死の花

丸井竹

文字の大きさ
上 下
36 / 40

36.家族の誓い

しおりを挟む
 王宮のレイシャの部屋には呆然と立ち尽くす、王妃レフリアの姿があった。
そこはレイシャのために用意された寝室のクローゼットの前だった。
中には王妃が娘のために揃えた豪華なドレスが並んでいる。
それに合わせた高価な装飾品の類も、小さな引き出しにびっしり入っていたが、どれ一つ使われた形跡がなかった。

今更母親の真似事をしても受け入れてはもらえなかったのだ。
世継ぎの息子は王になるための教育係が付き、母親の手で育てられた時間はわずかだった。
手元で育てることが出来たのは娘だけだったのに、周囲の意見に流され、王妃は自らの手で娘を手放した。

扉が開く音と共に足音が近づいてきた。

「ここにいたのか……」

寝室に入ってきたのはデノン王だった。

「イウレシャが引退を申し出てきた。古書管理部への異動になった」

その程度ではレフリアの怒りは収まらなかった。
凍てついた表情でレフリアは王から顔を背けた。

と、窓も空いていないのに突然風が吹き込んだ。
ふわりと寝台を囲むカーテンが大きく揺れ、薄い布地がゆっくりと広がると、透ける布地の向こうに二つの人影が現れた。

「レイシャ!」

すぐにレフリアが叫んだ。
飛び出そうとしたレフリア王妃の腕をデノン王が掴んで引き止めた。

レイシャの隣には黒いローブをまとった魔法使いが立っていた。
その頬はこけ、手首までも骸骨のように細い。
目は漆黒に染まり、人間らしい表情を失っている。
初めてフェスターに会った時のような危険を感じ、王は王妃を守ろうとした。

柱に囲まれた寝台の向こうから、レイシャが気まずそうな顔を横に覗かせた。

「あの……もうお付き合いはこの場限りにと言ったと思うのですが……ちょっとだけ頼れないかと思いまして……」

レフリアは顔を輝かせた。しかし王は警戒し、王妃の腕を押さえこんでいる。

「待て。まずは本当に私たちの子供だという証を見せてもらう必要がある。神官を呼ぶ」

見かけは若い頃の王妃にそっくりだが、父親がフェスターであることもあり得る。
王はその疑いを拭いきれないでいた。

フェスターには王を憎む動機が十分にある。

「まだそんなことを!」

レフリアは怒って抗議したが、王が聞かないとみると、もし実の娘であった時は王に償ってもらうと言い放った。

神官が現れ王族の血筋であることを証明するための石板が運ばれてきた。
躊躇うことなくレイシャがそれに手を触れると、木の根のような線が伸び、二つに別れた。
そこに二つの王族の名が並ぶ。
すかさず神官がレイシャはデノン王の血筋であると宣言した。

レフリアは喜び、レイシャの後ろに控えていた魔法使いは、王女となったレイシャに結婚を申し込んでいいものか、複雑な表情になった。まだ正式な求婚はしていない。

「ほら!私があなた以外に体を許すはずがないじゃないですか!」

レフリアが勝ち誇ったように叫んだ。
デノン王はその結果を突き付けられて、初めて娘なのかとレイシャをまじまじと見つめた。
となれば、王妃の言葉通り、フェスターとはそうした関係ではなかったのだ。

「もしフェスターがレイシャを取引の対価に選ばなければ、俺は、実の娘を殺してしまうところだったのか……」

デノン王の言葉に、レフリアもまた口を閉ざした。
フェスターに長いこと娘を奪われたとレフリアは恨みを抱いてきたが、それは間違いだったのだ。

魔法契約の取引材料にフェスターがレイシャを指定したため、王は王妃のお腹の中にいるレイシャを呪い殺せなくなった。
それ故、呪術を跳ね返すほど強い魔法対価契約の力でレイシャは呪いから守られ、無事生まれることが出来た。
フェスターにいろいろ問題があったにしろ、レフリア王妃のお腹に宿った命を守ったことだけは確かだった。

レイシャは二人の複雑そうな顔を見て、少しだけ得意げに頷いた。

「簡単にフェスター様に感謝出来ない気持ちはよくわかります。あの方、少しひねくれていますから。優しいのか、意地悪なのか、さっぱりわからないですよね」

「根は、悪くないと思う……」

ぼそりと呟いたのはディーンだった。
レイシャが振り返り、二人は目を合わせて、微笑み合った。

その親密な様子に、レフリアが身を乗り出した。

「レイシャ、その方は?」

レイシャは誇らしげにディーンの腕に自分の腕を絡めた。

「では、紹介しますね」

レイシャが馴れ初めから話しだすと、王と王妃の表情は険しくなり、それから男娼から魔法使いになったディーンとレイシャの切ない恋の話になると、眉間の皺は深くなり、夫の目を盗みついに互いに想いを告白しあった話になると、口をぽかんと開けた。
波乱万丈のあまり褒められることではない人妻と男娼の恋物語に、黙り込んでしまった王と王妃を前に、レイシャは胸を張った。

