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母さまは、事あるごとに勇者タリファを褒め称えた。
『彼はね、すごいのよー。剣一本、盾一枚だけを持って、魔王に挑んでいったの。怖くて強くて、誰も逆らえなかったのに。みんなは魔王を斃したことを褒めるけど、本当はね、タリファのすごいトコロはね、一番最初に魔王に立ち向かっていったことなのよ』
シエラにとっては耳タコである。そりゃ幼い頃は童話のように目を輝かせて聞いていたが、それなりに育ってきて世の中のことも分かってくれば、さすがに聞き手でいるのも苦痛になる。
——いやスゴいよ? それは認める。でもさ、最終的には母さまを捨ててトンズラしたんだよね? 少しは勇者さまに対する恨みとか無いのかな。だが、母さまのにこやかな笑顔からはそれは感じられない。シエラはそれが少し不満であった。
それが一周廻って、シエラの中に勇者に対する憧れが再発したのは、そろそろ成人になろうというお年頃になってからだった。
シエラが十四の時に、父親が王位についた。はっきり言って父親を、父親だと思ったことは無い。疎遠だった。シエラは母さまの元で育ったが、父親は年に数回しか会いに来なかった。
物心ついた時からそうだったから最初は疑問に思わなかったが、思春期になる頃にはさすがにおかしいと思い始めた。母さまの住まいは離宮で、それが体の良い別居であることにも気づいた。
まあ、父親の気持ちも分からない訳ではない。この二人の結婚は、お互いの意に沿わないものなのだから。世間的に見れば、侯爵家の次男である父親は玉の輿とみられるだろうが、あの母さまである。タリファらぶ。それは、別居するかもなあぐらいにはシエラは理解している。
でも。だからこそ。どうしても許せないこともある。
父親は、シエラが成人するのと同時に婚約者を連れてきた。父親はシエラに「結婚相手だ」とだけ告げた。
それに対し、シエラは原文ママでこう返した。
「え? いきなり何言ってんのこの人? 何の根回しも無しでいきなり政略結婚の話とか。は、手際が悪くて話になりませんわ」
シエラの中に渦巻いていた不満が一気に爆発したのだ。政略結婚でイヤな思いをしたであろう人間が、それを、何の相談も連絡も無しに行うその無神経さに、シエラの父親に対する好感度がついにマイナス値へと達した瞬間だった。
一応はお淑やかな王女を演じていたシエラの豹変に、父親と婚約者は目を丸くしていた。
そして、先代国王が発した「桜炎の魔王を斃した者に王女を娶らせる」という誓約を盾にして、シエラは出奔した。
母さまはもう亡くなり、父親はあんな有様。シエラの心の中に残っていたのは、母さまがとつとつと語ってい勇者タリファへの憧憬だけだった。
(……ああ、こいつが勇者かあ……)
タリファと——セレドと出会った時、がっかりしなかったと言えば嘘になる。そりゃ生きていれば父親と同年代、白馬の王子を期待していた訳じゃない。でもなんというか……もうちょっと覇気のある人間を想像していた。
シエラにとって勇者とは、強い意志の具現者だ。魔王を斃すほどの実力の持ち主、それはそう。でも母さまが語った、母さまが愛した勇者とは、恐怖に負けずに先頭に立って走っていける人間のことだった。
セレドは、真逆とまでは言わないが、彼には意志の強さは感じなかった。どちらかといえば遠巻きに事態を見ていて、耳を引っ張ってやらないとずっとそのまま壁の花になっている。そんな人物だ。腕は立つ。でもそれと精神が釣り合っていない。
なるほど。しばらく行動を共にして見て、シエラは納得した。母さまを捨てて逃げ出すのも道理だ。セレドはきっと、母さまの愛の重さに怯んで逃げ出したのだ。魔王を斃す実力と勇気はあっても、人の思いを受け止める心の強さがなかったのだ。
『簡単には殺さないわ。アンタを——結婚という地獄に落として、じっくりと苦しめてあげるわ』
だからシエラは、セレドを鍛えることにした。セレドは勇者なのだ。貴人に貴人としての責務がある様に、勇者にも勇者としての責務があるのだ。
