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図書館にて
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他クラスもダメ、クラスメイトもダメとなって、困った私は初心に返って図書館で調べものをして過ごしている。
王城図書館に続いて、国内二番目の蔵書を誇るこの図書館は、周囲の視線も少ない居心地のよい場所だ。
「エリザベラ様? 殿下が気になりますか?」
立ち並ぶ書架の前で、私が考え込んでいたのを心配したのか、ステファン様が声をかけてくれる。
「少し……。予選も今日で最後かと思うと気になって」
「まぁ、殿下もそこそこ強いし、心配はいらないと思うぞ」
眉を下げた私に、既に本戦への出場を決めたハンス様が爽やかに笑った。
今日はクリストフ様のトーナメント予選の最終日。予選出場のため、クリストフ様はここにいない。
「ええ。きっとそうですね。私も頑張らないと」
クリストフ様のことは大丈夫。未来のために私も頑張らないといけない。
「それでは、周辺諸国の暮らしがわかる本でしたか?」
「ええ。すみませんが、教えていただけると助かります」
国内の田舎について書かれた本は少ないけれど、意外なことに国外の本は色々と取り揃えられているのだ。
選択肢の一つとして、国外まで逃げてしまうことも考えている。
「それなら、ええとこちらはいかがですか?」
「いえ、それはもう読んでいて……」
「同じ著者のこちらも?」
「ええ。大変興味深かったのですけど、詳細な生活や文化に関しては内容が薄かったように思って」
王子妃教育の成果で国外の情報にはある程度なら詳しい。そのわからない部分を補足する形で資料を漁っている。
クリストフ様にステファン様、ハンス様も、まさかこの勉強が家出のためだなんて誰も気づいていないだろう。
「それなら……。翻訳はされていないのですが、こちらはいかがですか?」
ステファン様が私の知らない本を差し出してくる。
「ぜひ読んでみたいです!」と即答すると、ステファン様が眼差しを柔らかくした。
「それなら、同じようなものにいくつか心当たりがあります」
ステファン様は、私の知らない本にも詳しくて、すごく助かっている。
クリストフ様も私以上に詳しいはずだけど、家出先の情報収集を現婚約者から行うのは、流石に酷いと思って手助けを頼んだことはない。
「重いだろうし、俺が運ぶ」
ステファン様の後について、二冊目の本を取り出すと、さっと後ろからハンス様の手が伸びて、私の持つ本をひょいと取った。
「ありがとうございます」
「任せてくれ」
ずっしりとした本を軽々と持ってハンス様が笑う。
こうして本を十冊ほど選び、勉強用に設えられた机まで運んでもらった。
「ありがとうございます。今日はクリストフ様もいないのに、私に付き合わせてしまってすみません」
数人の学生たちが静かに勉強を続けているので、声をひそめて二人にお礼を伝えた。
「いえ、お安い御用ですよ」「気にしないでくれ」
二人が口を揃えて、顔を見合わせた。
声をひそめて笑いながら、机に積み上げた本の前に腰掛けた。ステファン様も私が先程勧めた本を持って隣に座る。
ハンス様は、ひらひらと手を振って後ろにある休憩用の長椅子にどっかりと腰を下ろした。
そのまま本を読み始め、どのくらい時間がたったのか。気がつくと後ろの長椅子で、無防備な顔をしたハンス様が眠ってしまっている。
「本を戻してきます」
起こさないよう声を潜めて、ステファン様に声をかけた。
「ご一緒します」
「申し訳ないわ」
「私もちょうど戻す本があるので」
ステファン様が立ち上がった。そして、私の本に自分の一冊を重ねて持ち、すたすたと書庫へと歩き出してしまう。
書庫には人の気配がなかった。しんと静まった空間を、ステファン様に続いて歩きながら、一つ一つ本を戻していく。
ステファン様が、最後の本を書架に差し入れて、そのまま静止した。どうしたのかと戸惑っていると、細く息を吐く音とともにステファン様の肩が揺れた。
ステファン様が振り向いて私を見つめる。
「エリザベラ様は……、ご自分の才能をもっと活かしたいとは思いませんか?」
「えっ……?」
思いがけない言葉にきょとんと見返すと、ステファン様は落ち着いた表情のまま口を開いた。
「十歳以前の私は神童と言われていたんです。だけど、エリザベラ様と出会い、本物の神童を知りました」
聞いたこともない話に驚いてすぐに言葉が出なかった。
「そんなっ……、違います!」
はっとし、慌てて否定する私にステファン様は静かに首を振った。
