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第1話 愛なき婚礼
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「これで『契約』は結ばれた――」
低く、よく通る男の声が、静寂を破って響く。
その声は、花嫁であるともえの耳に、刃のように突き刺さる。
金色に光る、男の異形の瞳が、ともえを一瞥する。
感情の欠片さえも見えない、その眼差しで。
ともえは、小さく頷いた。
そう。
これは、互いの利益のための『契約』の婚礼――
---
茜さす夕刻に、重々しい太鼓の音が響きわたる。
朱塗りの柱に金の装飾が施された広間には、白い絹の幕が張り巡らされ、燭台の炎が揺らめいている。
香の煙が立ち上り、甘く重い匂いが空気を満たしている。
しかし、その華やかな婚礼の儀式の中で、花嫁であるともえの心は、黒く塗りつぶされていた。
重たい十二単に身を包み、長い黒髪を大垂髪に結って座る、うら若き花嫁、ともえ。
この豪華絢爛な場の主役である彼女の美しい面立ちは、しかし、憂いと諦めに満ちていた。
手に持つ扇子が、微かに震える。
まだ齢十七のともえにとって、この婚礼はまるで他人事のように思えてならなかった。
畳の感触、絹の花嫁衣装の重さ。
そして鼻をつく白粉の匂い。
すべてが現実離れしており、何の実感も湧かない。
かつて彼女が知っていた世界とは、あまりにもかけ離れ過ぎている。
木曾義仲――
そんなともえの向かいに座る新郎、義仲は、その泰然とした姿勢を崩さない。
長身で広い肩幅の、理想的な貴公子。
漆黒の烏帽子の下からのぞく横顔は、彫刻のように整っている。
彼の存在感は、ただひたすらに圧倒的。
広間にいる誰もが、気高く危険な猛獣を目にしたかのように、彼の一挙手一投足に息を詰めている。
ともえが最初に出会った時の、荒々しく粗野な印象とは、まったくの別人だった。
---
婚礼の儀式が進行していく。
巫女が神楽を舞い、笛の音が響く。
三度の盃。
義仲の大きな手が、ともえの白く細い手を包む。
その瞬間、ともえは電流のような感覚を覚えた。
人間のものとは思えないほど熱い。
雷に触れたような感覚。
義仲の表情は、変わらない。
淡々と、儀式をこなしているだけ。
ともえに向ける眼差しに、新郎としての温かさは微塵もない。
「お前はこれから俺に従え、決して逆らうな」
義仲の声が、再び響く。
その傲慢な物言いに、ともえは内心で反発を覚えた。
なぜか今になって、現代で生きていた頃の記憶が蘇る。
現代の記憶と平安時代の現実の相違が、今さらともえの心を激しく揺さぶってくる。
女性の権利、平等、自由。
そんなものは、この時代には一切存在しない。
そして、今の彼女には選択の余地がない。
恋愛結婚が当たり前だった現代から、政略結婚が通例である戦乱の時代へ。
自由に生きることができた社会から、男性に従属することが求められる社会へ。
その現実、その落差に、ともえは目眩すら覚えた。
参列者たちはみな、義仲の高貴で精悍ないでたちに圧倒されている。
ともえの家である、今井家の家臣たちもまた、例外ではない。
勇猛で知られる武士たちは、義仲の前では借りてきた猫のように大人しい。
ともえの兄である今井兼平でさえ、心配そうに妹を見つめながら、義仲には何も言えずにいた。
兄の心配そうな視線を感じて、ともえは再び決意を新たにする。
今井家のため、愛する兄と優しい家族のため、この契約結婚を受け入れよう。
そう決めたのだ。
---
婚礼の儀式が終わると、参列者たちは祝宴の席へと移った。
しかし義仲は祝宴には参加せず、ともえを伴って、新居となる屋敷へと向かった。
人の気配がなくなるところまで、ふたりで歩く。
月明かりが美しい庭で、義仲は歩みを止め、ともえに向き直った。
「『契約』の内容は、きちんと理解しているだろうな?」
義仲の金色の瞳が、月光の下で不気味に光る。
ともえは、その瞳を見つめた。
人でない者の何かが、そこに宿っている。
「いいか、俺に余計な感情を抱くな。これはふたりだけの取引だ。忘れるな」
義仲の声は、氷のように冷たかった。
ともえは、唇を噛み締めた。
取引――
そう、この結婚は、愛のない取引。
そんなことは分かっている。
それでも、なぜこんなに胸が痛むのだろう?
「……承知しております」
ともえは、震えようとする声を抑えて答えた。
そんなともえを一瞥して、義仲はまた歩き出す。
屋敷に着いた時、そこで義仲が告げた言葉は、ともえの予想通りのものだった。
「当然だが、夫婦の真似事は人前だけだ」
義仲は冷たく言い放つと、ともえを置いてさっさと自分の寝所に向かう。
ともえはひとり、与えられた部屋で夜を過ごすことになった。
---
燭台の炎が揺らめく。
部屋には上質な絹の寝具が誂えられていた。
しかし、ともえの心は複雑だった。
安堵と同時に、なぜか寂しさを感じる。
どこかから、時折雷鳴のような響きが聞こえてくる。
それは義仲の寝所からだろうか。
ともえは不審に思ったが、深く考えることはしなかった。
今は疲れ果てていて、考える余裕すらない。
窓の外では、稲妻が空を切り裂いていた。
嵐が来るのかも知れない。
ともえは窓辺に座り、光る稲妻を見つめた。
その光は義仲の、あの異形の金色の瞳を思い出させる。
この婚礼は『契約』。
最初から分かっていたこと。
でも、なぜ今になって、こんなに胸が痛むのだろう?
