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2巻
2-2
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「早速絡まれたようだな」
大きな机に着いて声をかけてきたのは、ブゥーヌの代わりにギルド長になったフェイさんだ。
彼はマルクさんの古い友人で、神獣とその眷属を敬愛するエルフ。見た目は二十代くらいの青年だけど、もう百歳を超える高齢だという。
「それで? 絡んできたのはどこのどいつだ?」
眉間にしわを寄せるフェイさんに、マルクさんが答える。
「シュレヒト商店だ。それと、成り行きを見守っていた者の中に、私の姿を見てその場を離れた商人が数人いた」
二人にしかわからない会話がどんどん続いていく。
――ご主人様、もうここから出てもいい?
ポケットの中で窮屈だったのだろう、フローが顔を出す。するとマルクさんと話していたフェイさんが、すごい顔でこちらを向いた。
そしてフローの姿を目に留めると、素早い動きで私の側に跪いてどこからかクッションを取り出し、フローに恭しく差し出した。
「水の眷属様‼ そのような狭い場所におられたなんてっ! なんたることだ‼ どうぞ、こちらに」
――どうしよう、ご主人様。
戸惑っている様子のフローに、私は微笑みかける。
「ご厚意だし、今ここにいる人は皆のこと知ってるし、いいんじゃないかな?」
――んじゃあ、わしも乗っかるわ。やっぱ、ポケットは狭いしなぁ。
ルビーくんはポケットからヒョイッと出てくると、クッションへと飛び乗った。
ぽふんっと軽く弾んだクッションは柔らかく、上等なものだということがすぐにわかる。
――じゃあ、僕も。
ルビーくんの姿を見て、スルスルとフローもクッションの上へ。その様子を見ていたフェイさんは感動しているようで、ふーっと鼻の穴を大きくして目を輝かせていた。
「ああ……こんなに間近で眷属様方の姿を拝見できるなんて……」
クッションの上にいる二匹をうっとりと見つめるフェイさんに、マルクさんが呆れた様子でため息をつく。
「まだ話は終わってないぞ」
マルクさんは二匹が乗ったクッションをフェイさんから取り上げ、机の上に置いた。
「ああーーーっ! 俺の至福がぁっ!」
「メリアくんの問題が解決しないと、その至福は永遠になくなってしまうぞ」
「そうだった」
マルクさんの言葉に、フェイさんはハッとする。
彼は先ほどまでのデレデレした態度を一変させ、私たちに向き合った。
「で、先ほどの話だが……」
マルクさんが仕切り直す前に、私はそろっと手を挙げる。
「あの、その前に、私にもちゃんとわかるように説明してもらえませんか?」
「そうだったね。メリアくん、実は……」
そうして、マルクさんはゆっくりと口を開いた。
私が市場に不参加だった間、マルクさんとフェイさんは市場に参加する商人たちと何度も話し合いをしたそうだ。
私は神様から与えられた特別な鍛冶スキルによって、優れた武器や防具、特殊な機能を持った装飾品などを作ることができる。
悪質な商人に目をつけられて素性を探られれば、眷属のことや、私が異世界人で神様と関わりがあることまでバレる可能性がある。そのため、市場で品物の売買をする以外、私と個別に契約を結んだり、交渉したりしてはいけないという不干渉の約束をしたという。
商人たちは嫌がったが、いくつかの条件を提示されて納得したのだそうだ。
そういえばマルクさんは、私に出店を頼みに来た時、対策をしたと言っていた。あれはそういうことだったのか。
「あと、イェーガーくんも協力者だ。約束を破る商人がいないか、見張ってくれている。彼は渋る商人たちの説得にとても協力してくれたよ」
「イェーガーさんが?」
ふと思い出したようにマルクさんから告げられて、私は驚く。マルクさんは笑顔で頷いた。
「ああ。だから、君が出店する時は彼に隣にいてもらうように頼んでいる。彼も了承してくれたよ。それと、私を呼びに来てくれたのは、君につけていた護衛の冒険者の一人だ」
イェーガーさんは、せっかくの縁だからと見張り役を買って出てくれたそうだ。
彼は随分なやり手で信頼されているから適任だとマルクさんは言う。
「あからさまに護衛するのはどうかと思ってな。あえて遠巻きに見守らせておいた」
マルクさんの説明に、フェイさんが付け加える。なるほど、納得がいった。
「それで彼は戸惑いもせず、すぐ駆け出したんですね……で、マルクさんがさっき言ってた、商人に出した条件って?」
商人たちが納得するほどの条件を出しているのだ。マルクさんとフェイさんに、私はすごい迷惑をかけたのでは……?