「良いのです。自分が一番わかっています。私がどれだけ必死になったところで、貴女はいつも一歩も二歩も先を行く」
「そんなことありませんっ!」
事情を説明できない私は、ただ否定することしかできない。
私は十歳でありながら、大人の記憶と経験があったから、器用に振る舞えただけだ。一から学んで、私よりも博識なステファン様の方がずっとすごいに決まっている。
私の言葉をなぐさめととったのか、ステファン様は眉を下げてふわりと笑った。
「エリザベラ様と初めてお会いしたお茶会は今でも覚えています。貴女は、私の想像とは全然違って……。正直に言うと、自分と同じように無感動な――面白みのない方を想像していたんです」
私はステファン様のことを面白みのない方だと思ったことはない。今日だって、勧められた本はどれも的確で、興味深かった。
私の言葉を待つことなく、ステファン様が言葉をつなぐ。
「だけど、貴女は楽しそうに毎日を過ごしていて。その上、同じ年代の誰よりも見識深い。私にはけして敵わない」
自嘲気味に笑って、ステファン様は目を伏せた。
「いえ……。私よりもステファン様の方がずっと……」
たまらず、ステファン様に歩み寄る。
驚いたように私を見返すステファン様の瞳は、澄んだ湖面のようだった。
「エリザベラ様……」
ステファン様のプライドや立場を傷つけるつもりなんてまったくなかった。
見た目が子供なだけで中身は大人な私に、そうとは知らず張り合うのはどれだけ大変だっただろう。
ステファン様がぎゅっと強く目を閉じると、何かを決意したような顔で私を見た。
「エリザベラ様のお父君も貴女の才能を惜しんでいました。父との話を隠れ聞いたので知っています」
「えっ?」
「もしあなたの望みが王子妃にないのなら、その才能を埋もれさせたくないとお思いなら……」
「内緒話には向かないぞ」
そのとき後ろから声がして、振り返ると眠っていたはずのハンス様が立っていた。
ほっとしたようにステファン様は「そうですね」と呟き、ハンス様に視線を投げた。
「すみません、ハンス様。エリザベラ様を送っていただけますか」
「ああ」
「エリザベラ様、私はこちらで失礼いたします」
寂しげな笑顔を浮かべて、ステファン様が私に頭を下げた。
* * *
そのまま図書館を出ると、すでに僅かに日が傾き、西の空が金色に染まり始めていた。
ハンス様の隣で、複雑な思いを抱えてただ足を進めていく。
「あの、先程の話……」
「聞いたけど、他言なんかしない」
「ありがとう……ございます」
何を話したらよいかもわからなくて、私たちは無言で馬車を目指した。
「あいつ……。変わったな……」
道のりも半分を過ぎた頃、ハンス様がぽつりと呟いた。
「えっ?」
「前はもっと淡々とした奴だったのに」
懐かしむようにハンス様が言ってこちらを見る。
「エリザベラ嬢のおかげだな」
「そんなこと……」
「あるよ。少なくとも俺は自信をもらえた」
あっという間に金色の空が、茜色を帯び始めていた。オレンジ色の瞳に陽の光が入り、燃えているようだ。
「俺、今度のトーナメントで絶対に優勝するから」
大人びて見える表情にとまどう。すると、ハンス様はいつものようににかりと笑い、馬車が停まっているであろう方向を顎で示した。
つられてそちらを見ると、ライーバル家の家紋のついた馬車に寄り添うようにたたずむ人影がある。
「クリストフ様……?」
今日は遅くなるから、先に帰っていてほしいと言っていたのに。慌てて早足で歩み寄ろうとして、ハンス様を振り返った。
すると、そのまま進むよう促されて、戸惑いながらも礼をとる。
ステファン様とハンス様の話で混乱しているのだろうか。どきどきと胸が痛い。
クリストフ様の方に向き直ると明るい髪が夕陽を映して、彼自身が輝いているようだった。一歩一歩近づくにつれ、よくわからない緊張感が私を包む。
落ち着かない気持ちでクリストフ様の前に立つと、少しだけ汗の匂いがした。
「……間に合ってよかった。なんとか本戦に残れたんだ。リズに観に来て欲しい」
穏やかにほほえみながらも、いつもより固い調子でクリストフ様が言う。
これまで、ハンス様からはことあるごとにトーナメント戦に来てほしいと声をかけられていた。だけど、クリストフ様に請われたのはこれが初めてだ。
「おめでとうございます。ぜひ応援に行かせてください」
心から祝福の気持ちで約束をすると、クリストフ様が最高に綺麗な笑顔を浮かべた。輝く髪と相まって、思わず見惚れてしまう。
そんな私に手を貸して、馬車に乗るのを手伝うと、「ありがとう。また明日」と窓越しに声をかけてくれた。
