僕と愛しい獣人と、やさしい世界の物語

日村透

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世界の異変

16. スランプとは

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 こちらに来て早々、中型トラック並みの猪に突撃される体験をしたからだろうか。カバ並みだって充分に大きいのに、あまり大きく見えない。
 おかげで僕は、思いのほか冷静に対処できていた。

 フォレストフロッグは、周辺の土や草とそっくりなにおいがする。けれど土や草そのものではないから、奇妙な生物のにおいもしていた。
 激辛唐辛子が近くにあるような、肌の表面や鼻の奥がピリピリする嫌な感覚。思えばあの巨大猪も似た感じがしていた。どうやら魔物は、見た目や気配だけでなく、嗅覚でも区別できる。
 既に何度か攻撃してくるのを、僕は難なく避けていた。大口からみょんと射出された緑色の舌は、ただ一直線に伸びるだけで、前足ビンタ攻撃も途中で動きの修正をしない。
 まっすぐで応用がない、単調で読みやすい攻撃ばかりだ。しかも、かなり遅い。兎族として最大値まで上げた『レン』のスピードが、ここに来てやっと本領を発揮し始めたようだ。

「そういえば、あの猪の突進も咄嗟に避けることができたな。……もしかして、つまり」

 回避行動を重ねるうちに、僕はこの身体の動かし方が掴めてきた。それはある意味とても単純で基本的なコツだった。
 ――自分自身の身体として動かせばいい。
 地面を蹴り、ジャンプして、時にその勢いでくるりと回転する。フォレストフロッグの前足が地面をバシン! と打ち付けた瞬間、そいつの動きが一時的に停まるから、その隙に頭上を回転しながら飛び越えたりもした。
 身体が軽くて気持ちいい。爽快感が半端ではない。

「つまり、すべての動作に、縛りがないんだ」

 ゲームでは、魔法やスキルを使おうと意識すれば、目の前の空間にズラリとコマンドが表示され、『選択』を意識すれば自分の宿った分身アバターがその通りに勝手に動いてくれた。
 けれど現実にそんなコマンドは出てこない。
 冒険者ギルドで依頼書を読む時、字幕の表示がなくとも読めたし、この迷宮に入る時も『〇〇の迷宮』なんて表示は出てこなかった。
 一度その技を選択して動き始めたら、なかなか途中で止められないのがゲーム。画面に映し出されているキャラであれば、冷静に中断の操作ができたとしても、ダイブ型のゲームでそれが可能な者は稀だ。
 だってその分身アバターがいくら強力であろうとも、中で動かしているのは普通の『人間』なのだから。

「でも、今は……」

 今の僕は、兎族の感覚で、兎族の身体を動かしている。
 身体が勝手に動いてくれない不便さと引き替えに、勝手に動かせる自由を得た。
 そうか、だからこの魔物も難易度の評価が下がったんだな。今この世界の住民は、『システムの仕様上こういう行動は取れません』といった不自由がどんどん取り払われている。それなら、こいつはそこまで脅威ではなくなるだろう。
 攻撃力と体力がそこそこあり、少しでもダメージを受ければすぐ土に潜って隠れるから倒しにくい相手だった。しかしこの魔物、プログラムの縛りがなくなってみれば、動きがノロくてあまり賢くはないのがよくわかる。

 倒せる。僕ひとりで。
 なら、どうやって倒そうか。
 短剣で攻撃する? でも、この身体のまともな動かし方を理解したのがついさっきだ。ゲームと違い、手元が狂うことだって考えられる。一撃では倒せないかもしれない。
 そうなればこいつは土に潜って逃走を開始するかもしれない。このあたりにこいつ以外の気配はなく、一度見失ったら次を探すのに時間がかかりそうだ。
 確実なのは、魔法で仕留めること。
 魔法は――

「……よし、使える!」

 血液とは異なる何かが、自分の内側に循環している。これもゲームプレイをしていた時には、一度も感じたことのないものだった。
 『レン』の中に詰め込めるだけ詰め込んだ魔法は、ちゃんとここにある。

 では何の魔法を使おう? こいつは物理攻撃の、それも打撃に弱い魔物なんだ。
 武器や防具ではなく薬の素材になる魔物だから、依頼に『できるだけ無傷で』といった指定もない。表面の苔も利用できるから、炎で丸コゲにするのはやめたほうがいいだろう。
 それ以前に、こんな森で火属性の攻撃魔法なんて、ゲーム感覚でぶっ放したら森林火災に……。
 消去法で、使えるのは土属性か。
 を試してみよう。攻撃魔法ではないから、ゲームでは相手にダメージを与えられなかった。
 現実ではダメージが入るんじゃないか。
 フォレストフロッグの前足攻撃を避けながら、デューラー達に僕の『攻撃』が及ばない方向へぴょんと飛び、距離を空けた。

拘束バインド

 見えない何かが、フォレストフロッグの全身をビシリと拘束した。一時的に動きを止める程度の無属性魔法だが、それでいい。

石の盾壁ストーンウォール

 これはだ。それを僕の前ではなく、フォレストフロッグの真下から出現させた。
 ズドン!!
 ――凄まじい勢いで地面から突き出した石の壁に、カバ並みの巨体が吹っ飛んだ。
 その壁は数十センチの厚みがあり、幅も高さもゆうに三~四メートルはあった。
 ついでにその壁のせいで、近くにあった大樹が何本か根元から折れてメリメリばきばきズドオオン、と……。
 し、森林破壊をしてしまった……。
 吹っ飛んだフォレストフロッグといえば、高々と宙を舞った後、重力に従って地面に落下。こちらも結構な音がして、ぴくりとも動かなくなった。
 多分、最初に石壁が腹へヒットした時点でもう……だったよな。それがさらに地面へ叩きつけられて……。
 ……。
 依頼の魔物を倒したよ! やったね!

「ひええ~……」
「うおわ~ぁ……」

 イヴォニーとロルフの声が聞こえた。そちらを見やれば、草や岩陰に潜んで見守ってくれていた三人が、哀れなフォレストフロッグの惨状に呆然と目を見開いていた……。
 いや。僕もな、中位魔法で、これほど威力があるとは思っていなかったんだよ。
 けれど思い返せば確かに、ゲームでの戦闘時には、中位魔法でもこんな高い壁が出現したっけなと思わなくもない。
 そもそも魔法というものは、レベルが高くなるほど魔力が多くなり、威力も強化されるものだった。となると、九十九レベルの放つ魔法は、中位でも相当なものだったことになる。
 防御魔法だから攻撃にカウントされなかったのはもちろん、周辺の大樹をバッキリ折ってしまうことだってなかったんだがな。『風景』を構成する要素の破壊なんて、どんなゲームでも普通はできないんだよ。
 現実ってこういうことなんだな、と改めて実感した。

「えぐい」

 近くに来たイヴォニーが、ご臨終のフォレストフロッグを見下ろしてポツリ。
 そうだな。この魔物で試してよかった。土と岩と苔でできた蛙の人形が潰れただけにしか見えない。もしあの猪だったら、血や内臓が……うぷ。

「スランプ、とは?」

 ロルフよ。それは訊かないでくれ。
 最後にデューラーが足音もなく近付いてくる。イヴォニーとロルフは未だに呆然としているけれど、彼はもういつもの表情に戻っていた。
 デューラーはどんな反応をするだろう。少し気まずい。

「レン」
「な、なんだ?」
「これは好物か? さっき見てたろ」

 彼の手には、森へ入った直後に見かけた葡萄のような実がひと房、宝石のようにきらめいていた。


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