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第三話『相棒は、もふもふ白熊』
しおりを挟む「……ん……」
意識が、ゆっくりと暗い水の底から浮上してくる。
最初に感じたのは、頬をなぞる、湿った生温かい感触だった。ザラザラとしていて、小さい。まるで、猫の舌のようだ。
(……なんだ……?)
朦朧とする頭で、重い瞼をなんとかこじ開ける。
燃え尽きかけの焚き火の、頼りない光。その向こう側。
真っ暗な闇の中に、二つのつぶらな黒い瞳が、こちらをじっと見つめていた。
「……!?」
一瞬で覚醒する。
飛び起きようとして、全身を襲う激しい倦怠感に動きを阻まれた。
「(そうだ、俺は……キバいのししと戦って……気絶……)」
目の前にいるのは、猪ではない。
体長50センチほどの、ずんぐりとした体。全身を覆う、雪のように真っ白で、ふわふわの毛並み。短い手足に、丸い耳。
それは、どう見ても――熊の子供だった。
「(熊……!?まずい、親はどこだ!?)」
子熊がいるということは、近くに母熊がいる可能性が極めて高い。それは、キバいのしし以上の脅威を意味する。
ブッシュクラフトの鉄則――『森で最も危険なのは、子連れの母熊だ』。
ユウキは息を殺し、必死で身構えた。
だが、子熊はこちらを威嚇するでもなく、ただ心配そうに顔を覗き込んでいるだけだ。
そして、小さく「クゥン…」と、悲しそうな鳴き声を上げた。
その時、ユウキは気づいた。
子熊の左の後ろ足に、何か黒いものが食い込んでいる。錆び付いた、金属製のギザギザとした罠だ。おそらく、人間が仕掛けたものだろう。罠は深く肉に食い込み、白い毛が血で赤黒く染まっていた。
「(……罠……?それで、動けないのか……)」
親とはぐれたのか、それとも、この子の親も…。
いずれにせよ、このままではこの子熊は長くはもたないだろう。感染症か、あるいは別の肉食獣に襲われるか。
「クゥ……ン……」
助けを求めるように、子熊がもう一度鳴いた。
ユウキの中で、葛藤が渦巻く。
助ける?危険すぎる。自分の身一つ守ることで精一杯だ。
見捨てる?……この、震える小さな命を?
「(……ああ、クソ……)」
悪態が、心の内で漏れる。
前世で、理不尽なクライアントにどれだけ振り回されても、結局は頷いてしまう。自分はそういう男なのだ。
困っているものを見ると、放っておけない。たとえそれが、熊の子供だったとしても。
「……よし……動くなよ、坊主。今、外してやるからな」
ゆっくりと、脅かさないように声をかける。
頭の中のゲージを確認した。
**【創造力:62/100】**
まだ余裕はある。だが、油断はできない。
必要なものは……まず、このワイヤーを切るもの。
「(ダ●ソーの工具コーナーにあった、小型のワイヤーカッター……!グリップは確か、青色だったはず……!)」
**ポンッ!**
**【創造力:62/100 → 47/100】**
Cランク!15消費。手に、ずしりと重い金属の感触。
子熊がビクッと体を震わせるが、ユウキは優しく声をかけ続ける。
「大丈夫、大丈夫だ。痛くしないからな」
罠にカッターを当てるが、錆び付いていて固い。無理に力をかければ、子熊の足を傷つけてしまう。
「(潤滑油……!細いノズルがついてる、スプレータイプのやつ!)」
**ポンッ!**
**【創造力:47/100 → 32/100】**
これもCランク。再び15消費。
潤滑油を罠の隙間に吹き付け、慎重に、少しずつワイヤーカッターに力を込める。
バチンッ!
鈍い音を立てて、ようやくワイヤーが切れた。
罠を足からそっと外してやると、子熊は解放された足をしきりに舐めている。
「まだだぞ。傷口をきれいにしないと」
次は衛生用品だ。『消毒液』と『包帯』。どちらもDランクのはず。
**ポンッ!ポンッ!**
**【創造力:32/100 → 22/100】**
思った通り、合わせて10の消費で済んだ。
脱脂綿に消毒液を染み込ませ、傷口の汚れを優しく拭ってやる。子熊は一瞬「キャン!」と鳴いて身をよじったが、暴れはしなかった。ユウキの行動に、敵意がないことを理解しているらしかった。
最後に、慣れた手つきで足に包帯を巻いてやる。不格好だが、応急処置としては十分だろう。
「……よし、終わったぞ」
全ての処置を終え、ユウキがそっと手を離す。
子熊は、包帯を巻かれた自分の足と、ユウキの顔を、不思議そうに何度も見比べた。
そして、おずおずとユウキの方へにじり寄ると、その大きな手袋越しの手に、ぺろり、と舌を伸ばした。
「……!」
温かくて、柔らかい感触。
信頼の証。感謝の印。
「キュウ!」
子熊は、嬉しそうに一声鳴いた。
その瞬間、ユウキの中で、何かがふっと軽くなった気がした。
この理不尽な世界に来て、初めて誰かと心が通じた瞬間だった。
「はは……お前、シラタマ、みたいだな。真っ白で、丸くて」
ユウキがそう呟くと、子熊は「キュウ!」と、また鳴いた。まるで、その名前を気に入ったかのように。
「(シラタマ、か……)」
腹の虫が、ぐぅ、と盛大に鳴った。シラタマの腹も、同じように鳴っている。
ユウキは立ち上がり、キバいのししが逃げていった方角を見た。戦いの跡に、幸運にも、猪が落としていった肉塊が転がっている。
それを拾い上げ、焚き火で炙る。味付けは、ない。ただ焼いただけの、野生の肉。
だが、立ち上る香ばしい匂いが、二人の食欲を猛烈に刺激した。
焼き上がった肉を冷ましてから、シラタマの口元へ差し出す。シラタマは夢中で肉に食らいついた。ユウキも、自分の分をかじる。
硬くて、少し臭みはある。だが、命の味がした。
温かくて、力強い、生命そのものの味が。
シラタマと二人、小さな焚き火を囲んで肉を食む。
それは、ユウキがこの世界で初めて経験する、誰かと分かち合う、温かい食事だった。
前世の、どんな高級レストランで食べた料理よりも、ずっと、ずっと美味しく感じられた。
夜空には、見たこともないほど美しい、満天の星が輝いていた。
(第一部・完)
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