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番外・後日談
3. 僕と友達と兄様のお話 -sideジルベルト
三月の終わり頃には、王都邸の家具その他必要なものがすべて揃って、兄様が移られることになった。
「おまえはずっと《秘密基地》に住んでいたのだから、別にそこにいてもいいんだぞ?」
「いえ、僕は兄様とご一緒に住みたいです!」
「仕方ないな」
「やった!」
仕方ないなって笑いながら頷いてくださる兄様は、やっぱり最高の兄様だ。
もともと王都邸から移っていた使用人もすべてそちらに戻ることになり、《秘密基地》メインで雇われていた人々と別れを惜しんでいた。といってもすぐ近くだから、会おうと思えばいつでも会えるんだけれどね。ずっと居た人々と顔を合わせる時間が減ってしまうのは、ほんのり寂しい気持ちになるのはわかる。
兄様や僕らも《秘密基地》は好きだから、これからもちょくちょく足を運ぶよ。
そして四月ももう幾日かで終わる頃。感慨深い王都邸での生活にも慣れ、僕は十八歳になった。学園では高等部の三年、最高学年だ。
僕は誕生日がとても早く、逆に兄様は十二月と遅いから、よく「あれ、何歳差だっけ?」って首を傾げられるんだよね。
学年としては二学年分だけれど、実年齢としては一年半も離れていないんだよ。
春の長期休みも終わって学園が再開し、今日は休み。僕は特に親しいクラスメイト二人を、王都邸での勉強会に誘った。
僕が友人を招待した時に兄様がいるのって、そういえば初めてかもしれない。
兄様はアムレートを片手で抱っこしながら、友人達に歓迎の挨拶をしてくれた。お出かけ着の兄様、今日も格好いいな。
「私は仕事で夕食会に同席できないが、ゆっくりしていくといい」
「あっ、ありがとうございます!」
「……っ!」
うわあ、カチコチだね。兄様、彼らいつもはこうじゃないんですよ。憧れの兄様にお会いできて、ものすごく緊張しちゃってるだけなんです。
僕に寄ってくる人の中には、兄様と繋がりを作る目的の人も多い。学園ではそういう生徒を完全に拒絶していたから、兄様目当ての奴はもう近付いて来られなくなったけどね。
だから彼らも、まさか挨拶だけとはいえ、わざわざ僕らのところへ声をかけに来てくれるなんて思いもしなかったんだろう。
「ジル、子猫を任せてもいいか?」
「お任せください! アムレート、おいで♪」
「みぅ~」
白い子猫を受け取り、ドアの傍で兄様をお見送り。側近の皆様を伴い、颯爽と歩いて行く後ろ姿がかっこいいなあ。
ちなみに僕らがいるのは、一階の応接室のひとつだ。お客様の身分や訪問の内容によって部屋を使い分けている。ここはそこまで広過ぎず、ソファじゃなく椅子、ローテーブルじゃなく普通の高さのテーブルが置かれていて、数名での勉強会にちょうどいいんだよね。
兄様のお姿が見えなくなると、僕は椅子に戻って膝にアムレートを抱え、兄様に教わったマッサージをしてみた。兄様ほどじゃないけど、気持ちよさそうにしてくれている。
「……緊張しました」
「私も……」
友人達も席に戻り、しばらく放心状態だった。うんうん、そうだよね。僕はアムレートを構っているから、しばらく放心していてもいいよ。
猫なんていたら勉強の邪魔じゃないかって訊かれたこともあるけれど、そう感じたことはない。アムレートを構うために適度に休憩を挟めば逆に効率が良くなるし、この子は教材やノートへやっちゃいけない悪戯を絶対にしないから、全然心配することがないんだよね。さすが兄様の子猫。
「ふふ、格好いいでしょう僕の兄様」
「……格好よかったです」
「ジルと並んだらかなり細く見えるが、弱そうな印象は全然ないな。キリっとしてすごく大人って感じだ」
「小柄ではないですよね。僕と背丈があまり変わらないようでしたし」