「人妻でありながら惹かれてしまったというところは、確かに良くないところだと思いますが、私達は純粋に愛し合っていますし、彼はとにかく優しくて、素敵な方です」

ディーンも正直に自身のことを話した。

「男娼でしたし、客を騙してお金を落としてもらうような仕事で、あまり褒められるようなことはしてきていませんでしたが、フェスター様に指導していただき、王国中の死の花を消滅させました。
多少は国の平和に貢献出来たのではないかと思います……」

二人は頬を赤らめ、まだ初々しい仕草で手を繋いだ。
不幸を背負わされてきたはずのレイシャの幸せそうな姿に、王妃はフェスターの話は本当だったのだと考えた。

――レイシャには計画を狂わせられっぱなしだった……

なかなか不幸になってくれないレイシャに、フェスターは手を焼いたはずだ。

「レイシャ、私で出来ることがあるなら、なんでも相談してちょうだい。その、母親と思わなくてもいいから……」

レフリアの言葉にレイシャは顔を輝かせ、ディーンは本当に頼んでいいのだろうかというように困ったような表情になった。
すかさずレイシャが本題に入った。

「どうか、私達に仕事を紹介してもらえないでしょうか!その、私は字も読めませんが……」

ディーンも姿勢を正し、頭を下げる。

「私はもともと魔法使いの生まれではないので、今抱えている魔力のほとんどは捨てることになると思います。
ですが、フェスター様にみてもらい、鍛錬で習得した部分においては魔力を使うことが可能とわかりました。
大きなことは出来ませんが、霊薬師かあるいは古代語の解読師でしたらなれると思います」

王は特に何も出来なくてもレイシャは王女なのだから、金を送るつもりだと説明したが、レイシャはとんでもないと首を横に振った。

「すごくうれしいのですが、あまりお世話になり過ぎるのも怖いです。見返りを求められそうで落ち着きません。出来そうな仕事を紹介して頂きたいのです」

思いついたように、王妃が歓喜の声をあげた。

「あります!ありますとも!王妃の話し相手という仕事が王宮にはあるのですよ。毎日でなくてもいいから、三日に一度、あるいは月に一度とか、私の相手をしてもらうのです。字も教えてあげますし、歌や踊りも覚えられます」

本当にそんな馬鹿げた仕事があるのだろうかと不審な顔付きになったレイシャの両手を握り、レフリアは絶対に断らないで欲しいと懇願した。

王は神妙な顔つきでしばらく考えていたが、やがて一つの提案をした。

「では古代書物の解読を頼めるだろうか?高度な技術を必要とするためか、解読できない古代書物はたくさんある。内容がわかれば現代にも応用できる技術があるのではないかと、研究者たちは考えている。
確か、フェスター殿はそれをいとも簡単に読んでいた気がする……。
月に一度、解読したものを届けてくれたら、そのついでに家族で顔を合わせることが出来る」

得体のしれない力を持つ魔法使いはどうしても恐怖の対象だ。
支配下におけないのならば、監視する必要がある。
魔法使いにとって古代の文字や書物は、太古の魔力に触れることが出来る貴重な物だと聞いたことがあった。
難解な書物の解読には絶対にフェスターの協力が必要になる。

となれば、ディーンはフェスターと繋がり続けるしかないだろう。
解読を終えるたびに二人が王宮に来れば、フェスターの様子を聞くこともできるだろうし、王妃もレイシャと話しが出来る。
家族で顔を合わせていけば、家族の絆も少しずつ育つかもしれない。
なにせ、若い二人には子供が出来るかもしれないのだ。
孫の存在だけは見逃せない。

いろいろ間違いを犯したが、善行だけで国を治めた王はいない。
この失敗を未来につなげなければならないと王は冷静に考えた。

「一カ月に一度来ればいいなんて楽じゃない?ディーンはどう?嫌?」

王妃が畳みかけるように答えを急かす。
月に一度は正直少ないと感じているが、今はレイシャに嫌われている段階だ。
少しずつ仲を深めていけば、もっとたくさん会えるようになると王妃は考えた。

レイシャはディーンを見上げ、問いかけるように首を傾けた。

ディーンは困惑の表情を浮かべ、黙っている。
その心の中は、急速に膨れ上がった不安でいっぱいだった。
結婚するには仕事が必要だと思い、レイシャの夫のような顔で仕事を頼みにきたが、実際のところはまだ結婚していないのだ。
想いを告白し合ったが、その時はまだレイシャは人妻であったし、今も離縁したばかりだ。
王女であれば、良い縁談もたくさんあるだろう。

