聖なる衣

丸井竹

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7.過労と過去

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「彼女は養父のラバータに育てられました。彼は棺桶職人で、この墓を出ない男でした。冬を前にしたある寒い日、働き盛りの妻子ある若い男が死にました。不幸な事故であっという間の出来事だったそうです。
妻は幼い娘を連れ、墓の前で泣き崩れました。しかし、その棺に刻まれた美しい彫刻に魅せられた。棺桶職人のラバータは、天国の花と呼ばれる聖花を描いたのです。
夫を失った妻は、葬儀の後、そのお礼をラバータに告げに行きました。
どういうやりとりがあったかはわかりませんが、その女性とラバータは一緒に住み始めました。
それがエリンの母親です。エリンはまだ幼く、父親の墓の前でよく泣いていました。
しかし、ラバータはエリンを大切にしました。父親のように接したのです。
母親もラバータをエリンの父親に選んだように見えました。
生涯孤独の身と覚悟していたラバータは妻と子供が出来て本当に幸せそうでした……。
エリンも少しずつなつき、三人は家族のように暮らし始めた。
私もうれしく思っていました。ラバータは実直で良い男でしたから。
ところが……妻の方はこの墓での暮らしにすぐに飽きてしまいました。
娘を置いてよく出かけるようになり……」

ロベルは言葉を切り、祭壇から目を逸らし暗がりに数歩逃げた。
表情を隠したロベルに、男は怪訝な顔をしたが、辛抱強く話しの続きを待った。

「町で新しい夫を見つけました……。エリンは妻の連れ子でしたから、ある日、母親は彼女を連れて墓地から出て行きました。ラバータは泣いてすがり、行かないでくれと叫び、その声は教会の方にまで聞こえてくるほどでした。
棺桶を作ることしか出来ない男で、外にも出ないラバータに出会いはありません。
エリンの母親が出て行き、彼は絶望しました。
ところが、しばらくしてエリンだけが戻ってきました。とはいえ、エリンとラバータに血のつながりはありません。エリンは弟子になるからここに置いて欲しいとラバータに頭を下げました。
エリンを手元に置けば、その母親が戻ってくるかもしれないとラバータは考えました。
そこでラバータは正式にエリンを引き取り、エリンはここに住むようになったのです」

表情を隠したロベルの口元は見えず、その言葉が続くのかどうかわからない男は数秒待った。
それ以上の言葉が出てこないと知ると、男は一つだけ質問をした。

「母親は?エリンの母親は彼女を迎えに来なかったのですか?」

「ええ。顔も見せに来ませんでした。
ラバータは血のつながらない娘を抱え、棺桶を作り続け、ある冬の日、突然亡くなりました。埋葬に立ち会ったのはエリンだけでした。
エリンとその母親、ラバータが三人で暮らし始めた頃、エリンの笑い声を聞いたことがあります。
でも、母親が墓から町に通うようになり、エリンは心細そうでした。
背中を向け、町の方をじっと見ていました。母親に捨てられたら一人ぼっちになってしまうことがわかっていたのでしょう。ラバータが実の父でないこともわかっていました。
記憶にもないような父親の墓の前で、長い間、しゃがみこんで土を掘って遊んでいました。
母親とラバータ、そしてエリンはほんの短い間一緒に暮らしましたが、家族と感じる瞬間がエリンにあったかどうかはわかりません。
子育ての仕方も、温かな家庭も、エリンは知らないのかもしれません」

さらに影に入り込み、ロベルは背中を向けた。

「少々、用事を思い出しました」

真夜中の教会で、他に何か仕事があるのだろうかと、男は不思議に思ったが、深くは考えなかった。
今聞いた話を頭の中で思い出し、エリンとこれからどうしていくべきか考えた。

男がここから逃げてしまえば、息子はエリンのように帰らない父親を墓で待ち続けるかもしれない。
あるいは、学校に通い知識を得ている息子は、今度こそ軍学校の門をたたくかもしれない。

ラバータとエリンがどんな生活を送っていたかわからないが、エリンが温かい家庭を知ることはなかったのだ。
息子とうまく接することが出来ない理由は、そのせいなのかもしれない。

子供時代に愛されなかったエリンは、父親と母親のいる息子を受け入れられないのかもしれない。

本当の父親は記憶に残らないぐらい小さい時に死んでしまったのだ。

一年育てた息子は連れ去られ、男が取り戻したが、五年一緒に住んでまた連れていかれた。
産まれた娘はその日に手放した。

娘の時は、もう子育てを諦めたのかもしれない。

寂しさに任せ、女の体に慰めを求め、種を出すのは簡単だ。
男は吐き捨て、逃げてしまえる。
だけど男の悲しみを受けとめたエリンは、一夜限りのことで終わらなかった。

身勝手な男の息子を嫌っていたとしても不思議ではない。

女から答えが得られない限り、男の考えは全て憶測でしかない。
どうすればエリンが息子と自分を受け入れてくれるのか、答えが出ない問いを男は祈りの間の椅子に座り、一晩中考え続けた。


男にとっては苦しい日々だったが、一日、一日を乗り越え三人の生活はなんとか続いた。

女と息子の仲が改善することはなかったが、男は息子と少しずつ関係を深めていた。
男がしようとする仕事を息子は積極的に手伝うようになり、寮のある学校に戻りたいとは言わなくなった。