私がドキドキしていると、マルクさんはおもむろに口を開く。
「それは……いくつかあるが、一つはメリアくんが定期的に市場に出店することだ」
「定期的に……ですか?」
「ああ、商人たちは安定した物資の供給を望んでいる。毎回、同じだけの量が欲しいんだよ」
マルクさんの言葉を聞き、フェイさんが頷きながら続ける。
「それと、同じ商人が集まる時にしか出店させないことだ」
現在、週に一度来る商人たちだけど、実は第一グループから第四グループまで分かれており、その週ごとで違う商人が順番に来ているのだそうだ。
私が出店していた時に来ていたのは、以前も今日も第二グループだという。だから今、私の品物のよさを知っているのは第二グループの商人だけ。
そこで、第二グループの商人たちは不干渉の約束を呑む代わりに、私の品物の独占権を主張したらしい。他のグループの商人が手に入れられないものを仕入れれば、プレミア価値が上がるからだ。
ただ、それだと第二グループを贔屓するような形になるので迷ったものの、私を守るのが最優先ということで、マルクさんたちは受け入れたそうだ。
「勝手に決めてすまない」
そう言って頭を下げるマルクさんに、私は首を横に振る。
ああ、なんて優しい人たちだろう。
この人たちがいるから、きっと神様はここに家を建ててくれたんだ。
「私こそ、ありがとうございます。マルクさん、フェイさん。あとでイェーガーさんにもお礼を言いますね」
「ああ、そうしてくれ」
にこやかにフェイさんが頷く一方で、マルクさんは渋い顔をした。
「それで、問題はその約束があるにもかかわらず、君に話しかけてきた商人だ」
「あいつが失敗してすぐ立ち去った商人もだな。多分、同じことを考えていたのだろう」
「恐らくその辺はイェーガーくんが把握しているだろうから、あとで確認して対策を練ろう」
マルクさんとフェイさんは、真剣に話し始める。
あの人は、確かお友達になりたいというようなことを言っていた。
けれどマルクさんたちの話から考えると、あの商人は利用価値のある私に近づこうとしていたということだ。それから、私と直接商品の取引をするつもりだったのだろう。
そのせいで私の秘密がバレていたら、大変なことになったに違いない。ほっとする私を、マルクさんが見つめた。
「我々にできることはする。だが、メリアくん、君自身もしばらく用心してくれ」
「眷属様方も、何卒、よろしくお願いします」
フェイさんがそう言ったあと、二人はフローとルビーくんに頭を下げる。大の大人が小動物に頭を下げる図なんておかしいはずなのに、私にはどことなく神聖なものに見えた。
私のために、下げなくてもいい頭を下げてくれた二人に、本当に心から感謝する。
本当に、良い人たちと知り合うことができた。目の奥がつんと痛くなる。
でも、この人たちは私が泣くことを望まない。
目から溢れそうになるそれを誤魔化すように、私はふと気になったことを聞いてみることにした。
「そういえば、この村は七日に一度商人が集まって市場を開きますよね? どうして七日に一度なんですか?」
「ふふふ、説明してやろう!」
私が場の空気を変えようとしているのに気づいたのか、フェイさんが張り切って話し始めた。
「この村の近くには、水の神獣様の聖域があるのだ! 十二の神獣様のうち、聖域の場所がわかっている方々はごく僅か。その重要性は計り知れない!」
フェイさんが「ああ~。ここにいるだけで、神獣様の御力を感じるようだぁ~」と、気持ち悪いくらい悶える。それを横目に、マルクさんは呆れたように続けた。
「神獣様に何かあった時の防衛基地のようなものなんだ、この村は。だが、常に人が多いと知らぬうちに聖域を荒らす可能性がある。かといって全く人がいなければ、何かあった時対応が遅くなる」
「だから定期的に市場を開いて、人が集まっても不自然じゃないようにしているのさ。この村に来ている冒険者の中には、国直属の者もいるんだぜ。で、何も異常がないか確認してるんだ。この話は、村の連中も商人たちも知らねえがな」
フェイさんの言葉に、私は首を傾げた。
「え、なんでですか?」
「神獣様がおられる聖域の場所は、国の中枢の人間にしか知らされていないもんなんだ。神獣様の力は偉大なものゆえに、悪しき者に狙われる可能性がある。だからこの村で市場を頻繁に開く表向きの理由は、薬草が採れるからということにしている」
「薬草?」
私が問うと、フェイさんは頷いた。
「そう。この国では王都に近くなればなるほど植物が生えにくいからな。その上、薬草は綺麗な水と空気のある場所じゃないと生えない。そして、ここで採れる薬草は水の神獣様のおかげで超一級品。都市では絶対に手に入らないレアものだ。だから商人はこの村に薬草を求めに来たついでに、自分たちの品物を売っていく。ちなみに、ギルドに来る依頼も、薬草採取が大半を占めてるんだぞ」
だからこの村にはギルドがあるのか。眷属たちの中でフローが最初に私のところに来てくれたのも、水の神獣様がここにいるからなのかな?
あの時聞いた神獣様の声はとても澄んでいた。いつか会ってみたいな。
薬草といえば、初めて村に来る道中に張り切って採ったんだよね。
まだ鞄の中に入ってるけど……どうしよう? ギルドに依頼があるんだから、必要かもしれない。
「あの……」
私がおもむろに口を開くと、マルクさんが不思議そうにこちらを見る。
「ん? どうしたんだい」
「私も薬草をいくつか採って、今も持っているんですけど、必要なら渡したほうがいいですか?」
「ああ、大丈夫だよ。さっきも言ったが、この辺は神獣様がおられるおかげで薬草がたくさん採れるから。それにここ最近、さらに品質がよくなっているんだ」
――アンバーとラリマーがおるからなぁ。その分、この辺の土は質がええんやー。