「また明日」
いつも通りに挨拶を返したものの、なぜか胸の鼓動はいつまでも収まらなかった。
王城図書館に続いて、国内二番目の蔵書を誇るこの図書館は、周囲の視線も少ない居心地のよい場所だ。
「エリザベラ様? 殿下が気になりますか?」
立ち並ぶ書架の前で、私が考え込んでいたのを心配したのか、ステファン様が声をかけてくれる。
「少し……。予選も今日で最後かと思うと気になって」
「まぁ、殿下もそこそこ強いし、心配はいらないと思うぞ」
眉を下げた私に、既に本戦への出場を決めたハンス様が爽やかに笑った。
今日はクリストフ様のトーナメント予選の最終日。予選出場のため、クリストフ様はここにいない。
「ええ。きっとそうですね。私も頑張らないと」
クリストフ様のことは大丈夫。未来のために私も頑張らないといけない。
「それでは、周辺諸国の暮らしがわかる本でしたか?」
「ええ。すみませんが、教えていただけると助かります」
国内の田舎について書かれた本は少ないけれど、意外なことに国外の本は色々と取り揃えられているのだ。
選択肢の一つとして、国外まで逃げてしまうことも考えている。
「それなら、ええとこちらはいかがですか?」
「いえ、それはもう読んでいて……」
「同じ著者のこちらも?」
「ええ。大変興味深かったのですけど、詳細な生活や文化に関しては内容が薄かったように思って」
王子妃教育の成果で国外の情報にはある程度なら詳しい。そのわからない部分を補足する形で資料を漁っている。
クリストフ様にステファン様、ハンス様も、まさかこの勉強が家出のためだなんて誰も気づいていないだろう。
「それなら……。翻訳はされていないのですが、こちらはいかがですか?」
ステファン様が私の知らない本を差し出してくる。
「ぜひ読んでみたいです!」と即答すると、ステファン様が眼差しを柔らかくした。
「それなら、同じようなものにいくつか心当たりがあります」
ステファン様は、私の知らない本にも詳しくて、すごく助かっている。
クリストフ様も私以上に詳しいはずだけど、家出先の情報収集を現婚約者から行うのは、流石に酷いと思って手助けを頼んだことはない。
「重いだろうし、俺が運ぶ」
ステファン様の後について、二冊目の本を取り出すと、さっと後ろからハンス様の手が伸びて、私の持つ本をひょいと取った。
「ありがとうございます」
「任せてくれ」
ずっしりとした本を軽々と持ってハンス様が笑う。
こうして本を十冊ほど選び、勉強用に設えられた机まで運んでもらった。
「ありがとうございます。今日はクリストフ様もいないのに、私に付き合わせてしまってすみません」
数人の学生たちが静かに勉強を続けているので、声をひそめて二人にお礼を伝えた。
「いえ、お安い御用ですよ」「気にしないでくれ」
二人が口を揃えて、顔を見合わせた。
声をひそめて笑いながら、机に積み上げた本の前に腰掛けた。ステファン様も私が先程勧めた本を持って隣に座る。
ハンス様は、ひらひらと手を振って後ろにある休憩用の長椅子にどっかりと腰を下ろした。
そのまま本を読み始め、どのくらい時間がたったのか。気がつくと後ろの長椅子で、無防備な顔をしたハンス様が眠ってしまっている。
「本を戻してきます」
起こさないよう声を潜めて、ステファン様に声をかけた。
「ご一緒します」
「申し訳ないわ」
「私もちょうど戻す本があるので」
ステファン様が立ち上がった。そして、私の本に自分の一冊を重ねて持ち、すたすたと書庫へと歩き出してしまう。
書庫には人の気配がなかった。しんと静まった空間を、ステファン様に続いて歩きながら、一つ一つ本を戻していく。
ステファン様が、最後の本を書架に差し入れて、そのまま静止した。どうしたのかと戸惑っていると、細く息を吐く音とともにステファン様の肩が揺れた。
ステファン様が振り向いて私を見つめる。
「エリザベラ様は……、ご自分の才能をもっと活かしたいとは思いませんか?」
「えっ……?」
思いがけない言葉にきょとんと見返すと、ステファン様は落ち着いた表情のまま口を開いた。
「十歳以前の私は神童と言われていたんです。だけど、エリザベラ様と出会い、本物の神童を知りました」
聞いたこともない話に驚いてすぐに言葉が出なかった。
「そんなっ……、違います!」
はっとし、慌てて否定する私にステファン様は静かに首を振った。
「良いのです。自分が一番わかっています。私がどれだけ必死になったところで、貴女はいつも一歩も二歩も先を行く」
「そんなことありませんっ!」
事情を説明できない私は、ただ否定することしかできない。
