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第一章
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その日の午後、雅彦は何となくボーっとして過ごした。 荒らされた庭を均し、壊された柵の応急処置をする手にも力が入らなかった。体の芯を抜かれてしまったかのように、全身がふにゃふにゃだった。
その夜、雅彦はまた夢を見た。悪夢だった。
海へと切り立った断崖の上で家が燃えている。雅彦は金縛りにあったようにその場に佇んだまま、全身に汗をかいていた。
家の二階から少女がポーンとはじき出された。少女は闇を舞って遥か彼方の海へと落ちていく。
燃え盛る家の玄関から少女の母が全身火だるまで出てきた。苦しそうにもがきながら、雅彦のほうへ歩いてくる。
雅彦は逃げようとするが、足を持ち上げることもできない。湧き水のように、全身から汗が吹き出し、拭っても拭っても止まらない。汗をぬぐう雅彦の手だけが自由に動いた。
火だるまの女は、雅彦の前まで来るとどさっと倒れ、地面をのたうち回っていたが、やがて動かなくなった。
雅彦は不意に背中を押された。黒焦げの死体に躓き、倒れそうになりながら体勢を立て直して振り向く。
男が立っていた。のっぺらぼうの男だ。真っ白くてつるつるした顔には、目と鼻の位置を示す微かな窪みと膨らみがあるだけの恐ろしい顔だ。
雅彦は懸命に逃げようとする。足はやっと動くようになったが、のろのろとしか動かず、足を引きずるようにしか走れない。
男はゆっくりと歩いてくる。雅彦と男との距離は縮まりも、開きもしない。
前方の燃え尽きた家の焼け跡の陰から、二人の男が現れた。昼間の刑事だ。ニタニタと笑いながら雅彦のほうへ歩いてくる。
雅彦は海のほうへと逃げる。
断崖の端まで来て、下を覗きこむと、数十メートル下で、波が岩と白く踊っている。
雅彦が振り返ると、男の顔が三つ並んで目の前にあった。六本の手が同時に伸びてくる。
雅彦はその手を振り払おうとしたが駄目だった。雅彦の体を六本の手がぐいぐいと押し、海へとはみ出していく自分の体に、心臓も破れそうな恐怖を感じる。
不意に落ちた。
そこで雅彦はがばっと跳ね起きて目を覚ました。
濃い闇に、まだ朝の気配はない。全身に汗をかいていた。
もう一度、雅彦はベッドに横になった。しかし眠気は跡形もなく消え失せてしまっていた。
二日連続して見た悪夢は、三年前の記憶を今度の火事が呼び起こしたために見たのだろう。
三年前の今頃、雅彦は自殺未遂を犯していた。
三年前まで、雅彦は今とは別の会社に勤めていた。小さな企画会社だったが、羽振りは良かった。雅彦はチーフとして指揮を執り、仕事を次々と成功させていた。
その年の夏、一流企業のリゾート開発に関する企画を提出することになった。まさに社運を賭けたプロジェクトで、その仕事を取れば、次の年の秋まで莫大な利益が得られるはずだった。アイディアは自信があった。そのアイディアを実現可能なものとし、より完成度を高めるために雅彦はその年の初めから夏にかけて猛烈に働いた。家に帰るのは寝るためだけで、子供の顔を見るのはいつも寝顔だけだった。
心身とも疲労の極致に達しようという時、全てが完成し、企画は提出された。雅彦はそれで終わったと思った。あとは一年以上のんびりできる。会社は大きな拍が付き、仕事を取るのにも苦労しなくなる・・・・
企画が落ちたと聞いた時、雅彦は信じられなかった。アイディアは独創的で、アイディアのフォローは完璧なはずだった。
雅彦はそれからの数日を大きな混乱の中で過ごした。半ば呆けたように何にも手が付けられなかった。部下たちも同じだった。出勤してきた者達は雅彦を始め皆ぼんやりしたまま時を過ごし、時々なぜ企画が落とされたのかを激しく議論するだけだった。
数日後にもっと激しいショックが雅彦を襲った。採用された他社の企画が発表され、それはアイディアの核が雅彦の考案したものと酷似していた。
社長は社員たちに、数日の休暇を取らせた。
その夜、雅彦はまた夢を見た。悪夢だった。
海へと切り立った断崖の上で家が燃えている。雅彦は金縛りにあったようにその場に佇んだまま、全身に汗をかいていた。
家の二階から少女がポーンとはじき出された。少女は闇を舞って遥か彼方の海へと落ちていく。
燃え盛る家の玄関から少女の母が全身火だるまで出てきた。苦しそうにもがきながら、雅彦のほうへ歩いてくる。
雅彦は逃げようとするが、足を持ち上げることもできない。湧き水のように、全身から汗が吹き出し、拭っても拭っても止まらない。汗をぬぐう雅彦の手だけが自由に動いた。
火だるまの女は、雅彦の前まで来るとどさっと倒れ、地面をのたうち回っていたが、やがて動かなくなった。
雅彦は不意に背中を押された。黒焦げの死体に躓き、倒れそうになりながら体勢を立て直して振り向く。
男が立っていた。のっぺらぼうの男だ。真っ白くてつるつるした顔には、目と鼻の位置を示す微かな窪みと膨らみがあるだけの恐ろしい顔だ。
雅彦は懸命に逃げようとする。足はやっと動くようになったが、のろのろとしか動かず、足を引きずるようにしか走れない。
男はゆっくりと歩いてくる。雅彦と男との距離は縮まりも、開きもしない。
前方の燃え尽きた家の焼け跡の陰から、二人の男が現れた。昼間の刑事だ。ニタニタと笑いながら雅彦のほうへ歩いてくる。
雅彦は海のほうへと逃げる。
断崖の端まで来て、下を覗きこむと、数十メートル下で、波が岩と白く踊っている。
雅彦が振り返ると、男の顔が三つ並んで目の前にあった。六本の手が同時に伸びてくる。
雅彦はその手を振り払おうとしたが駄目だった。雅彦の体を六本の手がぐいぐいと押し、海へとはみ出していく自分の体に、心臓も破れそうな恐怖を感じる。
不意に落ちた。
そこで雅彦はがばっと跳ね起きて目を覚ました。
濃い闇に、まだ朝の気配はない。全身に汗をかいていた。
もう一度、雅彦はベッドに横になった。しかし眠気は跡形もなく消え失せてしまっていた。
二日連続して見た悪夢は、三年前の記憶を今度の火事が呼び起こしたために見たのだろう。
三年前の今頃、雅彦は自殺未遂を犯していた。
三年前まで、雅彦は今とは別の会社に勤めていた。小さな企画会社だったが、羽振りは良かった。雅彦はチーフとして指揮を執り、仕事を次々と成功させていた。
その年の夏、一流企業のリゾート開発に関する企画を提出することになった。まさに社運を賭けたプロジェクトで、その仕事を取れば、次の年の秋まで莫大な利益が得られるはずだった。アイディアは自信があった。そのアイディアを実現可能なものとし、より完成度を高めるために雅彦はその年の初めから夏にかけて猛烈に働いた。家に帰るのは寝るためだけで、子供の顔を見るのはいつも寝顔だけだった。
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数日後にもっと激しいショックが雅彦を襲った。採用された他社の企画が発表され、それはアイディアの核が雅彦の考案したものと酷似していた。
社長は社員たちに、数日の休暇を取らせた。
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