階段を上る男

原口源太郎

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男の人

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 階段を上ってくる足音がして、腹が立った。自分だけの空間と時間、そしてこの静けさを邪魔された気がした。
 私はゆっくりとした足音を聞きながらも、また嫌な気分に沈んだ。
 日向だけが最後まで私の味方になってくれたし、かばってくれた。私はどんなにか心を助けられたことか。
 でも。
 もう仲良くできない。
 いじめの対象が私から日向へと移っていこうとしているのがわかった。これ以上、私と一緒にいたら、日向までつらいばかりの日々を過ごす人になってしまう。
 だから私からわざと冷たく、もう私に構うのはやめて、近くにも来ないでと言ってしまった。
 それは周りの人たちから無視されたり、嫌な言葉を遠くからこそこそ聞かされたりするよりもつらいことだった。
 日向を傷つけてしまったのだと思うと、どうしていいのかわからなくなるほどの悲しみを感じた。
 だけど私はそれが最善だと思った。そうするしかなかった。
 そんなことを何となく思い浮かべている時に、上っていったはずの足音が戻ってくるのに気が付いた。

「何をしているの? こんなところで」
 ああ、やっぱり。放っといて欲しい。どうしよう。
 とりあえず無視。
 男の人は黙ってそこに突っ立っている。
 早くどこかに行ってくれないかな。
 私が何か言うまで動かないつもり?
 でも、赤の他人に私の今の心境を話せるはずもないし。
「世の中って、つらいことばっかり」
 何か言えば、男の人はどこかに行ってくれるかな。
 とりあえず落ち込んでいる気持ちを表して言ったつもり。
 まだ男の人は動かないでそこにいる。
 どうしよう。私が去るか。
「何かつらいことがあったの?」
 つらいこと?
 つらいことばかり。
 さっきそう言ったつもりだけど。
 だいいち、あんたに話すことではないし、話さなければならない筋合いでもない。
「人は誰でもつらいこと、楽しいこと・・・・」
 いやー、何か話し始めちゃったよ。どうしよう。
 しばらく話を聞いて、ちょっと私が男の人の言葉に反応したら、図に乗ってますます喋り始めた。本当にどうしよう。
 落ち込んでいる私を見て、何となく元気づけようとしているのはわかるんだけど。
 話はどんどんエスカレートしていく。話半分で聞いているつもりだったけど、よくもまあ、そんなことがポンポン次から次へと出てくるもんだ。
 聞いているうちにだんだん可笑しくなってきた。
「それって、あなたのこと?」
 興味が湧いた私は尋ねた。どうせ作り話だろうけど。
「いや、人から聞いた話」
 ふーん。
 まあ、どうでもいいや。
「ま、頑張りな」
 そう言って男の人は階段を上っていった。
 何を頑張れっていうの?
 とりあえず、不思議なことに気分が晴れた。
 足音が小さくなっていくのを聞いて、私は立ち上がり、階段を下りていった。

 外に出ると、やわらかく吹く風が頬をなぜていった。その風につられるように、私は空を見上げた。濃すぎるくらいの綺麗な空色だった。
 さっきの男の人はどこに行ったのだろう。そんな考えが頭に浮かんだ。
 何で階段を上ってきたのだろう。
 その時、ビルの屋上のフェンス越しに人の姿が見えた。さっきの人だ。
 ゆっくりと歩いている。
 私もその人を見ながらビルに沿って歩いた。
 ふと男の人の姿が見えなくなった。
 どうしたのだろう。何であんなところにいるのだろう。
 すぐに男の人は姿を現した。
 その人がフェンスに手をかける。
 フェンスによじ登ろうとしているのに気が付いて、私は悲鳴を上げそうになった。
 警察に電話!
 いや、そんなの間に合わない。
 私は駆けだして、ビルに飛び込んだ。
 エレベーターに乗る。
 同乗している人たちが、慌てふためく私を驚いたような目で見ている。
 最上階でエレベーターを降りると、再び階段へと全力で走った。
 そして屋上への階段を急いで上る。
 屋上への扉にカギはかかっていないのか?
 そんなこと、どうでもいいや。
 扉に手をかけようとした時、向こうから扉が開いた。

 扉の向こうに男の人がいた。
 私は一瞬にしてカッと怒りが込み上げてきた。それと同時に涙も。
 私は体の力が抜けて、その場にしゃがみこんだ。涙が次から次へと溢れてくる。
「ごめんよ」
 男の人が優しく言った。

 私は男の人と並んで、屋上へと続く階段に座っていた。
 少しばかり涙を流したので、気分も落ち着いた。
「あの話は事実だったの?」
 私は思ったことを口にした。
「まあね。少しばかり誇張したけど」
「じゃあ、本当に飛び降りるつもりだった?」
「うん。君には申し訳ないけど。偉そうなことを言ったくせにね」
「ううん、私、元気出たもん」
「ならよかった。さっき君に話したことは、ほんの少しばかり誇張したり、付け加えたことがあるけれど、ほとんど事実で、僕の事だ」
 やっぱり。でもさっきはあんなにいいことを言っていたじゃない。
「僕の人生はね、ずっとつらいことばっかりで、これからどんなにいいことがあったって、つらいことのほうが多すぎて、釣り合いが取れることはないだろうと気が付いてしまったんだ。しかも、これからもっとつらいことばかりが積み上がっていきそうだ」
「そんな。そんなことないよ」
 思わず私は口走ってしまった。
「ありがとう。僕は今まで、数えきれないくらい人に傷つけられてきた。だけど僕の覚えている限り、僕が人を傷つけたりしたことは一度もない。だけど、さっきフェンスを乗り越えようとした時に気が付いた。このままビルから飛び降りて死んでしまったら、さっき話をした子はどう思うだろう。きっと、いや、絶対に傷つくだろう。僕は最後の最後になって人を傷つけて死んでしまうのか?」
 男の人が私を見たのを感じた。
 私が見ると、目が合った。
 男の人はすぐに視線をそらせた。
「君に話したことを思い出して、もう少し頑張ってみることにした」
「そう」
 急にまた目の奥が熱くなった。
 私はもう一度泣いた。

 私たちはビルを出てから別れた。
 手を振ることも、振り返って見ることもしなかった。
 男の人の名前も知らない。もう二度と会うことはないだろう。
 でも、あの人のおかげで、これからの私は今までとは全く違う人になれそうだ。
 あの人にもそうなって欲しい。
 私は強く心から願った。
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