ノイジーガール ~ちょっとそこの地下アイドルさん適性間違っていませんか?~

草野猫彦

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十章 サマー

163 清算

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 ステージごとに開始時間は違い、特に1stと2nd、3rdと4thはあまり時間が被らないようになっている。
 ファン層などを考慮して、出来るだけ違う傾向のミュージシャンが、同じ時間帯のステージになるようにしてあるのだ。
 2ndステージのオトメゴトはそのトップバッター。
 ステージのタイムテーブルからして、全てを見終わってからでも、ノイズの出番には充分に間に合う。

 俊はペットボトルの水を持ち、サングラスをかけた月子と一緒に移動する。
 3rdステージの楽屋からは少し離れていたが、それでも距離は近いところにある。
 人間の発する熱気と、混じり合う臭気。
 ちょっときついものはあるが、遠目からもステージの様子はよく見える。
「もうちょっと前に行けるな」
 2ndステージは六万人ほどは充分に集まる規模である。
 遠くに見るだけでいいのなら、もっと集めることすら出来る。

 夏場ということもあってか、あまりごてごてとはしていない、白とピンクを基調にした衣装。
 音響の関係もあるだろうが、おそらくこれは生歌ではないのではないか。
 お祭り騒ぎであるから、ダンスをしている姿を見るだけでも、充分なのかもしれないが。
「あそこが、目指したもの……」
 月子ははるか遠くのステージを見てから、周囲の客層を見回す。
 そしてそれを発見した。

 それほど密集していない観客の間を抜けていく。
 俊はそれに付いていくが、何を目的としているのかは分からない。
 だが、相貌失認であるはずの月子が、その少女を見逃さない。
「ノンノ」
 声をかけた相手は、月子が日常的に出会っていたため、人の顔を見る部分ではない脳に、記憶された人間。
 メイプルカラーでは月子より、ほんの少しだけ後に加入した、ノンノの姿があった。

 声をかけられたノンノの方も、月子に気づいて驚く。
「ミキ……」
 俊の知る限りでは、二人はメイプルカラーの解散以来、会っていないはずだ。
 一度ぐらいは会うことはあったかもしれないが、少なくとも今年に入って以降ならば、月子からメイプルカラーの話を聞いたことはない。
「来てたんだ。他の皆は?」
「ううん、あたしだけ」
 メイプルカラーは、もう完全に消えているのだ。

 二人の間に、何か話したいことはあるのだろう。
 だが俊は月子から離れない方がいいと思っていたし、何より二人の目的としているステージが始まっている。
 少しだけ距離を取ったが、ステージではなく二人の様子を観察する。
 会話は聞き取れないが、少なくとも険悪な気配はない。
(確か……化粧とかをやってくれてた子だったかな?)
 リーダーのルリと副リーダーのアンナは憶えているが、残りの二人はあまり記憶にない俊である。
 正確には、もう忘れかけていた、と言うべきだろうか。



 俊はあの後、向井に一度会った。
 そしてメイプルカラーのメンバーが、どうなったのかも聞いた。
 ルリは転生して、また他のアイドルグループに入ったという。
 名前を変えてグループを変えて、活動を続けるのを転生というらしい。
 アンナはダンスをするアイドルグループのテストを受けている、と最後に聞いた時は言っていたはずだ。
 一人は大学生に戻り、そしてもう一人が何かの専門学校に行くことにした、とまで聞いている。

 地下アイドルでも、その世界から卒業出来なかった者がいる。
 表舞台を目指して、そちらに挑戦した者もいる。
 また完全にアイドルを諦めて、普通の一般人に戻った者。
 そして新たな進路を、自分で選んだ者もいたのだ。
(確かあの子が、専門学校に行くとか言ってたかな?)
 興味のない人間を忘れるということでは、俊も充分に忘れっぽい人間である。

 芸能界の中でも、アイドルはもっとも寿命が短く、潰しが利かないなどと言われる。
 20歳でもう年増扱いなのだから、その新陳代謝はあまりにも激しい。
 アイドルを脱却して、芸能界で生きていくというのは、とんでもなく難しいことだ。
 大手アイドルグループなどは、意外と息が長かったりもするが、メンバーが数十人にも及ぶグループであれば、卒業という形でどんどんと顔ぶれが変わっていく。
 供給し続けて、消費され続けるのがアイドル。
 昔はもっと丁寧に扱われていた、とも俊は聞いたことがあるが、少なくとも今はピンのアイドル売りというのはほぼいなくなっている。

