令嬢と顔合わせをするのに、自分はアパートでひとり泣き崩れるなんて、あまりにも惨めだった。
なにかよすがになるものを、紗英は欲した。それに気分転換もしたい。
「そういえば、紅茶のポットと茶葉を買おうって約束してたわね……」
もう叶うことはないけれど、悠司のマンションにお泊まりしたとき、今度は紅茶のポットと茶葉を一緒にデパートで買おうと話したことを思い出す。
紗英はデパートの方角へ足を向けた。
買い物でもすれば、多少は気が紛れるかもしれない。
有名な老舗デパートは煌びやかな売り場が並び、買い物客たちは幸せそうに微笑んでいる。
紗英は顔が歪まないよう、手で頬を揉んだ。
この幸せな空間に馴染まなければならないから。
エスカレーターで地下一階へ降りると、専門店街の一角に紅茶を扱う店があった。
そこには可愛らしいデザインの缶に入ったオリジナルの茶葉や、紅茶の関連グッズが綺麗にディスプレイされている。
おしゃれな店内は見ているだけで癒やされた。ふたりで来るはずだったけれど……ということは、考えないようにした。
紗英は赤いティーポットと、茶葉の缶をいくつかカゴに入れた。
レジに行こうとしたとき、ふと棚にペアのマグカップが並んでいるのが目にとまる。
「あ……そうだ。マグカップ……」
おそろいのマグカップも欲しい、なんて悠司は言っていたことを思い出す。
そのマグカップは、身を乗り出した猫がキスをしているデザインだった。ふたつ合わせれば、二匹の猫のキスが完成するという構図だ。これは一個だけ買っても寂しいだろう。
紗英は悩んだ末、ふたつのマグカップをカゴに入れた。
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