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神秘と心霊と
60. 彷徨える罪人への手向け
しおりを挟む本日も少々遅くなりました。
読みに来てくださってありがとうございます。
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不審な辻馬車によって犯罪に巻き込まれたことから、オズワルドはモーガン議員の馬車で送ってもらえることになった。
厚意に感謝を述べつつ、ふと思い出す。
そういえば、皮膚がざわつくようなあの不快な冷気がない。
(あいつは去ったみたいだな)
胸を撫で下ろし、馬車の踏み台に足をかけたところで、警官が背後から声をかけてきた。
「それではクラーク様、明日そちらにお伺いいたします」
「どうぞお気を付けください」
「ええ、ありがとう……」
顔だけで振り返った。
その視線が、先ほど逃げてきた道に吸い込まれる。
街灯から少しばかり離れた場所に、男が立っていた。
山高帽を目深に被り、顔は見えない。黒いコートを着て、黒革の手袋を嵌めている。
手には、刃渡りの長いナイフ。
「…………」
目が合った。
(え、いたのか!?)
オズワルドが焦ったのとほぼ同時に、男はおもむろに身体の向きを変えた。
何故かこちらにゆらりと背を向け、先ほどまでの木偶人形めいた動きと打って変わって、自然にゆったりとした足運びで歩いて行く。
そうして、闇の中にとけて消えた。
(…………?)
追ってくる様子がない。どうしたのだろう。
しかし乗りかけで固まっていたせいで、先に乗り込んでいたモーガン議員が怪訝そうに呼びかけてきた。
「クラーク殿、どうしたのかね?」
「あ、いえ……」
警官達も不審そうに、何かあるのかとオズワルドの視線の先を見ている。
(しまった、どう言い訳しよう?)
幸い、その必要はなかった。
奥の暗がりでカタンという音が鳴り、小さな生き物がサササッと横切っていったのだ。
「――失礼しました。何か動いたと思ったのですが、ネズミだったようです」
全員の顔に「ああ、なるほど」という文字が浮かぶ。
タイミングよく登場してくれた生き物のおかげで、オズワルドは今回も難を逃れた。
それにしても、今夜は運の良し悪しが極端で疲れる。
改めて座席に落ち着くと、忘れていた疲れがどっと押し寄せた。
このまま寝込んでしまいたいが、ぐったりとした様子を他人の前で見せてはならない。
背筋をきりりと伸ばして顔を上げると、夫妻の顔が目に入る。
(ん?)
モーガン議員と、それから間違いなく一等車でにこやかに話しかけてきたあの老婦人が、落ち着かなげにモジモジしていた。
どうしてか、オズワルドよりも緊張して見える。
「どうなさいました?」
「あ、うむ……」
「ほ、ほほ……」
夫はツンと厳しそうに、妻はにこやかな笑顔で、やはりモジモジしている。
性格や表情など、受ける印象は真逆なのに、『似た者夫婦』という単語が頭に浮かんだ。
そこでオズワルドはやっと思い至る。
「一等車では名乗っておりませんでしたね。改めまして、オズワルド・クラークと申します」
警官に名前を告げた時点で、二人ともそれを耳にしていたのだ。
夫婦揃って愛読している小説の、作者の名前を。
「あー、私は、知っての通り議員をしておるダグラス・モーガンだ。こちらは妻のキャサリン。ところで、クラーク殿は、そのう……」
「作者です。黙っていて申し訳ありません」
「い、いやいやいや、謝罪などする必要はないぞ、うむ」
「そ、そうですわよ、必要ありませんわ」
モジモジしていたかと思えば、次はキラキラとした目でオズワルドを見つめてきた。
よもや議員夫妻にそんな憧れのまなざしを向けられるとは思わず、反応に困る。
(地位も業績もあんたらのほうがよっぽどすごいだろう? 俺なんて凡人だぞ)
モーガン議員だけでなく、夫人のキャサリン・モーガンも知る人ぞ知る有名人だ。若い頃から女性の地位の向上を目的としたさまざまな活動をしており、婦人日報でよく名前を見かける。
「あなたがたが偶然ここを通りかかってくださったおかげで、本当に助かりました。お二人はパーティーに行くところだったのではありませんか?」
だとしたら自分のせいで欠席扱いになってしまったかもしれない。
そう案じたオズワルドに、夫婦は幾分緊張をといて首を横に振った。
「心配には及ばぬ。ちょうど帰りだったのでな。それに、パーティーでもない。……共同墓地に花を手向けてきたのだ」
「共同墓地、ですか」
身内や知人ですらなく、身元不明の人間や犯罪者などをまとめて葬っている墓に、どんな理由で花を供えたというのだろう。
「クラーク殿はご存じかね。連日記事になっておった、『ミスター・フェイド』のことを」
「それは、ミルズ街の……」
いや、首都レッドフォード全体を恐怖と興奮に陥れていた、連続殺人鬼のニックネームだ。
犯行によく使われたミルズ街で、警察の囮捜査によりおびき出され、射殺されている。
もしや自分が彷徨っていたのは、ミルズ街に通じている貧民街だったか。そう思うと、このあたりの道には見覚えがある気がした。
「凶悪犯は通常の共同墓地とも違い、隔離された場所に葬られる。存在を消し去れと言わんばかりに、墓標すら立てられん。だが、だいたいの場所は記録されておってな。そこに花を置いてきた」
「もしや、『ミスター・フェイド』のために? 何故そのような」
「私も妻も、冤罪ではないかと疑っておる」
「冤罪」
――その割にあの男、ナイフを持ってひたすら追いかけてきたのだが。
『フロストムーア・ホテル』では、確実にそこの当主を手にかけている。
オズワルドの声と表情に呆れが滲んだせいか、モーガン議員はすぐに言葉を重ねた。
「む、すまん。語弊があったな。ただ、怪しいと思っとるのだよ。『ミスター・フェイド』は軍靴を履いておったのだ」
「軍靴、ですか」
「軍人くずれが罪に手を染めるのも、残念ながらないことではない。だが『ミスター・フェイド』の場合、終わりがあっさりしすぎとるんだ。警察をバカにしとるわけではもちろんない。しかし現実として、訓練を受けた者はそうたやすく捕まりはせんのだ」
夫人も隣で聞きながら、おっとりと頷いている。こちらも夫婦揃って同意見のようだ。
「凶悪犯は死後、解剖に回されることがある。『ミスター・フェイド』の肉体の筋肉は、やはり軍人に近かったそうだ。これも非常に残念なことなのだが、身内のいない軍人や、何らかの事情で軍を辞めざるを得なかった者の存在を消して、いいように使う輩もおるのだよ」
「そう、なのですか……」
「大きな声では言えんのだが、墓前と思しき一角で、妻ともそのような話をしてな。実は『ミスター・フェイド』を使っとった奴がいて、用済みになったか飼い続けられなくなったかで、始末したのではないか……そう思っとるのだ」
それにも夫人は頷いている。
それだけでなく、控えめに言葉を紡いだ。
「恐ろしい連続殺人鬼と呼ばれておりましたけれど、そこに本人の意思はあったのか、と。わたくしと夫の、憶測に過ぎないかもしれませんけれど」
二人の言葉に、オズワルドは「だからか」と腑に落ちた。
目が合ったと思った。
だがあの男が見ていたのは、もしかしたら。
(そうか。……だからか)
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