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一章 ノイジーガール?

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 月子の声質は、間違いなく天性のものである。
 ああいったハイトーンが軽々と出て、そしてしっかりと感情を乗せていけるというのは、単純な素質だけでもない。
 祖母に習ったという唄。
 それを月子はあまり良く思っていないようであったが、間違いなく日本の民謡の発声は、彼女の歌唱力に影響を与えている。 
 ただその後、アイドルとして活動していながら、彼女の声はおそらく全く進歩していない。
 いや、単純に技術の問題ではないのか。
 カラオケで何度も歌っていたマリーゴールドと、他の曲の間には、明らかな差があった。

 歌は上手下手はあっても、全ての人間が本質的には持っている楽器である。
 別に謙遜するわけではなく、本当に音痴である俊であるが、月子の歌う曲の中にも上手いと凄いの差があるのは分かるのだ。
 これが解釈と表現になる。
 解釈に関しては、かなり深い問題と思ってもいる。

 実際のところ、歌ってもらうと決めた曲の中にも、本当に彼女に合っているかというと、微妙な曲がなくはない。
 ただ彼女が歌いたがっている、という点が重要なのだ。
 結局のところ、歌いたい歌を歌うのが、一番感情は乗っていく。
 適性だけで選ぶならば、それは俊の曲だけを歌ってもらうということになる。
 それではおそらく、ケミストリーは発生しない。
 だから彼女が選んだ歌を、彼女用にアレンジするのも、俊の仕事の一つであるのだ。

 元からあるマリーゴールドについては、さほどのアレンジの必要はない。
 ただキーの調整と、あとは伴奏の音の再録をしてみた。
 ギターはとりあえず先に、大学のレコーディングスタジオで俊が弾いておく。
 あとのパートは打ち込みでいいだろう。
 これは簡単というか、事前にある程度予測してやっていたことだ。
 他の曲は、それなりに大変である。
 原曲をどう、月子の魅力を引き出すアレンジにするか。
 正直なところ、まだ俊は月子のスペックを、把握しきっているというわけではないのだ。

 他の候補を入れて、20曲以上を月子は、いや月子たちは出してきた。
 そのうちの一曲がアニソンであったことは、ちょっと俊も驚いたものだが。
 ただほとんどは俊が却下している。
 俊が準備していたものは、そもそも事前に彼女に合うと、頭の中で調整が出来ていたものだ。
 なので自然とアレンジも出来るのだが、マリーゴールド以外は難しい。
 特に英語歌詞があるので、六番目の候補となっている曲は、元の歌手の声がかなり厚みと重みがあるため、月子のイメージとはかなり違う。
 だからこそ、腕の見せ所ではあるとも言える。



 ダンシング・ヒーロー。原曲は1985年の洋楽カバーの荻野目洋子の作品。
 ただそのノリの良さから、ダンスミュージックとして認識され、なんと盆踊りの振り付けまであるらしい。
 その後は当楽曲を使用したダンスPVがネットにて人気爆発し、再度周知されることとなった。
 正直なところ俊は、ダンスミュージックが嫌いである。
 EDMについて理解してはいるが、好悪とはまた別の話なのだ。
 ただ好き嫌いと、いいか悪いかを、感情で分けることが出来るのも俊なのだ。
 嫌いなジャンルでも、いいものはいい。

 チェリー。長期間高い人気を維持するバンド、スピッツの1996年の作品。
 ノンタイアップの曲でありながら、当時のオリコンで一位を取り、ミリオンセラーとなった。
 時代が違うとはいえ、160万枚も売れたというのは、今からは想像しにくい。
 その後も長くカラオケランキングに存在し、男女の関係もなく幅広い年齢層から支持を得ている。
 近年ではアニメの作中で演奏される楽曲に選ばれたりと、時代を超えて知名度は高い。
 どこか懐かしさを感じさせるこの曲は、アレンジのために100回聞いても飽きが来ない。