――僕もたまにお水あげるのー。
マルクさんの言葉に、ルビーくんとフローがそう反応する。
そうだったのか、君たちの仕業か。私の視線の先に、マルクさんたちも気づいたのだろう。合点がいったという顔をする。
「そういえば、君のところに眷属様方が来てからだったか」
「ああ~さすがは眷属様! いらっしゃるだけでそのお力をこの地に分けてくださっているのですねぇ~」
フェイさんがフローとルビーくんがいる机のほうに、キラキラした目を向ける。
神獣や眷属が絡むと、本当にテンションが高くなってしまう人だ。ただその矢印は一方通行なんだよね。今だってルビーくんもフローも嫌がってはいないけど、困ってるし。
――ご主人様……
フローが若干引いてる。あ、ルビーくんも目でこっちに助けを求めてる。
「そ、それじゃあ、私たちはこれで失礼しますね。イェーガーさんに後片づけ任せてきちゃいましたし……お礼も言わないとなので」
「ああ、そうだな。イェーガーくんには、あとでこのギルド長室まで来てくれるよう頼んでおいてくれ」
「わかりました。フロー、ルビーくん、行こ」
「眷属様方。今度はおいしいものも準備しておきますので、いつでも、いつでも、訪ねてきてくださいね~‼」
名残惜しそうなフェイさんを無視して、私は二匹と一緒にギルド長室を出た。
そして、ギルドの受付カウンターでジャンさんがうとうとしている姿を見て、最初にここへ来た時のことを思い出し、なんとなく懐かしくなったのだった。
第二章 『猫の目亭』のイベント準備
「イェーガーさん! ありがとうございました」
「おう、いいってことよ」
露店まで戻ってくると、既に後片づけは終わっていて、イェーガーさんは豪快に肉を売っていた。そして、私の姿を見ると手招きする。
「で、どうだった?」
「同じことが起きないよう、何か対策を考えてくれるそうです」
「そうか、よかったな!」
ニカッと笑う彼に、私はマルクさんからギルド長室へ来てほしいと伝言を受けたことを伝えた。
周囲には、私とイェーガーさんの様子を窺っている人たちがいる。
私は、イェーガーさんに少ししゃがんでもらい、彼の耳元に唇を寄せた。
「マルクさんから、イェーガーさんがいろいろと手を尽くしてくださったと聞きました。本当にありがとうございます」
小さい声で、でも、感謝の気持ちだけはいっぱい込めて伝える。
「いやぁ~かまわねぇよ。これも縁があったんだろう。商人は情と縁を大事にしねぇとな!」
彼は頭を掻きながら、自身の店の商品を指さす。そして「せっかくだ、肉買っていってくれや」と照れ隠しのように目を逸らして言った。その耳は少し赤くなっている。私は嬉しくなって指を一本立てた。
「じゃあ、スモークハムを買っていこうかな! 一本まるまる‼」
「はは。相変わらず、豪快な買い物の仕方だ」
よしきたと、イェーガーさんは指をパチンと鳴らし、一番おいしそうな大きいハムを渡してくれた。金額も、それはそれは大きかったけれど!
さて、『猫の目亭』へオニキスを迎えに行って、ついでにご飯も食べようかな。
私はイェーガーさんにもう一度お礼を言って、『猫の目亭』へと向かった。
扉を開くと、チリンチリンと軽やかな鐘の音が鳴る。
普段に比べて客の入りは多いけれど、昼時よりも遅い時間だからか、いくつか席は空いていた。今いるお客さんはほとんど食後のようで、ゆったりとした空気を醸し出している。
「いらっしゃ……あ、お姉ちゃん!」
看板娘のミィナちゃんが、笑顔で空いている席に案内してくれた。そして、こっそりと言う。
「もうちょっとお店のお客さんが減ったら、相談、聞いてほしいの」
「え、う、うん……」
「本当? 約束だよ!」
何かはわからないが、上目遣いで可愛くお願いされて聞かないわけがない。
オニキスを預かってくれたり、村の酪農家さんに卵やチーズを分けてもらえるよう頼んでくれたりと、普段からいっぱいお世話になっているしね。私にできることならなんでも引き受けちゃう!
そんなことを思っていたら、オニキスが奥のキッチンから飛び出してきた。私の声が聞こえたからだろう。
――ご主人~!
「オニキス。お待たせ」
嬉しそうにパタパタと跳ねるオニキスを抱き上げて膝の上に置く。
何食べようかなーとメニューを確認してみたら、オススメに鰻の文字が。
よく見ると、鰻の赤ワイン煮と書かれている。
ワイン煮かぁ……初めて食べる料理だけど、どんな味だろう?
鰻なんて、元の世界じゃ高すぎて、もう何年も食べてなかったなぁ。というか、魚自体食べてない。
もう、これは他のメニューを見るまでもなく決めた‼
「ミィナちゃーん! 鰻の赤ワイン煮をお願い」
「はぁい」
わくわくしながら待っていると、出てきたのは彩り豊かな野菜の上に載った、茶色い鰻の切り身。
ふんわり香る赤ワインとハーブの香りが、食欲を誘います‼
「いただきます」
鰻をフォークとナイフで切り分けると、スルリと切れた。しっかり煮込まれていることがわかる。口に入れれば、身がほろほろとほぐれて旨みしか残らない。
し、幸せ……‼
付け合わせの野菜との相性もバッチリ。さすがはヴォーグさんだ‼
オニキスにはパンを、ルビーくんには野菜を、フローには今日買ったスモークハムを渡して、一緒に食べる。結構な量の鰻だったはずなのに、それはあっという間に私の胃袋へと消えた。
「ご馳走様でした」
空っぽになったお皿を前に、手を合わせて呟く。
家でも外でもずっと続けていた習慣は、意外と忘れないものだ。
辺りを見回すと、夢中で食べている間に、随分とお客さんが減っていた。
「お姉ちゃん」
ミィナちゃんがお父さんであるヴォーグさんの手を引っ張って、厨房からこちらに来る。
もしかして相談って、またヴォーグさんの包丁が切れなくなったとか?
