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第八十三話『森の王への返礼と、恵みの蜂蜜』
しおりを挟むあの冬の嵐が去ってから数日後。俺たちの拠点には、新しい日常の儀式が生まれていた。
それは、リディアが朝の巡回に出かける際、必ず一度、森の奥深く、あの巨大な洞窟がある方角に向かって、ぴしりと背筋を伸ばし、静かに一礼することだった。
「ユキ殿。我らの聖域の隣には、王がおわす。騎士として、日々の敬意を払うのは当然のことだ」
彼女のその、どこまでも真面目で、しかし心からの敬意に満ちた言葉に、俺も静かに頷く。俺たちの生活は、目には見えない、大きくて、優しい隣人の存在と共に、新しい章を迎えたのだ。
その日の午後、俺は暖炉のそばで乾燥させていた、森の王からの贈り物である『高山植物のハーブ』を、そっと手に取った。その清涼感のある香りは、ただそこにあるだけで、俺たちの心を穏やかにしてくれる。
「この素晴らしい贈り物を、ただお茶にして飲むだけでは、もったいない。最高の形で、俺たちの力に変えましょう」
俺が提案したのは、この貴重なハーブの力を長期保存し、効能を最大限に引き出すための、『ハーブの蜂蜜漬け』作りだった。
俺は鉄の大鍋に、秋の間に森で集めておいた蜂蜜をとろりと注ぎ、暖炉の熾火で人肌ほどの温度にゆっくりと温めていく。
金属のスプーンは、蜂蜜の繊細な風味を損なう可能性がある。俺は、プロとしてのささやかなこだわりを思い出した。
ポンッ!
【創造力:150/150 → 149/150】
俺が召喚したのは、Eランクのキッチン用品『木製のハチミツサーバー』。コストは1。
その螺旋状の溝が刻まれた可愛らしい道具で、黄金色の蜂蜜を優しくかき混ぜる。その、あまりにも専門的で平和な光景に、リディアは感心したように目を細めていた。
蜂蜜の濃厚で甘い香りが部屋中に満ちていく。その、抗いがたい香りに誘われて、足元にいたシラタマが、そわそわと鼻を鳴らし始めた。
俺がサーバーを一度皿の上に置いた、その一瞬の隙。ぺろり!
「あ、こら!」
シラタマが、電光石火の速さで蜂蜜を舐め取ってしまった。その顔は、最高に幸せそうだった。
温まった蜂蜜に、乾燥させたハーブを祈るように沈めていく。その時だった。
工房の隅から現れたつちのこが、とてとてと歩いてきて、蜂蜜の入った鍋の縁に、その小さな手をそっと触れた。
すると、鍋の中の蜂蜜が、一瞬だけ、淡い金色の光を放った。それは、冬の陽だまりを溶かし込んだかのような、温かく、優しい光。土の精霊からの、ささやかな『祝福』だった。
完成した『祝福の蜂蜜漬け』を、召喚した『ガラスの保存瓶』に詰める。それを見つめながら、俺の心には、一つの想いが生まれていた。
(一方的に、もらうだけでは、対等じゃない。俺たちからも、何か、感謝の気持ちを伝えたい。だが、何を贈れば…?)
食料は、縄張りを荒らす行為と誤解されかねない。悩んだ末に、俺が思いついたのは、物質ではない、俺たちの存在そのものを伝える、一つの『音』だった。
その日の夕暮れ。俺は、谷が見渡せる、森の王のテリトリに最も近い丘の上に、一人で立っていた。
俺の手の中には、スキルで召喚した、100均のおもちゃコーナーにある、プラスチック製の『オカリナ』が握られていた。
ポンッ!
【創造力:144/150 → 143/150】
Eランクの楽器。コストは1。
俺は、音楽の専門家ではない。ただ、前世で覚えた、拙いメロディを、森の王に届けるため、静かに、そして一生懸命に奏で始めた。
ピー、ヒョロロ…。
どこまでも素朴で、不器用な音色。しかし、その音には、俺たちの感謝と、「俺たちは、ここにいます。あなたに敵意はありません」という、魂からのメッセージが込められていた。
その、森には似つかわしくない、しかし優しい音色に気づいたのか、拠点からリディアとシラタマもやってきて、何も言わずに、俺の隣で、じっと森の奥を見守った。
オカリナの最後の音が、冬の澄み切った空気に吸い込まれていく。
森の奥から、返事が返ってくることはない。ただ、全てを包み込むような、深い静寂があるだけ。
しかし、俺の心は、不思議なほど満たされていた。
俺たちは、ただの隣人から、言葉を交わさずとも、心で対話できる、本当の意味での『友』に、なれたのかもしれない。
拠点に戻る俺たちの足元を、母屋の窓から漏れる暖炉の明かりが、温かく照らしている。棚の上では、祝福の蜂蜜漬けが、静かに、黄金色の輝きを増していくのでした。
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