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一章 ノイジーガール?

10 ニワトリの羽ばたき

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 傑作が出来てしまったが、まだ未完成である。
 おかしな言い方かもしれないが、それが俊の感想だ。
 音楽にも一発屋というのはたくさんいる。
 古くを言うならパッヘルバッハのカノンなどは、聞けば多くが知っているだろうが、他の曲を知っている人間は少ないというものらしい。
 そんなに古くまで遡らなくても、ボカロPの世界でさえ、とりあえず一曲だけ有名になったな、という作曲者はいる。

 あの曲には何が足りないのだろう。
 夢の中では、オーディエンスがあまり見えなかったが、それでも世界が共有されているように思えた。
 それこそ自分の夢の中であるのだから、そう感じただけとも言えるだろうが。
 俊はその違和感を抱いたまま、久しぶりにまたメイプルカラーのライブにやってきている。
 考えてみれば俊は楽曲を提供したが、それをステージで歌っているのをまだ見ていない。
 無責任というわけでもないが、結果としてどういう反応があるのかは、知っておきたいのだ。
 それに月子の歌を聞けば、また新たなインスピレーションが湧くかもしれない。

 普通にチケットを買って、メイプルカラーのライブだけを聞きにいく。
 夕方の時間帯は、まだ若い客層が多い。
 スカラベのハコは、かなり人口密度が高い。
 振り上げられた前の客の手が邪魔だが、ステージが全く見えないというほどでもない。

 メイプルカラーの出番が始まる。
 まずは以前にやっていた、自分たちのオリジナル。それを俊がアレンジしたものだ。
 そしてすぐに、曲のカラーが完全に変わっているのに気がついた。
「やったのか……」
 俊が向井に言った、メイプルカラーがここから上に行く、唯一の方法。
 それは月子の圧倒的な歌唱力による一点突破。
 完全に月子の歌うパートがサビなどとなっている。
(まさか、そんなことをするのか)
 アイドルグループというのは、人気でセンターを決めるのではないのか。
 それは歌唱力よりも、ファンからの人気というのが大きいはずである。

 確かに俊は言った。だが向井がそれを伝えたのか。
 それはないと思う。それにこれで出来るのは、メイプルカラーのわずかな延命ではなく、劇薬を口にしたようなものだ。
 月子のこの声を聞いて、彼女をアイドルではなくボーカルで使うと、思わない音楽業界の人間はいないだろう。
 カバー曲につながり、そして俊の作った新曲へと。
 ステップを踏んで歌う彼女たちの中で、月子だけは歌に集中している。
 その歌声は伸びやかで、圧倒的に声量がある。
 民謡で鍛えた、というだけではちょっと説明がつかない。
 もっとも俊からすれば、まだ表現力が足りないな、と及第点しかあげないのだが。

 オーディエンスたちを、確かにノせてはいる。
 だがもっと完全に魅了させるには、月子に説得力が足りない。
 ただ普段とは違う魅力は、確かに伝わっているのだろう。
 純粋に音程がしっかりしていて、クリアなのに幅がありく、繊細さと頑強が両立している。
 どういう人生を送れば、こういう声が出るようになるのか。
 色々なものを失ってきた代償として、神はこの才能を与えたのか。
(そういうもんじゃないだろ)
 悪魔と取引した程度で、才能というのは得ることは出来ないはずだ。
 月子がこの東京にいる、ただその事実だけでも、一つの奇跡だ。
 高校を卒業した後、そのまま京都で暮らしていてもおかしくなかったのだから。
 その場合はスカウトもされず、普通の人生を送っていたのか。
 今もまだ、一般人と同じようなものなのだろうが。
(ただこの調子だと、メジャーレーベルに目をつけられるか?)
 可能性はある。メイプルカラーごと契約し、やがて月子だけを歌わせる。
 それでは通用しないのだと、分かる業界の人間が何人いることか。



 翌日、俊はまた準備をして、レッスンスタジオを訪れていた。
 今日で最初に発表する10曲を選定しなければいけない。
 レッスン終了後で、また他のメンバーがいた。
 あのステージを見た俊としては、今はあまり会話をしたくはない。