いや、この間研いで渡したところだしなぁ……
「久しぶりだな……」
「ヴォーグさん、お久しぶりです」
「変わりないか?」
「はい」
長身で筋肉質、無愛想でとっつきにくそうなヴォーグさんだけど、私を見るあたたかい瞳や、壊れものを扱うようにそっとミィナちゃんの頭を撫でている姿で、優しい人だとわかる。
私は微笑ましくなりながらその親子を眺めつつ、口を開いた。
「で、ミィナちゃん、相談というのはもしかして……?」
「私じゃなくてお父さんなの!」
にっこり笑顔で言うミィナちゃんは可愛らしい。
「……実は――」
ヴォーグさんが、静かに話し始めた。
ふむふむ。ヴォーグさんの話を一通り聞いた私は、腕を組んで考え込んだ。
彼の話をまとめると、つまりこういうことだ。
ここ最近、包丁の切れ味がいいから仕込みに時間がかからない。
だから、いつもの料理に一手間加えたり、少し手間のかかる料理を出したりすることができるようになった。
そのおかげか、客から味がよくなったと評判になり、市場に集まる商人や冒険者だけでなく、他の村からも客が来るようになって、ここ最近の売り上げは倍に増えている。
せっかく景気がいいので、何か新しいことをしたい。
どうせなら話題になることがいいと、ミィナちゃんのお母さん、つまり宿を切り盛りしているマーベラさんも言っている。
でも、肝心の内容をどうすればいいのか悩んでいる、ということらしい。
どうだろう? と期待に満ちた目で見つめてくる親子。
この親子の中で、私は悩み事を解決できる魔法少女みたいな立ち位置にいるのかな?
この一年を思い返すと結構なトラブルメーカーなんだけど、頼られるのは素直に嬉しいから考えてみよう‼
料理の話題で……あ~……う~んー……なんかあるだろうか?
できればお手伝いしてあげたいけれど、この世界の料理ってほとんど向こうの世界と同じだから、あんまり目新しくないんだよね。和食なら珍しいだろうけど、醤油とかを外には出せないしなぁ……
酵母を使ったふわふわパンはこっちでも作れるけど、インパクトに欠ける。
料理……高い……珍しい……話題……
参考になりそうなもの……テレビ。
あっ! あった。昔テレビの番組でやってたデカ盛り特集!
大きな器に盛られたキロ単位の料理を食べきれるか、挑戦する番組だ。
テレビに映るチャレンジャーさんが、大盛りの料理をおいしそうに食べきるのを見てると、自分も食べられるんじゃないかってチャレンジしたくなるやつ。
ヴォーグさんの料理なら食べるのも楽しいだろうし、いいんじゃないかな?
きっと周りで見ている人も影響されて、注文が殺到する!
「あの、デカ盛りってあります?」
「大盛りだろう? あるぞ。量足りなかったか?」
不思議そうなヴォーグさんに、私は首を横に振る。
「いえ、そうじゃなくて。普通なら食べきれないくらいの量を盛った料理を、提供するのはどうでしょう?」
「食べきれないなら、注文しないだろう?」
「食べきれたら賞金を渡すんです」
「?」
頭にハテナが浮かんでいる二人に、順を追って説明する。
一皿で五人前から十人前の量がある料理を、数量限定で販売する。
食べきれたらお金はもらわないで、逆に賞金を渡す。
食べきれない場合は、提供した量の金額を払ってもらう。
残ったものは、持って帰ってもらう。器は私がアルミで作れば、コスト的にもそこまでかからないだろう。
ふうむ、と検討し始めたヴォーグさん。
ドキドキしながら、ヴォーグさんの返事を待つ私。
私とヴォーグさんを交互に見るミィナちゃん。
静かな時間が流れる。その沈黙を破ったのは、ヴォーグさんだった。
「面白そうだな。やってみたい」
彼は一つ頷いて私を見た。私はほっとしながら口を開く。
「先にマーベラさんにもご相談したほうがいいとは思いますが……」
「ああ、そうだな。ミィナ、悪いがマーベラを呼んできてくれ」
「わかった‼」
すぐにミィナちゃんがマーベラさんを呼びに行く。
マーベラさんは私の説明を聞くと、すぐに賛成し、このイベントに協力してくれることになった。
こうして、『猫の目亭』主催で初の大食いイベントが開催されることが決まり、三人は早速メガ盛りのメニューを決め始める。イベントの考案者ではあるものの、一応部外者の私は、メニューが決まってからまた来てほしいと言われて席を外すことになった。
待っている間、私は市場を見て回ることにする。外に出ると、既にいくつかの露店は店仕舞いしたようだ。行き交う人も朝に比べて少なく、お店を見ている様子もない。
もうすぐ市場も終わりの時間だから、仕方ないか。
食後でお腹いっぱいなので、買い食いもなぁと思いながら、食べ物を売っている露店の前を通り過ぎる。
その直後、私の目に飛び込んできたのは、レースがついたワンピースだった。
可愛い。一目で気に入り、もっとよく見たいと露店に近づく。
どうやら服だけでなく布も取り扱う店のようで、絹のように滑らかな布や、細かな刺繍の入ったスカートが、色彩豊かに並んでいる。
「あら、いらっしゃい。この服は都の女の子たちにも人気なの」
服に見惚れていた私に声をかけてくれたのは、華やかな人だった。
マルクさんの娘であるエレナさんが月の花のような儚い系美人だとすると、ここの店員さんは迫力のある色っぽい系の美人さんだ。
流れるようなウェーブのかかった黒い髪に、さくらんぼみたいにぷるんと色づいた唇。口の横の黒子が艶かしい。声もどこか甘くて……とても色気のあるお姉さん。
「ほら、触ってみて。最近流行の布で作られてて、とーっても肌触りがいいの」
長い睫毛を伏せながら、指でつつーっと布を撫でる姿は、同性ながらちょっとドキッとする。
「あ、えっと、じゃ、じゃあそれくださいっ‼」
「ふふ、ありがとう」
顔が火照るのを感じてドギマギしていたら、気づけばお姉さんが指さすそれを購入していた。
お姉さんが綺麗に畳んでくれた服を受け取る。
その時、お姉さんの色気にぴったりな、甘い花の香りがふんわりと鼻をかすめた。香水かな?
