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番外・後日談
46. 若様のラクガキと商人親子魂 -sideラウル
しおりを挟む格子窓のガラスはすっかりと曇り、外の気温の低さを実感する。こんな寒い中、閣下はアレッシオさんと二人で庭をお散歩中だ。
僕としては商売のためならいくらでも出かけられるが、散歩のためだけにわざわざ防寒着を着込み、真っ白に凍った世界へ出てゆく気持ちは正直よくわからない。
けれど昔の閣下はご自分の誕生日に思い入れがなく、今は思い入れが増えてきた結果として雪も気に入っているようなので、よい傾向なのだろう。
僕らが口をすっぱくして注意するまでもなく、危険な場所には決して踏み入らず、ご自分の身を大切にしてくださるので臣下としてはありがたい限りだ。
「おおかた誕生日と雪関連で、アレッシオさんと何か思い出でもあるんだろうな」
僕はロッソ本邸に与えられた自室で、蜂蜜柚子―――湯に蜂蜜と柚子の果汁を入れて混ぜたもの―――を飲んで温まりながら、閣下のデザイン画を眺めていた。
休暇へ入られる前、ちまちま描き溜めておられたのを一気に放出してくださったんだ。コンセプトは『雪猫』……まあ、知っている僕らからすれば、お好きなものを合体させたんだろうなとピンとくる。知らない者は、「なんで雪と猫?」と首を傾げることだろう。
ほとんどは女性向けブランド《アウローラ》用だが、今回はドレスはなく、鞄や小物ばかり。今までなら「イレーネにこんなものを着せてみたい」だったのが、これについては「イレーネにこんなものを身につけさせてみたい」へ全振りしたようだ。
あれほどイレーネ様のドレスや身の回りの品々に情熱を注ぎ、確実にお似合いのデザインを山ほど描かれていながら、色恋の感情は一切ないというのもある意味すごいな。
「このデザイン帳もだいぶ厚くなってしまった。そろそろ新しくしないと」
これでもう何冊目になったろうか。蜂蜜柚子を飲みながら、僕はあの頃を思い返した。
■ ■ ■
当時、閣下は十二歳。僕は十一歳だった。
出会って間もなく、『若様』とお呼びしていたあの方がどういう方なのか、今ほどには詳しくなかった頃。
「イレーネにドレスを贈りたい。ついては、彼女に着せてみたいドレスがあるのだが」
相談されて最初に思い浮かんだのは、まず良いデザイナーのいる仕立て屋を紹介し、そのデザイナーに要望を伝えてもらって……という、ごく一般的な手順だった。
「かしこまりました。どんな感じのドレスをご希望ですか?」
若様が着せてみたいと仰るものの傾向によって、頼む相手が変わる。仕立て屋にも得意不得意があるからな。
ところが若様は「これなんだが」と言いながら、机の引き出しを開けて紙束を取り出し、僕の前にドサリと置いた。
えっ……これ、まさか、全部デザイン画……?
「イレーネに着せてみたいものを描いてみたら興が乗ってな。気分転換のラクガキだ」
えっ……ご自分で描かれたので? これを全部?
いやいやいや……これ、ラクガキじゃないでしょ。あなたこんな才能あったんですね?
ドレスだけでなく、ちゃんと女性がそれを纏った姿で描かれている。お顔は描きこまれていなかったけれど、イレーネ様はこのような髪や体型の御方なのだなと、知らぬ者が見ても伝わるしっかりとしたデザイン画になっていた。
しかも正面姿だけでなく、横や背後から見た姿まで。
絵の具をお持ちではないのか、ペンと黒インクだけ。なのに、書き添えられた色の説明が実に細やかでお上手だ。以前こういうお仕事でもされていたのかと変な想像をしてしまうぐらい、説明が的確で抜かりもない。
―――若様に最高の水彩絵の具をお贈りせねば。それと、デザイン専用紙のノートを。
自習用の紙に黒インクで線を引いただけでこれなら、彩色したらどうなるんだ。
「作ってもらいたいのは、このうちのどれか一着でいいんだが」
「一着? 一着だけですか?」
「継母に贈るのだから、何着も要らん」
なるほどそれは、大量に贈ったらゲスの勘繰りを招くこと間違いないですね。仰る通り避けるべきでしょう。
「では、ほかの絵はどうなさるんです?」
「適当に仕舞っておく」
仕舞っておく? 適当に? この宝の山を、無意味に引き出しの中へ?
片付けて、放置?
「いっぱい溜まったらどうするんですか」
「気に入ったのを残して、あとは捨てる」
……捨てる……捨てる??
ご冗談でしょう? 本気で? ただの子供のラクガキだからって?
