ガレオン船と茶色い奴隷

芝原岳彦

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第三章 流転する運命

第72話 契約と陥穽

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 商会の3階にある広い部屋には絨毯じゅうたんが敷かれ、様々な調度品が飾られていた。トマスは勘定係の報告を聞いていた。



 トマスはいつものように黒檀こくたんの机の後ろにある大きな椅子に深々と腰かけていた。義手は外したままで、上着の左腕を縛っていた。それは彼がくつろいでいる時に取る姿だった。その後ろには大鷲おおわし赤子あかごを掴み去る絵画が掛けられ、その絵の得も言われぬ圧迫感は、その部屋に息詰まるような重苦しい雰囲気をもたらしていた。

 部屋はやや薄暗かったが、高価な調度品と家具が窓からの日光を微かに照り返して、部屋の中に奇妙な色味をもたらした。そこには会議用に長方形の大机が持ち込まれ、その両側に椅子が3つずつ、飾り物のように置き据えられていた。そのうちの一つに、勘定係の男が背もたれに背を付けずに、背筋を伸ばしてトマスのほうを向いて座っていた。



「試し売りはうまくいったのか」

 トマスは無表情で勘定係に尋ねた。

「あっという間に売り切れたと報告を受けています。客からの評判も上々ですよ。売上は予想を超えてました」

 勘定係は淡々と答えた。

「売上高は大した問題ではない。知りたかったのはこの街でどんな布がどのように売れるかどうか、だ」

 そうトマスが低く通る声で言った。

「私がこの商会で織物おりもの生産を始めようと考えたのは、海上運輸の不安定さが織物の価格を異常に釣り上げているからだ。エル・マール・インテリオールの海賊たちは幾いくつもの派閥に分かれ、輸送船が通る度に通行料と称して不当な金を取ってきた。1回ならば治安維持の引き換えという理由で納得もできる。しかし何重にも取るとなると話は別だ。しかもヌエヴォ・ヴァリャドリッドの副王ふくおうは海賊の親玉に私掠免状しりゃくめんじょうまで与えてしまった。おそらく、大量の献金けんきん賄賂わいろがあったのだろう。これでは布製品の市価は通常の3倍から4倍になる」

 トマスは右手で左頬の傷跡を撫でながら話した。



「自前で作れば市価の半分ちかくで販売できるとお考えになったわけですね。ご慧眼です」

 勘定係は媚びるように言った。トマスは眉間に皺を寄せて話を続けた。

「問題は、このまま海上交通の不安定さが続くかどうかだ。いまのところ、海賊もその親玉もその強欲さは変わらない。海上運輸が危険で儲からない仕事であれば我が商会の織物業も十分な利益が出るだろう。ただ1つ、懸念がある。なんだか判るか?」

 トマスは目を大きく見開いて行った。

「……いえ……」

 勘定係は目線を下に落とした。



「ドン・フランシスコ二世だ」

 トマスはため息をつきながら言った。

「あの尊大な君主は西の島からエル・マール・インテリオールの制海権せいかいけんを狙っている。もしあの人物によって海賊たちが一掃されるような事態になれば、海は安定し法外ほうがいな通行料も廃止されるだろう。数日前、西から来た馬車族の男に聞いたが、西の島はほぼドン・フランシスコ二世に制圧されたそうだ。今度は副王ふくおうのいるヌエヴォ・ヴァリャドリッドへ向けて進軍してくるかもしれない。あの君主の軍隊は大量の軍船と大砲を備えている。寄せ集めの海賊集団などものともしないだろう。そうすれば一定の通行料のみで船の運航が可能になる。エル・マール・インテリオール沿岸のあらゆる地域から、様々な織物おりものを積んだ船がこの街に集まってくるだろう。その売価は下がり、我々が織物業を行う理由はなくなる」

 トマスはそこまで言うと足を組んで続けた。

「そうなったら織物工房はすぐに閉鎖だ。勘定係よ。その場合に備えて準備をしておけ。今すぐにだ」

 トマスは言った。



「分かっております。売却先を見つけておきます。お任せください」

 会計係はそう言って立ち上がると部屋を出て行った。



 トマスはその後ろ姿を見送りながら、次の手を考えていた。あの勘定係は商会の金銭管理については天才的だったが、外の世界についてうとかった。その穴埋めができる人材が必要だった。トマスは開け放った窓の外を見ながら、ペテロとヨハネの仕事ぶりについて考えた。しかしすぐにそれを止めて、もしドン・フランシスコ二世が進軍してきたら、どれだけの奴隷と奉公人が売れるか計算を始めた。
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