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世界の異変
10. 味覚の変化
しおりを挟むテーブルの中央には木製のジョッキが四つ置かれた。種族の別なく、どの獣人でも飲めるように作られたビールだ。半分しか入っていないのが僕の分だろう。
そして他の三人の前には肉々しい料理の皿が置かれ、僕の前には草。
草である。皿の上に草が積まれていた。
人参もある。
人参は丁寧に皮が剥かれていた。
人参の葉っぱもある。茎の根元の硬い部分がくりぬかれ、本体とは分離されていたが、人参なのはひと嗅ぎでわかる。よく洗われ、つやつやと輝いていた。
いや。人参の葉っぱが食べられることは知っているとも。むしろこの皿の上で、食用可と認識できる唯一の食材が人参だ。
煮ても焼いても茹でてもいない、素材の風味どころか、食材の人参そのままが出されるとは思わなくて面食らっただけだ。
しかも。
「……美味しそう?」
このみずみずしい人参の色・ツヤはどうしたことだろうか。こんもりと盛られ、香り立つ草の芳香もさっきから食欲を刺激してくる。
口内にじわりと唾液が増え、大人しくなっていた腹が再びきゅうきゅうと鳴り始めた。
皿に添えられていた木製のフォーク。草は手づかみでいけそうなので、これは人参用だろうか。
おそるおそるフォークを手に取り、かろうじて食用とわかる人参本体からチャレンジしてみる。
先を尖らせたフォークは、ちゃんと突き刺すことができた。その手応えは、やはりどう考えても生なんだが……そこからふわりと飛散した、このかぐわしさは何だ。
さきっぽを少しだけ、カシリと齧ってみる。
「――甘い」
野菜の味ではない。じわりと口の中にひろがるこの水分の甘味、まるで果物だ。
各種フルーツとミックスしたキャロットジュース、そんな味わいだ。
こくりと飲み込み、今度は葉っぱにチャレンジした。こちらはメイプルシロップのように甘い。強烈な甘さなのにくどさがなく、爽やかな味わいはいくらでも食べられそうだ。
「へえ~、それ甘いの?」
「あっ」
止める間もなく、イヴォニーが草盛りから一本つまんで抜き出し、ぽいと口に放り込んでしまった。
「うえ? にがいよ?」
それを見たロルフが「そうなのか?」と手を伸ばし、同じように一本食べてしまった。
「……ん~、あんま旨くねえ……ちょい苦いな……?」
二人とも顔をしかめて苦みがあるというので、心配になって草盛りを見つめる。
とくに嫌なにおいはしないんだが……。
僕はフライドポテトをつまむように、草の端をぱくりと齧ってみた。
「? ――これも甘い。美味しいぞ?」
もぐもぐしながら顔を上げてイヴォニーとロルフを見れば、何故か二人とも引きつった笑顔で、デューラーに手を合わせて拝んでいる。
そのデューラーは、眉間にシワを寄せてこめかみに青筋を浮かべていた。
「おまえら……こいつのメシを食うな!」
「ゴメンナサイ~ッ!」
「すんませんでした! 俺も食えるかなって、つい!」
「兎は俺らと食うものが違うんだ、味覚も違って当たり前だろうが!」
デューラーの剣幕に二匹が平謝りするのを見て、僕もそういえばと思い出した。
この世界、肉食と草食で回復用の食べ物が違うんだ。
草食であれば草や木の実、果物などを食べたら回復する。
肉食であれば肉や魚だ。回復用の薬も、それぞれの食用とする材料を使ったものでなければ使えない。
改めてデューラー達の皿を見た。肉汁したたる、いい焼き具合の肉料理は、とても美味しそう……に見えない。
どう見てもよだれが垂れそうな料理なのに、食指がまったく動かない。
それどころか、僕はさっきから無意識に草をはむはむはむはむ食べている。本気で気付かなかった。手が止まらない。
「ゴメンねえ、お腹すいてたのに……」
「マジ悪かった、この通り……」
「あ、いや……いいよ」
二匹はしゅーんとしながらビールのジョッキを取り、ごくごく飲み始めた。そこから大人しく自分達の食事に取りかかる。
僕も真似てジョッキを取り、こくりと飲んだ。
ビールという名のジンジャーエールだった。多分、この味も彼らとは違っている。
静かになったらなったで落ち着かず、どうせなので疑問に思っていたことを訊いてみた。一番話しかけやすいのは、もちろんリーダーの狼だ。
「俺とあそこで会った時、三人は討伐依頼に行ってたのか?」
「いや、狸の護衛依頼だ。高く売れる素材を求めて森に入っていたんだが、やめろというのに予定より奥へ進みやがった」
奥に行くほど危険な魔物の遭遇率が高くなり、しかもあの近辺はマッドボア――巨大猪の魔物がよく出没した。
実はあの直前、一匹ではなく二匹いたらしい。狸のおっさんが襲われそうになったので一匹を始末し、残る一匹がなかなかしぶとかった……ということだそうだ。
「そうだ! ちゃんと礼を言えていなかったな。ありがとうデューラー、おかげで助かった」
「……いや」
「あたしは? あたしは? 弓でバシッとやったよ?」
「トドメ刺したのはデューラーだろうがよ」
「ロルフは逃げてただけじゃん!」
「おっさん背負って走ってたんだぞ!? 大変だったんだぞ!?」
「そうだったのか。それは大変そうだな……。イヴォニーとロルフもありがとう、助かったよ」
どうしてか、いつものゲームのようにうまく表情を動かせない。
けれど精一杯笑顔を浮かべてみた。やっぱりほんの少し、口が笑った? ぐらいにしかならなかったが。
デューラーは特に反応を返さず、ぐびりとビールを煽った。
何故かロルフは僕とデューラーを見比べ、よくわからない表情で「おお」と言った。その「おお」はどういう意味だ?
「か……わ……いぃ~……っ」
イヴォニーが一番わかりやすいな。女子高生が小型の兎を前にした時の反応だ。
僕の耳と尻尾を撫でたいと言い出した時は困ったが。それはちょっと勘弁してくれ。
人参と草と、半量のビールもどきでちゃんとお腹がいっぱいになった。
僕らが食べ終えて席を立つのとほぼ同時に、ゾロゾロと新たな客が入ってくる。受付のある通路からだけでなく、通りに面したドアからもたくさん入ってきた。雰囲気や装備からして、みな冒険者だ。
獅子族、虎族、犬族――みごとに草食の獣人がいない。開閉するドアの向こうに見える街並みは、太陽が地平に沈みかけている時の薄暗さだった。
三人ともがカウンターにジャラリと銅貨を出し、僕はいよいよあの薬の価値が気になってきた。
「悪い。きっと返す」
「気にせんでいい」
そういうわけにはいかない。
収入が得られるようになったら、今回の分は必ず返そう。
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