父親にもらった緑トカゲを納屋の隅で育て、調教の仕方を教わった息子は、春が近づくと目を輝かせて男に訴えた。

「父さん、春になったら乗ってもいい?」

まだまだ小さな緑トカゲの喉を撫でる息子を見て、男は迷った。

「俺がいる時でなければだめだ。それまでは絶対に一人で乗ったりするなよ」

息子は素直に頷いた。


 ぎこちなく三人の生活は続き、日常を積み重ね、ついに春が訪れた。
男と女の距離が縮まることはなかったが、男は常に女の体を気にかけた。
休日もなく働く女の指はぼろぼろで、手にも腕にも傷があった。

毎日石鹸で体を磨き、髪も洗ったが、それは仕事のための清め作業のようなもので、真冬でもかかさず体を洗うため、熱を出して倒れるようなことが何度もあった。
それでも、体を起こせるのであれば女は作業小屋に向かうのだ。

血のつながらない父親から引き継いだ仕事が、それほど大切なのだろうかと男は思ったが、寡黙な女が命を削り棺桶を作り続ける本当の理由はわからなかった。

まだ肌寒い春先のこと、無理がたたった女は寝台から動けなくなった。
男は治癒師を連れてきた。

「過労です。休ませて、この薬を飲ませてください」

五日分の薬が入った小瓶を置いて治癒師は帰った。

薬を飲ませ、一日目は寝かせておくことに成功したが、二日目には朝から棺桶づくりの音が聞こえてきた。
看病のため、床に毛布を敷いて寝ていた男は飛び起き、寝台の上を確かめた。
シーツは冷え切っていた。

作業小屋に入ると、白い息を吐きながら、棺桶を磨く女の姿があった。
装飾をしなければ棺桶づくりはそんなに時間はかからない。
しかし、女は絵を彫りこむため、時間がかかる。
遺族の希望を聞いてから本格的に絵を刻み始めるが、その基礎となる土台は既にいくつも完成させておく。

作業場の壁には絵を刻んだ棺桶の蓋が並べられている。
聖花や、山や川、あるいはのどかな田舎の風景、望まれそうな絵柄を絞ってだいたい仕上げてあるのだ。

簡単なものなら一日で完成するが、大掛かりなものなら三日はかかる。
国境近くにある町は、人の出入りも多く、弔いの鐘も毎日のように鳴ることがある。
墓は増えるし、裏の森は墓地を広げるために常に開拓が進んでいる。

男は女に近づき、抱えてきた毛布を背中に被せた。

「少し休んだ方が良い」

女はふらりと前に倒れ、棺桶に頭をうちつけた。
急いで助け起こし、男は女を抱き上げた。
その体はほとんど重さを感じず、男はぎょっとした。

苦悩を刻んだ真っ青な顔は、半分死にかけているようだった。
家に運び、寝室に寝かせて部屋を暖めた。

息子が起きてきて、不安そうに寝室に顔を出した。

「父さん……誰も起きていなかったから……。その人……具合がわるいの?」

息子は母親に嫌われていると思っている。
部屋を覗きはしたが、近づこうとはしなかった。

「ルカ、彼女は昨夜から熱が下がっていない。一人で食事をとって学校に行きなさい」

素直に頷いた息子は、すぐに立ち去ったりしなかった。

「手伝うことがある?」

男は微笑んだ。

「ありがとう。台所の水を新しいものに変えておいてくれ。それだけでいい」

「わかった!」

役に立てることがあったことを喜び、息子は頷いて走って行った。
男は女を腕に抱いて寝台に横たわった。
冷え切った体を温め、男はその細い体を優しく撫でた。

そうしていると、女を抱いた夜のことが蘇るようだった。
そんなに頻繁な交わりではなかったし、娘の時は一度しか抱いていない。
本当に自分の子供だったのだろうかと思ったが、女に出会いはないし、子供の父親は男しかいないのだ。

「エリン、許してくれ。もう十分だろう?」

意識を失っていたように見えた女は、ふと顔を上げた。
その目が男の目とぴたりと合った。
そんなことは初めてで、男は驚いて息を潜め、じっと女を見つめ返した。

まるで、初めて男がそこにいることに気が付いたように、女はその瞳に男の姿を写し、熱くほてった顔にわずかな感情を浮かべた。

「あなたは……あの子の父親なの?」

なぜそんな問いかけをするのか、わからなかったが、男は目を離さずに頷いた。

「そうだ。もう、俺は父親であることから逃げない」

「絶対に?」

男はもう一度頷いた。
すいっと視線を逸らし、女は何かを求めるように手をのばした。
その手がぱたりと落ちた。
今度こそ意識を失い、女は男の腕の中に沈み込んだ。

声をかけようとした時、物音がして男は振り返った。
心配そうな顔で息子が扉の陰から覗いている。

「まだいたのか、学校はどうした?」

息子は不安そうに男を見上げた。

「店に行って、父さんが来られないことを伝えた方がいい?」

学校が終われば店に手伝いに行くことになっている。

「そうだな。そうだ、買い物を頼めるか?」

教会から届けられる食材だけでは足りないし、女の服は男物のシャツとズボンだけだ。

「店のボーラに頼んで買い物を手伝ってもらってくれ。女物の服と乾いた布を何枚か用意して欲しい。それから……まて、紙に書く。中に入ってくれ」

男は女を寝台に寝かせると、適当な紙に品物の名前を書き、息子に渡した。

「無理はしなくていい。危険なこともだめだ」

「今日の学校はお休みさせてもらって、厩舎の方に先に行くよ」

男は小屋の戸口に見送りに出た。
擦り切れた持ち手の布の鞄を肩からかけ、息子はまだ雪の残る湿った土の上を走っていった。
扉を閉め、男は寝室に引き返す。

死んだように眠る女を見おろし、男はその若い頬に触れて熱を確かめた。
小瓶にはまだ薬が残っている。

それをグラスに数滴垂らし水で薄めると、男はそっと女の頭を抱え上げた。

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