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第六十五話『雪前の来訪者と、パン屋の娘』
しおりを挟む秋が深まり、森の木々が最後の一葉を落とす頃。俺たちの生活は、完成された穏やかなサイクルの中にあった。
朝は、暖炉にくべる薪の準備から始まる。昼は、温室の野菜の世話をしたり、ヤギたちの面倒を見たり。そして、冷たい風が吹き始める夜には、暖炉の前に集まり、自分たちが紡いだ糸で、冬の夜長を楽しむための編み物をする。
チーズの熟成も、あと一週間ほどで完了するだろう。約束のカルボナーラが、俺たちの食卓に上る日も近い。
そんな、どこまでも平和で、満ち足りた静寂を破るように、その音は聞こえてきた。
チリン…チリン…。
森の小道から聞こえる、懐かしい鈴の音。俺が顔を上げると、リディアはすでに、すっと立ち上がり、静かに剣の柄に手をかけていた。
「…来客のようだ」
その目は、もはやただの同居人ではない。『聖域の守護騎士』としての、鋭い光を宿していた。
俺たちが拠点の入り口へ向かうと、そこには一台の馬車と、二人の人影があった。行商人バロンだ。しかし、彼の隣には、緊張した面持ちで佇む、一人の見知らぬ少女がいる。
俺が声をかけるより早く、リディアが一歩前に出た。
「止まれ。何用かな」
礼儀正しく、しかし、決して侵入を許さぬという毅然とした態度。彼女は、バロンと少女の前に立ち、静かに告げた。
「我が主、ユキ殿への要件を伺おう」
その、あまりの変貌ぶりに、バロンは目を丸くしている。
「まあまあ、リディアさん。大丈夫ですよ、お客様です」
俺が穏やかにその警戒を解くと、リディアは少しだけ不満そうに、しかし、すっと俺の後ろに控えた。
バロンが連れてきたのは、彼が行商で立ち寄る町の、パン屋の娘『アニカ』だった。
バロンが持ち帰った、俺の焼いたパンの味に衝撃を受けた彼女は、「どうしても、そのパン作りの秘密を教えてほしい」と、バロンに泣きついて、この森までやってきたのだという。
「お願いします!もっと美味しいパンを焼いて、町のみんなを笑顔にしたいんです!」
ひたむきな瞳で、彼女は深々と頭を下げた。どこまでも平和で、職人としての、純粋な願い。断る理由など、見つからなかった。
「ようこそ、俺たちの家へ」
俺は、二人を母屋へと招き入れた。そして、初めての『客』をもてなすため、スキルを発動する。
ポンッ!
【創造力:150/150 → 147/150】
「どうぞ、履き替えてください」
俺が差し出したのは、Eランクの『来客用のスリッパ』だった。
「な…なんだ、これは?外の汚れを家の中に持ち込まないための、室内専用の履物…だと…?」
バロンが、その発想そのものに度肝を抜かれている。
さらに、パン作りを教える前に、俺はもう一つ、アイテムを召喚した。
ポンッ!
【創造力:147/150 → 145/150】
可愛らしい犬の模様がついた、Eランクの『エプロン』だ。
「これをどうぞ。服が汚れませんから」
「パンを焼く、という一つの作業のためだけの、専用の衣服…だと…?」
アニカも、自分たちの常識を遥かに超えた「暮らしの質」に、ただただ驚くばかりだった。
その時だ。これまで静観していたシラタマが、おもむろに立ち上がり、緊張しているアニカの元へと歩み寄った。リディアの警戒が解けても、彼には彼の『入国審査』があるらしい。
シラタマは、巨大な鼻先で、アニカの匂いをクンクンと念入りに嗅ぎ始めた。そして、彼女の体から漂う、自分も大好きな、香ばしい「小麦の香り」に気づく。
「キュイ!」
次の瞬間、シラタマは嬉しそうな一声を上げ、安心したように、彼女の足にその巨大な体をすり寄せた。この「もふもふ審査官」の許可が下りた瞬間、彼女は本当の意味で、この聖域の客として迎え入れられたのだ。
俺は、アニカを連れて、俺たちの工房を案内して回った。回転式石臼、高性能な石窯、そして、今も静かに呼吸を続ける、自家製の天然酵母。パン屋の娘である彼女にとって、それは夢のような光景だった。
「すごい…すごいです…。パンの作り方だけじゃない。私は、生きるための全てを、ここで学べる気がします…!」
目をキラキラさせて語る彼女に、俺は微笑みかけた。
俺たちは、石窯の前に立つ。
「パン作りは、まず、窯と対話することから始まります」
俺のその一言から、数日間限定の、特別なパン作り教室が、静かに幕を開けるのだった。
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