いい買い物ができたと上機嫌でお店を離れようとした私は、店の前で子連れの夫婦が喧嘩していることに気がついた。
男性のほうが、店員さんに見惚れていたのだろうなぁと目線をそちらに向けると、その男性と目が合った。……見知った相手だった。
大きな机に着いて声をかけてきたのは、ブゥーヌの代わりにギルド長になったフェイさんだ。
彼はマルクさんの古い友人で、神獣とその眷属を敬愛するエルフ。見た目は二十代くらいの青年だけど、もう百歳を超える高齢だという。
「それで? 絡んできたのはどこのどいつだ?」
眉間にしわを寄せるフェイさんに、マルクさんが答える。
「シュレヒト商店だ。それと、成り行きを見守っていた者の中に、私の姿を見てその場を離れた商人が数人いた」
二人にしかわからない会話がどんどん続いていく。
――ご主人様、もうここから出てもいい?
ポケットの中で窮屈だったのだろう、フローが顔を出す。するとマルクさんと話していたフェイさんが、すごい顔でこちらを向いた。
そしてフローの姿を目に留めると、素早い動きで私の側に跪いてどこからかクッションを取り出し、フローに恭しく差し出した。
「水の眷属様‼ そのような狭い場所におられたなんてっ! なんたることだ‼ どうぞ、こちらに」
――どうしよう、ご主人様。
戸惑っている様子のフローに、私は微笑みかける。
「ご厚意だし、今ここにいる人は皆のこと知ってるし、いいんじゃないかな?」
――んじゃあ、わしも乗っかるわ。やっぱ、ポケットは狭いしなぁ。
ルビーくんはポケットからヒョイッと出てくると、クッションへと飛び乗った。
ぽふんっと軽く弾んだクッションは柔らかく、上等なものだということがすぐにわかる。
――じゃあ、僕も。
ルビーくんの姿を見て、スルスルとフローもクッションの上へ。その様子を見ていたフェイさんは感動しているようで、ふーっと鼻の穴を大きくして目を輝かせていた。
「ああ……こんなに間近で眷属様方の姿を拝見できるなんて……」
クッションの上にいる二匹をうっとりと見つめるフェイさんに、マルクさんが呆れた様子でため息をつく。
「まだ話は終わってないぞ」
マルクさんは二匹が乗ったクッションをフェイさんから取り上げ、机の上に置いた。
「ああーーーっ! 俺の至福がぁっ!」
「メリアくんの問題が解決しないと、その至福は永遠になくなってしまうぞ」
「そうだった」
マルクさんの言葉に、フェイさんはハッとする。
彼は先ほどまでのデレデレした態度を一変させ、私たちに向き合った。
「で、先ほどの話だが……」
マルクさんが仕切り直す前に、私はそろっと手を挙げる。
「あの、その前に、私にもちゃんとわかるように説明してもらえませんか?」
「そうだったね。メリアくん、実は……」
そうして、マルクさんはゆっくりと口を開いた。
私が市場に不参加だった間、マルクさんとフェイさんは市場に参加する商人たちと何度も話し合いをしたそうだ。
私は神様から与えられた特別な鍛冶スキルによって、優れた武器や防具、特殊な機能を持った装飾品などを作ることができる。
悪質な商人に目をつけられて素性を探られれば、眷属のことや、私が異世界人で神様と関わりがあることまでバレる可能性がある。そのため、市場で品物の売買をする以外、私と個別に契約を結んだり、交渉したりしてはいけないという不干渉の約束をしたという。
商人たちは嫌がったが、いくつかの条件を提示されて納得したのだそうだ。
そういえばマルクさんは、私に出店を頼みに来た時、対策をしたと言っていた。あれはそういうことだったのか。
「あと、イェーガーくんも協力者だ。約束を破る商人がいないか、見張ってくれている。彼は渋る商人たちの説得にとても協力してくれたよ」
「イェーガーさんが?」
ふと思い出したようにマルクさんから告げられて、私は驚く。マルクさんは笑顔で頷いた。
「ああ。だから、君が出店する時は彼に隣にいてもらうように頼んでいる。彼も了承してくれたよ。それと、私を呼びに来てくれたのは、君につけていた護衛の冒険者の一人だ」
イェーガーさんは、せっかくの縁だからと見張り役を買って出てくれたそうだ。
彼は随分なやり手で信頼されているから適任だとマルクさんは言う。
「あからさまに護衛するのはどうかと思ってな。あえて遠巻きに見守らせておいた」
マルクさんの説明に、フェイさんが付け加える。なるほど、納得がいった。
「それで彼は戸惑いもせず、すぐ駆け出したんですね……で、マルクさんがさっき言ってた、商人に出した条件って?」
商人たちが納得するほどの条件を出しているのだ。マルクさんとフェイさんに、私はすごい迷惑をかけたのでは……?