 フレンズ。同タイトルの曲は多数存在し、俊も最初はレッド・ツェッペリンのマイナーな曲かとまた勘違いしそうになった。それ以外にも同じタイトルの曲が多い。
 原曲は日本のバンド、レベッカの1985年の作品で、二年間に渡って売れ、当時としてはこれも異例のミリオンセラーとなった。
 また1999年にもドラマの主題歌にタイアップされ、他に多くの歌手にカバーされている。
 よくもまあ、自分たちが生まれてくる前の曲を見つけてくるものだなと俊は思ったが、彼も聞いてみたら普通に知っていた。
 だがツェッペリンが最初に出てくるあたり、興味の嗜好が違うことが分かる。
 POPな曲調であるが、その歌詞やメロディラインには哀切を感じさせる。

 これに加えて一曲、アニソンを出してきたのだ。
 そちらは比較的新しかったため元から電子音も使っていて、アレンジするのは簡単であった。
 ただストリングスの部分は少し、手を入れてみた。
 マリーゴールドと合わせて、これで五曲。
 そして月子が英語の発音の問題を克服出来れば、もう一曲出来る。
 不思議なことに彼女のディスレクシアは、英語のアルファベットを読むのに不都合はないらしい。
 どうも発音する記号的な文字は問題がなく、漢字などの意味を持つ字が、読むのに困難であるらしい。

 本人は本当に苦労したのだろう。特に両親の死んだ時期と、教育に漢字が多く使われだす時期が接近している。
 ただそういった苦痛による歪みが、月子の透明な声に、わずかな感情のノイズを与えているのではないか。
 そう思うと、本人にとっては不幸ではあるが、才能の育成という点では幸運だ。
 俊の場合は、もっと才能を与えてくれるなら、他にどんな手段でも取っただろう。

 自分の選んだ曲は、アレンジこそ済んでいるものの、まだ絞りきれていない。
 ただ今すぐではなくても、10曲を最初に発表した後に、順番に追加発表しけばいいのだ。
 そのためにはストックは作っておいても損はない。
 俊のオリジナルの曲はサリエリ名義以外も含め、50曲以上は発表している。
 だが確実に月子の力を引き出せるようなものは、せいぜい三曲程度。
 そして今、作っているこの曲だ。



 曲を作るというのは、作詞から入るのか、作曲から入るのか。
 それはひとそれぞれであろうし、そもそも作曲と作詞は別人、という作品も少なくはない。
 俊自身であっても、作り方はそれぞれ違う。
 ギターのコード進行を並べているうちに、メロディラインは出来てくる。
 適当にリフを作っていけば、それに適当な歌詞を付ければ曲は出来る。
 もちろん全てがそんな作り方をしているわけではない。

 歌詞から作ることはないが、何かのキーワードからそれを表現し始めることはある。
 また完全にノリで作ってしまったこともあるし、そのネタ曲を別垢で発表したところ、実は一番再生数を稼いでいるというあたりは皮肉である。
 月子に歌ってもらうオリジナルについては、基本的に彼女の声を聞いてインスピレーションが湧いた。
 そしてこうやって彼女に適したフレーズを作っているうちに、曲の大枠が出来てくる。
 彼女の生きてきた、幸福と呼ぶのは難しい人生。
 伴奏にあえて不協和音を使ったりすると、それがぴったりと当てはまってくる。

 快楽物質を脳が出しているのを感じる。
 だが勢いのままに作っていくのではなく、そこに音楽理論をぶち込む。
 魂の叫びであるブルースを、彼女はもう持っていた。
 単に声がいいだけではなく、他人に届けることが出来る。もちろん今はまだ不安定だが。
 俊の鬱屈したものまでをも託して、歌詞も作っていく。
 作曲と作詞が交錯して、より洗練されたものとなっていくのだ。

「出来た……」
 気がつけば、夜が明けていた。
 日付が変わる頃から作業に入っていたので、徹夜ということになるのか。
 これまでに作っていたパーツが、しっかりと組み合わさってしまった。
 もちろんここから、細かい部分は見直していかなければいけない。
 ただ、それでも出来てしまったのだ。