 音楽の世界で生きていこうと、必死でもがいている自分も、傍から見たら似たようなものであるのだろう。
 だが少なくとも、音楽活動だけで食べていけるぐらいには、ノイズは稼いでいる。
 もちろんこの稼ぎが、何年も続いていくなどと、甘い考えは持っていない。
 もっと上に昇らなければ、すぐに落ちていく。
 音楽業界で生き残るというのは、限られたパイを奪い合うということでもあるのだ。

 二人は時折顔を見合わせながらも、遠くのステージを見つめている。
 おそらくあれが、月子の夢見た形の一つではあるのだろう。
 ノイズの月子は、アイドルと言うにはかなり、大人っぽい印象のドレスで歌うことが多い。
 仮面で隠していながらも、ノイズの顔となるメンバーと言うと、月子だと誰もが認識しているだろう。
(ここまでは来たけど、まだ先があるんだ)
 先の先には、俊の父さえ見たことのない景色がある。
 果たしてそこまで、たどり着けることが出来るのか。

 彼方に光はあっても、足元の分からない闇の中を、少しずつ進んできた。
 今のノイズのメンバーは、誰もが必要なピースである。
 ここから先に進めないのなら、それは俊の限界だろう。
(2ndステージで満足していたらダメなんだ)
 1stステージのヘッドライナー、そしてワンマンでのアリーナ公演。
 海外フェスに世界進出など、その気になればどこまでも、ずっと先は存在するのだ。
 俊の貪欲な精神は、ここではまだ満たされていない。
 しかしこの先をどう歩いていけばいいのか、それが難しくなっているのも確かなのだ。



「それじゃあ今は服飾の専門学校なんだ。ノンノ、衣装好きだったもんね」
「うん、自分が着るのも好きだったけど、色んな人に着てもらう方が」
 アイドルが好きであると言っても、そのどの部分が好きなのかは、人によって色々だろう。
 同じ女の子のアイドルが好きと言うなら、そこには憧れが含まれているはずだ。
 煌びやかな世界に、目を奪われてきた少女たち。
 だがアイドルには時間制限というものがあるのだ。
 そのわずかな時間であっても、輝きたいと思う少女たちが、青春を消費している。

 モラトリアム期間であったのだろう。
 その段階から、飛躍を遂げた人間がいれば、現実に戻った者もいる。
 ノンノの服飾関係の仕事というのは、彼女の夢をわずかでも引き継いだものとなる。
「ライブ、何度か見に行ったんだ」
 それも後ろの方からであったが。
 月子は仮面をしながらも、ライブのステージでは一番存在感があった。

 メイプルカラーの末期も、月子の歌唱パートは格別に目立っていた。
 ルリなどはそれに嫉妬していたとも、ノンノは知っている。
 まだアイドルを続けてはいても、大きなグループに移籍したというわけでもない。
 向井の知り合いの運営する、他の地下アイドルグループに入っただけだ。
 他のメンバーは、ノイズで歌う月子を見て、諦めてしまった。
 いや、世界の境界線が分かったとでも言うべきか。

 特別な人間というのは、確かに存在する。
 だがそれに相応しい場所に立たなければ、輝くことも出来ない。
 月子はアイドルではなく、バンドの中でその真価を発揮した。
 ノンノも輝くかどうかはともかく、自分の目を奪ったかつてのアイドルたちの衣装に携わるべく、今は新たに学んでいる。
 誰かが出来ることではあるのだろう。
 しかしそれが、月子にしか出来ないことに、劣るというわけでもないのだ。

 人は生きていかなければいけない。
 特別なことをする人間ばかりではなく、誰かにとっての特別になればいい。
 この小さくなってしまった世界では、特別な誰かが目立っているだろう。
 しかし社会を動かしているのは、当たり前のように生きている人々だ。
 そういった人々に、わずかな安らぎや楽しみを伝えるのが、音楽の一つの仕事であると考えていいだろう。
 音楽の楽しみがなければ、人が生きていくのはつまらない。
 だが音楽がなくなっても、人は生きていくことが出来る。



 ステージに立つアイドルたちのパフォーマンスが終わる。
 俊はあれを音楽の枠には入れたくないが、エンターテイメントであることは間違いない。
 オーディエンスを楽しませようというのが主体で、音楽に加えてダンスなどもある。
 煌びやかな衣装に、秀でたルックス。
 MCなども楽しませようと、どこか俗世を忘れさせるものであるのだ。

