鏡の精霊と灰の魔法使いの邂逅譚

日村透

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友との再会

46. 案外知らないことはある

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 心の中の憧れのヒーローが現実に存在するとすれば、悠真にとってそれはオスカーのことだ。
 自分より何でも出来て、強くて格好いい憧れの対象。だからといって、何でもかんでもやってもらえばいいとは思わない。
 恋人、伴侶という関係にあり、特別に守られ、細かいところまで気を配ってもらうのは、それ自体は悪いことではないと思う。けれど、もらうばかりで何ひとつ返さない、返そうとしない自分を当然と思うのは、やはり違うと思うのだ。

 自分の心臓が動いていた朝。ずっと流せなかった涙が溢れ、生きているんだと実感できたあの瞬間は、どんな言葉でも喩えようがない。
 あれと同じほどのものを返すことはできなくても、自分が与えられた救いを、幸福な気持ちを、オスカーに少しでも還元したいのである。

(あの一家のことだけじゃなく、それ以外でも、あの人だけを矢面に立たせないためには、自分の足で立てていなきゃいけないんだ)

 大切な友が会いに来ようとしてくれている、その中に紛れているであろう招かれざる客のために、オスカーは《シーカ》を悠真の護衛につけた。その客人がどういう危険をはらんだ者なのか、無知なままでは対処を誤ってしまいかねず、だから彼は悠真に手紙を読ませた。
 そのおかげで悠真は、少なくともやすやすと相手の口車に乗るリスクは回避できた。オスカーがどんなに堅固な守りを築いてくれても、自分でそこから出るような愚を犯してしまっては意味がない。

「ねえ、《シーカ》。少し意見を聞きたいんだけど、いいかな」

 部屋の隅に控えていた影へ問えば、影はこくりと頷いた。

「ありがとう。ところで《シーカ》って、読み書きはできる?」

 影は反応しなかった。否定も肯定もない。どうしたんだろうと思っていると、ゾーイが「あの、ユウマ様…」と遠慮がちに口を挟んだ。

「読み書きができるか、とは、どういうことでしょう?」
「え? 普通に……あ、そうか、ごめん。この質問、結構ふんわりして答えにくいね」

 読めても書けないことだってあるだろうし、そもそも《シーカ》は何百年も昔に生きていた人だ。この時代とは言い回しや使っている言語が異なるとすれば、頷くのも躊躇ためらわれるだろう。
 ゾーイが言いたいのはそういうことではないのだが、気付かずに悠真は質問を変えた。

「《シーカ》は生前、字を読むことはできた?」

 頷いた。

「じゃあ、書くことはできた?」

 頷いた。
 それならと、悠真は机から紙とペンとインクを取り出し、ローテーブルの上に広げた。《シーカ》に対面のソファへ座るよう勧めれば、ゾーイが横で目を丸くし、影が素直に従うのを見てさらにギョッとしていたが、やはり悠真は気付かない。

「魔導語とか精霊言語だったら、時代が離れていてもそんなに大きく変わったりしないよね。《シーカ》はどちらか書ける?」

 影は首を横に振り、ペンにインクをつけてサラサラと書き始めた。

『それがしが 書き文字として理解しております言語は この言語のみにございます』

 この国の古語だった。文字の形や文法が現代と一部異なり、古語をたしなんでいる者でなければ読めなかったろう。

「《シーカ》の字、リアムさんより綺麗じゃないか!」

『お褒めを賜り 恐悦至極に存じます 筆頭殿の御文字は それがしもどうかと 我が君も度々 解読に 難儀しておられます』

「あははは! だよね~!」

 悠真は手を叩いて笑い、ゾーイは皿のように目をいていた。

「意見を聞きたいっていうのはね……僕はさ、オスカーやここの人達を守りたいし、何かをしてあげたいって思うんだ。でも思い込みで勝手に行動した結果が、オスカーやみんなの足を引っ張ることになったらいけない。だから、僕はこうしたほうがいいって指摘したいことや助言がもしあれば、聞きたいと思ってさ」

『されど申し上げられますことは 至極単純にございます おのが身にできる範囲にて できることを行うべし 基本にございまするが 基本こそ存外忘却の果てに 打ち捨てられておりましょう』

「……《シーカ》の言う通りかも。慣れてくると、やっているつもりで実は案外やっていないことってあるし……ということは、初心に立ち返って、僕にできることを一つずつ考えてみたほうがいいってことかな。頭とか体力は人並みで、得意なのは魔法だよね。無詠唱で使える。火と水の属性が使えて、応用で熱や氷も感覚的に使える。あとは……」

