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九章 ステップアップ

137 彼女の半生

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「どうも、社長の藤枝です」
「ノイズのサリエリこと渡辺です」
「同じくルナこと久遠寺です」
「どう呼びましょう?」
「渡辺でお願いします」
 そんな会話が冒頭であったわけだが、社長である藤枝という男は、筋骨隆々たるナイスガイであった。
 ちょっと登場する作品間違えていませんか?

 アニメーターというと文化系と思えるし、実際そういう人間が多いだろう。
 だが社長ともなると、自分でも描いてはいるが、色々と交渉などもしたりしないといけない。
 そんな時に見た目がアレだと舐められる、という理由でムキムキに鍛えたそうだ。
 つまりは見せ筋であるが、なんとも発想はともかく、実際にやってしまうのがすごい。
(アニメ業界って変人が多いのかな?)
 それは音楽業界にクズが多い、というのと同じぐらいには偏見である。
 ただ俊が過去に頼んだアニメーターは、コミュ障の傾向があったことは確かだ。

 客観的に見れば俊にも、コミュニケーションを取るにあたって、距離感がバグっているところはあったりする。
 最初に月子と出会ったとき、いきなり名刺を渡したのなどがそうだ。
 何かに集中してしまうと、ずけずけと他人の迷惑を顧みないところがある。
 これが許されているのは、実際に能力が高いからと、基本的に正論で動くからだ。
 あとはちゃんと、自分以外の利益のことまで、考えて選択をするからだろう。

 今回の案件については、MAXIMUMの取引先が進捗が上手く行かず、予定が空いてしまったところに、ノイズの条件が入ることになっている。 
 だが別にMAXIMUMは、ノイズの仕事を絶対に受けなければいけないほど、仕事に困っているわけではない。
 なんなら条件次第では、断られるということもあるのだ。
 どれだけのコストがかかり、そのためにはどれだけの金額が必要になるのか。
 その前にまずは、曲自体を聞いてもらわないといけない。

 ミニアルバムのデータが入ったノートPCを、そのまま持って来た。
 これをまずは聞いてもらう。
 五分弱の霹靂の刻は、昨今の楽曲の中では、比較的長いものと言えるだろう。
 迫力のあるメロディラインやビートを刻むリズムに、月子の歌がソウルフルに乗っている。
 ヘッドフォンで聞いてもらっている間、藤枝が何度か震えるのが分かった。
 アニメーションに音は、重要な要素だ。
 音にアニメーションを作ることもあるし、逆にアニメーションに合わせて音を作る場合もある。
 もちろんMVは前者にしかならない。



 聞き終わった藤枝は表情を真剣なものに一変させている。
「どういうコンセプトの映像になるか、叩き台のようなものはありますか?」
「はい。これが文章だけのプロットで、こちらが歌詞に合わせて考えたコンテです」 
 俊が渡した紙の束を見て驚く藤枝である。
「一応データだけならこちらのメモリに」
 こういうものを作るとき、完全に時間通りに落とし込むにはPCによる処理が必要だが、案を練る段階においては紙の方が良かったりする。
 
 とりあえず俊の作ったものは、月子のイメージを元にしたものだ。
「渡辺さんは映像を作ったことはあるんですか?」
「一度だけは。MVで流してますんで、ネットで見れますが」
 飛んでいる回線を拾って、ネットにつなぐ。
 そこで流れているノイジーガールのMVを見せる。

 そういえば、と今さらながら俊は思った。
 ノイジーガールはわずか五分弱のMVを作るために、随分と多くの映像を録ったものだ。
 ほんのわずかずつ使って、ほとんどはデータのままに残っている。
 まだ使えることがあるだろう、と思っているからだ。
 アニメーションはおそらく、先に厳密に時間を考えた上で、余計な映像は作らないのかな、と俊などは考えている。
 実際はディレクターカットなどがあって、本来の作品からはかなり違った印象になることもある。

 アニメは実写に比べればずっとマシだが、それでも作ったものの、使われない場所というものがある。
 今ではPCによる処理があるので、かなり楽になったものだが、昔はもう本当にひどかったのだという。
 そんな昔のことを言われても、俊にはどうにも分からないが。
「テーマは四季の変遷と、旅路のようなものですか」
「三味線を背負って刀を差して、まあ時代考証がどうなるかが微妙ですけど、女剣士になるのかな」
 俊の視線による問いに、月子はこくこくと頷いた。

 曲の原風景は、月子の中にあるものだ。
 一応はそれを俊がまとめたのだが、実際は話していくうちに、可能な表現も増えていくだろう。
 あとはギャラの問題というのもある。
 工程数、カット数を考えて、どの程度をCGで埋めることが出来るか。
 自然の風景などは、ある程度CGを使うことで省略化出来る。
 問題はキャラ絵であるが、ここをどう動かすかがアニメーションの肝だ。

 

 月子は文字を読むのが苦手だが、絵に関しては普通に捉えることが出来る。
 頭の中のイメージを、言葉で伝えることも苦手ではない。
 ただ人間、多くの語彙はやはり、文字で学ぶことが多くなる。
 そのあたりを考えると、どうしても情報伝達に不利なところはあるのだろう。

 俊と藤枝が話す途中にも、積極的に意見を出していく。
 そして大枠が決まって、ここからは時間と金の話になっていく。
 アニメスタジオというのは現在、大中小と様々な規模がある。
 MAXIMUMは規模としては小さいが、受注している案件はそれなりに高額であったりする。
 この作品のこのカットは頼むとか、背景がほしいとか、そういうことを言われたりもする。