私がドキドキしていると、マルクさんはおもむろに口を開く。
「それは……いくつかあるが、一つはメリアくんが定期的に市場に出店することだ」
「定期的に……ですか?」
「ああ、商人たちは安定した物資の供給を望んでいる。毎回、同じだけの量が欲しいんだよ」
マルクさんの言葉を聞き、フェイさんが頷きながら続ける。
「それと、同じ商人が集まる時にしか出店させないことだ」
現在、週に一度来る商人たちだけど、実は第一グループから第四グループまで分かれており、その週ごとで違う商人が順番に来ているのだそうだ。
私が出店していた時に来ていたのは、以前も今日も第二グループだという。だから今、私の品物のよさを知っているのは第二グループの商人だけ。
そこで、第二グループの商人たちは不干渉の約束を呑む代わりに、私の品物の独占権を主張したらしい。他のグループの商人が手に入れられないものを仕入れれば、プレミア価値が上がるからだ。
ただ、それだと第二グループを贔屓するような形になるので迷ったものの、私を守るのが最優先ということで、マルクさんたちは受け入れたそうだ。
「勝手に決めてすまない」
そう言って頭を下げるマルクさんに、私は首を横に振る。
ああ、なんて優しい人たちだろう。
この人たちがいるから、きっと神様はここに家を建ててくれたんだ。
「私こそ、ありがとうございます。マルクさん、フェイさん。あとでイェーガーさんにもお礼を言いますね」
「ああ、そうしてくれ」
にこやかにフェイさんが頷く一方で、マルクさんは渋い顔をした。
「それで、問題はその約束があるにもかかわらず、君に話しかけてきた商人だ」
「あいつが失敗してすぐ立ち去った商人もだな。多分、同じことを考えていたのだろう」
「恐らくその辺はイェーガーくんが把握しているだろうから、あとで確認して対策を練ろう」
マルクさんとフェイさんは、真剣に話し始める。
あの人は、確かお友達になりたいというようなことを言っていた。
けれどマルクさんたちの話から考えると、あの商人は利用価値のある私に近づこうとしていたということだ。それから、私と直接商品の取引をするつもりだったのだろう。
そのせいで私の秘密がバレていたら、大変なことになったに違いない。ほっとする私を、マルクさんが見つめた。
「我々にできることはする。だが、メリアくん、君自身もしばらく用心してくれ」
「眷属様方も、何卒、よろしくお願いします」
フェイさんがそう言ったあと、二人はフローとルビーくんに頭を下げる。大の大人が小動物に頭を下げる図なんておかしいはずなのに、私にはどことなく神聖なものに見えた。
私のために、下げなくてもいい頭を下げてくれた二人に、本当に心から感謝する。
本当に、良い人たちと知り合うことができた。目の奥がつんと痛くなる。
でも、この人たちは私が泣くことを望まない。
目から溢れそうになるそれを誤魔化すように、私はふと気になったことを聞いてみることにした。
「そういえば、この村は七日に一度商人が集まって市場を開きますよね? どうして七日に一度なんですか?」
「ふふふ、説明してやろう!」
私が場の空気を変えようとしているのに気づいたのか、フェイさんが張り切って話し始めた。
「この村の近くには、水の神獣様の聖域があるのだ! 十二の神獣様のうち、聖域の場所がわかっている方々はごく僅か。その重要性は計り知れない!」
フェイさんが「ああ~。ここにいるだけで、神獣様の御力を感じるようだぁ~」と、気持ち悪いくらい悶える。それを横目に、マルクさんは呆れたように続けた。
「神獣様に何かあった時の防衛基地のようなものなんだ、この村は。だが、常に人が多いと知らぬうちに聖域を荒らす可能性がある。かといって全く人がいなければ、何かあった時対応が遅くなる」
「だから定期的に市場を開いて、人が集まっても不自然じゃないようにしているのさ。この村に来ている冒険者の中には、国直属の者もいるんだぜ。で、何も異常がないか確認してるんだ。この話は、村の連中も商人たちも知らねえがな」
フェイさんの言葉に、私は首を傾げた。
「え、なんでですか?」
「神獣様がおられる聖域の場所は、国の中枢の人間にしか知らされていないもんなんだ。神獣様の力は偉大なものゆえに、悪しき者に狙われる可能性がある。だからこの村で市場を頻繁に開く表向きの理由は、薬草が採れるからということにしている」
「薬草?」
私が問うと、フェイさんは頷いた。
「そう。この国では王都に近くなればなるほど植物が生えにくいからな。その上、薬草は綺麗な水と空気のある場所じゃないと生えない。そして、ここで採れる薬草は水の神獣様のおかげで超一級品。都市では絶対に手に入らないレアものだ。だから商人はこの村に薬草を求めに来たついでに、自分たちの品物を売っていく。ちなみに、ギルドに来る依頼も、薬草採取が大半を占めてるんだぞ」
だからこの村にはギルドがあるのか。眷属たちの中でフローが最初に私のところに来てくれたのも、水の神獣様がここにいるからなのかな?
あの時聞いた神獣様の声はとても澄んでいた。いつか会ってみたいな。
薬草といえば、初めて村に来る道中に張り切って採ったんだよね。
まだ鞄の中に入ってるけど……どうしよう? ギルドに依頼があるんだから、必要かもしれない。
「あの……」
私がおもむろに口を開くと、マルクさんが不思議そうにこちらを見る。
「ん? どうしたんだい」
「私も薬草をいくつか採って、今も持っているんですけど、必要なら渡したほうがいいですか?」
「ああ、大丈夫だよ。さっきも言ったが、この辺は神獣様がおられるおかげで薬草がたくさん採れるから。それにここ最近、さらに品質がよくなっているんだ」
――アンバーとラリマーがおるからなぁ。その分、この辺の土は質がええんやー。