私は十歳でありながら、大人の記憶と経験があったから、器用に振る舞えただけだ。一から学んで、私よりも博識なステファン様の方がずっとすごいに決まっている。
私の言葉をなぐさめととったのか、ステファン様は眉を下げてふわりと笑った。
「エリザベラ様と初めてお会いしたお茶会は今でも覚えています。貴女は、私の想像とは全然違って……。正直に言うと、自分と同じように無感動な――面白みのない方を想像していたんです」
私はステファン様のことを面白みのない方だと思ったことはない。今日だって、勧められた本はどれも的確で、興味深かった。
私の言葉を待つことなく、ステファン様が言葉をつなぐ。
「だけど、貴女は楽しそうに毎日を過ごしていて。その上、同じ年代の誰よりも見識深い。私にはけして敵わない」
自嘲気味に笑って、ステファン様は目を伏せた。
「いえ……。私よりもステファン様の方がずっと……」
たまらず、ステファン様に歩み寄る。
驚いたように私を見返すステファン様の瞳は、澄んだ湖面のようだった。
「エリザベラ様……」
ステファン様のプライドや立場を傷つけるつもりなんてまったくなかった。
見た目が子供なだけで中身は大人な私に、そうとは知らず張り合うのはどれだけ大変だっただろう。
ステファン様がぎゅっと強く目を閉じると、何かを決意したような顔で私を見た。
「エリザベラ様のお父君も貴女の才能を惜しんでいました。父との話を隠れ聞いたので知っています」
「えっ?」
「もしあなたの望みが王子妃にないのなら、その才能を埋もれさせたくないとお思いなら……」
「内緒話には向かないぞ」
そのとき後ろから声がして、振り返ると眠っていたはずのハンス様が立っていた。
ほっとしたようにステファン様は「そうですね」と呟き、ハンス様に視線を投げた。
「すみません、ハンス様。エリザベラ様を送っていただけますか」
「ああ」
「エリザベラ様、私はこちらで失礼いたします」
寂しげな笑顔を浮かべて、ステファン様が私に頭を下げた。
* * *
そのまま図書館を出ると、すでに僅かに日が傾き、西の空が金色に染まり始めていた。
ハンス様の隣で、複雑な思いを抱えてただ足を進めていく。
「あの、先程の話……」
「聞いたけど、他言なんかしない」
「ありがとう……ございます」
何を話したらよいかもわからなくて、私たちは無言で馬車を目指した。
「あいつ……。変わったな……」
道のりも半分を過ぎた頃、ハンス様がぽつりと呟いた。
「えっ?」
「前はもっと淡々とした奴だったのに」
懐かしむようにハンス様が言ってこちらを見る。
「エリザベラ嬢のおかげだな」
「そんなこと……」
「あるよ。少なくとも俺は自信をもらえた」
あっという間に金色の空が、茜色を帯び始めていた。オレンジ色の瞳に陽の光が入り、燃えているようだ。
「俺、今度のトーナメントで絶対に優勝するから」
大人びて見える表情にとまどう。すると、ハンス様はいつものようににかりと笑い、馬車が停まっているであろう方向を顎で示した。
つられてそちらを見ると、ライーバル家の家紋のついた馬車に寄り添うようにたたずむ人影がある。
「クリストフ様……?」
今日は遅くなるから、先に帰っていてほしいと言っていたのに。慌てて早足で歩み寄ろうとして、ハンス様を振り返った。
すると、そのまま進むよう促されて、戸惑いながらも礼をとる。
ステファン様とハンス様の話で混乱しているのだろうか。どきどきと胸が痛い。
クリストフ様の方に向き直ると明るい髪が夕陽を映して、彼自身が輝いているようだった。一歩一歩近づくにつれ、よくわからない緊張感が私を包む。
落ち着かない気持ちでクリストフ様の前に立つと、少しだけ汗の匂いがした。
「……間に合ってよかった。なんとか本戦に残れたんだ。リズに観に来て欲しい」
穏やかにほほえみながらも、いつもより固い調子でクリストフ様が言う。
これまで、ハンス様からはことあるごとにトーナメント戦に来てほしいと声をかけられていた。だけど、クリストフ様に請われたのはこれが初めてだ。
「おめでとうございます。ぜひ応援に行かせてください」
心から祝福の気持ちで約束をすると、クリストフ様が最高に綺麗な笑顔を浮かべた。輝く髪と相まって、思わず見惚れてしまう。
そんな私に手を貸して、馬車に乗るのを手伝うと、「ありがとう。また明日」と窓越しに声をかけてくれた。
「また明日」
いつも通りに挨拶を返したものの、なぜか胸の鼓動はいつまでも収まらなかった。
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