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第七十話『チーズの王、誕生。そして新たなる約束』
しおりを挟む暖炉の薪が静かにはぜる、冬の朝。窓の外は一面の銀世界が広がっている。俺が温かいハーブティーをすすっていると、リディアが、いつになく真剣な面持ちで一冊の日誌を手に、俺の前に立った。それは、もはや彼女のライフワークとなった『温湿度管理日誌』。
(――この日のために、私は記録を続けてきた。ユキ殿が『未来の宝物』と呼んだ、あの小さな白い塊を守り、育てるために。一日たりとも、欠かすことなく…)
彼女は、最後のページに今日の記録を丁寧に書き込むと、パタン、と厳かに日誌を閉じた。その音は、まるで裁判官が判決を告げる前の、木槌の音のように、静かな母屋に響き渡った。
「ユキ殿…日誌によれば、今日であの『ちーず』を仕込んでから、ちょうど二ヶ月。私が貴殿から拝命した『チーズの守護任務』は、これにて完了した」
彼女は、俺をまっすぐに見つめて言った。
「……審判の時が、来たようだな」
その言葉に、足元で丸くなっていたシラタマが、ぴくりと耳を動かした。拠点全体の空気が、心地よい期待と、神聖な緊張で、張り詰めていくのが分かった。
一同は、儀式のように、気化熱式冷蔵庫へと向かう。俺が扉を開けると、ひやりとした空気と共に、むせ返るような芳醇な香りが溢れ出した。ナッツのようであり、森のキノコのようでもあり、そしてどこか甘い蜜のような香りも混じっている。
中から取り出されたチーズの塊は、もはや仕込んだ時の白い赤子ではなかった。水分が抜け、一回り小さく、硬くなり、表面は美しい象牙色に。俺はナイフを手に取り、その王様に初めて刃を入れる。サクッ、という熟成チーズ特有の小気味よい手応え。現れた断面を、俺は冬の柔らかい太陽の光にかざして見せた。
「見てください、リディアさん」
俺は、ナイフの先端で、断面に時々見える、星屑のようにキラキラと輝く小さな結晶を指し示した。
「これが、旨味成分のアミノ酸が固まった『旨味の宝石』です。最高の熟成ができた、何よりの証拠ですよ」
俺は、リディアの息をのむ気配を感じながら、続けた。
「俺たちが過ごした二ヶ月という時間が、ただのミルクを、この『王様』へと変える魔法をかけたんです。この一粒一粒の輝きが、俺たちがここで生きてきた時間の、結晶なんですよ」
俺は、そのひとかけらを、まずリディアに差し出した。彼女は、まるで聖杯でも受け取るかのように、震える指先でそれをつまむ。意を決して、それを口に運んだ、次の瞬間。
彼女の青い瞳が、驚愕に見開かれた。
舌に乗せた瞬間は、穏やかなミルクの風味がした。しかし、噛みしめた途端、凝縮された旨味の爆弾が口の中で炸裂する。塩気の角は取れ、まろやかなコクだけが舌に残り、鼻腔には熟成香が永遠に続くかのように漂う…!
「なっ……!?」
リディアは、あまりの衝撃に、思わずよろけて壁に手をついた。
(なんだ、これは…?ただの塩気ではない。ミルクの甘みでもない。森の土の匂い、ヤギたちが食んだ草の記憶、そして、二ヶ月という静かな時間…その全てが、この小さな欠片の中で、一つの『物語』になっている…!?)
「こ、これが…ちーず…?私の知る、ただ塩辛いだけの保存食とは、全く違う…!これは、食料ではない…!人の魂を、有無を言わさずひれ伏させる…『力』そのものだ…!」
騎士として幾多の戦場を駆け抜けてきた彼女が、たった一片のチーズに、完全に降伏していた。
その横で、同じくひとかけらをもらったシラタマは、数回もぐもぐと咀嚼した後、ぴたり、と動きを止めた。そして、その黒い瞳をゆっくりと天に向け、白目を剥くと、まるでスローモーションのように、ゴロリ…と仰向けに倒れ、幸せそうに手足を小さく痙攣させている。情報量が多すぎる美味さに、彼の小さな脳が処理を放棄してしまったらしい。これ以上の賛辞は、この世に存在しないだろう。
この『チーズの王』の誕生を祝して、そして、俺たちの成長の証として、俺は最高のピザを焼くことにした。
硬いチーズを削るため、俺は専用の道具を召喚する。
ポンッ!
【創造力:129/150 → 128/150】
Eランクの調理器具『チーズおろし』だ。
硬いチーズの塊が、銀色の刃に触れた途端、はらはらと舞い散る淡雪のように、ふわふわの粉へと姿を変えていく。
挽きたての小麦粉で作った生地、自家製ベーコン、温室で採れた冬野菜。最高の役者たちが揃ったピザが石窯で焼き上げられ、仕上げに、おろしたてのチーズが雪のように降り積もる。その余熱でとろりと溶けたチーズが、天国のような香りを放った。
一口食べた瞬間、全員が動きを止めた。
沈黙を破ったのは、リディアの震える声だった。
「……信じられん」
彼女は、ピザの乗った皿を、まるで神託の石板でも見るかのように見つめている。
「以前のピザも天上の味だと思っていた…。だが、これは違う!挽きたての小麦が、自家製のベーこンが、温室の野菜が、全ての具材が、このチーズという『王』にひざまずき、己の持つ最高の味を忠誠の証として捧げているかのようだ!これはもはや料理ではない…!この一枚の皿の上に築かれた、完璧な『味の王国』だ!」
最高のピザを囲み、祝宴が最高潮に達した頃、リディアが、ふと、遠い目をして呟いた。
「…あのカルボナーラも、生涯忘れえぬ『約束の味』だった。だが…もし、あの料理を、この完成された『王』で作っていたとしたら…一体、どうなっていたのだろうな…」
その言葉に、俺は、残ったチーズの塊を、我が子のように愛おしそうに持ち上げた。
そして、リディアに向かって、最高の笑顔で言った。
「最高の『王様』が、生まれました。そして、リディアさん…あなたは、最高の問いをくれましたね」
俺は、彼女の瞳をまっすぐに見つめ返す。
「ええ、やりましょう。あの日の約束を超えていく、俺たちの、**『新たなる約束』**を。この王の力を借りて、あの日のカルボナーラを遥かに凌駕する、史上最高のカルボナーラを、作りましょう!」
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