ともえは、自分の心が理解できなかった。
現代では結婚といえば恋愛結婚だが、この時代では政略結婚が当たり前だ。
武家の棟梁の娘が、好いた男と結ばれる筈もない。
それは十分に理解していたはずだった。
もしかして、自分は義仲に対して、何か特別な感情でも抱いているのだろうか?
そんなわけがない。
初めて出会った時から、恋愛感情など抱きようがないほどいけ好かない尊大な男。
それが木曾義仲だ。
稲妻が再び空を照らす。
ともえは自分の運命について考えた。
『転生』という信じられない体験。
戦乱の時代での新しい人生。
そして今日の『契約』による結婚。
すべてが、運命の糸で繋がっているような気がする。
しかし、この運命がどこへ向かうのかは分からない。
ともえは深いため息をついた。
どうせ、考えても答えの出ない問いだ。
今はただ、この新しい人生を受け入れるしかない。
また雷鳴のような音が聞こえてきた。
今度は先ほどより大きく、まるで本物の雷のようだ。
ともえは不安になったが、義仲に声をかけに行く気にはなれなかった。
行ったところで、追い出されるのが目に見えている。
激しい疲労がともえを襲った。
長い、長い一日だった。
現代から戦乱の時代に転生して、今日までの日々はすべてが夢のようだった。
そして今日からは、新しい家での新たな生活が始まる。
ともえは寝具に横になる。
絹の感触が肌に心地よく、徐々に眠気が襲ってきた。
しかし、眠りに落ちる直前、ともえはやはり、義仲の異形の金色の瞳を思い出す。
あの瞳に隠された秘密。
それは、自分の運命と深く関わっている。
言葉にならない思いが、彼女の脳裏を往来する。
稲妻が最後に一度空を照らし、雷鳴が響いた。
その音は、まるで彼女の新しい人生の始まりを告げる合図のようだった。
---
日本史上最強の女武者として名高い戦乙女『巴御前』。
これは、その鮮烈な愛と戦いの軌跡を描いた物語である。
低く、よく通る男の声が、静寂を破って響く。
その声は、花嫁であるともえの耳に、刃のように突き刺さる。
金色に光る、男の異形の瞳が、ともえを一瞥する。
感情の欠片さえも見えない、その眼差しで。
ともえは、小さく頷いた。
そう。
これは、互いの利益のための『契約』の婚礼――
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茜さす夕刻に、重々しい太鼓の音が響きわたる。
朱塗りの柱に金の装飾が施された広間には、白い絹の幕が張り巡らされ、燭台の炎が揺らめいている。
香の煙が立ち上り、甘く重い匂いが空気を満たしている。
しかし、その華やかな婚礼の儀式の中で、花嫁であるともえの心は、黒く塗りつぶされていた。
重たい十二単に身を包み、長い黒髪を大垂髪に結って座る、うら若き花嫁、ともえ。
この豪華絢爛な場の主役である彼女の美しい面立ちは、しかし、憂いと諦めに満ちていた。
手に持つ扇子が、微かに震える。
まだ齢十七のともえにとって、この婚礼はまるで他人事のように思えてならなかった。
畳の感触、絹の花嫁衣装の重さ。
そして鼻をつく白粉の匂い。
すべてが現実離れしており、何の実感も湧かない。
かつて彼女が知っていた世界とは、あまりにもかけ離れ過ぎている。
木曾義仲――
そんなともえの向かいに座る新郎、義仲は、その泰然とした姿勢を崩さない。
長身で広い肩幅の、理想的な貴公子。
漆黒の烏帽子の下からのぞく横顔は、彫刻のように整っている。
彼の存在感は、ただひたすらに圧倒的。
広間にいる誰もが、気高く危険な猛獣を目にしたかのように、彼の一挙手一投足に息を詰めている。
ともえが最初に出会った時の、荒々しく粗野な印象とは、まったくの別人だった。
---
婚礼の儀式が進行していく。
巫女が神楽を舞い、笛の音が響く。
三度の盃。
義仲の大きな手が、ともえの白く細い手を包む。
その瞬間、ともえは電流のような感覚を覚えた。
人間のものとは思えないほど熱い。
雷に触れたような感覚。
義仲の表情は、変わらない。
淡々と、儀式をこなしているだけ。
ともえに向ける眼差しに、新郎としての温かさは微塵もない。
「お前はこれから俺に従え、決して逆らうな」
義仲の声が、再び響く。
その傲慢な物言いに、ともえは内心で反発を覚えた。
なぜか今になって、現代で生きていた頃の記憶が蘇る。
現代の記憶と平安時代の現実の相違が、今さらともえの心を激しく揺さぶってくる。
女性の権利、平等、自由。
そんなものは、この時代には一切存在しない。
そして、今の彼女には選択の余地がない。
恋愛結婚が当たり前だった現代から、政略結婚が通例である戦乱の時代へ。
自由に生きることができた社会から、男性に従属することが求められる社会へ。