セレドは今まで二十年間、その責務から逃げていたのかも知れないが、そうは問屋が卸さない。母さまに成り代わり、この私がセレドを本物の勇者にしてみせる。
シエラは内心、そう誓っていたのだ。
—— ※ —— ※ ——
「——はっ?!」
シエラは目を覚ました。固いベッドに横たわっている。日は出ているが、空気は薄ら寒い。それでも彼女が汗だくなのは、悪夢を見ていたからだ。
のそりと上体を起こし、包帯の巻かれた手で顔を拭う。酷い夢を見た。どんな夢だったのだろうか……だが夢の内容は思い出せない。しかし、そんな悪夢を見た理由だけは分かっている。
窓の外を見ると、雪化粧した北の山脈が高くそびえている。ここはその麓の小さな村だ。何かあった時にはここに集合する手筈になっていた。
魔竜の谷から逃げ出して、あれから三日になる。シエラは待っていた。……誰を? その白い肌の眉間に皺が寄る。
「おはよう」
「おはよう。……酷い顔だな」
シエラが投宿していたのは、村唯一の宿屋兼食堂だった。食堂には老魔術師のビスケーが一人で朝食を摂っていた。シエラがぼさついた髪を撫で、対面に座るとパンとシチューが運ばれてきた。王都の食堂とは違ってメニューはこれしかないからだ。
食欲はしないが、食べないと身体が持たない。その使命感だけでシエラはパンを囓る。ちらりとビスケーを見るが、特に変わった様子も無い。いつも通りの穏やかな表情。それがシエラをちょっと苛立たせる。こいつは、何とも思っていないのか……。
「谷の様子は、どうだった……?」
「酷い有様だな。もう入口付近は完全に氷の破片で埋まっている。あれでは、偽勇者たちも出るのに一苦労だろう」
「別に、偽勇者なんでどうでもいい……!」
シエラは少し強い語気で言葉を発した。それに少し驚いたビスケーだったが、シエラ自身はもっと驚いていた。自分の声の大きさに目を丸くし、バツが悪そうに再びパンを囓る。
「セレドのことが心配なのか?」
「そりゃ、そうでしょ……な、仲間なんだから」
「まあ覚悟はしておいた方が良い」
「……随分あっさりと言うわね。悲しくないの? 仲間なんじゃないの?」
シエラはビスケーを睨む。ああ、そっか。私は、ビスケーの妙に冷静な態度が気に入らないんだ。
しかしビスケーは、ちょっとだけ困った表情を浮かべて告げる。
「まあセレドも私も年寄りだからね。こんなことがあってもなくても、いつ死んでもおかしくないお年頃なのさ。だから覚悟は出来ている。いや出来ているというのは少し違うかな。そういうものだと受け入れる準備が出来た、というべきかな」
「それは……! よく分からない」
「そうだろうとも。お前さんはまだ若い。そのうち、分かる様になるさ」
「でも……残される人間は、誰が死んだって悲しいと思う」
だから母さまは、勇者タリファが死んでいるかも知れないとは、ついに言わなかった。
「そうだね。誰かが死ぬのは悲しいことだ」
そっと目を閉じ、ビスケーはそうとだけ告げた。
シエラは結局、シチューには手を付けなかった。
—— ※ —— ※ ——
バレンシアは村の外れに居た。村から見て、少し小高くなった丘の影に墓所があった。墓所といっても取り立てて何も無い。墓標が並んでいるだけの質素な墓所だ。
「……」
バレンシアは虚ろな目をして、真新しい三つの墓標の前に立っていた。ドウロ、ベティカ、ノルテ。墓の主は埋葬されていない。あの崩壊した谷から死体を運ぶことは事実上不可能だ。だから村人に頼んで、墓標だけ立てさせてもらったのだ。
シエラはじっとその様子を背後から眺めている。日が高くなってきた。長く伸びてバレンシアに触れていた墓標の影も、今は短くなって彼から離れている。それでもバレンシアは立ち尽くしていた。
白銀の勇者——バレンシアは「勇者」ではなかった。よくもまあ今までバレなかったものだと、シエラは逆に感心していた。少なくとも周囲をそうだと納得させるだけの実績を立てていたのだから、むしろ大したものである。
(……そうだ、そうなんだよな。「勇者」だからといって「勇者」だとは限らない……)
シエラは改めてその事実を実感している。
闘気と魔力の同時使用という、類い希なる能力を持つ存在としての「勇者」。
