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悪(役)を救うには
22. 何故来た
しおりを挟む一週間後、ヴェルク公爵から返事が来た。
回答は、俺との縁談を前向きに進めたいとのこと。ついては、婚約証書を作成するための顔見せの日取りは、約一ヶ月後と決まった。
あと一ヶ月も待たないといけないの!? と、つい食いつきたくなったのをぐっと呑み込んだ。
会社で働いていた頃も、大事なことは最低一ヶ月前には申し出ろ、というのが当たり前だった。同僚が結婚式をする時だって、「お式は来週です」なんて人はいなかったもんな。それだと逆に期間が短いから、二~三ヶ月前には知らせをしておくのが普通だった。
子供時間と大人時間の感覚の違いだ。今の俺にとってはとてつもなく長い期間に感じるけれど、大人にとって一ヶ月はそこまで長くはない。
大人が予定を調整する時は、自分以外の誰かの予定も確認する必要が出てくるし、何かをしていれば一ヶ月でも短く感じるようになる。
でもリシェルの感覚は、間違いなく今の俺に近い。
「ヴェルク公が取消しを望むことはないでしょうから、焦れる必要はありませんよ」
たとえ公爵令息であろうと、それがフェーミナであれば、どの家も「第二夫人にもらってあげましょう」と上から目線でくるものらしい。
是非我が子の正妻にと望む者がいても、明らかに公爵家にすり寄って利益を搾り取るのが目的の下位貴族であったりする。
だから同格の身分で、それも『正妻』という条件付きはリシェルにとって破格なのだ。これを上回る条件はどこにもなく、逃せば次は確実にない。
だけど、俺はヴェルク公が土壇場で嫌がるとか、そういう心配はしていないんだ。
母上様の仰る通り、彼はムスター側の申し出を受け入れるしかなくなる。家に戻り、長男の惨状を知りさえすれば。
でもそれを知っているのは俺だけだから焦れるんだよ。
親の同意がなければ勝手に会うことができないのは常識だし、四公同士であろうと赤の他人だ。だから母上様も、今はどうしようもないのはわかっているんだけれど。
「婚約という大事に際して、当日ぎりぎりに帰宅ということは通常ありません。ヴェルク公はそのあたりをきちんとする人物ですから、遅くとも一週間ほど前には戻っているでしょう」
「そうですか……」
俺が納得いかない顔をしている理由などお見通しだった母上様は、ほんの少し心が軽くなる材料を出してくれた。
そうだな。だって、リシェルを連れてここに来るのが一ヶ月後の約束なんだから、戻るのはもっと前か。
俺が直接手を下してやりたいけれど、俺の気分に固執して、あいつの救いの手を遅らせるのはダメだ。ヴェルク公にはさっさと帰宅し、あいつ周りのクズを地下牢にぶち込んでいただいて――絶対ヴェルクさん宅にもあるはず――俺は婚約が結べたら、婚約者特権として料理方法に口出しをしよう。
俺はその日まで、授業をマナーに全振りすることになった。今まではそこそこ身についた程度だったからな。
一ヶ月も集中的に鍛えれば、もう付け焼刃ではなくなるだろう。
ところが半月を少し過ぎた頃、ムスター邸に来客があった。
母上様の応接間にお通ししたらしいのだが、何故かほんの少し慌てた様子で、従僕が俺を呼びに来た。
「どうなさったのかしら?」
「何なのでしょう?」
俺はその時、アデリナお姉様と一緒にマナーの授業を受けていた。お茶会時のマナーだったんだが、お姉様と先生にも中断のお詫びを告げて失礼し、心持ち早足で応接間に向かった。
「ピ? ……おかしいですね。何故こちらに来たのでしょうか?」
手の中でピヨちゃんが首を傾げた。俺より先に、中にいるのが誰なのかわかったみたいだ。
邸内であろうと、必ず複数の使用人が俺の周囲に付くようになっていて、前を歩いていた従僕がドアの前の騎士に声をかけた。
すっかり顔見知りになった母上様の護衛騎士が、俺に会釈をしながらドアを開けてくれて、室内に通されたのだが……。
「――っ?」
目を見開いた。ミッテちゃんが不思議がるわけだ。
なんで今ここに、この人がいるんだよ?