 世の中には一発屋というものがあって、自分の力以上の作品を生み出してしまう、ということがある。
 ほとんどの人間が、生涯に一つは小説を書ける、などというのは別の話だ。
 それにミュージシャンは、そのたった一つの己の曲を武器に、他をカバーして生き残っていくという者もいないわけではない。
(一発屋じゃ意味ないんだ……)
 朦朧とする中で、調声も行っていく。
「ミクさん、よろしく」
 そして歌われていく、己の生み出した最高傑作。
 心から満足した俊は、PCの電源も落とすことなく、そのまま寝落ちする。
(タイトルは…エモーションとかパッションにするかな……)
 それが最後の思考であった。



 夢を見ている。
 薄暗い空間の中で、自分はシンセサイザーの前にいる。
 そしてライトアップされるのは、どこかで見たドレスを着た月子。
(ああ、演奏が始まる)
 鍵盤に指を伸ばそうとしたが、先に音が響く。
 強烈なインパクトをもったギターのリフは、確かに俊の使ったフレーズをアレンジしたものだ。
(なんだ、これは)
 激しいドラムに、低音をカバーするベースの重厚なリズムが、強烈なグルーヴを発生させている。。

 俊のイメージしていた楽曲を、遠慮なく上書きしていくもの。
 おそらく他の作曲能力がある人間と交われば、こういった展開を作っていくことが出来たのだろう。
 しかし俊は、これが自分の夢であると認識していた。
(なんで俺の夢なのに、俺の力以上のアレンジが出てくるんだ?)
 そう思いながらも、俊自身も演奏を開始する。

 ドラムとベースのラインは、確かに最初から存在していた。
 しかしギターではなく電子音を使った前奏を意識していたのだ。
 だがそれでは足りないと、彼女が言っている。
 誰だ? 月子か?
 月子の形をした何かか?

 そう思っている自分の指が動いていく。
 キーボードだけではなく、電子音の担当が自分だ。
 ストリングスに管まで入れて、相当に凝った複雑な音にしたという自覚はある。
 だがその複雑さを、月子の声なら突破出来ると思っていた。
 そして確かに、俊の理想の月子は、それを超えていく。

 ああ、足りない。
 完成したと思っていたが、それはまだ叩き台でしかなかったのだ。
 月子に解釈と表現力が足りないなど、よくも言っていたものだ。
 自分もまだ、ボーカルである月子への理解が足りない。
 別に親しくなるとか、仕事上の関係とか、そういう単純な話ではない。
 この夢の中の月子は、明らかに自分のイメージどおりに歌っている彼女だが、そんな完璧に歌えるわけがないのだ。

 かすれるようなギターソロは、どんどんと音を削っていく。
 ああ、終わってしまう。
 まだだ。まだ、これを聞いていたい。
 俺はもっとこれを磨く。そのためにも、もっと先を聞かせてくれ。
 ――だが、夢は醒める。



 数時間の眠りの中で、俊が得たものはなんであったのか。
 ポール・マッカートニーは夢の中でLet it be を聞いてそのまま完成させたという。
 俊のこれは、自分が作った曲がベースであり、それとは全く違う話だ。
 今まで自分の中に蓄積されてきた、多くの音楽。
 それがこうやって、細いラインを肉付けしていく。

 ロックであれば主役の楽器とも言えるギター。
 だがEDMではむしろドラムとベースの方が重要であったりして、ギターの音は全く使わなかったりもする。
 間奏にアクセントをつけたりと、ロックの時代は終わったとまでは言わないが、古いロックの時代ではない。
 俊もハードロックからメタル、オルタナティブ・ロックの系譜は好きだが、電子音楽の自由さを否定は出来ない。
 夢の中で聞いた印象をそのままに、ギターのフレーズを加えていく。
「……これ、弾けるのか?」
 思わず声に出たが、イメージ通りに弾くのは、ちょっと俊には無理そうだ。
 打ち込みによって伴奏を作るのは問題ないし、ほとんどのボカロはおろか、プロでさえ電子音は普通は打ち込みだ。
 ただ、これを本当に弾けたなら、それはかなりすごいと思う。