――僕もたまにお水あげるのー。
マルクさんの言葉に、ルビーくんとフローがそう反応する。
そうだったのか、君たちの仕業か。私の視線の先に、マルクさんたちも気づいたのだろう。合点がいったという顔をする。
「そういえば、君のところに眷属様方が来てからだったか」
「ああ~さすがは眷属様! いらっしゃるだけでそのお力をこの地に分けてくださっているのですねぇ~」
フェイさんがフローとルビーくんがいる机のほうに、キラキラした目を向ける。
神獣や眷属が絡むと、本当にテンションが高くなってしまう人だ。ただその矢印は一方通行なんだよね。今だってルビーくんもフローも嫌がってはいないけど、困ってるし。
――ご主人様……
フローが若干引いてる。あ、ルビーくんも目でこっちに助けを求めてる。
「そ、それじゃあ、私たちはこれで失礼しますね。イェーガーさんに後片づけ任せてきちゃいましたし……お礼も言わないとなので」
「ああ、そうだな。イェーガーくんには、あとでこのギルド長室まで来てくれるよう頼んでおいてくれ」
「わかりました。フロー、ルビーくん、行こ」
「眷属様方。今度はおいしいものも準備しておきますので、いつでも、いつでも、訪ねてきてくださいね~‼」
名残惜しそうなフェイさんを無視して、私は二匹と一緒にギルド長室を出た。
そして、ギルドの受付カウンターでジャンさんがうとうとしている姿を見て、最初にここへ来た時のことを思い出し、なんとなく懐かしくなったのだった。
第二章 『猫の目亭』のイベント準備
「イェーガーさん! ありがとうございました」
「おう、いいってことよ」
露店まで戻ってくると、既に後片づけは終わっていて、イェーガーさんは豪快に肉を売っていた。そして、私の姿を見ると手招きする。
「で、どうだった?」
「同じことが起きないよう、何か対策を考えてくれるそうです」
「そうか、よかったな!」
ニカッと笑う彼に、私はマルクさんからギルド長室へ来てほしいと伝言を受けたことを伝えた。
周囲には、私とイェーガーさんの様子を窺っている人たちがいる。
私は、イェーガーさんに少ししゃがんでもらい、彼の耳元に唇を寄せた。
「マルクさんから、イェーガーさんがいろいろと手を尽くしてくださったと聞きました。本当にありがとうございます」
小さい声で、でも、感謝の気持ちだけはいっぱい込めて伝える。
「いやぁ~かまわねぇよ。これも縁があったんだろう。商人は情と縁を大事にしねぇとな!」
彼は頭を掻きながら、自身の店の商品を指さす。そして「せっかくだ、肉買っていってくれや」と照れ隠しのように目を逸らして言った。その耳は少し赤くなっている。私は嬉しくなって指を一本立てた。
「じゃあ、スモークハムを買っていこうかな! 一本まるまる‼」
「はは。相変わらず、豪快な買い物の仕方だ」
よしきたと、イェーガーさんは指をパチンと鳴らし、一番おいしそうな大きいハムを渡してくれた。金額も、それはそれは大きかったけれど!
さて、『猫の目亭』へオニキスを迎えに行って、ついでにご飯も食べようかな。
私はイェーガーさんにもう一度お礼を言って、『猫の目亭』へと向かった。
扉を開くと、チリンチリンと軽やかな鐘の音が鳴る。
普段に比べて客の入りは多いけれど、昼時よりも遅い時間だからか、いくつか席は空いていた。今いるお客さんはほとんど食後のようで、ゆったりとした空気を醸し出している。
「いらっしゃ……あ、お姉ちゃん!」
看板娘のミィナちゃんが、笑顔で空いている席に案内してくれた。そして、こっそりと言う。
「もうちょっとお店のお客さんが減ったら、相談、聞いてほしいの」
「え、う、うん……」
「本当? 約束だよ!」
何かはわからないが、上目遣いで可愛くお願いされて聞かないわけがない。
オニキスを預かってくれたり、村の酪農家さんに卵やチーズを分けてもらえるよう頼んでくれたりと、普段からいっぱいお世話になっているしね。私にできることならなんでも引き受けちゃう!
そんなことを思っていたら、オニキスが奥のキッチンから飛び出してきた。私の声が聞こえたからだろう。
――ご主人~!
「オニキス。お待たせ」
嬉しそうにパタパタと跳ねるオニキスを抱き上げて膝の上に置く。
何食べようかなーとメニューを確認してみたら、オススメに鰻の文字が。
よく見ると、鰻の赤ワイン煮と書かれている。
ワイン煮かぁ……初めて食べる料理だけど、どんな味だろう?
鰻なんて、元の世界じゃ高すぎて、もう何年も食べてなかったなぁ。というか、魚自体食べてない。
もう、これは他のメニューを見るまでもなく決めた‼
「ミィナちゃーん! 鰻の赤ワイン煮をお願い」
「はぁい」
わくわくしながら待っていると、出てきたのは彩り豊かな野菜の上に載った、茶色い鰻の切り身。
ふんわり香る赤ワインとハーブの香りが、食欲を誘います‼
「いただきます」
鰻をフォークとナイフで切り分けると、スルリと切れた。しっかり煮込まれていることがわかる。口に入れれば、身がほろほろとほぐれて旨みしか残らない。
し、幸せ……‼
付け合わせの野菜との相性もバッチリ。さすがはヴォーグさんだ‼
オニキスにはパンを、ルビーくんには野菜を、フローには今日買ったスモークハムを渡して、一緒に食べる。結構な量の鰻だったはずなのに、それはあっという間に私の胃袋へと消えた。
「ご馳走様でした」
空っぽになったお皿を前に、手を合わせて呟く。
家でも外でもずっと続けていた習慣は、意外と忘れないものだ。
辺りを見回すと、夢中で食べている間に、随分とお客さんが減っていた。
「お姉ちゃん」
ミィナちゃんがお父さんであるヴォーグさんの手を引っ張って、厨房からこちらに来る。
もしかして相談って、またヴォーグさんの包丁が切れなくなったとか?