前歴男娼で、現在無職の男にも、良い仕事を紹介してくれるというのだから、王女という身分にはそれだけの力があるのだ。
本当に自分のような男が、レイシャの夫になってもいいのか、ディーンはわからなくなっていた。
やったことのない仕事なのだから、フェスターの力を借りることにもなる。
一人の力でレイシャを幸せに出来る保証はどこにもない。

答を待つ三人を見回し、ディーンはようやく口を開いた。

「もちろん、とてもありがたい話です。しかし、レイシャ、俺は……」

ディーンは膝をついてレイシャの手を取った。

「フェスター様と離縁した君にまだ求婚していない。レイシャ、本当に俺と一緒になってくれるのか?
今のところ、俺は無力だし、さらに恥ずべき過去がある。君は尊い血を継いでいるし、それに君の過去に俺のような恥じるべきところはないだろう?
ようやく独身に戻ったのであれば、他にも良い人がいるか探してからでもいいのではないか?」

王女の夫の前職が男娼では、レイシャは幸せになれないかもしれない。一緒になりたい気持ちはあるが、レイシャがディーンと結婚したことを後悔するようなことになるのは嫌だった。

とんでもないとレイシャは憤慨した。

「他に良い人なんていない!ディーンがいいのよ!それに、私はディーンが思っているほど良い女じゃないから誰も欲しがらないと思うわ。本当は、嫌われたくなくてディーンには隠しておきたかったのだけど……」

声を下げ、レイシャはちょっと悪い顔をした。

「私にも恥ずべき過去はたくさんあるわ」

驚く三人の前で、レイシャは恥ずべき過去について淡々と語りだした。

その話の大半は、酷い扱いを受けた、偽りの家族に対してやった仕返しの話だった。
こっそりスープに鼠の死骸や雑巾水を入れたこと。
階段に油をこぼして転ばせ、外出着のドレスの裾をわざとほつれさせ、外でスカートが落ちるように細工したこと。
持ち物の場所をこっそり変えて、大事な用事に遅刻させたこと。
偽家族が全員死ねばいいと思い、馬車の部品を、鉄の工具で破壊して外出を見送ったことまで告白した。

残念ながら、彼らは意図的な食中毒でも事故でも死ぬことはなかったが、レイシャは、最後の仕返しも忘れていなかった。
そんな酷い偽家族に仕送りを続けていたのは、いつかばっさり援助を打ち切り、困らせてやろうと考えていたからだと明かしたのだ。

「裕福な生活から無一文に陥って苦労しているだろうと考えると、申し訳ない気持ちすらわいてくるわ。あの人達、まともに働いたこともないと思うのよね。私を預かっている間は、お金持ちの人達との付き合いもあったから、今はすごく惨めな生活をしていると思うわ。
ね?やられた以上の仕返しもするし、人妻なのに娼館に通って恋もした。私は少しも良い女ではないの。
もう一つ付け足すのであれば、ディーンより私の方が裸を見られた回数は多いわ。
毎月数百人の前で全裸になっていたのだから」

王と王妃は唖然とし、ディーンも目を丸くした。

「私は少しも良い人間じゃない。意地悪だし、自分勝手で我儘なところもある。それでも、結婚してくれる?その……その後も嫌になって投げ出したりしないでくれる?」

不安そうなレイシャの眼差しを受け、ディーンは優しく微笑んだ。
その手を大切に片手で持ち上げ、唇の位置に持ってくる。

「レイシャ、俺と結婚してくれるか?」

厳かな口調でディーンは静かに問いかけた。
間髪入れずレイシャは応じた。

「もちろん。こんなはずじゃなかったってきっと後悔するわよ。でも、絶対離縁なんてしてあげない。覚悟してね」

ディーンが手の甲に口づけをするより早く、レイシャがディーンの首に抱き着いた。

レイシャのとんでもない告白を聞いていた王と王妃は、こっそりもらってくれる男性がいて良かったと考えた。
これから教育をし直したとしても、身分の良い男性のところに嫁がせるには少々心配になる娘だった。

王と王妃は抱き合う二人にぎこちなく拍手をし、表向きは和やかに家族の顔合わせは終了した。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

私のバラ色ではない人生

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:104,094pt お気に入り:5,034

王子に転生したので悪役令嬢と正統派ヒロインと共に無双する

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:177pt お気に入り:276

ご令嬢が悪者にさらわれるも、恋人が命がけで助けにくるお話

恋愛 / 完結 24h.ポイント:355pt お気に入り:25

【R18】お飾り妻は諦める~旦那様、貴方を想うのはもうやめます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:305pt お気に入り:459

悪役令嬢の慟哭

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:156pt お気に入り:188

処理中です...