 ドラムとベースのリズム隊も、さらにメロディーに深みを加えていく。
 特にドラムなどは、リズムだけなら打ち込みの方がいいとまで、言ってしまう人間もいる。
 それはまあ正確さだけを言うのであれば、その通りなのであろう。
 だがそれならなぜ、レコーディング専門のスタジオミュージシャンが今でもいるのか。
(一応完成はしたけど……)
 大学の授業も完全にそっちのけで、忘れないうちに完成させてしまった。
 しかし本当にこれで、正しいのだろうか。

 ミクさんに歌ってもらうと、ひどい曲になった。
 調声がかなり必要だが、人間ならむしろ歌いやすいのではないか。
 ただ月子は耳で聞いてから、それを自分の歌にしていくので、お手本が必要だ。
 ミクさんに頑張ってもらって、そのお手本を作らなければいけない。
 結局大変なのは俊である。

 それよりも重要なのは、あの夢の啓示だ。
(コーラスの部分はミクさんとGUMIさんに任せるとして……)
 完成したが、それは曲として成立としているだけというもの。
 まだ完全にはほど遠い。
 それなのに俊の生み出した中では、最高の曲であるのには間違いなかった。



 昼過ぎに大学にやってきた俊は、別に授業を受けるために来たわけではない。
 用があったのは朝倉である。
 俊の知っているギタリストの中で、お手軽に頼める中では一番、ギターの上手い男。
 本日も大学のレッスンスタジオを借りて、バンドの練習などをしている。
(ちゃんと練習もしてるのになあ)
 大手インディーズやメジャーレーベルから声がかかっても、なかなか本契約とはいかない。
 理由としては朝倉の周りのトラブルもあるが、音楽性に口を出されるのが嫌いだからというのもある。
 俊が提供した、さほど重視していないレベルの曲も作れないという時点で、そもそも楽曲は外部に任せた方がいいと思うのだ。

「お、休んでたんじゃなかったのか?」
 被っていた授業で姿を見かけなかったので、朝倉はそう思っていたらしい。
「課題とか、何が出たか知ってる……わけないか。誰か知ってるやついるかな」
 どうせ朝倉も出てないのだろう。
「おう、後で送っておくわ。それにしてもサボるのって珍しいな」
 俊は内職はしても、サボることはない人間と思われているのだ。

 そんな朝倉に対して、俊はUSBメモリと印刷したTAB譜と五線譜を渡す。
「こっちが音源。そんでこの曲、ちょっと弾いてみてくれないか?」
「へえ、また曲作ってきたのか」
 そんな朝倉は練習を中断し、俊の音源を聞いてみる。 
 マイペースなものであるが、バンドのメンバーはもう、それには慣れたものであるらしい。

 30秒もない、イントロからのギターリフ。
 打ち込みのそれを聞いて、朝倉が珍しくも真顔になる。
 愛用のストラトキャスターを持ち直し、ゆっくりと曲を弾いていく。
「すげえいい曲になりそうだな。またライブで使ってもいいか?」
「それは案件だから無理だな」
「そりゃ残念だけど、これをこのテンポで弾くのはかなり難しいぞ?」
 プロのスタジオミュージシャンの中なら、練習すれば普通に弾けるようになるだろう。
 ただこれは、あえて音を減らしてテンポも落としたものであるのだ。

 完全なプロレベルのギタリストがいないと、この曲は演奏できない。
 もちろん打ち込みでやっている分には、なんの問題もないのだが。
 つまりネットで配信する段階では、何も問題などはない。
 問題になってくるのは、まだ先の話だろう。
「ところでこの曲、名前はもうつけたのか?」
「ああ、まあな」
 エモーションだとかパッションだとか、そういう単語が合うのでは、と最初は思っていた。
 だが啓示を受けて、本当の形の完成に近づいていくにつれて、そんな前向きな言葉では言い表せないな、と思うようになったのだ。
 確かにこれは、感情を持って歌う、月子のための歌。
 しかし彼女の生きてきた人生は、そんなに悠長なものでもなかったのだ。
 言うなれば、障害だらけの人生を、率直に例える。
「ノイジーガール」
 別にぎゃあぎゃあとうるさいわけでもない月子であるのに、このタイトルがしっくりとあてはまったのであった。
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