いや、この間研いで渡したところだしなぁ……
「久しぶりだな……」
「ヴォーグさん、お久しぶりです」
「変わりないか?」
「はい」
長身で筋肉質、無愛想でとっつきにくそうなヴォーグさんだけど、私を見るあたたかい瞳や、壊れものを扱うようにそっとミィナちゃんの頭を撫でている姿で、優しい人だとわかる。
私は微笑ましくなりながらその親子を眺めつつ、口を開いた。
「で、ミィナちゃん、相談というのはもしかして……?」
「私じゃなくてお父さんなの!」
にっこり笑顔で言うミィナちゃんは可愛らしい。
「……実は――」
ヴォーグさんが、静かに話し始めた。
ふむふむ。ヴォーグさんの話を一通り聞いた私は、腕を組んで考え込んだ。
彼の話をまとめると、つまりこういうことだ。
ここ最近、包丁の切れ味がいいから仕込みに時間がかからない。
だから、いつもの料理に一手間加えたり、少し手間のかかる料理を出したりすることができるようになった。
そのおかげか、客から味がよくなったと評判になり、市場に集まる商人や冒険者だけでなく、他の村からも客が来るようになって、ここ最近の売り上げは倍に増えている。
せっかく景気がいいので、何か新しいことをしたい。
どうせなら話題になることがいいと、ミィナちゃんのお母さん、つまり宿を切り盛りしているマーベラさんも言っている。
でも、肝心の内容をどうすればいいのか悩んでいる、ということらしい。
どうだろう? と期待に満ちた目で見つめてくる親子。
この親子の中で、私は悩み事を解決できる魔法少女みたいな立ち位置にいるのかな?
この一年を思い返すと結構なトラブルメーカーなんだけど、頼られるのは素直に嬉しいから考えてみよう‼
料理の話題で……あ~……う~んー……なんかあるだろうか?
できればお手伝いしてあげたいけれど、この世界の料理ってほとんど向こうの世界と同じだから、あんまり目新しくないんだよね。和食なら珍しいだろうけど、醤油とかを外には出せないしなぁ……
酵母を使ったふわふわパンはこっちでも作れるけど、インパクトに欠ける。
料理……高い……珍しい……話題……
参考になりそうなもの……テレビ。
あっ! あった。昔テレビの番組でやってたデカ盛り特集!
大きな器に盛られたキロ単位の料理を食べきれるか、挑戦する番組だ。
テレビに映るチャレンジャーさんが、大盛りの料理をおいしそうに食べきるのを見てると、自分も食べられるんじゃないかってチャレンジしたくなるやつ。
ヴォーグさんの料理なら食べるのも楽しいだろうし、いいんじゃないかな?
きっと周りで見ている人も影響されて、注文が殺到する!
「あの、デカ盛りってあります?」
「大盛りだろう? あるぞ。量足りなかったか?」
不思議そうなヴォーグさんに、私は首を横に振る。
「いえ、そうじゃなくて。普通なら食べきれないくらいの量を盛った料理を、提供するのはどうでしょう?」
「食べきれないなら、注文しないだろう?」
「食べきれたら賞金を渡すんです」
「?」
頭にハテナが浮かんでいる二人に、順を追って説明する。
一皿で五人前から十人前の量がある料理を、数量限定で販売する。
食べきれたらお金はもらわないで、逆に賞金を渡す。
食べきれない場合は、提供した量の金額を払ってもらう。
残ったものは、持って帰ってもらう。器は私がアルミで作れば、コスト的にもそこまでかからないだろう。
ふうむ、と検討し始めたヴォーグさん。
ドキドキしながら、ヴォーグさんの返事を待つ私。
私とヴォーグさんを交互に見るミィナちゃん。
静かな時間が流れる。その沈黙を破ったのは、ヴォーグさんだった。
「面白そうだな。やってみたい」
彼は一つ頷いて私を見た。私はほっとしながら口を開く。
「先にマーベラさんにもご相談したほうがいいとは思いますが……」
「ああ、そうだな。ミィナ、悪いがマーベラを呼んできてくれ」
「わかった‼」
すぐにミィナちゃんがマーベラさんを呼びに行く。
マーベラさんは私の説明を聞くと、すぐに賛成し、このイベントに協力してくれることになった。
こうして、『猫の目亭』主催で初の大食いイベントが開催されることが決まり、三人は早速メガ盛りのメニューを決め始める。イベントの考案者ではあるものの、一応部外者の私は、メニューが決まってからまた来てほしいと言われて席を外すことになった。
待っている間、私は市場を見て回ることにする。外に出ると、既にいくつかの露店は店仕舞いしたようだ。行き交う人も朝に比べて少なく、お店を見ている様子もない。
もうすぐ市場も終わりの時間だから、仕方ないか。
食後でお腹いっぱいなので、買い食いもなぁと思いながら、食べ物を売っている露店の前を通り過ぎる。
その直後、私の目に飛び込んできたのは、レースがついたワンピースだった。
可愛い。一目で気に入り、もっとよく見たいと露店に近づく。
どうやら服だけでなく布も取り扱う店のようで、絹のように滑らかな布や、細かな刺繍の入ったスカートが、色彩豊かに並んでいる。
「あら、いらっしゃい。この服は都の女の子たちにも人気なの」
服に見惚れていた私に声をかけてくれたのは、華やかな人だった。
マルクさんの娘であるエレナさんが月の花のような儚い系美人だとすると、ここの店員さんは迫力のある色っぽい系の美人さんだ。
流れるようなウェーブのかかった黒い髪に、さくらんぼみたいにぷるんと色づいた唇。口の横の黒子が艶かしい。声もどこか甘くて……とても色気のあるお姉さん。
「ほら、触ってみて。最近流行の布で作られてて、とーっても肌触りがいいの」
長い睫毛を伏せながら、指でつつーっと布を撫でる姿は、同性ながらちょっとドキッとする。
「あ、えっと、じゃ、じゃあそれくださいっ‼」
「ふふ、ありがとう」
顔が火照るのを感じてドギマギしていたら、気づけばお姉さんが指さすそれを購入していた。
お姉さんが綺麗に畳んでくれた服を受け取る。
その時、お姉さんの色気にぴったりな、甘い花の香りがふんわりと鼻をかすめた。香水かな?
いい買い物ができたと上機嫌でお店を離れようとした私は、店の前で子連れの夫婦が喧嘩していることに気がついた。
男性のほうが、店員さんに見惚れていたのだろうなぁと目線をそちらに向けると、その男性と目が合った。……見知った相手だった。
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