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九章 ステップアップ

154 夢の跡

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 少しは余力を残しておかなければ、と昼は考えていたストッパーが、夜には必要ない。
 冷えていた空気を、とりあえずかき回そうとする、暁のリードギター。
 イントロから歪ませて、そして早弾きなどをして、一気に期待を盛り上げていく。
 騒々しい娘さんは、今日も絶好調である。
 むしろ逆境であっても、ギターさえ持っていれば暁は無敵なのだ。

 月子とは共鳴し合い、千歳はそれに導かれていく。
 フロントメンバーの派手な音を、ドラムとベースがしっかりとコントロールする。
 それでも弾けてしまいそうで、なんとか包み込もうとする。
 あまり走りすぎるとドラムとベースはともかく、俊の打ち込みがその場で調整しなくてはいけなくなるのだ。
 キーボードだけでどうにかなる曲なら、それでもいいだろう。
 ストリングスはともかく管に関しては、さすがに俊も演奏できないので、シンセサイザーを使うしかないのだ。

 昭和の曲をカバーしようとして困るのは、ストリングスや管を使った曲が多いというものがある。
 そこをギターにアレンジしてしまうのが、俊の仕事であったりするのだが。
 ボカロPというのは演奏できない楽器であっても、面白いと思えば使ってしまえる。
 ハードもソフトも発達することで、一人で出来ることがずっと多くなった。
 もっともこれは、恵まれた環境にあった者の特権かもしれない。

 芸能界に二世がいたり、家の太い人間がいるというのは、かなり顕著になってきていることだ。
 かつては芸能界などというと、ドサ回りなどもさせていたし、もっと下賎なものだという見方があった。
 そもそも芸能界自体が、どこか悪辣というイメージがあり、それは今も案外間違ってはいない。
 単純に自分だけの才能で昇っていける人間というのは、本当に少ないものなのだ。
 それを音楽においては破壊したのが、ボカロとボカロPの出現と言えるであろうか。

 ただいくらボカロPが調声しても、本物のボーカリストの声にはかなわない。
 なぜならそれは、ライブではないからだ。
 ライブ、つまり生きているということ。
 どれだけ上手く調声しても、むしろそれはライブ感からは離れていってしまう。
 人間の耳というのは、正確な音をむしろ拾わない。
 わずかに濁った音を拾って、そのフィーリングから快楽を得るものなのだ。

 ギターを演奏する快楽に、暁は支配されている。
 俊は本当に多くのギタリストを見てきたが、彼女ほど楽しそうに、しかし同時に苦しそうにギターを弾く人間は、ちょっと見たことがない。
 しかしそれも今日までの姿で、明日にはまた違う姿を見せてくれる。
 成長であり、変化であり、そして技術の向上でもある。
 わざと音を歪ませて、不快のほんの手前から戻ってくる。
 天秤が揺らぐような音で、ギターを弾いていくのだ。



 月子の声はそんなギターに、支配されたりはしない。
 千歳はバンドボーカルとして一級品であるが、月子は本来なら単体でも歌えるボーカルだ。
 だが同時に、アイドルとして活動していた時も、一緒にステージに立つ仲間との絆を感じていた。
 それは月子にとっては、ほとんど裏切りのような形で終わった後も、まだずっと続いている。
 千歳とのハーモニーが、鼓膜を震わせてくる。
 この二人が同じバンドにいるというだけで、一つの奇跡とも言えるのだろう。

 俊は基本的に、ノイズの演奏の中では、目立って派手なことはしない。
 リズム隊は縁の下の力持ちをやってくれている。
 栄二のドラムはリズムをキープし、走りかけるフロントラインを引き止める。
 そして信吾のベースラインは、音の厚みを一気に増していくのだ。

 最強無敵のバンドになりつつある。
 まだ道はずっと続いていくが、このライブはマイナス面をも吹っ飛ばして、ノイズのポテンシャルを上げているという感じがする。
 高く飛び上がるためには、一度しゃがまなければいけない。
 冷えた空気というのは、暖められた時は余計に、その熱量を感じるものなのだろう。
 昼のステージとは、選曲が少し変わっている。
 だが二人で歌える曲というのは、やはり混じっているのだ。