 日常の中に帰っていく。
 それを見終わって、月子もノンノと別れてきたようだった。
「話せたのか?」
「うん。やっぱりどこかで、ちゃんと話しておいた方がよかったんだなって」
 メイプルカラーの解散は月子にとって突然で、そして消化しきれていなかったものなのだろう。
 今日、大舞台を前に、その澱をわずかでも消すことが出来た。
 ここからさらに、月子は飛躍するのかもしれない。

 ボーカルとしての圧倒的な才能。
 これを支える、サブにもなればツインにもなり、デュオとしても成立する千歳。
 ノイズは二人のボーカルで、引っ張っていかれる。
 だが二人だけで成立するわけではなく、演奏も重要な役割を果たしている。
 特にライブパフォーマンスにおいては、ソロの部分を意識的に多くしている。
 リードギターの部分が一番多いが、ドラムやベースのソロも作ってある。
 そして基本的に、キーボードはあまり使わない。
 シンセサイザーの機能があるので、それでストリングスや管の音を鳴らすことはある。

 貢献度や収入は、自然と一番多くなる俊。
 だからこそステージの上においては、裏方に徹するのだ。
 ステージが終わって、移動する人々が多い。
 その中で俊は、月子と一緒にテントへと戻る。

 栄二と阿部が、先ほどの話について語っていた。
 ブラックマンタ。現在の日本のバンドにおいては、およそトップ5には入る人気バンド。
 ただ事務所移籍の噂は阿部も知っていて、それに巻き込まれるのは避けたい、というのが本音であるらしい。
 音楽業界を含む芸能界には、とんでもない影響力を持つ人間が何人かいる。
 阿部のバックのABENOレーベルを傘下におくレコード会社も、その会長は大きな力を持っている。
 また俊の父親なども、一時はそういう影響力を持っていた人間の一人だ。

 こういった話は、確かにチャンスではあるが、誰かの恨みを買う可能性もある。
 ノイズがメジャーレーベルで所属しているならともかく、いまだにインディーズのいいとこ取りをしている状況では、全面的なサポートを受けるのは難しい。
 根本的に、これまでで一番規模の大きなステージの前に、話すようなことではない。
「どうする? まだ時間はあるけど」
 俊の声にも、反応が鈍い。
 ステージで集中して、エネルギーを使うのは他の五人だ。
 俊は基本的に、打ち込みの調整や、シンセサイザーでメイン以外の音を鳴らすのみ。
 かつては月子と暁に引きずられて、必死でそれを止めようとしたのがデビューライブであった。

 まだ二時間以上は時間があるが、全員が集中したいと思い始めたらしい。
 なんと言っても三万人はスタンディングで聴くことが可能で、遠くから見てもさらに一万人は増えるというステージなのだ。
 これまでの最高は、去年のフェスの約2500人。
 その10倍を集めるような力が、一年ほどでノイズについたのか。
 正確には実力ではなく、知名度の方が重要なのだが。



 Yourtubeにおける配信チャンネルの登録数は、俊と月子が10万人ほど。
 それが全員集まってくれるなら、それはもう大成功だ。
 しかしネットのファンの100分の1が集まれば、ライブは成功とも言われる。
 ならば1000人というこの間のワンマンライブは、昼と夜を満員にしたのだから、大成功であるだろう。
 公式サイトやSNSからの告知もしている。
 また俊の場合は、ボカロPとして交流しているので、そこからの宣伝をしてくれている者もいる。

 ノイズの人気はどちらかというと、玄人好みとマニアックが混在している。
 だがそういうバンドであるからこそ、より宣伝してくれる人間は多くなるのだ。
 二万人集まってくれればいいが、一万人はいてくれないか。
 前の演奏と、次の演奏を目的として、そこにいるという人間もいるだろう。
 去年のフェスにしても、集まったオーディエンスが中座することはほとんどなかったはずだ。
 あの頃に比べればノイズの生み出す熱量は、比べ物にならないことになっているのは確かだ。

 ぴりぴりと空気が殺気立っている。
 それでも遠くからは、音楽が聞こえてくる。
 やがてスタッフが入ってくる。
「セッティング入ります。ノイズさん、予定通り開始されそうです」
 ここからまた、30分以上待つわけだ。
「念のため、もう一度トイレ行っておく」
「あ、あたしも」
「じゃあ一緒に」
 俊のおトイレ宣言に、女性陣が同調した。
 緊張感が、ほんのわずかに途切れてくれていた。
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