「私の兄と大違いだ。……交換して欲しい……」
「あげないよ。僕の兄様だからね」
日頃から僕の兄自慢に辟易したり苦笑したりな連中だったけれど、実物の兄様に会わせれば勝てるとわかってたよ。
「本当にジル様、あの御方より背が低かったのですか?」
「そうだよ? 初めてお会いした時の僕はとても小さかったからね。逆に兄様は背の高い方だったから、見上げるほど大きく感じていたな。お膝に乗せてご本を読んでくださったり、落ち込んでいたら励ましてくださったり、僕や母様達が困っている時は鮮やかに解決策を出してくださって、本当に昔から頼もしいんだ。だから兄様に信頼して頼っていただけるのが一番の幸せだよ」
「そんなご兄弟が実在したのですね……」
「ジルみたいな弟もいないよなあ。私の家も仲は悪くないんだが」
二人の瞳に「羨ましい」と書いてある。そうだろう、僕の兄様は世界一だ。
常識的に言って、もしほかの家だったら、今頃は僕も母様もシルヴィアも、家族の一員として扱われることはなかった。例えば貴族の夫が平民落ちしたら、その妻子も普通は平民になる。けれど我が家の場合は兄様が爵位を継ぐだけじゃなく、兄様を柱として僕らを家族に登録してくださっているから、貴族籍から抜かれることはなかったんだ。
母様は「ロッソ伯爵夫人」ではなく「ロッソ夫人」と呼ばれるようになり、地位としては少し下がってしまってはいるけれど、今もこの家の者として変わらず敬意を払われている。
僕は「ご令息」ではなく「弟君」、シルヴィアは「ご令嬢」ではなく「妹君」だ。兄様を中心に置いた呼称に変わり、今もみんな家族のまま。
これがもしよその家であれば、僕らはとうに追い出されていただろう。
昔は兄弟って仲がいいものなんだと思っていた頃もある。でも、学園に入学してからそうじゃないっていうのがわかってきた。クラスメイトと兄弟の話題が出て、兄様自慢をしたら大袈裟なんじゃないかと言われてびっくりしたんだ。控え目に話したのに、そんなお兄様が実在するものかって言われてさ。
兄様の名声がどんどん高まるにつれて、懐疑的な声も減ったけれどね。
たまーに性格の悪い奴は、兄様を攻撃できるところが全然ないあまりに、「男の恋人がいる兄なんて恥だな」みたいな聞こえよがしな陰口を僕の近くで叩くこともあった。
いや、僕は気にならないけれど? だって、お相手がアレッシオだったんだからさ。兄様ほどではないけれど、僕もアレッシオは好きなんだよ。彼がどんなに兄様を大切にして、心も力も尽くしてきたのか僕らは知っているからね。
何より兄様が肩の力を抜いてくつろげる他人なんてそうはいない。ずっとそういうお姿を見て慣れていたから、あの二人が想い合っているんだって察したのがいつだったか、よく憶えていないぐらい自然に受け入れていた。
「いいなぁ、ご兄弟の仲が良くて」
「妹君もお可愛らしいしな」
お茶を飲んでいると、だんだん放心状態から戻って来たみたいだ。
そうだよ、妹も可愛いんだ~。兄様とシルヴィアのやりとりをたくさん思い出し、僕はつい笑ってしまった。
「どうしたんだ?」
「いやね。兄様とシシィの会話を思い返したら、おかしくなってしまって。―――シシィって、兄様のことを父様だと思っているんだよ」
「へ? お父様?」
「うん。それがねぇ」
ある日、幼い頃のシルヴィアが乳母に尋ねた。
『おとうさまって、どういうものなの?』
物語の中に『お父様』と呼ばれる存在が出てきたけれど、我が家にはいない。
乳母はギクリとした。どうもこうも、実父があれだったからね。
ギクリとしつつ、乳母は「一般論として」答えた。ついでに、その場で聞いていたメイドにも視線で助けを求め、彼女らは視線を受けて自分達の父親のことを話した。
『わたくしの父は、一家の柱で―――』