人々の希望として、時に先頭に立ち、時に奮い立たせる概念としての「勇者」。
それは本来、丸っきり別物なのだ。勇者としての力を持つからといって、勇気があるとは限らない。勇気があるからといって、魔王を斃せる才能があるとは限らない。その二人を兼ね備えた者が本来の「勇者」であり、そしてそれはきっと幸せなことなのだろう。
バレンシアには勇気があったが、才能は無かった。
そして多分……セレドには、タリファには才能はあったが、勇気が無かった。
「……ああ……」
シエラの碧い瞳からは、一筋の涙が零れていた。
きっとシエラは、自分がキライな父親と同じ事をしていたのだ。シエラには王族としての血筋は引いていたが、きっとその自覚が無い。だから政略結婚に反発して出奔した。
その自分が、セレドに同じ事をしていた。勇者としての才能を持っているからといって、勇者としての立ち振る舞いを彼に求めたのだ。それはたぶんキライな父親と同じ行動で、それに気がついた時、シエラは心底自分が嫌いになった。そのせいでセレドは死んでしまったのだ……。
憬れとという幼い感情で、一人の人間を死に追いやったのだ。
そして。
シエラは涙を拭った。唇を一文字に締め上げる。
彼女はバレンシアの目の前に立った。バレンシアの視線は相変わらず虚ろで、その焦点は目の前に立ったシエラには定まっていない。それでもシエラは口を開いた。
「これから、どうするの?」
「……これから……?」
「そう、これから。まさかアンタ、そのまま終わりにする気じゃ無いでしょうね」
シエラの強い視線が、バレンシアのそれに映り込む。少しだけ、バレンシアの視線がシエラに注がれる。が、それもすぐに消える。
「……もう……出来ることは、ないよ……」
ぱん。
音がした。
バレンシアの頬を、シエラがはたいていた。赤い手形がつくぐらい強く。そしてはたいたシエラも苦痛の表情を浮かべる。シエラの手はバレンシアの肉体を叩き、そして自身の心を叩いていた。
「アンタが何で勇者をやろうとしたのかは知らないけどさ……最後まで責任は持ちなよ」
「……責任……?」
「そうだ。アンタ勇者なんだろ?! 勇者を名乗ったんだろ? 誰かがそれに期待したんだろ? 仲間が居たんだろ? 協力してくれたんだろ? ——だったらもう、アンタの人生はアンタ一人だけのもんじゃないんだよ」
シエラはバレンシアの胸をどんと突く。
「選べよ、ここで! 逃げ出すか、それとも夢見せた責任を取るか! どっちでも構わない。でも、選ばないのは許さない!」
何が彼の心に届いたのか。バレンシアの表情に急速に生気が戻り始める。彼は墓標と空とを見つめ、そして大きく息を吐いた。
「そう……そうだね。まだ私は、生きているんだから……」
「どっちの名で呼ぶ? 白銀の勇者? それともバレンシア?」
「今はただのバレンシアだ。——魔王を斃した時、改めて白銀の勇者と呼んで欲しいな」
「分かったわ、バレンシア」
シエラはバレンシアはこつんと拳を合わせた。
—— ※ —— ※ ——
墓所を望む丘の上で、ビスケーは待っていた。シエラが丘を登ってくる。
「覗き見とは趣味が悪いわ」
「ほっほほ。人間観察が私の趣味なのでね。そこはご容赦いただきたいね」
「いいわよ。協力してくれるなら」
「それは別に構わないが……魔王討伐か? 果たして間に合うかどうか」
「でもそうしないと白銀の勇者様は王女様と結ばれないし、陛下に私たちの結婚の見届け人もしてもらえないしね」
「なんだ、まだ諦めてなかったのか」
「そりゃ。それぐらいしか、もう出来ることないし」
シエラは自嘲気味に笑う。少し弱気にも見えるが、瞳の奥には硬い意思が感じられて、ビスケーはそれ以上何も言わなかった。
「……セレドはさ、何を求めていたんだと思う?」
「求めていたとは?」
「セレドが母さまに求めていたのは、何なのかなあって」
「んー、平穏な生活とか? どうだろうな、そういえば本人からは聞いたことがなかったな」
「そっか」
シエラはくるりと振り向いた。出会った時より少し伸びた金髪が翻る。
そして少し大人びた笑顔を浮かべた。
