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【第百二十五話】王都の使者と、もてなしの鎧
しおりを挟むキラリ、と。
丘の上から放たれた、鋭く、しかし言葉のない光の矢。
――『敵影、二』。
その、あまりにも冷静なリディアからの合図に、俺は手にしていた鍬を、静かに地面に置いた。
ついに、来たのだ。俺たちの、ほんのささやかなお節介が生んだ、抗いがたい世界のうねりが、今、この穏やかな聖域の入り口まで、確かに、たどり着いたのだ。
数分後、監視所から駆け下りてきたリディアの顔には、これまでにないほどの緊張が浮かんでいた。
「ユキ殿!相手は二人組。一人は騎士、もう一人は文官風だ。おそらく、噂の調査団に間違いない。どうする!?迎撃の準備を!」
抜かれた剣が、春の陽光を反射して、ギラリと冷たい光を放つ。だが、俺は、その剣を、穏やかに手で制した。
「リディアさん。俺たちの聖域は、砦ではありません。剣を向ければ、相手も剣を抜く。それでは、ただの戦になってしまう」
俺は、リディアの、戸惑う瞳をまっすぐに見つめ返した。
「だから、俺たちは、最高の『鎧』で、彼らを迎え撃ちましょう。俺たちが、この聖域で作り上げた、世界で一番温かい鎧…**『もてなし』**という名の鎧で」
俺の、あまりにも常識外れな作戦に、リディアは息をのんだ。だが、彼女は、俺の瞳の中にある、揺るぎない自信を読み取ると、一度だけ強く頷き、その剣を鞘へと収めた。
俺たちの、静かなる『迎撃』準備が始まった。
リディアは、ダイニングテーブルに、俺たちが作った翡翠の器を、寸分の狂いもなく並べていく。
シラタマには、一番大事な任務が与えられた。
「シラタマ。あなたは、ただ、そこにいてください。できるだけ、もふもふに、可愛らしく」
その、あまりにも高度な(?)任務に、彼は「キュイ!」と、力強く応えた。
そして、俺は、この戦の、最初の切り札となる『武器』を召喚する。
ポンッ!ポンッ!
【創造力:50/150 → 47/150】
俺が召喚したのは、Eランクの『綿のハンドタオル』数枚と、同じくEランクの『コルク製のコースター』。コストは合わせて3。
俺は、タオルを熱湯に浸し、聖域のハーブを数滴垂らすと、それを固く絞る。湯気と共に、心を落ち着かせる清涼感のある香りが立ち上った。
数十分後。二人の来訪者が、聖域の入り口に、その姿を現した。
一人は、銀色の鎧に身を包んだ、怜悧な美しさを持つ女騎士。その腰には、王都の紋章が刻まれた長剣が佩かれている。
もう一人は、眼鏡をかけた、若い文官風の男。その手には、羊皮紙の巻物が握られている。
彼らは、屈強な山賊か、あるいは武装した魔術師でも現れるかと、最大限に警戒していたのだろう。だが、彼らが目にしたのは、穏やかな笑みを浮かべて佇む、質素な服の男と、その隣で、ただ静かに控える、鎧を脱いだ美しい女性、そして、その足元で、平和そうにあくびをする、巨大な白熊の姿だった。
彼らが、あまりの拍子抜けに、言葉を失っている、その隙。
「ようこそ、俺たちの聖域へ。長い旅、お疲れだったでしょう」
俺は、完璧なタイミングで、湯気の立つ、温かいタオル…『おしぼり』を、二人にそっと差し出した。
「…なっ…これは、なんだ…?」
女騎士が、戸惑いながらもそれを受け取る。手に伝わる、じんわりとした温かさ。顔をうずめると、ハーブの香りが、旅の緊張で張り詰めていた神経を、優しく解きほぐしていく。彼女が、生まれて初めて経験する、あまりにも文明的で、そしてあまりにも優しい歓迎だった。
続いて、俺は、翡翠の器に注いだ、キンキンに冷えたベリージュースを、コースターに乗せて差し出す。
彼らの警戒心という名の鎧は、俺たちの『もてなし』という名の鎧の前で、音もなく、内側から溶かされ始めていた。
その夜の食卓は、俺たちの聖域の、歴史そのものだった。
挽きたての小麦で焼いたパンと、自家製バター。ロゼッタの種から育てたトマトのサラダ。燻製にしたキバいのししの肉と、聖域の畑で採れた野菜で作った、温かい肉じゃが。そして、デザートには、ヤギのミルクで作った、濃厚なチーズケーキ。
一口食べるごとに、女騎士の、氷のように硬質だった表情が、少しずつ、人間的な驚きと、そして感動に変わっていくのが分かった。
食事が終わる頃には、彼女の瞳から、警戒の色は、完全に消え去っていた。
だが、彼女は、王都の騎士だった。
彼女は、ナプキンで口元を拭うと、姿勢を正し、俺をまっすぐに見つめた。
「…もてなし、感謝する。賢人殿。だが、我々は、遊びに来たのではない」
その声には、再び、騎士としての鋼の意志が宿っていた。
「我らは、王都の命により参った。貴殿の、そしてこの『聖-域』の正体、詳しく聞かせていただこうか」
温かい食卓の空気は、一瞬にして、張り詰めたものへと変わる。
シラタマは、そのただならぬ気配を察してか、俺の足元で、低く、グルル…と唸り声を上げた。
俺たちの、穏やかな日常と、外の世界の理(ことわり)。
その二つが、今、この小さなダイニングテーブルの上で、静かに、しかし、決して避けることのできない形で、初めて向き合った瞬間だった。
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