 提示された金額は、月子が黙り込むもので、俊としても難しい顔をせざるをえなかった。
 出せない金額ではないが、これはこちらの要望を全てかなえたものである。
 それは分かっているだろうから、藤枝はCG班の責任者も呼んで来る。
 どこまでこだわるか、それはアーティストの領域だ。
 だが同時に俊も藤枝も、プロなのである。
 プロというのは、それで金を稼いでいることが第一条件であろう。
 対価を得ることで責任を持つのだと、どこかのハゲも言っていた。

 時間があればクオリティは上げられるが、納期を遅くしても料金は変わらない。
 なぜならその分、仕事を入れてしまうからだ。
 なので作業工程を、ある程度短縮しなければ、料金を下げることは出来ない。
 また時間については、充分な余裕があると言ってもいいだろう。
 リテイクなどを繰り返していくと、時間も料金も増えていくが。

 商業的に、どこかで妥協はしなければいけない。
 それが金で動く資本主義社会の理だ。
 だがこの仕事については、藤枝もやりたいと思っている。
 上り調子のバンドのキラーチューン。
 これは面白いテーマでもあるし、それに得意分野も活かせるし、名前まで売れるであろう。

 藤枝からすると意外なのは、俊の考えていることが、かなり映像を理解したものであろうということだ。
 ノイジーガールのMVも見たが、あれはおそらく相当の映像を録った後、ほとんどを切り捨てて作ったものであろう。
 実写というのはどうしてもそうなるが、アニメはそうはいかない。
 時間をかけて作った映像を、多く使っておかないと、とても割に合う映像にならないのだ。
 そもそも絵コンテと時間割がはっきりしているので、それほどおかしなことにもならないだろうが。
 自然物を多くしているというのも、そこで上手く尺を合わせることが出来る。



 月子の頭の中にあるイメージは、山形時代のことが多い。
 おそらく東京で育った俊には想像もつかない、生活様式がそこにはある。
 ネットの時代はどこでもつながるとは、確かに言えるであろう。
 だが実体で触れ合う距離というのが、東京と田舎では違うのだと、分かるであろうか。
 いまだに玄関の鍵を開け放していても、特に問題のない地域。
 そういう田舎で育ったものである。

 そしてそれ以前、淡路島に住んでいたあの頃。
 映像として出したいのは、流れと流れがぶつかり合い、渦潮になるところもあるが、あとは海の上に階段状の段差が発生したりもする。
 ああいった海の流れが、霹靂の刻のイメージにはある。
 霹靂というのはそもそも雷のことであるのだが、それもまた人間の及ばない自然現象だ。
 月子の根底にあるのは民謡と、そういった大自然への畏れと言えばいいであろうか。

 海から始まり、渦を巻いて空へと広がり、山々の映像へとつながる。
 その中を歩く女性剣士が、雷鳴のような音楽の中で、刀を振るうのだ。
 多数との対決シーンを、サビの部分に持って来ようか。
 そしてまた流浪の旅は、四季を移して続いていく。

 人と人とのつながりは、悪いものばかりでもない。
 そこには必ず愛憎の他に、穏やかなものもあるだろう。
 月子は山形では、人間のいない場所の方が、呼吸をするのは楽であった。
 祖母は出来るようにと、厳しく教えたが、出来なくても罵声を浴びせたりはしなかったし、月子に失望もしなかった。
 出来るようになるまでやればいい。
 東京に来てからも、意外とタフな月子の精神は、間違いなくこの時代に作られている。

 京都ではようやく、穏やかな日々を過ごせるようになったと言おうか。
 だが自分の未来に対して、たいした希望を持てなかったというのも確かである。
 誰もが何者かになりたい。
 自分が平均よりも下だと、ずっと思わされてきた月子は、ここからその奪われた分を取り戻していきたい。
 
 東京は人に溢れているが、同時に誰もが誰もに無関心であった。
 そこで特別になるというのが、月子の持った希望と言えようか。
 向井に声をかけられて、底辺レベルであるがアイドルとなった。
 余光のようなものを浴びて、それでもそこそこ満足していたところに、俊が現れた。
 大きなスポットの当たる、広大なステージ。
 アイドルという輝きの中から、アーティストとしての輝きへと脱却する。



 俊という人間は自分の人生の中で、どれほど大きなウエイトを占めているだろうか。
 両親、祖母、叔母、向井と、月子の保護者的な立場の人間はいた。
 だが俊は月子を守ろうとしながらも、同時に対等であることも求めてくる。
 そういった人間関係は、月子にとっては初めてのことである。 
 俊だけではなく、ノイズのメンバーは月子のことを認めている。
 認めているからこそ、その要求も高くなってくる。

 霹靂の刻はツインバードやバーボンと同じく、俊の大きなアレンジが入っている。
 ただその核となる部分を、俊はそのまま大事にしてくれている。
 俊という人間は、それなりに才能や能力によって人当たりは変わるが、ただ誰かの尊厳を毀損するような人間ではない。
 ダメな人間はいるし、弱い人間はいるし、どうしようもない人間はいる。
 それは確かであるが、だからといって何の価値もないわけではない。

 俊が嫌悪するのは、己を知らない人間であろうか。
 ただ彩に対する感情だけは、自分でもコントロール出来ないようだ。
 それがどうしてなのか、月子には分かった気がする。
 俊にとって彩は、自分の一番身近に感じる、肉親であるからだろう。
 母は海外を飛び回り、異母弟とはそれほど接触することもない。
 だが彩の存在感は、日本の芸能界、特に音楽業界では大きなものである。

 あの人に勝ちたい、というのは少し違う。
 彩に勝つということを、俊は求めている。
 自分を見つけてくれた俊に対して、月子は圧倒的な恩を感じている。
 ならば自分に出来ることは、ノイズの中のメンバーとして、バンドを大きくしていくことが第一である。
 それが生きるのに不器用な、月子の考えであった。
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