その現実、その落差に、ともえは目眩すら覚えた。
参列者たちはみな、義仲の高貴で精悍ないでたちに圧倒されている。
ともえの家である、今井家の家臣たちもまた、例外ではない。
勇猛で知られる武士たちは、義仲の前では借りてきた猫のように大人しい。
ともえの兄である今井兼平でさえ、心配そうに妹を見つめながら、義仲には何も言えずにいた。
兄の心配そうな視線を感じて、ともえは再び決意を新たにする。
今井家のため、愛する兄と優しい家族のため、この契約結婚を受け入れよう。
そう決めたのだ。
---
婚礼の儀式が終わると、参列者たちは祝宴の席へと移った。
しかし義仲は祝宴には参加せず、ともえを伴って、新居となる屋敷へと向かった。
人の気配がなくなるところまで、ふたりで歩く。
月明かりが美しい庭で、義仲は歩みを止め、ともえに向き直った。
「『契約』の内容は、きちんと理解しているだろうな?」
義仲の金色の瞳が、月光の下で不気味に光る。
ともえは、その瞳を見つめた。
人でない者の何かが、そこに宿っている。
「いいか、俺に余計な感情を抱くな。これはふたりだけの取引だ。忘れるな」
義仲の声は、氷のように冷たかった。
ともえは、唇を噛み締めた。
取引――
そう、この結婚は、愛のない取引。
そんなことは分かっている。
それでも、なぜこんなに胸が痛むのだろう?
「……承知しております」
ともえは、震えようとする声を抑えて答えた。
そんなともえを一瞥して、義仲はまた歩き出す。
屋敷に着いた時、そこで義仲が告げた言葉は、ともえの予想通りのものだった。
「当然だが、夫婦の真似事は人前だけだ」
義仲は冷たく言い放つと、ともえを置いてさっさと自分の寝所に向かう。
ともえはひとり、与えられた部屋で夜を過ごすことになった。
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燭台の炎が揺らめく。
部屋には上質な絹の寝具が誂えられていた。
しかし、ともえの心は複雑だった。
安堵と同時に、なぜか寂しさを感じる。
どこかから、時折雷鳴のような響きが聞こえてくる。
それは義仲の寝所からだろうか。
ともえは不審に思ったが、深く考えることはしなかった。
今は疲れ果てていて、考える余裕すらない。
窓の外では、稲妻が空を切り裂いていた。
嵐が来るのかも知れない。
ともえは窓辺に座り、光る稲妻を見つめた。
その光は義仲の、あの異形の金色の瞳を思い出させる。
この婚礼は『契約』。
最初から分かっていたこと。
でも、なぜ今になって、こんなに胸が痛むのだろう?
ともえは、自分の心が理解できなかった。
現代では結婚といえば恋愛結婚だが、この時代では政略結婚が当たり前だ。
武家の棟梁の娘が、好いた男と結ばれる筈もない。
それは十分に理解していたはずだった。
もしかして、自分は義仲に対して、何か特別な感情でも抱いているのだろうか?
そんなわけがない。
初めて出会った時から、恋愛感情など抱きようがないほどいけ好かない尊大な男。
それが木曾義仲だ。
稲妻が再び空を照らす。
ともえは自分の運命について考えた。
『転生』という信じられない体験。
戦乱の時代での新しい人生。
そして今日の『契約』による結婚。
すべてが、運命の糸で繋がっているような気がする。
しかし、この運命がどこへ向かうのかは分からない。
ともえは深いため息をついた。
どうせ、考えても答えの出ない問いだ。
今はただ、この新しい人生を受け入れるしかない。
また雷鳴のような音が聞こえてきた。
今度は先ほどより大きく、まるで本物の雷のようだ。
ともえは不安になったが、義仲に声をかけに行く気にはなれなかった。
行ったところで、追い出されるのが目に見えている。
激しい疲労がともえを襲った。
長い、長い一日だった。
現代から戦乱の時代に転生して、今日までの日々はすべてが夢のようだった。
そして今日からは、新しい家での新たな生活が始まる。
ともえは寝具に横になる。
絹の感触が肌に心地よく、徐々に眠気が襲ってきた。
しかし、眠りに落ちる直前、ともえはやはり、義仲の異形の金色の瞳を思い出す。
あの瞳に隠された秘密。
それは、自分の運命と深く関わっている。
言葉にならない思いが、彼女の脳裏を往来する。
稲妻が最後に一度空を照らし、雷鳴が響いた。
その音は、まるで彼女の新しい人生の始まりを告げる合図のようだった。
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日本史上最強の女武者として名高い戦乙女『巴御前』。
これは、その鮮烈な愛と戦いの軌跡を描いた物語である。
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