ソファの片方には母上様。もう片方には、知らないおじさんの姿。
でも俺はその人に見覚えがあった。顔は知らないけれど、髪の色や全体の服装、シルエットでそれが誰なのかは察せられる。
ゲームでは名前も出なかった脇役の一人。
「ランハート。この方はレナード・フォン・ヴェルク。ヴェルク公爵その人です」
やはり本人か。しかし、なんだって今日ここにいるんだ。しかも母上様の眉間に、またシワが寄っているではないか。
母上様は不機嫌でなくとも眉根を寄せることが多いけれど、今のこれは確実に不機嫌な時のそれだ。
「こちらが例のご子息か」
ヴェルク公爵もどことなく不機嫌そうだ。そして俺の頭からつま先まで、どこか不審な者を見る目でジロジロ見ている。
ノイマンは忙しくしていたから、俺はヴェルク公のことを執事に教えてもらった。それによれば、ヴェルク公は三十五歳。気質が武人寄りで生真面目、少々頑固だが身内には懐の深い人物なのだそうだ。
奥さんのことを深く愛しており、次男の出産時は戻っていたらしい。けれど難産で、その後間もなく奥さんが亡くなってしまい、葬儀を行い、そしてまた慌ただしく仕事に行った。
ちょうど忙しい時期に、跡取り息子の誕生と妻の葬儀が重なり、それに関しては同情を禁じ得なかったと執事は言った。
でも俺はそこに、完全に無視され、忘れ去られていた小さな子供の姿が見えてしまった。
事実、このヴェルク公はその時、それに気付くチャンスを逃したのだ。
「わたくしの息子に、何か言いたいことでもあるのですか?」
どことなくイラついた母上様が問いかけ、ヴェルク公もイライラと母上様を睨みつけた。
「何を企んでいる、魔女」
言うに事欠いてそれか。俺は表情をスンと仕舞い込み、口をひらいた。
「お母様。この方は何をしに来たのでしょう。阿呆なのでしょうか」
「否定できませんね。もう少しマシだと思っていたのですが、期待外れで残念です」
「なっ!?」
ヴェルク公が俺を凝視し、次いで母上様を睨みつけた。いちいち人の母上様を睨んでんじゃねえよ。
「お母様、もしやこの方、我が家の事情についてご存知ないのですか?」
「宣伝はしておりませんが、察している家は多いでしょう。この男には先日の手紙でしっかり伝えましたよ。あれで家へ戻ることを期待していたのに、先にこちらへ来てしまうとは。せっかくおまえが悩んで決意したというのに、台無しになってしまいましたね」
「……何の話だ?」
訝しげな公爵のツラに、俺もイラっとしてきた。
「お初にお目にかかりますヴェルク公、ランハートと申します以後お見知りおきを。ところであなた、何故ここにいるんですか。お母様へ因縁をつける暇があるのなら、やるべきことを先にやってください」
「何?」
「リシェル・フォン・ヴェルクの、巷の噂をご存知ですか? 愚鈍、醜い、無価値なお荷物子息だそうですよ」
「――きさま、我が息子を愚弄するか!?」
巷の噂、つったろうがよ。
「ほほほほほ!」
「何がおかしい!?」
「お伝えしましたでしょう? 他家の子に興味を持ったこの子へ、わたくしが貴家の話をしてあげたところ、ご子息の境遇にいたく関心を持ったのだと。この意味、まだわからないのですか?」
「なんだと……?」
ヴェルク公はまた怪訝そうにしながらも、母上様の言葉を吟味し、やがてハッとした表情になった。
執事の言っていた『気質が武人寄り』という人物評は的を射ていたな。どちらかといえば直情的なようだ。
でも、うちのアレより鈍くはないし、魔女と苦手意識を抱きつつも、アレより母上様の言葉をちゃんと聞いている。
ピンと閃いた。ヴェルク公がこちらに来たのなら、ムスター家がこの問題へ堂々と介入する口実が作れちゃうかも?
「ヴェルク公。あなたの館へ、このように連絡してもらえませんか?」
幾分冷静になった公爵の瞳が、困惑とともに俺を映した。
「『予定より早くこちらに戻った。現在ムスター邸にいる。すぐにリシェルを、リシェル付きの使用人と一緒にこちらへ連れてきなさい』と。そういった内容で」
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