おっさん転生、相棒はもふもふ白熊。100均キャンプでスローライフはじめました。

はぶさん

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第三十五話『天使のささやきと、命のパン』

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ついに、この時が来た。
俺は、瓶の中で元気に活動する天然のパンこうぼをボウルにあけ、バロンから譲り受けた小麦粉、そして岩塩と水を加えていく。最高のパン作り、その第一歩だ。

「ここからが、一番大事な作業です。生地との対話ですよ」

俺は、台の上で生地をリズミカルに叩きつけ、優しく折りたたむ作業を繰り返す。最初はベタベタだった生地が、徐々に弾力を持ち、シルクのようになめらかになっていく。
その様子を見ていたリディアが、「私も手伝おう!」と腕まくりをして名乗り出た。

「では、お願いします。体重を乗せるように、力強く…」
「うむ、こうか!エイ!」

ドゴォッ!
リディアが渾身の力を込めて振り下ろした拳は、哀れなパン生地を台ごと叩き割りかねないほどの威力だった。

「リディアさん、パンは敵ではありません!殺意を込めないでください!愛情です!」
「む、むぅ…。加減が難しいな…」

そんな微笑ましい共同作業(?)を経て、生地は一次はっこうの眠りについた。
生地が二倍の大きさに膨らむまでの、数時間の待ち時間。俺たちは、先日編んだばかりの『手編みのボディタオル』を手に、最高の露天風呂へと向かった。
麻紐の少し硬い肌触りが、肌を心地よく刺激する。自分たちで作った道具で、自分たちで作った風呂に入る。その一つ一つの行為が、俺たちの生活を、かけがえのないものにしていた。

風呂から上がり、体を乾かす頃には、パン生地はふっくらと、見事に膨れ上がっていた。
俺は生地のガスを優しく抜き、丸く成形して、二次はっこうをさせる。
その間に、石窯に火を入れ、カンカンに熱した。

「いよいよですね」

パン生地を窯に入れる直前、俺はスキルで『きりふき』を召喚した。
ポンッ!
そして、窯の内部に、シュッ、シュッと勢いよく蒸気を吹きかける。

「ユウキ殿、窯に水を!?パンが湿ってしまうのではないか!?」
「いえ。これが、最高の皮(クラスト)を焼くための、魔法の仕上げです」

蒸気で満たされた灼熱の石窯へ、俺はそっとパン生地を滑り込ませた。
扉を閉めると、あとは待つだけだ。やがて、窯の隙間から、今まで嗅いだことのない、甘く、香ばしく、そしてどこか懐かしい、穀物の焼ける匂いが漂い始めた。森全体が、パン屋になったかのような、幸せな香りだ。

数十分後。
窯から取り出されたパンは、俺の想像を遥かに超える、完璧な姿をしていた。
こんがりと焼けた、深いキツ-ネ色の芸術品。
そして、パンが冷めていく過程で、表面の皮が「パチパチ…ピチピチ…」と、まるで歌うように、軽やかな音を立て始めた。

「これは…?」
「『天使のささやき』って言うんですよ。美味しく焼けた、最高の証拠です」

俺は、ナイフで、そのパンに刃を入れる。
サクッ!という小気味よい音。立ち上る湯気と共に、大小様々な気泡を含んだ、見るからにもちもちの断面が顔を出した。
俺は、まず一切れをリディアに差し出す。
彼女は、その熱々のパンを、恐る恐る、しかし大きな一口で頬張った。

そして、言葉を失った。
カリカリと音を立てる皮。しっとり、もちもちとした中身(クラム)。噛みしめるほどに広がる小麦の深い甘みと、天然こうぼ由来の、爽やかな酸味。
彼女が知っている、パサパサの保存食のパンとは、全く次元が違う「命の味」。リディアの瞳から、一筋の涙が、静かにこぼれ落ちた。

シラタマも、つちのこも、その奇跡のパンの味に、それぞれの形で最高の喜びを表現している。
その日の食卓は、焼きたてのパンが主役の、最高の祝宴となった。鉄鍋のポトフに浸し、燻製肉を挟み、夢中で食べた。
一つのパンを、みんなで分かち合って食べる。
焚き火の炎を見つめながら、俺は、こんなに幸せなことが他にあるだろうかと、心の底から満ち足りた気持ちに包まれていた。
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