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第八十五話『食べられる宝石と、窓辺の光』
しおりを挟むリディアが全快してから数日が過ぎた、穏やかな冬の午後。
彼女はもう無理な雪中訓練はせず、暖炉のそばで、俺が淹れた温かいハーブティーを飲みながら、静かに英雄譚を読んでいた。外は厳しい冬の世界だというのに、家の中は、どこまでも平和な時間が流れている。
冬の午後の、低い太陽の光が窓から差し込み、部屋の空気中に舞う、目に見えないほどの小さな埃を、キラキラと金色に照らし出していた。その、あまりにも美しく、儚い光の乱舞を眺めながら、俺はふと思った。
(この光を、この時間を、もし、形にして食べることができたなら…)
俺は、静かに立ち上がると、リディアに向かって微笑みかけた。
「リディアさん。今日は、光そのものを食べるような、特別なお菓子を作りましょう」
俺が作るのは、『ステンドグラスクッキー』。生地を型抜きし、その中央をさらにくり抜いて、砕いた飴を詰めて焼くことで、飴が溶けてステンドグラスのように透き通る、美しいお菓子だ。
「食べられる宝石、ですよ」
俺の説明に、リディアは本から顔を上げ、目を丸くした。
「宝石を…食べるのか!?それは、竜の財宝を食らうにも等しい、冒涜的な行為ではないのか…!?」
彼女の、どこまでも真面目な騎士の価値観を揺さぶる、未知のスイーツ。その反応に、俺は思わず笑ってしまった。
「さあ、お菓子工房の開店です!」
俺は、この美しい芸術品を作るため、100均の知恵を総動員する。
ポンッ!ポンッ!
【創造力:150/150 → 142/150】
俺が召喚したのは、Dランクの製菓用品『クッキーの型抜き』セットと、Cランクの『絞り出し袋セット』。コストは合わせて8。称号『キャンプシェフ』の効果もあって、消費は僅かだ。
生地を星や動物の形に抜いた後、その中央を綺麗にくり抜くために、『絞り出し袋の口金』を逆さにして使う。
「さて、リディアさん。ここからが、あなたの出番です」
俺が次に召喚したのは、100均のお菓子コーナーの定番、『色とりどりのドロップ』だった。
ポンッ!
【創造力:142/150 → 137/150】
Dランク。コストは5。
俺は、この硬い飴を厚手の布に包み、リディアに木槌を手渡した。
「これを、粉々になるまで、お願いします」
「うむ、任せろ!」
彼女は、騎士ならではの驚異的な集中力で、そっと木槌を振り下ろす。だが、染み付いた『叩き斬る』という感覚が、どうしても抜けない。力を込めた瞬間、ゴツン!という鈍い音と共に、ダイニングテーブルの天板に、うっすらと亀裂が入った。
「あ…!」
「リディアさん、愛情ですよ!パンの時と同じです!」
「むぅ…!分かっている!だが、この…!」
彼女は、自分の裏切り者のような手と、木槌を交互に見比べ、本気で悔しがっている。その、どこまでも真面目で、不器用な姿が、暖炉の炎に照らされて、最高の癒やしとなっていた。
甘いバターの香りが工房に漂い始めると、仲間たちが、そわそわと集まってきた。
キラキラと輝く、砕かれた飴の粒に、シラタマは興味津々だ。まるで本物の宝石だと勘違いしたのか、俺が目を離した隙に、その大きな前足で、赤い飴の粒を一つ、そっと隠そうとしている。
「シラタマ、それは後でみんなで食べるんですよ」
俺に見つかり、バツが悪そうに「キュイ…」と鳴く相棒。
俺が、つちのこの祝福を受けた小麦粉でクッキー生地をこねていると、温室からやってきた本人が、とてとてと歩み寄ってきた。そして、生地の入ったボウルの縁に手をかけると、その頭の双葉から、一粒だけ、キラキラと輝く金色の花粉を、はらり、と落としてくれた。それは、焼き上がると、バニラのような、甘く高貴な香りを放つ、神様からの、二度目の祝福だった。
全ての準備が整い、俺は生地を石窯の中へと滑り込ませた。
待つこと、しばし。やがて、窯から取り出したクッキーを見て、一同は息をのんだ。
サクサクに焼けた生地の中央で、色とりどりの飴が完璧に溶けて、滑らかなガラスのように輝いている。冬の午後の低い太陽光が、その『食べられる宝石』を透過して、テーブルの上に、赤や青、緑の、万華鏡のように美しい光の模様を描き出していた。
その日の午後のお茶会は、これまでで最も、美しく、そして静かなものになった。
一同は、暖炉の前に集まり、完成したばかりのステンドグラスクッキーを味わう。サクサクのクッキーと、カリカリとした飴の食感。そして、口の中に広がる、神様の祝福を受けた、優しい甘さ。
リディアは、一枚のクッキーを、暖炉の炎にかざした。揺れる炎の光が、赤い飴を透過して、彼女の青い瞳を、ルビーのようにキラキラと輝かせた。
「…美しいな」
彼女は、ぽつりと、ため息のように呟いた。
「ただの食料ではない。これは、心を豊かにするための、光の芸術だ…」
それは、彼女が、生きるための強さだけでなく、『美しいものを愛でる』という、新しい心の豊かさを手に入れた、確かな瞬間だった。
厳しい冬の日常に、俺たちの手で作り出した、温かくて、甘くて、そしてどこまでも美しい「彩り」が、また一つ、加わったのだった。
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