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第七十六話『聖域への帰還と、木彫りの宝物』
しおりを挟む眠れる森の王と、木彫りの小熊。
あの神秘的な洞窟での邂逅から一夜明け、俺たちの心には、不思議なほどの静けさと、そして確かな充足感が満ちていた。空はどこまでも青く澄み渡り、冬の太陽の光が、ダイヤモンドダストをキラキラと輝かせている。
「ユキ殿、シラタマの顔つきが、昨日までとは違うな」
冒険の帰路、リディアがぽつりと呟いた。彼女の言う通りだった。先頭を歩くシラタマの足取りには、もう迷いや物憂げな色は一切ない。時折、俺たちを振り返っては「キュイ!」と嬉しそうに一声鳴くその姿は、まるで長い間探し続けた答えを見つけ、心の故郷に触れた者の、晴れやかな自信に満ちていた。
不思議なものだ。行きに通った時と同じ道のはずなのに、見える景色が全く違う。あれほど厳しく、未知に満ちていた冬の森が、今はどこまでも穏やかで、キラキラと輝いて見える。それは、俺たちの心の内側が、この冒険を通して、確かに変わったからなのだろう。
あの雄叫びが、彼にとってどんな意味を持っていたのか、俺にはまだ分からない。だが、彼の魂が、今、確かに満たされている。その事実だけで、この冒険は、何物にも代えがたい価値があった。
谷を渡る時も、行きのような緊張感はなかった。リディアが対岸でロープを支え、俺がシラタマを抱いて渡る。腕の中で、シラタマはもう震えていなかった。ただ、絶対の信頼を込めて、俺の胸にその顔をうずめている。言葉はなくとも、俺たちは、この冒険を通して、また一つ、揺るぎない絆で結ばれたことを実感していた。
数時間後、木々の向こうに、見慣れた俺たちの拠点が見えてきた時、全員の口から、ほうっと安堵のため息が漏れた。煙突から立ち上る、細く白い煙。雪に半分埋もれた、不格好で、しかし愛おしい我が家。
扉を開けた瞬間、俺たちを包み込んだのは、暖炉に残った薪の匂いと、干し草の甘い香り、そして、俺たちがここで暮らしてきた時間の匂いそのものだった。
「…帰ってきたな、ユキ殿」
リディアのその声には、ただ任務から帰還した騎士の安堵ではない、心から安らげる場所へ戻ってきた者の、深い、深い感慨が込められていた。飢えて倒れていた自分を救ってくれた、あの夜から始まった、この温かい場所。ここが、今や、彼女の魂が還るべき『故郷』になっていた。
「ええ、帰りましょう、俺たちの家に」
暖炉の火を再び熾し、冷え切った体を温める。だが、すぐに解決しなければならない問題があった。数日間の雪中行軍で、俺たちの革製のブーツは、ぐっしょりと濡れてしまっている。
「リディアさん、濡れたブーツを、いきなり火で乾かすのは禁物ですよ。革が縮んで、ひび割れてしまいますから」
「むぅ…では、このまま自然に乾くのを待つしかないのか?それでは何日かかるか…」
俺は、そんな彼女の悩みに、にやりと笑って答えた。
「こういう時のための、文明の利器があるんですよ」
ポンッ!ポンッ!
【創造力:57/150 → 50/150】
俺が召喚したのは、Dランクの生活用品『靴用の乾燥剤』を数セット。竹炭が入った、小さな布袋だ。
「これをブーツの中に入れておくだけで、中の湿気をぐんぐん吸い取ってくれるんです。消臭効果もありますよ」
その、あまりにも単純で、しかし画期的な解決策に、リディアは「なんと…!これも、貴殿の『知恵』か…!」と、感嘆の声を漏らすしかなかった。
体が温まり、装備の問題も解決したところで、俺はリュックの奥から、あの日見つけた『木彫りの小熊』を、そっと取り出した。長い年月を経て、人の手の中で何度も撫でられたのか、角が取れて丸みを帯びた、温かみのある木彫りの人形。シラタマは、その人形を、傷つけないように、そっと鼻先で撫でている。まるで、遠い記憶の中の、温かい誰かの匂いを、確かめるかのように。
「このままでは、いつか朽ちてしまうかもしれません。少しだけ、お化粧をしてあげましょう」
俺は、この小さな宝物を、未来永劫守るための、最後の仕上げに取り掛かった。
ポンッ!ポンッ!
【創造力:50/150 → 48/150】
EランクのDIY用品、『透明ニス』と『工作用の細筆』だ。
俺は、暖炉の光にかざしながら、木彫りの小熊に、ニスを薄く、丁寧に塗り重ねていく。古びて乾ききっていた木肌が、しっとりとした生命力のある艶を取り戻し、彫刻の陰影が、より一層深く、美しく浮かび上がっていく。まるで、失われた時間に、もう一度、命の光を灯していくかのように。
その光景を、リディアとシラタマは、息をのんで見守っている。それは、ただの修復作業ではない。シラタマの、失われたかもしれない過去と、俺たちの未来を繋ぐための、神聖な儀式のようだった。
その日の夕食は、冒険の成功と、無事の帰還を祝う、特別な祝宴となった。
鉄の大鍋で、温室で採れた冬野菜と、自家製ベーコンをコトコト煮込んだ、熱々のクリームシチュー。そして、挽きたての小麦粉で焼いた、バターの香り豊かなパン。
冷え切った体に、温かいシチューが染み渡っていく。
食事が終わる頃には、シラタマは暖炉の前の一番暖かい場所で、満足げな寝息を立てていた。その前足は、まるで何かを抱きしめるように、優しく丸まっている。
暖炉の上の飾り棚には、ニスで美しく輝きを取り戻した、木彫りの小熊が、ちょこんと座っていた。まるで、この家の新しい守り神のように、俺たちのことを見守っている。
(結局、謎は深まっただけか…)
俺は、眠るシラタマと、小さな木彫りの熊を眺めながら、思う。
だが、それでいいのかもしれない。答えが見つからない謎があるからこそ、日常は、もっと豊かで、面白くなる。
俺は、静かに本を読む騎士と、幸せそうに眠る白熊、温室で眠る土の精霊、そして、この小さな木彫りの守り神を見渡した。なんて、不思議で、ちぐはぐで、そして、かけがえのない『家族』なんだろう。
俺は、温かいシチューの最後の一滴をパンですくいながら、この、かけがえのない家族と、穏やかな冬の時間に、心からの感謝を捧げるのだった。
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