『御身をお護りする者として 率先しての戦闘は 避けていただきたく』

「うん、もちろんしないってば。実戦て、きみとオスカーがやっていたようなあれだろ? あれは僕には無理だよ、頑張ってどうにかなる次元じゃない……。だから僕としては、護衛してくれる人の邪魔をせずに自分を守れる方法を、何かしら持っておいとくのがいいよね。そうしたら護衛の人も、僕を気にせず仕事に集中できるだろうから」

 《シーカ》は頷いた。《シーカ》は悠真の守護を命じられており、悠真が我が身を危険に晒して護衛に助太刀しようとしたり、周りを助けようと動いてしまったら非常に困るのだ。

「うーん、後は何かあったかな。僕、あんまり特技ってないんだよなあ」

いな 文字これ自体が ご伴侶様の特技かと存じまする このように それがしとも対話が 可能にございましょう』

「そうだった。灯台下暗し……ボケてるな、僕」

 サインを鏡文字で書いて、オスカーやリアムを驚かせたのは大昔の話ではない。彼らにさえ読めない、書けないものが悠真には読み書き可能だとすれば、オスカーの普段の仕事で手伝えることが意外とあるのではないか。相談してみて問題がないようであれば、真面目に助手を検討してみよう。
 そもそも彼の仕事を手伝えないと思っていたのは、自分の魔法のレベルがそこまでではないと思い込んでいたからだ。ずっと初級程度のレベルだと思っていたから、実は違うと言われても、その根拠になるのが無詠唱だけでは意識がなかなか変わらない。努力せずに得たものは、自分の中での価値がどうしても低くなりがちだ。

(鏡の世界では練習をやり尽くした感があったせいで、こっちの世界に戻れた後、あんまり魔法魔法! ってならなかったんだよね。でもあっちの世界と違って、こちらでは火が燃え移るし、氷は冷たい。なのに宴会芸で披露したのと、時々飲み物を冷やすぐらいで、前より全然使ってないよな)

 鏡の中では、とにかく時間だけは有り余っていた。眠りがなく消耗しない、この二点だけでもこちらとは隔絶した違いがある。
 途中からはあんなに好きだった魔法も、上達する感覚や新しい発見を得られなくなってからは、退屈になってきていた。改めて思えば、ちゃんと検証ができていないかもしれない。―――既にわかっているつもりになって。

(そういえばなんだか、前にガゼボでヤバめのことなかったっけ?)

 アレな記憶と一緒に封印していたのだが、ガゼボから出た時、周辺の樹々の枝から雪や氷柱つららが落ちて、池の氷もバキバキに割れてしまっていた。
 あれが悠真の仕業しわざだとしたら、一体どんな魔法を使ったのだろう? 衝撃波など放った覚えはない。

(もしかして、あれも水魔法? 雪と氷と池の水に、気付かず干渉した、とか?)

 有り得ることだった。グラスの中の水を冷やせるのなら、池の水や降り積もった雪に影響を与えられない道理はない。
 次いで思い付いてしまった可能性に、ゾッと皮膚の表面が逆立った。……自分が影響を与えられる『水』とは、どこまでの範囲を言うのだろう。
 ジュースを冷やすことはできた。……血液は?
 人の体内に、流れている血は。

(やばい……激ヤバじゃん……。これ、オスカーに訊いてみないと……)

 火と水だけではない。もうひとつある。
 そもそも、と、考えれば。
 青くなった悠真に、《シーカ》がさらさら紙に続けた。

『恐れながら ご伴侶様の特技につきましては 火と水と字 この三柱のみに非ずと存じまする』
『貴方様は 《鏡の精霊》にござりますれば』

「……ゾーイ。ごめん、忙しいかもしれないけど、オスカーが」
「かしこまりました。ただちに旦那様にご報告いたします」
「え、報告?」

 オスカーが戻ったらすぐ行くから、ウィギルに僕を呼ぶよう伝えてもらえないかな―――と続けたかったのだが、ゾーイは優雅に音もなく高速でドアから消えてしまった。
 《シーカ》と二人してポカンとドアを見つめ、やがてどちらともなく再び顔を見合わせる。

『頃合いよく 我が君がお戻りでございますな 間もなく参られましょう』

「そうなんだ? タイミングよかったね」

 ほのぼのとした空気が漂い、筆談を再開した。
 やがて数分も経たずに、オスカーがいきなりドアを開けた。

「オスカー、お帰りなさい! 相談したいことがあったんだ」

『お帰りなさいませ』

 オスカーは目を見開き、悠真と《シーカ》を交互に見て、テーブルに散らばる紙と《シーカ》の手元の紙を凝視した。

「オスカー? どうしたの?」
「《シーカ》、おまえ―――読み書きができたのか……!?」



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読んでくださってありがとうございますm(_ _)m
一部修正しました。
今月多忙のため更新が不定期になっており申し訳ないです…。

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