「いつか聞けるといいな」
『彼はね、すごいのよー。剣一本、盾一枚だけを持って、魔王に挑んでいったの。怖くて強くて、誰も逆らえなかったのに。みんなは魔王を斃したことを褒めるけど、本当はね、タリファのすごいトコロはね、一番最初に魔王に立ち向かっていったことなのよ』
シエラにとっては耳タコである。そりゃ幼い頃は童話のように目を輝かせて聞いていたが、それなりに育ってきて世の中のことも分かってくれば、さすがに聞き手でいるのも苦痛になる。
——いやスゴいよ? それは認める。でもさ、最終的には母さまを捨ててトンズラしたんだよね? 少しは勇者さまに対する恨みとか無いのかな。だが、母さまのにこやかな笑顔からはそれは感じられない。シエラはそれが少し不満であった。
それが一周廻って、シエラの中に勇者に対する憧れが再発したのは、そろそろ成人になろうというお年頃になってからだった。
シエラが十四の時に、父親が王位についた。はっきり言って父親を、父親だと思ったことは無い。疎遠だった。シエラは母さまの元で育ったが、父親は年に数回しか会いに来なかった。
物心ついた時からそうだったから最初は疑問に思わなかったが、思春期になる頃にはさすがにおかしいと思い始めた。母さまの住まいは離宮で、それが体の良い別居であることにも気づいた。
まあ、父親の気持ちも分からない訳ではない。この二人の結婚は、お互いの意に沿わないものなのだから。世間的に見れば、侯爵家の次男である父親は玉の輿とみられるだろうが、あの母さまである。タリファらぶ。それは、別居するかもなあぐらいにはシエラは理解している。
でも。だからこそ。どうしても許せないこともある。
父親は、シエラが成人するのと同時に婚約者を連れてきた。父親はシエラに「結婚相手だ」とだけ告げた。
それに対し、シエラは原文ママでこう返した。
「え? いきなり何言ってんのこの人? 何の根回しも無しでいきなり政略結婚の話とか。は、手際が悪くて話になりませんわ」
シエラの中に渦巻いていた不満が一気に爆発したのだ。政略結婚でイヤな思いをしたであろう人間が、それを、何の相談も連絡も無しに行うその無神経さに、シエラの父親に対する好感度がついにマイナス値へと達した瞬間だった。
一応はお淑やかな王女を演じていたシエラの豹変に、父親と婚約者は目を丸くしていた。
そして、先代国王が発した「桜炎の魔王を斃した者に王女を娶らせる」という誓約を盾にして、シエラは出奔した。
母さまはもう亡くなり、父親はあんな有様。シエラの心の中に残っていたのは、母さまがとつとつと語ってい勇者タリファへの憧憬だけだった。
(……ああ、こいつが勇者かあ……)
タリファと——セレドと出会った時、がっかりしなかったと言えば嘘になる。そりゃ生きていれば父親と同年代、白馬の王子を期待していた訳じゃない。でもなんというか……もうちょっと覇気のある人間を想像していた。
シエラにとって勇者とは、強い意志の具現者だ。魔王を斃すほどの実力の持ち主、それはそう。でも母さまが語った、母さまが愛した勇者とは、恐怖に負けずに先頭に立って走っていける人間のことだった。
セレドは、真逆とまでは言わないが、彼には意志の強さは感じなかった。どちらかといえば遠巻きに事態を見ていて、耳を引っ張ってやらないとずっとそのまま壁の花になっている。そんな人物だ。腕は立つ。でもそれと精神が釣り合っていない。
なるほど。しばらく行動を共にして見て、シエラは納得した。母さまを捨てて逃げ出すのも道理だ。セレドはきっと、母さまの愛の重さに怯んで逃げ出したのだ。魔王を斃す実力と勇気はあっても、人の思いを受け止める心の強さがなかったのだ。
『簡単には殺さないわ。アンタを——結婚という地獄に落として、じっくりと苦しめてあげるわ』
だからシエラは、セレドを鍛えることにした。セレドは勇者なのだ。貴人に貴人としての責務がある様に、勇者にも勇者としての責務があるのだ。
セレドは今まで二十年間、その責務から逃げていたのかも知れないが、そうは問屋が卸さない。母さまに成り代わり、この私がセレドを本物の勇者にしてみせる。