『わたくしの父は、力強くとても頼りになり―――』
ふんふんと頷きながらシルヴィアは聞いた。
なるほど。『お父様』とは一家の柱で、力強くとても頼りになり、よその人には厳しいけれど家族には優しくて心配性で、怖いことがあっても『お父様』が傍にいてくださったら安心できる、そういう存在なのか。
シルヴィアの中で閃きが走った。
『わかったわ! おとうさまって、おにいさまのことね!』
『えっ』
乳母とメイド達は、咄嗟に否定できなかった。
そうかも? と思ってしまったのだ。
彼女らが固まっている間に、シルヴィアの中ではすっかり『おにいさま=おとうさま』の図式が確定してしまった。
どうしよう。お嬢様にとんでもない勘違いを刷り込んでしまったかもしれない。
しかし。
『……訂正せずともよいのでは?』
『……そうですわね』
そのようにして、シルヴィアは兄様のことを「おにいさまとお呼びするおとうさま」と思い込んで幾年。
複雑なことが理解できるようになってから、ようやく自分が『当主と後妻の間に生まれた娘であり、お兄様はお兄様』とわかったみたいだけれど、感覚ではやはり兄様は『おとうさま』のままだった。―――だって兄様のシルヴィアへの接し方が、まさにそれでしかないんだから。
気付けば、友人達が震えたり、気を散らすためにお茶のカップに口をつけたりしていた。
「遠慮せず笑っていいよ?」
「ぷっ。―――い、いや、すまない」
「ふ、っくくく……その、笑いごとでは、ないと思うのですがっ……」
あはは、そうだよね。普通こういうのって笑いごとじゃないはずなんだけれど、我が家では笑い話になっちゃうんだよね。
「いいなあ……、ってこればかりですね、僕」
「私の家もいろんなことがあって、仲は良いほうだと思っていたのにな」
いろんなこと―――か。
濁したけれど、友人達の間で彼らの家のことは有名だ。
昔、大勢の後継者が追い落とされ、時には追放されていた中に、彼らの親もいた。
この二人の親は、たまたま複数の爵位を持つ家だったため、下位身分の爵位をもらうことで貴族籍からの排除は免れた数少ないケースだった。それでも以前住んでいたところは追い出されたと聞いている。
今、彼らの親と家族は本来の立場を取り戻し、兄様にいたく感謝しているそうだ。
ちなみに僕らの上の学年は、逆に追い落とした側の子が多くいて、かなり空気が悪かった。
大勢が身分を失い、成績と学業態度に問題がなければ卒業させてもらえた生徒もいるけれど、今までと同じようにふるまう者は容赦なく退学処分になった。
僕の学年にもそういうのが居なくもなかったけれど、どちらかといえば長く虐げられながら耐え抜き、逆転した家の子の割合が多い。だから僕には好意的な生徒が多くを占めていて、つまり僕の学園生活の快適さは兄様のおかげなんだ。
「さて。そろそろ勉強せねばな」
「ですね」
「アムレートのベッドを持って来てくれる?」
「かしこまりました」
もうすぐ試験だからね。僕の成績は三位から五位ぐらいをうろついているんだけれど、この二人が主席と次席だから勝つのは難しいかな。
この二人でも兄様には勝てないんだって思えば、あまり悔しくはない。それが僕の場合はよかったんだと思う。僕の頭って才能的には学年十位ぐらいじゃないかなって思うんだよ。こうして肩の力を抜いて、友人達と勉強会を楽しむとすごく捗っている感じがするからさ。
これがなかったら、多分十位ぐらいだよ。
徐々にアムレートがねむねむし始めたから、メイドに頼んだ猫用ベッドを余分な椅子に置き、くるんと丸めるように寝かせた。
……こら、友よ。寝ている子猫が可愛いからって撫でようとするな。起きちゃうだろ。
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