 俊は演奏をしながらも、このライブからどんどんとインプットをしていっている。
 ステージの構成というのは、やはり実際にやってみないと分からないものがある。
 意味は違うが、まるで自力発電だ。
 一度メロディやフレーズがつながってしまうと、そこからどんどんと音があふれていく。
 もちろん最後まで作ってしまえば、実は駄作であった、という例もあるだろう。 
 しかしノイズでの活動を始めてから、俊はまずそういった間違いをすることがなくなっている。

 インスピレーションを与えるのは、常に強烈な刺激である。
 暁などはこのライブでも、どんどんとアレンジを加えてしまっている。
 より鼓膜を震わせて、脳に刺激を与えるようにと。
 自分の作った曲を変えられてしまっても、俊はとても文句が言えない。
 暁は常に、過去よりも刺激的であろうとする。
 レコーディングの時には困ったこともあるが、彼女はまさに、バンドをリードするギターなのだ。
 現在では絶滅危惧種になりつつあるだろう。



 ラストの曲が終わっても、拍手が鳴り止まない。
 叫ぶように「MORE!」という声も聞こえてきて、アンコールが始まる。
 ステージ脇から再び位置に着く時、躓いた暁に手を伸ばし、俊はその軽い体を受け止める。
「今日一日でかなり痩せたんじゃないのか?」
「もうちょっと体力はつけないとね……」
 確かに体力は使ったが、これはそれだけでもないと思うのだ。

 二時間にもなるライブであると、楽曲の構成が重要になってくる。
 ずっとハイテンポの曲ばかりをやっていると、疲れるだけではなく演奏も単調になってくる。
 上手く波をつけるように、構成は考えて行かないといけないのだ。
 一応はメンバーの意見も聞きながらも、最終的には俊が決めたことだ。

 アンコールを二曲、ハイテンポなものからバラードへと。
 カバー曲なのでこれも、かなりアレンジされたものだ。
 今回のライブの曲をアレンジしていて感じたのは、邦楽と洋楽の流行の差とでも言おうか。
 洋楽ではヒップホップが今でも人気であるが、日本ではそうでもない。
 ダンスミュージックも日本ではそれほどでもなく、EDMなどはかなり方向性が違う。

 アウトプットをするためにインプットをしているわけだが、どうも洋楽から学ぶものが少なくなっている。
 偶然かもしれないが、ボカロが本格的に日本の音楽のアンダーグラウンドになった頃から、その傾向がよりはっきりしている。
 ただその時代は日本も、大量のメンバーを抱えたアイドルグループなどが誕生しているので、そういったことも関係しているのかもしれない。
 そもそも社会的に、CDが売れなくなって販促が重視されるようになって、それからネット配信が主流となった。
 しかし実際はライブなどを行えば、それなりにCDが売れていくのだ。
 流通と小売を通さないために、大きな儲けとなる直販。
 これを下手にやってしまうと、脱税につながってしまって、恐ろしいことになってしまう。



 最後の曲を終えて、さすがに楽屋でぐったりとするメンバーであるが、俊は既にノートPCを開いている。
 他のメンバーの呆れたような顔をよそ目に、コード進行やメロディにフレーズを、バラバラながら残しておくのだ。
 まだ曲の中でもバラバラな要素を、とにかく記録しておく。
 こういったインスピレーションは、突然に訪れてくるから困るのだ。

 俊のこういった姿勢は、音楽に対する鬼であると言えよう。
 単純に才能があるとか、そういう話ではない。
 元々ネタ曲以外は、あまり受けていなかったのがサリエリだ。
 それでもボカロP全体の中ではかなりの上位であったのだが、順位などはあまり重要なものではない。
 問題なのはそれで食っていけるかということと、どれだけの影響を世界に残すかということだ。
 他の誰かではない、絶対的な個性。
 その爪痕を残したいという、野望とさえ言える傲慢さ。
 己の生きてきた証を、他の凡百の者とは違うものにしたいという、執念にも似たもの。

