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番外・後日談2
ロッソ邸の癒やし兄弟
ドアの前で、淡い金色がふわふわ揺れている。
ちら、とこちらを覗いては引っ込み、覗いては引っ込み。
本人はこっそりジー……っと見つめているつもりなのだが、その後ろには微笑みを堪えきれないメイドが一人立っているので、バレバレだ。
まだ七歳。もう七歳。その子は無垢と賢さの間で揺れ動くアンバランスさを持っていた。
後妻として嫁いだ母親と、その息子である自分の置かれた立場を考えられる思慮深さがあるのに、こうして義兄を『こっそり』眺める行動がバレバレなのに気付いていない。
自室の窓辺のテーブル席で課題を片付けていた緋色の髪の少年オルフェオは、表向き勉強を継続しているフリで、近くに立っていた専属メイドのエルメリンダに一言命じた。
「エルメ。もう少ししたら休憩にする」
金色の天使に見えない角度で、簡単なピースサイン。―――ピースではなく数字の『二』である。
「すぐ準備いたしますね。このテーブルになさいますか、それともソファで?」
「ソファがいい」
「かしこまりました」
近くの棚に向かい、メイドはあらかじめそこに仕舞っておいた休憩用の菓子を取り出した。
彼女が町へお出かけに行った時、あるじの土産にと買い込んだ焼き菓子である。平民の店ではランクが高めとはいえ、貴族の子弟の茶会に出すようなものでは本来ない。
しかしこの館の厨房には悪質な料理人が揃っており、料理長に菓子を頼むと、何を作らせても砂糖の塊にしかならないのだ。『菓子は甘ければいい』、『砂糖を大量に使った菓子こそ貴族に相応しい』という時代の固定観念から抜け出せていない人物なのである。
貴人向けの料理に関しては段違いに腕が良くとも、こういう部分で進歩のなさを露呈している。
要は、町で購入した菓子のほうが、今をときめくロッソ伯爵邸の厨房で作られたものより美味しいのだ。工夫がこらされ、飽きも来ない。
いつかあの厨房の中身をごっそり入れ替えてやる、とオルフェオは思っており、エルメリンダもその日が来るのを楽しみにしていた。
もうすぐ夏に入るので、エルメリンダは熱い茶ではなく、果実水を用意した。
ローテーブルに置いたグラスの数は二つ。
菓子の皿は二枚。フォークで切り分けられる菓子なので、ナイフは置かない。
物音はなるべく立てないように気を付けた。部屋の端に置かれた猫用ベッドの上で、白い子猫様がお腹をくてーんと上に向け、すやすや寝息を立てているのだ。
準備が出来たので主人を呼ぶと、オルフェオは「あ~疲れた」などとわざとらしく言って軽く伸びをした。
ソファ席を一瞥すると、自然とドア付近も視界に入る。
(おいおいジル、隠れられてねえぞ!)