 それと今日はもう一つ、どういう露出の仕方をしていくか、ということも話さなければいけない。
「露出って……」
「なんか変なこと考えてないか? どういう手段で売り出していくか、ということだからな」
 それでも月子はいまいち分かっていないようであった。
「たとえば、顔出しをしていくかどうか、ということもある」
「顔を隠して歌うんですかあ?」
「今ならこういう売り出し方がある」
 そう言って俊が見せた画面は、ミュージックビデオ形式で他の有名曲をカバーしているというものであった。
 だがその歌い手は、3Dモデリングされたキャラクターである。

 歌い手の中には、素顔のままに歌っている者もいる。
 月子のルックスであれば、それでも悪くはないと思える。
 しかしあえて、中の人になって歌っている歌い手もいるのだ。
 企業の運営している歌い手の中には、そういったグラフィックも作れるスタッフが揃っているのだ。
 アニメーションでミュージックビデオを作る。
 それは今では、ごく普通のこととなっている。
 また3DCGとまではいかなくても、アニメキャラ風の絵を使ってMVを作っているというものは多い。

 問題は俊には、絵心などないということだ。
 スケッチなどはそこそこ得意なのだが、それはあくまで写実。
 ガワを作ることは出来ない。もちろんここで外注することは出来るが。
「前に俺が言ってたkanonなんかは、首から下の映像だけで勝負してるしな」
 実際にそれで、ギターとピアノは同じ人間が弾いているというのは分かるし、ヴァイオリンまで弾いていたのだ。
 おそらくベースやドラムも生音で間違いないが、さすがにそれは他の人間の演奏だと思う。
 もっともそのうち、驚くほど上手いというのはピアノだけであったが。

 月子が顔を出してやるというのは、もう一つ問題がある。
 それはメイプルカラーのミキと、同一人物であると気づかれる可能性があるからだ。
 正直俊は、地下アイドルのファン層と、ネットの歌い手のファン層がどれぐらい被っているかは知らない。
 ただ今の月子は、ものすごい勢いで知名度を増しているような気がする。
 いや、気づかれやすくなっていくだろう。
「メイプルカラーのミキとは別だと思ってもらうのと、話題性を集める意味でも、顔の上半分を覆う仮面を被るというのはどうだろう?」
「3Dとかアニメーションにするのはまずいの?」
「それをするのはさすがに俺の技術が足りないし、知り合いにやってもらうにしても仕事になる」
 もちろん勝負するところでは、勝負していくつもりだが。
「歌い手としては仮面で室内、ユニットを組むならPVまで作ろうかなと考え中だけど、今はアニメーションでとんでもない数字を叩き出す作品があるからな」
 俊の見てきた中で、一番芸術性が高いと思ったMVは、まさにアニメーションである。
 もっともあれは、タイアップしたアニメ作品の中の、いいところを切り出して作ったらしいが。

 まず発表するカバー10曲は、謎の仮面の歌い手、として歌ってもらう。
 撮影はスタジオで、衣装はまた考える必要があるだろうが。
 なんなら楽器演奏のシーンは、俊の手元などを映してもいいだろう。
 それにしても、顔出しをしなくていいと言った時の月子は、複雑な表情をしていた。
 彼女は地下ではあっても一応アイドルなのに、虚栄心が少ないというか、あまり人に見られたがっていないようにさえ思える。
 芸能人には、本質的には向いていないのかもしれない。
「じゃあ、10曲を決めるとするか」
 そう、まずはそこを決めないといけない。
 ただ既に五曲はほぼ決まっていて、もう一曲を歌えるかどうか、英語歌詞の部分が問題になっていたのだ。
「無理です……」
 やっぱりそうであったか。ただ将来的には、英語歌詞からは逃れられないとも分かってはいる。



 月子withメイプルカラーメンバーの選んだ中から、さらに俊が選んだのは五曲である。
 ダンシング・ヒーロー、チェリー、フレンズ、マリーゴールド。
 他にも色々候補はあったのだが、既にかなり自分で表現できているマリーゴールド以外は、それなりに歌いこんでいく必要はある。
 将来的に増やしていく歌は、これからまた俊がアレンジする。
 たとえば『ワインレッドの心』などは俊も次あたりに収録する予定である。
 ここまでは普通に理解できたのだが、彼女たちが偶然見つけた曲が、完全に俊には予想外であった。
「AXIA……」
 俊はアニソンとボカロ曲から五曲を選ぶつもりだったのだが、その俊が見つけられていなかった。
 そんなアニソンを、彼女たちが選んだのである。