シエラは内心、そう誓っていたのだ。
—— ※ —— ※ ——
「——はっ?!」
シエラは目を覚ました。固いベッドに横たわっている。日は出ているが、空気は薄ら寒い。それでも彼女が汗だくなのは、悪夢を見ていたからだ。
のそりと上体を起こし、包帯の巻かれた手で顔を拭う。酷い夢を見た。どんな夢だったのだろうか……だが夢の内容は思い出せない。しかし、そんな悪夢を見た理由だけは分かっている。
窓の外を見ると、雪化粧した北の山脈が高くそびえている。ここはその麓の小さな村だ。何かあった時にはここに集合する手筈になっていた。
魔竜の谷から逃げ出して、あれから三日になる。シエラは待っていた。……誰を? その白い肌の眉間に皺が寄る。
「おはよう」
「おはよう。……酷い顔だな」
シエラが投宿していたのは、村唯一の宿屋兼食堂だった。食堂には老魔術師のビスケーが一人で朝食を摂っていた。シエラがぼさついた髪を撫で、対面に座るとパンとシチューが運ばれてきた。王都の食堂とは違ってメニューはこれしかないからだ。
食欲はしないが、食べないと身体が持たない。その使命感だけでシエラはパンを囓る。ちらりとビスケーを見るが、特に変わった様子も無い。いつも通りの穏やかな表情。それがシエラをちょっと苛立たせる。こいつは、何とも思っていないのか……。
「谷の様子は、どうだった……?」
「酷い有様だな。もう入口付近は完全に氷の破片で埋まっている。あれでは、偽勇者たちも出るのに一苦労だろう」
「別に、偽勇者なんでどうでもいい……!」
シエラは少し強い語気で言葉を発した。それに少し驚いたビスケーだったが、シエラ自身はもっと驚いていた。自分の声の大きさに目を丸くし、バツが悪そうに再びパンを囓る。
「セレドのことが心配なのか?」
「そりゃ、そうでしょ……な、仲間なんだから」
「まあ覚悟はしておいた方が良い」
「……随分あっさりと言うわね。悲しくないの? 仲間なんじゃないの?」
シエラはビスケーを睨む。ああ、そっか。私は、ビスケーの妙に冷静な態度が気に入らないんだ。
しかしビスケーは、ちょっとだけ困った表情を浮かべて告げる。
「まあセレドも私も年寄りだからね。こんなことがあってもなくても、いつ死んでもおかしくないお年頃なのさ。だから覚悟は出来ている。いや出来ているというのは少し違うかな。そういうものだと受け入れる準備が出来た、というべきかな」
「それは……! よく分からない」
「そうだろうとも。お前さんはまだ若い。そのうち、分かる様になるさ」
「でも……残される人間は、誰が死んだって悲しいと思う」
だから母さまは、勇者タリファが死んでいるかも知れないとは、ついに言わなかった。
「そうだね。誰かが死ぬのは悲しいことだ」
そっと目を閉じ、ビスケーはそうとだけ告げた。
シエラは結局、シチューには手を付けなかった。
—— ※ —— ※ ——
バレンシアは村の外れに居た。村から見て、少し小高くなった丘の影に墓所があった。墓所といっても取り立てて何も無い。墓標が並んでいるだけの質素な墓所だ。
「……」
バレンシアは虚ろな目をして、真新しい三つの墓標の前に立っていた。ドウロ、ベティカ、ノルテ。墓の主は埋葬されていない。あの崩壊した谷から死体を運ぶことは事実上不可能だ。だから村人に頼んで、墓標だけ立てさせてもらったのだ。
シエラはじっとその様子を背後から眺めている。日が高くなってきた。長く伸びてバレンシアに触れていた墓標の影も、今は短くなって彼から離れている。それでもバレンシアは立ち尽くしていた。
白銀の勇者——バレンシアは「勇者」ではなかった。よくもまあ今までバレなかったものだと、シエラは逆に感心していた。少なくとも周囲をそうだと納得させるだけの実績を立てていたのだから、むしろ大したものである。
(……そうだ、そうなんだよな。「勇者」だからといって「勇者」だとは限らない……)
シエラは改めてその事実を実感している。
闘気と魔力の同時使用という、類い希なる能力を持つ存在としての「勇者」。
人々の希望として、時に先頭に立ち、時に奮い立たせる概念としての「勇者」。