 ほとんどの人間は、世界と社会にとって歯車でしかない。
 歯車は歯車で、それは必要なものではある。
 だが特別の存在になりたいと思ってしまって、俊はここにいる。
 そして他の皆も、程度の差こそあれ似たような部分は持っている。

 もっと楽な道を進むことも出来たであろう。
 一定の成果を残して、さらに安全な道を選んだ者もいる。
 だがそれだけでは足りないと思ってしまった。
 若いうちは誰もが、特別な何かになりたいと思うものだ。
 しかしそれがいつまで続くかなど、現実を見ていればいずれは、妥協していくものなのだ。

 俊はノイズのリーダーではある。
 ただバンドを引っ張っていくタイプではない、と本人は思っている。
 考えに考えて、色々な手段でプロデュースしていく。
 しかしそんな俊の引力によって、このメンバーは集まっているのだ。



「何はともあれお疲れ様。夜は始まりがちょっと不安だったけど、お客さんは充分すぎるほど満足したみたいね」
「それは良かった……」
 比較的体力の残っている信吾が、阿部と受け答えをする。
 俊はそれにも気づかず、作曲に入っている。
 自分だけの世界に集中してしまえるのは、確かに一つの才能なのであろう。
 だが一年前の俊であれば、このようなことは出来なかったはずだ。

 それはさておき、阿部にとっては本題である。
「夜の部に、ちょっと知り合いを呼んでおいたんだけど、かなり感触は良かったわね」
 つまり、フェスの主催側の人間ということか。
「けれど夏の大規模フェスだとレーベルの力関係とか、スポンサーの意向とかもあるから、メインステージはちょっと無理でしょうけどね」
 そのあたりはインディーズでやっているので、仕方がないと言えば仕方がない。
 金をかけているミュージシャンを優先するのは、事務所やレーベルにとって当たり前のことなのだ。
 ノイズはそこで金をかけずに人気を獲得し、収入も多く取っているのだから。

 ただ阿部は口にしないが、少し流れは変わってきている。
 この人気を広げているノイズに関しては、ちょっとだけ金をかけてしまうだけでも、大きな効果が見られるのではないか、ということだ。
 今までにも音楽業界では、インディーズで長く活躍して、人気を強固なものとしていったミュージシャンは珍しくない。
 あとは紅白などにも絶対に出ないという、そういうポリシーでやっているところもあったりする。
 俊は自分たちが儲けることを優先しているため、援助を断っているような状態だ。
 ノイズがさらに金を稼いでくれるなら、親元のレーベルの方も、ノイズに有利な条件でメジャー移籍をさせてもいいのでは、と思いつつある。

 面子的にはインディーズにこだわるノイズというか俊に、あまりいい感情を抱いていないかもしれない。
 だがここまでインディーズでしっかりと結果を出しているのなら、さらに宣伝などをすることで、巨大な利益を産むバンドになるのではないか。
 そう思わせることに成功した時点で、ノイズの勝利であると言えるだろう。
 もっとも、これは別にメジャーレーベルが負けた、ということでもない。
 共に金を稼ぐという点では、WIN-WINと言えるであろう。

 父親の失敗からか、俊はちゃんと損益について、しっかりとした考えを持っている。
 ビジネスとしての音楽を、ちゃんと理解しているのだ。
 宣伝に金をかけずに、ここまで知名度を上げてきた。
 まさに自分たちの力で、大きくなってきたのだ。
 もちろんインディーズレーベルに所属以降は、こうやって他の人間の力も借りているわけだが。

 今年の夏は忙しくなるかもしれない。
 高校生二人がどうなるのか、マネジメントする側としては、そこも調整していかなければいけない。
 ただ、このライブの前売りがすぐになくなったということで、また一つの実績を作った。
 ノイズの未来は、まだずっと明るく高い方へ向かっているのだろう。
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