 AXIA ~ダイスキでダイキライ

 俊が最初に彼女たちに曲を作るために選んだモデルは、アニメ『マクロス⊿』の作品中に出てくる五人組のアイドルグループワルキューレであった。
 正確にはアイドルグループではないそうだが、俊の認識としてはアイドルグループである。
 かなり多くの楽曲を、その声優で結成したワルキューレの名で発表している。
 その中でもこの楽曲は、ソロで打たれているものだ。
 ヒロインでもなく、グループのエースでもないキャラが歌ったものであるという設定になっている。
 しかし俊が調べたところ、マクロスという作品は様々にあるが、同じマクロス⊿の中では、主題歌やグループの曲を上回り、この曲が一番人気が高いらしい。

 凝り性な俊は、その理由を確認するため、わざわざアニメを途中まで見た。
 そしてだいたいは理解した。
「God knowsと似たような感じなのか?」
 アニメタイアップは現在では、楽曲をヒットさせるかなり有効な手段である。
 しかし真に評価するのは、後のリスナーである。
 今は個人が発信することが出来る時代なので、一人のインフルエンサーが良いものと認めれば、それが一気に広がることはある。
 楽曲のポテンシャルの割に、カバーしている歌い手が少ない。
 それも俊が選出した理由である。



 俊の用意したものは、それこそ様々な観点から選んだものである。
 だがアニソンから二曲、ボカロ曲から二曲、そしてどちらからかあと一曲、という割合だけは考えてある。
 ボカロ曲の強みは、何よりそもそもネット発信で成長してきたというものだろう。
 なので一度ネットでバズったら、一気にPVが回ってインフルエンサーが紹介していく可能性がある。
 弱点になりそうなところは、既に他の多くの人がカバーしていて埋まるかもしれない、ということだ。
 ただ名曲であれば、他の曲を聞いてもらった時についでに聞いてもらい、そこで関心を持ってもらえる、ということもある。

 最初はある程度の知名度がある曲の方がいい。
 そして知名度の低い曲を、こちらこそがまさに本家だ、と言わんばかりに歌う。
 もっとも俊の選んだ曲は、知名度よりもまず、月子の声を活かせるかどうか、をより重視している。
 アップテンポの曲でもいいが、メロディー自体はゆっくりとしたもの。
 実際のところ、アニソンはそういうものが多い。

 ボカロ曲の弱点の一つは、間違いのないボーカロイドでないと歌うのが難しい曲が多い、という点だ。
 ここでは俊は、あえてカバーの多い曲も選んでみた。
 比較して聞きたい、というリスナーも多いだろうと思ったからだ。
 しかし歌ってもらおうと思っていた曲を、一つ外すことにした。
「『モザイクロール』外すの?」
「ああ」
 作成されたのはそれなりに昔であるが、ボカロ曲というのは比較的、時代性が少ないため現在でも通用するものがある。
 モザイクロールはトップボカロPの作成した神曲ではあるが、これを俊が外したのには理由がある。
 ただその理由は、今は別に説明しなくてもいい。

 どのみちまだ、絞りきれていなかったのだ。
 また『千本桜』や『命に嫌われている。』といったところも紅白で歌われているため外した。
 前者はともかく後者は、月子には見事に合うか、全く合わないかのどちらか極端であったとも思える。
 叫ぶような内容の歌詞をアレンジして取り込むのは、この場合は俊ではなく月子の仕事になるのだ。

 歌い手としてはまず、楽曲の力も重要だが、歌い手の力がそのまま出るタイプの歌であることも必要だ。 
 なので俊が選んだのは、アニソンからは二曲。
 これをアニソンと言っていいのか、微妙ではあるのだが。
「そこそこカバーはされてるけど『アンインストール』も『ガーネット』も声の質がそのまま出るからな」
 アンインストールはアニメのOPに使われた曲であり、旋律にたゆたう不穏感と歌詞の持つ不安定さが、単純に歌うならともかく本当の意味で歌うというのには難しい。
 だが月子なら出来る。
 彼女の持っている、自分自身に含まれる、生きていくのがひどく難しいという感覚。
 その内面を曝け出させるような、ひどいアレンジになるなと俊は思った。