…………へ~、ほ~、そうですか~、なるほど~……。
大量の紙束の中から、最終的に若様が「これにしよう」と決められたドレスは、幻想的な空色のドレスだった。
しかもこれに合ったアクセサリーの指定もある。装飾品のデザインについては、おおまかな正面画だけだったが―――さすがに立体図は描けないとのこと―――充分に美しいものだった。
「速やかに素晴らしいお品を用意いたします」
「うむ、頼んだ」
「おや、若様、あの窓の外に……」
「ん?」
「申し訳ありません、珍しい鳥がとまっていたようなのですが、行ってしまいました」
「なんだ、そうか」
僕はにっこり満面の笑顔を向け、若様の前から失礼させてもらった。
「ん? あれ? ……どこへ行った?」
ドアを閉じる直前、何やらゴソゴソ探しておられたようだが、僕は知らない。
パンパンに重い鞄を抱えて帰宅し、父様と母様をお呼びした。
若様からの御依頼を伝え、まずはそのデザイン画を見せれば、父様と、特に母様が食い入るように見ていた。
掴みは上々。次に僕はテーブルの上に、若様からもらってきたデザイン画の束をドンと置いて、それぞれに目を通していただいた。
父様と母様がそれらを凝視している。特に父様の鼻息は荒く、母様は表面上冷静だが眼光が鋭い。
「これは、素晴らしいな。うむ、素晴らしい」
「本当に。どれも、これまでにない斬新なデザインで……でも、それだけではないわ」
「そうでしょう。斬新でありながら、奇を衒った感じではありません。仕上がりはとても上品で美しいものになるだろうと想像がつきます」
「それだけではないわよ、ラウル。これらのドレス、大抵の貴婦人なら着ることができるデザインだわ」
「え?」
父様と僕はきょとんとして母様を見た。女性の衣類については僕らより詳しい母様の視線は、紙が焦げやしないかと心配になるほど鋭い。
「男性もそうでしょうけれど、ドレスの色やデザインはその方に合う合わないというのがあるの。その方以外には到底着られない、というデザインもあるわ」
「そうだな?」
「そうですね?」
僕は若様のお召し物を思い浮かべた。赤で統一した若様のお衣装、若様にはとても上品でお似合いだけれど、着こなせる方は限定されるだろうな。
「ロッソ夫人は、さぞお美しい方なのでしょうね。けれどこのドレス自体は、決してほかのご婦人方に着られないデザインではないわ。たとえば、赤毛のご婦人がお召しになってもお似合いになるわよ」
「赤毛の方が? 全体的に青いドレスですが……」
「たとえばこの、雲をイメージしたレースよ。淡い黄色や白、それにカットしたガラスを散らしてさりげなく輝かせるのでしょう? これが間に入ることで、赤い髪が夕日のように映えるのよ」
言われて、僕は想像してみた。父様も想像してみたのだろう、うんうんと頷いている。
斬新だけれど奇抜ではない。だから着られる者をそこまで限定せず、ドレスか容姿のどちらかが浮くこともそうそうない。胸元や肩の出し方は慎ましく、若さを強調させるデザインでもないから、きっとご年配のご婦人でも似合う方は多い……。
僕は最初、淡い色の髪のご婦人方に売れると考えていたけれど、もっと広い客層を狙えそうだ。
「父様、母様。若様はこれらを、『気分転換のラクガキ』と仰ってました。増えて引き出しを圧迫するようになったら、処分するとも」
「なん……だと!? これを!?」
「なん……ですって!? これを!?」
「僕はそのような罪深いこと、看過できなかったのです」
「ああ、それは罪深いな」
「ええ、とても罪深いことよ」
僕ら親子は頷き合った。
「ただちに職人を呼べ!」
父様の目がギラギラ輝いている。僕の顔立ちは母様似なのに、我が家の執事には「年々旦那様に似てこられました」と言われるから、きっと僕もこんな目をしているんだろう。
すぐさま呼び立てられた服飾デザイナーと職人を交え、これらのデザイン画が実現可能かを確認していった。
「こ、これは、なんと素晴らしい」
「ええ、ええ、できます。可能ですわ。お客様の中には、不可能な要望を押し通そうとされる方がおりますが、これらは……」
「できますな。おそらくこれを描かれた方は、実際に作ることができるかどうかという点なども考慮して描かれたのでしょう。なんと素晴らしい……」
僕は父様と母様のお顔を見た。お二人は真剣な表情で頷き、僕も頷いた。
これは売れる。
この宝の山を、机の肥やしになど―――「溜まったら捨てるよ」などと、そのような真似はさせるものか……!
■ ■ ■
そしてアランツォーネ商会による全面支援のもと、若様の女性向け高級ブランド《アウローラ》を立ち上げる運びとなった。
懐かしいなぁ。あの時、「ラクガキが行方不明になったのだが?」と半眼でお尋ねになった若様に、水彩絵の具とデザイン専用紙のノートを笑顔でプレゼントしたら、何とも言えないお顔をされたっけ。
「しかし、よくこんなのを思い付くなあ」
僕が見ているのは鞄のデザイン画だ。やはり閣下は、絵に色をのせるのもお上手だった。
白い布の表面を毛羽立たせたものを、蓋の一部に使用した鞄の絵。確かに雪のようにも見えるし、白い子猫の毛並みにも見えなくもない。
だが今回とくに目を引くのは、付け外し可能なチャームの絵だ。ひょっとしたらメインはこれかと思うほど、子猫のチャームが大量に描かれている。
それも、行儀よく座っている時の姿ではなく、玩具で遊ぶ時や顔を洗っている時など、躍動感に溢れているものだった。それを《アウローラ》だけでなく、男性向けの《セグレート》の分まで描かれている。
《セグレート》に関しては、若干可愛らしさを抑えたスマートな絵だ。だけど、子猫だから可愛いは可愛い……。
男がこういうものを買うんだろうかと首を傾げそうになるけれど、いざ売り出してみれば売れそうなイメージしか湧かない。勘だが、小物だけでなく衣類につけてもいけそうな気がした。
焼き物や色ガラスで作る白猫だけでなく、金や銀の子猫が小粒のパールを抱え込んでいるものもあった。このパールは玩具にじゃれついているイメージかな。
この金の子猫、閣下のクラバットにつけたら似合いそうだ。
銀とパールを組み合わせた子猫は、アレッシオさんに似合いそうかも……? 黒い襟元へボタンかバッジのようにつけて……。
「意外といけるな?」
側近としての仕事は僕も休暇に入っているけれど、商売は楽しい趣味だ。
僕は製作を依頼する職人と、売り方を楽しく考え始めた。
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