金髪の天使の視線は、ローテーブルの上に置かれた菓子に釘付けだった。
噴き出しそうになるのを我慢しつつ、オルフェオは澄ました顔で複数掛けのソファに移動し、腰を下ろす。
(大きめのフィナンシェみたいだな。懐かしい)
皿の上には、色違いの菓子。オルフェオは澄ました顔でメイドに尋ねた。
「実に美味しそうだ。エルメ、説明を」
「はい。こちらの金色のお菓子は、若様のお好きな蜂蜜が。こちらのやや赤いお菓子は、ランポーネというキイチゴのジャムが入っております」
「おお、どちらも私の好物だ。しかも何故か二人分あるのだな?」
「あら、本当でございますね? どうしてでしょう?」
「どうしてだろうな? せっかくだから、ここにもう一人誰かがいれば、これをご馳走してやるのだがなぁ」
「もうお一人様、いらっしゃいませんかねぇ」
「……ぁ…………」
ドア付近からか細い声が聞こえた。もう一押しだ。
「ああ、本当に美味しそうだな」
「とっても美味しいと評判なんですよ~」
「…………ぉにいしゃま……」
消え入りそうな声に、オルフェオは芝居がかった声で「おお」とビックリした。
「来ていたのかジル、ちょうどいい。私の菓子が何故か二人分あるのだ。もう一人分をどうしようか相談していたところでな、せっかくだからおまえが食べてしまいなさい」
「あいっ!」
手招きする義兄に、パァァ……と満面の笑みを浮かべるジルベルト。こっそり隠れて様子を窺っていた後ろめたさは、既に忘却の彼方だ。
ちょこちょこ駆け寄ってくる無邪気な天使にオルフェオは笑み崩れ、自分の隣をぽふぽふ叩いた。そこに座って良いという合図だ。
すっかり遠慮の消えたジルベルトは嬉しそうにぽふんと座り、大好きな義兄と一緒に大好きな菓子を食べる。もちろん義兄に恥ずかしくないよう、フォークで丁寧に切って食べるのだ。
それでも口に運ぶ時、無意識に満面の笑顔でもぐもぐ、はむはむしていることには気付いていない。
貴人の食事のマナーとしては、あからさまにモグモグしていますという顔は良いものではなく、さりげなく喜ぶべしとされていた。
が、マナーや常識など、超越した愛らしさの前には無粋だ。
(あ~、天使。あ~、かわいい。俺の隣に癒やしがある~……)
この時、オルフェオ九歳。彼は自覚していなかった。
自分こそお菓子を口に入れた瞬間、「至福……」という顔でもぐもぐ、はむはむしており、見守るメイド達に癒やしを提供していたことに。
「と、このようなことがございました」
「…………わたくしの天使達、なんて可愛いの……っ!」
己の専属メイドから『本日のオルフェオ坊ちゃまとジルベルト坊ちゃま』の話を聞いて、イレーネは悶えた。
彼女は他家の茶会に招かれており、その癒やし空間を目撃し損ねたのである。
「ええ、お二人ともまことに愛らしゅうございました」
真面目くさった顔で頷くメイド。イレーネは悟った。
(あなた実は、自慢したいだけね……?)
しかし有能なメイドは、新たな奥様の嫉妬を回避するすべを心得ていた。
彼女はその後、ロッソ家のご兄弟が二人で何かをしそうな気配を察知すればイレーネをすみやかにその場へ案内し、たびたび天使達の姿に悶えるイレーネの姿が目撃されることになるのであった……。
■ ■ ■
「……という時代が、あの子達にもあったのよ? ふふふ、懐かしいわ~。もう本当に、とっても可愛らしかったの~」
「さようでございますか」
十数年後、ロッソ侯爵家の王都邸でオルフェオの側近一人を捕まえ、強引に茶会に付き合わせているイレーネがいた。
言わずもがな、アレッシオである。
『アレッシオばかり兄様を独占してずるい!』
ある日ジルベルトがそんなことを叫び、オルフェオを連れてヴィオレット公爵邸へ遊びに行ってしまったのだ。
アレッシオは置いてきぼりにされ、同じく子供達の集まりには参加できなかったイレーネがお茶に誘った。
未だ若々しい美貌を誇る継母と、側近の美丈夫という組み合わせ。しかしこの二人が怪しげな関係になることなど決してない、そう誰もが理解している。
「それからオルフェがジルをお膝に乗せてあげてね、ご本を読んであげるのだけど、微笑んでゆっくり教えてあげるオルフェオにジルがね……」
途中からアレッシオは察した。この人、自慢返ししたかっただけだな、と。
幼い頃のオルフェオをつぶさに語ることができる人物は限られ、イレーネはその意味でも貴重な人物だ。最も詳しいのはエルメリンダだが、彼女は現在、育児休暇の真っ最中なのである。
(しかも奥様はお話が巧い。閣下のお小さい頃が目に浮かぶようだ)
アレッシオは苦笑しつつも、イレーネの長話に、半ば積極的に付き合うのだった。
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