それは本来、丸っきり別物なのだ。勇者としての力を持つからといって、勇気があるとは限らない。勇気があるからといって、魔王を斃せる才能があるとは限らない。その二人を兼ね備えた者が本来の「勇者」であり、そしてそれはきっと幸せなことなのだろう。
バレンシアには勇気があったが、才能は無かった。
そして多分……セレドには、タリファには才能はあったが、勇気が無かった。
「……ああ……」
シエラの碧い瞳からは、一筋の涙が零れていた。
きっとシエラは、自分がキライな父親と同じ事をしていたのだ。シエラには王族としての血筋は引いていたが、きっとその自覚が無い。だから政略結婚に反発して出奔した。
その自分が、セレドに同じ事をしていた。勇者としての才能を持っているからといって、勇者としての立ち振る舞いを彼に求めたのだ。それはたぶんキライな父親と同じ行動で、それに気がついた時、シエラは心底自分が嫌いになった。そのせいでセレドは死んでしまったのだ……。
憬れとという幼い感情で、一人の人間を死に追いやったのだ。
そして。
シエラは涙を拭った。唇を一文字に締め上げる。
彼女はバレンシアの目の前に立った。バレンシアの視線は相変わらず虚ろで、その焦点は目の前に立ったシエラには定まっていない。それでもシエラは口を開いた。
「これから、どうするの?」
「……これから……?」
「そう、これから。まさかアンタ、そのまま終わりにする気じゃ無いでしょうね」
シエラの強い視線が、バレンシアのそれに映り込む。少しだけ、バレンシアの視線がシエラに注がれる。が、それもすぐに消える。
「……もう……出来ることは、ないよ……」
ぱん。
音がした。
バレンシアの頬を、シエラがはたいていた。赤い手形がつくぐらい強く。そしてはたいたシエラも苦痛の表情を浮かべる。シエラの手はバレンシアの肉体を叩き、そして自身の心を叩いていた。
「アンタが何で勇者をやろうとしたのかは知らないけどさ……最後まで責任は持ちなよ」
「……責任……?」
「そうだ。アンタ勇者なんだろ?! 勇者を名乗ったんだろ? 誰かがそれに期待したんだろ? 仲間が居たんだろ? 協力してくれたんだろ? ——だったらもう、アンタの人生はアンタ一人だけのもんじゃないんだよ」
シエラはバレンシアの胸をどんと突く。
「選べよ、ここで! 逃げ出すか、それとも夢見せた責任を取るか! どっちでも構わない。でも、選ばないのは許さない!」
何が彼の心に届いたのか。バレンシアの表情に急速に生気が戻り始める。彼は墓標と空とを見つめ、そして大きく息を吐いた。
「そう……そうだね。まだ私は、生きているんだから……」
「どっちの名で呼ぶ? 白銀の勇者? それともバレンシア?」
「今はただのバレンシアだ。——魔王を斃した時、改めて白銀の勇者と呼んで欲しいな」
「分かったわ、バレンシア」
シエラはバレンシアはこつんと拳を合わせた。
—— ※ —— ※ ——
墓所を望む丘の上で、ビスケーは待っていた。シエラが丘を登ってくる。
「覗き見とは趣味が悪いわ」
「ほっほほ。人間観察が私の趣味なのでね。そこはご容赦いただきたいね」
「いいわよ。協力してくれるなら」
「それは別に構わないが……魔王討伐か? 果たして間に合うかどうか」
「でもそうしないと白銀の勇者様は王女様と結ばれないし、陛下に私たちの結婚の見届け人もしてもらえないしね」
「なんだ、まだ諦めてなかったのか」
「そりゃ。それぐらいしか、もう出来ることないし」
シエラは自嘲気味に笑う。少し弱気にも見えるが、瞳の奥には硬い意思が感じられて、ビスケーはそれ以上何も言わなかった。
「……セレドはさ、何を求めていたんだと思う?」
「求めていたとは?」
「セレドが母さまに求めていたのは、何なのかなあって」
「んー、平穏な生活とか? どうだろうな、そういえば本人からは聞いたことがなかったな」
「そっか」
シエラはくるりと振り向いた。出会った時より少し伸びた金髪が翻る。
そして少し大人びた笑顔を浮かべた。
「いつか聞けるといいな」
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