 いったいどういう意図を持って作られたのかと、使われたアニメ作品をわざわざ探して視聴した俊である。
 そして絶望的な気分になった。
 原作とは終盤が違うと聞いて、そちらもわざわざ読んでみた。
 さらに絶望的な気分になった。
 だいたい創作をするような人間は、感受性が高くないとやっていられない。
 しかしある程度の鈍さというかタフさもないと、影響されすぎるということもある。
 俊は天才ではないので、そこまで感受性に衝撃を受けることはない、と自分では思っている。



 幸いにもMVはネットに流れているし、カバーしている歌い手も少しいる。
「これが原曲」
 以前にも月子は聞いているが、もう一度確認しておく。
「それでこれがカバーしてる人」
「上手いというか……曲がすごく独特なイメージがない? なんというか、思春期のメンタルの脆さとか、生き辛さを歌った曲なのかな?」
「う~ん……アニメタイアップだからそっちも見てみるか?」
 そして90秒のオープニングを見せる。
「え? 戦争? ロボット物?」
「ジャンルとしてはロボット物……にならないこともないのかな? アニメを見たらかなり解釈出来ると思うんだけど。配信でも見れるし」
「あ、じゃあミキ、うちに来なよ。一緒に見よ」
 アンナがそんなことを言って、じゃあメイプルカラーの全員で見ようか、という話になった。もちろん俊は別だが。
 はっきり言って女の子向けの作品だとはとても思えないのだが。

 機会がなければ見る必要もなかった人間に、この作品を見せるというのはいいのだろうか。
 駄作や凡作ではないが、かといって原作はルビがほぼ振っていないので、月子には読めない。
 ある程度の違いはあっても、途中までの過程で充分にイメージは伝わるだろう、と俊は思った。
 そもそもアニメを見た後、さらにあの原作まで読むのは、ちょっとしんどいであろう。

 もう一曲のガーネットに関しては、特に問題がない。
「時をかける少女って、名前は知ってる」
「細田守監督の出世作だから、見ておいて損はないな。これもネットで配信されてるし」
 青春の切なさ炸裂であるが、安心してオススメ出来る映画である。
 俊は原作というか、原案の小説も読んでいる。ほぼ無関係であるため、月子に読んでもらう必要はない。

 しかし曲の解釈や理解のために、それが使われた作品を見るというのは、月子には難しいのだな、と改めて俊は思う。
 それでも読むのが難しいだけで、映像化されているなら問題はない。
 これが問題になってくるとすれば、将来的に何かのタイアップを引き受けた時、イメージを文章で伝えられた時などであろう。
(確かにアニソンタイアップなんかになった時、イメージを俺の曲だけで伝えることになったりするのか)
 そんなことは気が早すぎる、ということもあるが。
 そもそも作曲と作詞は俊の役割だ。
 だが月子の表現力は、曲の背景までをも知らなければ、充分には発揮されないようなのだ。
 もっと時間をかければ、どうにかなるのかもしれないが。

 バンドがアルバムの作成、レコーディングにものすごい時間をかけるというのは、こういう作業が必要だからかもしれない。
 元々俊は朝倉とバンドを組んでいた時も、作曲は完全に担当し、作詞もほぼ俊の役目であった。
 あとはスタジオでレッスンする中で、ある程度は改良していったものだが。
 月子との場合、一人で作るよりもこうやって、会話をしていると作品が良くなってくる。
 今はまだ、アレンジであるが。

 ガーネットは伴奏が多くはないので、より月子の表現力が重要となってくる。
 何度も聞いて映画を見れば、おおよそ理解出来るだろう。
 もっと成長してインプットすれば、さらに優れたボーカリストになれるだろう。
 ただその過程においては、もっと難しい障害が現れるかもしれない。
 才能をはっきりと感じながらも、その先に不安を覚える。
 今までにはなかったことだ。
「よし、あと三曲だな」
 俊は無駄に考えるのをやめて、目の前の作業に思考を戻した。
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